熊野神社
尾道市久保一丁目  標高:11.0m
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 西国寺山南先端部にある水尾町にある神社です。

 日本最古の伽藍様式の大阪四天王寺の伽藍配置でも最南端部に造営されているのが熊野権現です。

 むかしの西国寺を想像した時、この配置にも何らかの意味があるのでしょうか。


〈熊野権現〉は和歌山県、紀伊半島南端の熊野本宮大社(本宮町)、熊野速玉大社(新宮市)、熊野那智大社(那智勝浦町)の三社をさし、〈熊野三所権現〉ともいわれる。本宮・熊野坐(にます)神社は家都御子神(けつみこのかみ)=素菱鳴尊(すさのおのみこと)、新宮・熊野速玉神社は速玉男神=伊邪都岐命(いざなぎのみこと)、熊野那智神社は夫須美神(ふすみのかみ)=伊邪那美命(いざなみのみこと)をそれぞれ主神としています。

 三つの神社はたがいに他社の主神を勧請して三神を祀るようになり、現在はどの社でも〈熊野三所権現〉が祀られています。
 平安時代初期に修験道が成立して以来、熊野三山は山岳仏教修行の道場として重要視されるようになり、本宮の阿弥陀如来、新宮の薬師如来、那智山の観音菩薩を本地仏とする熊野信仰が広まりました。
 熊野の地自体が観音の〈補陀落(ふだらく)浄土〉であるという考えも生まれ、平安時代後半になると、熊野三山の信仰は都人にも広まり、皇族・貴族から庶民にいたるまで、熊野詣がさかんになっていきました。
 古く江戸時代から続く水祭りが復活したようです。

 旧水尾町(現久保)に伝わる夏祭りで、水細工人形を陳列し、水尾町の豊かな水源を慶ぶ熊野権現神社の祭祀です。

 からくり人形をで水細工の場面がつくられ、人形の手の先から水が噴水のように吹き出します。
 狭い小路を抜けた奥の石崖の上に、小さな小さな神社があります。
「行啓記念」と刻まれていますが、文字はよく読めないですね。皇族の方が立ち寄られたのでしょうか?




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