社会に出てからは学びの質を変えること!

 定年退職後は、特に学びの質を変えなければなりません。組織の中で身についた思考を続けていると、いわゆる“老害”という状態になりかねません。定年後、年月がたつにつれ、ひどくなっていきかねません。過去に蓄積した“思い込み”を捨てるためには、まずは学ぶこと、それも、「学びの質を変える」ことが必要です。たた注意しなければならないことは、定年になってからでは少し遅いようです。少なくとも、定年の五年前から、できれば十年前から学びの質を変える準備が必要だと思います!

「考えること」を教えることはできません!

 向上寺は応年七(1400)年地頭・生口守平公が 瀬戸田潮音山の観音の霊場に一寺を建立し、臨済宗 仏通寺派開山勅特賜仏徳大通禅師愚中周及大和 尚(1323~1409年)を迎えて開きました。 聖観世音菩薩(秘仏)を本尊とし、古来、災害鎮圧と興隆繁栄の祈願寺として 崇敬されました。
 伽藍は明治6年に焼失、本堂は三原近在の寺院解体による古材で 再建しましたが、その後、老朽破損・解体し、現在は仮本堂にて 創建六百周年の復興を目指しています。

生きる力や意欲は家庭教育で!

 学校での子供の評価が、テストの点数中心主義になって、三世代ほど経過してきました。その結果、正しいことは一つという、点数主義が社会に定着してしまいました。ホモサピエンスが生き延びていくためには多様性が必要です。正しいことは一つ、という点数を重視する教育がどの程度役立っているのか、充分な検証はされていません。ただ、社会環境や自然環境の変化に対応していくのは、偶然の結果とすれば、それほど考える必要はないのかも知れませんね!

“傷つくのを感じない”ようになると!

 いつからでしょうか?「完璧」を求めるようになってきました。テストで100点至上主義のためでしょうか。スペシャリスト指向のためでしょうか。みんな気がついているのでしょうが、テストの100点の回答は、必ずしも自分生きている間において、正解であり続けるとは限りません。スペシャリストもそうです。その仕事を辞めた途端、いかにもの知らずで視野が狭かったと気づきます。もっと、「出来損ない」を大事にしたいですね!

日本は一億総利己主義を確立?

 日本では、ここ150~160年ほどの間に、大変革が起こりました。また、この80年ほどの変化は、人類の歴史上初めて変化が起きてしまいました。ただ、この変化には人々がついて行けるスピードでの変化でした。ただし、社会は、変化について行くのが精一杯で、社会を整えることは出来ていません。そのツケが、今回の新コロナウイルスの流行で、やっと気がつく機会が生まれたようです!

教養は、鍋料理である!

 知識、それも得意分野の知識を求めることが優位な現代。人同士のつながりに「希薄」を求めた現代。その結果からか、現実をありのままに見る目が弱くなっているようです。外部から入手できる言葉による情報を求め、その情報をもとに判断する人が多くなっています。自分の目で現状を捉え、その五感を通じた情報をもとに判断する力が衰えてきたようです。これは、情報を発信する側もそうですね。例えば、今回の新コロナウイルスについて「密接を避けましょう」と言ってきました。「密接」=すき間もなく,ぴったりとくっついていること、です。この言葉で予防対策と伝えられると、「10~30cmも離れていればいいだろう」と思った人もいるのではないでしょうか。「伝達の場」であるマスコミも、プロとしての英知を失ってきたのでしょうか?

大人は「勉強」という二文字にとても弱い!

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 大人は、なぜ「勉強」を重要視するのでしょうか? いままでに学校で学んで知識の何%を利用していますか? 基礎になる知識だから、それほどその知識は利用されなくても良い、のでしょうか? テレビでよく見かける「さかなくん」、どれほど学校での知識を利用しているのでしょうか? ネット検索が普及し、調べる方法が身につく程度の勉強ができれば、後は、見つかった情報を組合せ、何らかの「気づきを得る」方法を、練習したほうが良いのではないでしょうか!

基礎学力は「読み書き計算」!

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 想定外の災害が日常化する時代に入り、「点数には表れない学力」が大事な時代になったようです。「点数に表れる学力」は”今までの事実”であり、想定外の事態には対応できません。これからは、「今までの事実+今までの体験+今現在の情報⇨想像する力=これから想定される事態」を考えることができる力が必要ですね!