安元元(1175)年、春小松内府平重盛卿は、父・清盛が守護神として祀った厳島神社参詣の途次、旅の安全を祈願するため船を渡守の地に立ち寄った。重盛は西方の正覚山静観寺の七堂伽藍、空高くそびえ立つ五重の塔の偉容に打たれ、この地に滞在。静観寺(当時で創建370年を超えていた)境内に自作護身阿弥陀仏像を安置して一宇を建立し、その際記念に松の木を植えた。重盛は「もし、この松が天に伸びれば平家は栄え、地に這えば平家は衰退するだろう」と言い残す。(樹齢850年の偉容を誇っていたが、昭和二十九年の台風によって倒伏した。)
10月 2022のアーカイブ
ピラミッド型組織がやがてだめになる!
鎌倉 退居寮として開創「白雲庵」
従業員についてきてもらうためには!
ロシアや中国のニュースを見ていると、「リーダーシップとは?」という疑問が湧いてきます。
リーダーが「求心力が落ちてきた」と感じた瞬間から、非常に危ない方向に行ってしまいます。それを止めるには、反対派が勢力を持ち、そのリーダーの拘束か、死を待つしか無いのでしょうか。
日本のように、ある程度の「曖昧さ」・「いい加減さ」がある風土では、強権を発することがなく、平和を維持できるのでしょう。
曖昧さを持つことで、部下の意見を聞くことが出来、いろいろな提案を検討できる余地もできるのでしょう。
オイルショックの際に、製造業に広がったトヨタ式現場改善活動も、地位に関係なく、どんな人の提案も、否定することなく、どんどん改善提案を出させたことで、オイルショックの危機を乗り切りましたね!
江の島 たびたびの崖崩れ「延命寺」
「此処は何なのかしら・・・・?」
閻魔大王が鎮座している石窟の奥が納骨堂になっています。
閻魔大王を筆頭とする十王の信仰は、鎌倉時代に流行した信仰で、死後に人は天国か地獄に行くと信じられていました。天国か地獄かの裁きを司るのが、十王で、裁きは七日ごとに七回行われるので、四十九日目には天国か地獄かが決定します。
最初の七日目は三途の川を渡り、冥府でまず秦広王の裁きを受ける。次の七日目(十四日目)には、初江王のもとで裁かれる。次々とさらに七人の王のもとで裁かれて、最後に閻魔大王に引導を渡されることになりまする。さらに、その後、百か日、一年、三年と、合計十回裁きがあり、それぞれ、そのときの十人の王が裁きが行なわれます。
「老後はゆっくり暮らしたい」は大間違い!
尾道 水祭りが復活した「熊野神社」
仕事は一人で行うものではありません!
鎌倉 ここにも稲荷を祀られている「本成寺」
先が見えてると大きな夢が見られない!
海老名 江戸時代初期に創建「龍昌院」
週末は自然の豊かな郊外で!
福山 古くは澳(沖)の御堂と言われ「本願寺」
尾道 現在はあまりにも小さい「磯の辨天神社」
サビ汚れ落としをする!

最近はサビを嫌って、鉄ではない金属で作られたものが多いですね。
むかし造られた「いかり」や「くさり」(山伏の修行用の四国の石鎚山のくさりを模したもの)は、表面は錆びているのですが、そのサビは安定しており、何十年も利用できます。
メッキでサビを防いでいるものもあるのですが、国産のものは公害対策のため、メッキの品質が落ちて、錆びやすいようです。
いろいろなサビ対策の製品が販売されていますが、錆びてしまったネジを取り外すことは、けっこう面倒ですね!