天神信仰は、江戸時代に寺子屋が隆盛してからのこと!

 江戸の寺子屋のなかの子供はまったくマイペース。
 さぼる子、暴れる子もいて、無法地帯であったが、体を動かしながら学ぶ子供の顔は生き生きしていたようです。
 江戸時代、女の先生が結構いました。大都市の寺子屋では〈女師匠の数が多かった〉ようです。実際、江戸における「女師匠の比率」は35.5%であったといいます。
 ちなみに現在、女性教員の比率は高校で28%、中学校で41%、小学校で63%(「学校基本調査」2004年度)。江戸の寺子屋のほうが、現代の高校よりも、女性教員が多かったようです。

「覚えた事柄はいつでも思い出せる」と潜在意識に!

 何かに取り組むとき、先ず、分析。行き当たりばったりでは運もついてきません。
 取り組む内容を分析する、また、自分を分析することも大切です。この作業を事前にすること、
 「何を」「いつまでに」「どこまで」「どのように」すればよいのか、それができると具体的な取組方法が浮かんできます。
 そのような作業をやっておくと、たとえ失敗しても、その失敗が自分の財産になってきます!

自分が知らないことを、知ることが、知るということ!

 人と話をするとき、「知ったかぶり」をしてしまいがち。
 自分が知らないことは、素直に聞くこと。素直に聞いていれば、自分の知識がどんどん増えていきます。
 その知識と自分の体験の組み合わせがうまくいくと、本物の知識になります。
 知らないこと、曖昧な知識、素直に聞く耳を持ちましょう!

江戸時代の「士農工商」という身分制度!

 日本での身分制度はいつ頃からゆるやかになっていたのでしょうか?
 江戸時代の「士農工商」は、以前は身分制度とされていましたが、現在では、「いろいろな職業の人」と解釈されているようです。ということは、職業の違いはあったが、身分制度ではなかったようです。ただ、賤民と言われる身分はかなり最近まであったようです!

子供たちに暗唱をさせるという指導法!

“ 「暗唱」をいつからできるようになるのでしょうか?
 書いてある文章を一度覚えないとできないですよね。
 小さな子供でも役者の方は、セリフを覚えているのですから、訓練をはやくからやれば出来るのでしょうね。
 外国語も、暗唱が得意な人は早く覚えられるのでしょうね!”

「正解は1つ」は、ストレスが溜まり、起こりやすくなる!

 怒りのメカニズムを明らかにした結論は、「怒らない方が絶対に得だ」ということだそうです。
 ストレスが溜まると、起こりやすくなってきます。都会で、仕事に追われ続けると、ストレスが溜まってきます。
 また、知識100点主義で、100点ばかり追い掛けていると、やはりストレスが溜まります。
 むかしは、学校でも103点とか、105点をつける先生がおられました。教科書で教えた以外のことを調べ、記述式の問題に書き込んだ場合などです。
 知識は100点とればいい、ではありません。正解は1つだけではありません。いろいろな視点で見直す必要が常にあるのです!

学校教育は知識を詰め込むだけの場所!

“ 太平洋戦争に後、アメリカが日本の教育制度を改革し、日本をアメリカの属国のようにした。これは日本にとっては、メリットもデメリットもあったのでしょう。
 その後、日本的な修正が加わり、現在に至っていますが、まだ改善が必要のようです。
 いま、詰め込み教育が見直されつつあるが、その効果は???
 また、子供の安全な環境も整備されたが、行き過ぎたためか、安全に対する思考能力が落ちたためか、何も考えないで指示役の支持通りに、犯罪を犯す人を生み出しています。
 子供時代から、自分の安全に対する思考の訓練が、もっと必要なのでしょうね。
 ところで、ロシアが征服したウクライナの一部での教育は、どんな占領教育をしているのでしょうか。その面での教育は、ロシアは歴史的にベテランですから心配です!”

他人と自分を比較する相対的考えを断つ!

 今までの学校教育では「記憶力」中心でした。そのためか他の同級生との比較が簡単に行うことが出来ました。
 優劣の比較が簡単にできるため、他人の目を気にする人が多くなりました。
 最近はNET検索で、簡単に知識・情報を手に入れることが出来るので、変わっていくのでしょうか。
 ただ心配なのは、自分が興味を持つ分野でのNET検索をする人が増えると、思考は深くなりますが、視野はどんどん狭くなって行きます。視野が狭くなると、他人を認める範囲も狭くなってしまいます。
 それに加え、社会に出てからも専門化した方が収入がよくなり、人からも認められるので、ますます視野が狭くなります。
 それが、「良い社会」につながるのでしょうか?

学校歴だけで昇進できる世の中は終わった!

 小学校の時、家庭科の時間で教科書に「新鮮な魚の見分け方」で、「魚の目を見る」とか、「エラを見る」とかなどと書いてありました。でも、その当時住んでいた街では、魚に触って「動くか」、タコやイカは「吸盤が吸い付くか」どうかが、新鮮さを判断する基準でした。
 それまでは、教科書は正しいものと思っていましたが、疑問が湧きました。
 また高校の時、テストでの五段階評価が、統計的な手法に変わりました。しかし、一人の先生は、「103点」とか「105点」をつける先生がいました。しかもその教科の平均点は40点代でした。
 その経験は(数十年前ですが)、情報は「いろいろな面から考えなければ……」が必要だと思うようになりました!

自分の人生は幸せなものだった?

 子供の成長には、「期待」が大きく影響するという。ただし、過剰な期待は厳禁。
 状況を、ありのまま、正確に把握し、その状況に応じた期待をすることが大事ですね。
 入試が終わった今、改めて、冷静に考えてみましょう。
 大人になっても、「ちょうど良い期待」がどんなものか、冷静に考えなくてはならないですね!

劣等感は心が勝手につくり出した妄想!

 迷いの多くは、体験を伴わない知識から生まれてくるのでは、と思うことがあります。
 子供時代に自然の中で遊び、その後、学校で学び始めると、いつの間にか、まず現実を正しく把握する習慣が出来てくるようです。
 すると、まず状況を把握し、どう行動するか、考えます。すると、悩む数が減ってきます。
 もちろん、それ以外の抽象的な悩みもあります。しかし、少しは悩みが減ってくるようです!

叱った後は、叱り終わった合図を!

 「叱る」とき、「叱り終わり」を考えてから叱っていますか?
 叱る目的は、叱る相手に何かしらの改善を要求し、そして、結果を出してほしいから叱っています。
 叱った結果は、どの程度改善が実現していますか?
 よく見かけるのは、叱る側のストレス解消のため叱っている、と感じてしまうことがあります。これでは、叱られた側もストレスが残り、双方とも何のメリットも生まれてきません。
 何かしらの改善が生まれる叱り方を、充分考えてから、叱りたいですね!

「ゆとり」を楽しむ時代に!

 対話型AIは、知識中心の教育を変える力があるのでしょうか。
 現段階で使ってみると、質問が具体的で、回答を匂わすものであれば、回答も正しいようですが。質問が曖昧だと、変な回答が返ってくることがあります。それもまことしやかな回答で返ってきます。
 ということは、質問をする前に、具体的な質問が出来る程度の知識は必要なようです。特に日本語は、同じ単語であっても、使い方が多用なので、質問するときは、どの単語を使って質問をするかも、関係してくるのかも知れません。
 やはり、「知識」と「感覚」をもとに、「考える力」を身につけることが、基本なのでしょうね!

「人間の教育」は自然界の摂理に学ぶ!

 子供達の多くは、自然の中で学ぶことが少なくなっています。自然の中での危険を体感することが少なくなっています。
 言葉や文字から学ぶことが多く、五感で感知し、自分で考える、ということが少ないからでしょうか。
 学童保育は、子どもの自由があるようですが、大人が見守っています。そのためか、どの程度までは安全か(危険か)は、大人の指導が入ります。
 安全は確保できますが、失敗の経験は少なくなります。
 五感の情報から考え、判断する、という力が弱くなっているようです。
 最近の犯罪を見ていると、本当に自分で充分考えて、行動の選択を行っているのか疑問を感じます。
 これは、人類の生き残りという視点が、不足しているのでは? SDGsは人類の生き残りを考えた活動だと思うのですが!

教育は学校だけでやるもの?

 教育は学校教育だけでは、片寄ってしまいます。そのためか一方的な考え方になり、いじめや異常な犯罪が起きている一因になっているのでしょうか?
 むかし、小学校の家庭科で「新鮮な魚の見分け方」を教わりました。私の体験と大きく異なっていました。私の体験では、「魚にさわって動くかどうか」、「タコやイカは吸盤が吸い付くかどうか」でした。
 知識というものは、「ある場面での正解」です。そのためには、現状を洩れなく観察した上で、どの知識を適用したら良いのか、あるいは、もっと調べなければ、ということになるのでしょう。
 固定観念を植えつけてしまう教育は、ほんとうの教育なのでしょうか?

学校の宿題が気になって!

 夏休みの宿題は大変でしたね。いつも夏休み終わりの1週間くらい前から、残っていた半分くらいの宿題に取り組んでいました。全部は出来ませんでしたが、何も言われませんでした。
 長井休みには、やはり自分の好きなことをやっていたいですね。出来れば、広い意味で自然と関係するものを。
 好奇心を持つということは、現状をキチンと観察する力がつきます。その力は、生きていくためには、とても大切な能力だと思いますよ!

これからの時代に必要な能力!

 日本の学習のやり方は、国際的には通用しないのでは? と、いわれています。
 ただ、ただ、テストでの正解の答えを記憶する、これでは変化の時代にも対応できません。テストでの正解は、過去の知識です。変化は、これからの時代です。過去の知識だけでは対応できません。現状の変化を洩れなく把握し、過去の知識を参考にし、自分の感覚をベースに判断しなくてはなりません。
 変化の時代に生きぬくのは、過去の知識だけに頼ってはいけないのです!

どうして人間は戦争を起こすんだ!

 「どうして人間は戦争を起こすんだろうね?」、それも圧倒的に男性が。
 今日も安倍元首相が銃撃され亡くなりました。犯人は男性。最近の不可解な犯罪も、犯人の多くは男性ですね。どうしてなのでしょうね?
 男性は考え方に幅がなく、1つの方向になりやすいようです。特に100点主義の教育で、いつも答えは一つしかないと思い込んでしまう傾向にあります。でも、答えというものは一つではありません。
 私は、小学校の家庭科で「新鮮な魚の見分け方」を習ったとき、「魚の目やエラを見て見分ける」と習いましたが、住んでいたところでは「魚に触って動くかどうか、タコやイカは吸盤に触って吸い付くかどうか」で新鮮かどうか見分けていました。どうして教科書にヘンなことが書いてあるのだろう? と思いました。
 答えというものに、「曖昧」を許容していれば、社会人になっても、一つの考え方に固執することが少なくなるのではないでしょうか!

「だれが下手だと言いました?」

 「自分は○○だ」と思い込んでいませんか? その多くは、自分だけの思い込みで、なおかつ、自分の一人で思っていることが多いようです。
 むかしと違って、「多様さが求められない」、あるいは、「1つのだけ答え」を求めるようになっているようです。
 もっと、多様性を受け入れ、曖昧さを認める社会になれば、精神的にはもっと楽に暮らせるのに、と思ってしまいます。
 日本は、むかしから、神も仏も両立してきた社会です。答えというものは、1つではありませんでしたね!

日本の大学進学率は43位!

 今までの入試問題の多くは、記憶能力の試験が中心でした。世の中の変化が少ないときは、それで良いのかも知らないのですが、変化が激しい時代は、過去の知識をベースにした考え方では、変化に対応しきれません。
 現状をしっかり把握した上で、いろいろな知識・情報を各種組み合わせ、その時代の社会に適したアイデアを見つけ出さなければなりません。
 単に教科書を記憶することだけでなく、多彩な知識・情報を組み合わせる思考方法を身につける必要があるのでしょう。それができる学生には、100点を満点にせず、103点・105点をつけても良いのでしょう。私の経験では、半世紀前には、一人だけですが、そんな先生もおられました!