願いごとは、神様に誓うもの!

181219a_negaigoto.JPG

 神様にお参りして、願いごとをお願いする時期が近づいてきました。でも、お参りは、お願いするのではなく、手を合わせて「頑張ります」と神様に誓うことなのですね。来年は何をしようか、どう取り組むもうか、そろそろ考えを、まとめなければならないですね!


人生の達人になるには、コツコツだ!

181217a_kotukotu.JPG

 近頃、週に1日だけ開店する古本屋など、フルに開店しないお店を見かけます。自分の興味があることを、たとえわずかな時間でも開業するスタイルが、可能な時代に入りつつあるようです。むかし瀬戸内海の島々の人たちは「半農半漁」といったスタイルで働いていました。生業と共に、コツコツと副業をやっていれば、歳を取っても安心できるのでしょう!

「バチが当たる」の「罰」ではなく「八」!

181215a_bati_ataru.JPG

 「バチが当たる」=悪い行いに対する神仏の懲らしめを受ける、というが、30代が一番信じていないようです。どうも出世競争で、出世のためなら何をしても好い、と考えるようになる世代なのでしょう。「バチが当たる」の語源の、賭け事で勝つことを祈る、にもかかわらず一番信じていないのですね。「バチが当たる」という意識が定着していれば、今のような不可解な事件はあまり起こらないのでしょう!


人類初の核家族を作った社会!

181213a_kakukazoku.JPG

 人類は、育児にできるだけ多くの人数が関わることで、より生存率を高めてきたのでしょう。母親一人で育てると、その母親にいらいらが発生するのは、本能的で赤ちゃんに他の大人に関わって欲しいからだろう。子供時代に、その子が関わる大人が少なく、その大人がマイナスの対応しかしなかった場合、その子には救いがないまま育ってしまう。多くの大人が関われば、その中にプラスに関わる大人もでてくる。こんな環境を失った人々の社会が長く続いた場合、どのような人間社会になるのだろうか?


自己批評を大勢の前でやる!

181211a_jikohihyo.JPG

 日本では「正直者はバカを見る」と言いながら、「ウソつき」を社会が受け入れることはありません。外国ではどうなのでしょうか? 中国文化圏では、一族の中ではウソをついてはいけないのですが、一族以外では、自分が有利になる場合はウソは許されるとか? 中東などではもっと広い範囲でウソが許されるのかも。欧米では詳細な契約書を作って、ウソを防いでいるのでしょうか!


相手も忙しいかもしれないと想像してみる!

181209a_isogasiikamo.JPG

 トヨタに、職場の小集団で改善活動をするやり方は工夫されています。現状把握で事実をありのままに(思い込みを排除して)把握し、出てきた改善案はなんであれ批判せず、アイディアが出尽くした後、それらの改善案を公平に評価し、みんなで決めることで、その改善案を確実に実施する、といったやり方です。改善だけでなく、自分の成長においても、「思い込み」が一番の成長阻害要因なのでしょう。いろいろな人たちに接し、それぞれの意見を聞き、冷静に対応できた人が、安らかな人生を送れるのでしょうか!


空気を読むか、読まないか!

181207a_kuuki_yomu.JPG

 社風があるのと同じように、日本の各地にも風土というものがあります。たとえば、瀬戸内海沿岸は大阪の風土に馴染みやすい。山陰や北陸は京都の風土に馴染みやすい。東北は東京なのでしょうか。関西はそれぞれの地域に、それぞれの風土がありますが、関東は比較的似通っています。自分の育った風土と社風とがうまく合うと、気持を楽にして働けるのでしょう!


「ありがとう」は共感脳を活性化!

181205a_arigato.JPG

 「ありがとう」と感謝されると、うれしくなります。親切にすることは、自分のためです。相手からの感謝は、おまけです。四国遍路の”お接待”は助けっぱなしです。助けられた側も、助けられっぱなしでよいのです。しかし「お返しとしなければ」と考える風土がある地域(東日本に多いようです)もあります。人類は集団で暮らし、当然のこととして助け合ったから、生き延びてきたのでしょう!


孤高の天才タイプが何より辛いのは!

181203a_tensai.JPG

 天才は自分の才能だけに頼る。老人は、自分の経験だけに頼る。自分だけの才能、自分だけの経験、これには限界がある。そのためか、人類の進化の過程では社会性を大切にしてきた。核家族化、都市の孤立しがちな暮らし方、これが、自分の能力だけを頼り生きることになる。まだ一部ではあるが、人類史上初めての実験が始まっている。どのような結果になるのでしょうか?


一生懸命に上司に仕えてきた人!

181201a_mikudasu.JPG

 “見下す”ことが定着した人は、年齢にかかわらず、その意識を解除することが難しい。それでなくとも、長い期間、特定の組織、あるいは業界に属してしまうと、特定の考え方が染みこんでしまい、その思考から抜け出せなくなってしまいます。いわゆる「脳の老化」です。ある程度の年齢になると、「広く、浅く」知識を広めていくことが、脳の老化を防ぐことにつながるのでしょう!


家族関係のぎくしゃくは、過干渉と過放任!

181129a_kazoku_gikushaku.JPG

 核家族の場合、家族間のぎくしゃくは、大きな問題になりかねません。家族全員が一緒に過ごす時間が大事ですね。その時間が少ないと、子供にとっては特に厄介な問題になりかねません。大家族、あるいは、田舎のような近所付き合いが残っていれば、より多くの大人、ときにはペットの他、やぎ、牛、馬などの動物との関係性ができ、いやしの機会が多くなります。”面倒”と、”いやし”のどちらが子供の将来に、メリットを生み出すのでしょうか!


ゼロ歳の時から健全なこころを育てる!

181127a_kokoro_sodateru.JPG

 昨今、不可解な事件のニュースをよく見ます。もう不可解とは思わないで、ごく普通の事件として考えなければならない時期が、来たのでしょうか? 核家族の定着が、二世代目から三世代目になってきたことにも、その要因があるのでしょうか? 赤ちゃん時代から、出来るだけ多くの大人と接触することが少なくなると、大人になるための学びが、少なくなるのでしょうか?


十分に唾液が出ると若さを保つ!

181125a_daekisen.JPG

 「よく噛みなさい」と言われていました。よく噛むことが習慣になっていると、歳を取ってもドライマウスになりにくいのでしょう。ドライマウスになると、噛み砕いた食物を飲み込みにくくなり、味を感じるのもにぶくなるのでしょう。唾液は、咀嚼、嚥下、発音、味覚といった口の働きを助け、呼吸器官と消化器官の入り口で、病原菌から身を守る生体防御としても重要な役割を果たしているので、唾液腺活性のマッサージの方法を覚えましょう!


子供への脅しは大人本位の行為!

181123a_kodomo_odosi.JPG

 子供は、言葉が話せない幼少期でも、まわりをしっかり見ています。たとえば、お母さんが同じぬいぐるみを両手に持って、赤ちゃんにそっと突き出してみます。その時、お母さんが右手のぬいぐるみを、やさしく見ながら差し出すと、赤ちゃんはそのぬいぐるみを取ります。目でコミュニケーションができているのです。この幼少期でも、視線や声で叱る、あるいは、脅してしまうと、赤ちゃんの心に残ってしまうのでしょう!


「脅し」の効果は!

181121a_odosi_kouka.JPG

 「脅し」は、自分が上でないと成立しません。むかし有名な歌手が、「お客様は神様です」と頻繁に言ったため、その言葉が心に刻まれたのでしょう。長い年月が経つうちに、店にクレームをつけるために、商品を購入する客が出てきています。「自分が上」という発想は、差別やパワハラだけでなく、いじめにまでつながります。気をつけましょう!


つらい気持ちにフタをすると!

181119a_kimoti_huta.JPG

 集中力が継続して高い人は、自分の疲れに気がつきにくいものです。故郷がある人は、リフレッシュのために田舎に帰ると、心の疲れが一気に吹き飛ぶものです。そのような故郷を、子供のうちに持たせてあげたいものです。昨今、都会育ちの若い人が、田舎に移住するのは、そんな目的もあるのでしょうか!

物事を理解する最初の一歩「直感」!

181117a_tyokkan.JPG

 AIが進歩していくなかで、「直感」というものが、どのように位置づけられるのでしょうか? 直感は、体験を基礎とした経験がベースになっているのでしょう。この体験というものを、AIではどのように扱うのでしょうか? いろいろな測定器により、数値化したデータを基礎とするのでしょうが、私たち自身が、直感が生まれてくる過程がよくわかっていませんね!


「ツイていない」と考えてしまうクセ!

181115a_tuite_inai.JPG

 「比較する」ことは、単に、違いを明らかにするだけに止まらず、その違いに自分勝手に優劣をつけ、評価してしまう場合がよくあります。この自分勝手な評価が、ツイていないだけでなく、差別、あるいは、いじめにつながったりします。違う部分の事実のみに目を向け、先入観にとらわれることなく、多くの知識と情報を集め、対処方法を考える、ということが必要ですね!

幸福は恩の与えっぱなし!

181113a_shuui_kansha.JPG

 地域の風土として、気兼ねなく親切にして貰える地域があります。この「気兼ねなく」とは、親切にした側も、親切にされた側も、その見返りを一切考えていない、ということです。四国の巡礼さんへの「お接待」のようなものです。私の育ったところでは「てごうする」という言葉がありました。手伝いをすることですが、「手伝い」はなんらかの見返り(ほめて貰える、小遣いを貰えるなど)があるようでした。「てごう」は手伝いっぱなしで、見返りはまったく意識していない手伝いだったような雰囲気がありました。地域によっては、見返りを考えなければ、といった雰囲気があるところもあります!

父親の威厳というもの!

181111a_titioyai_igen.JPG

 子供達は、父親の背中から「社会のきびしさ」を、学ぶ機会が少なくなってきている。母親が、父親を立てないで、自分を立てているためだろうか? 人類の進化の過程で、男と女の脳の構造は異なった進化をしてきた。それは男女の役割分担が大きく作用しているのだろう。男女の仕事の同一化は、これからの人類の進化に対して、プラスに働くか、マイナスに働くのか!