明治、大正、昭和と大雨があり、今の延命寺の上の方、頂上まであったお墓が崩れ、現在の形になったようです。
くり抜かれた岩盤の入り口付近にお地蔵さま、少し奥には閻魔さまがおわせられ、洞窟奥には整然とお墓が並んでいます。
「此処は何なのかしら・・・・?」
たびたびの崖崩れした墓地。墓石も遺骨も誰のものか判らなくなり、それらを祀るためる石窟を造り、納骨堂にしました。
閻魔大王が鎮座している石窟の奥が納骨堂になっています。
閻魔大王を筆頭とする十王の信仰は、鎌倉時代に流行した信仰で、死後に人は天国か地獄に行くと信じられていました。天国か地獄かの裁きを司るのが、十王で、裁きは七日ごとに七回行われるので、四十九日目には天国か地獄かが決定します。
最初の七日目は三途の川を渡り、冥府でまず秦広王の裁きを受ける。次の七日目(十四日目)には、初江王のもとで裁かれる。次々とさらに七人の王のもとで裁かれて、最後に閻魔大王に引導を渡されることになりまする。さらに、その後、百か日、一年、三年と、合計十回裁きがあり、それぞれ、そのときの十人の王が裁きが行なわれます。
明治36年6月、江ノ島に集中豪雨が降り、延命寺の墓地は崖崩れで壊滅になりました。流された墓石や遺骨は、誰の骨だか、何処の家の墓だか分からなくなってしまいました。それらの霊を祀るため、石窟を造り納骨堂にしました。
大正9年10月20日の大雨でも土砂崩れが発生し、お墓もろとも海に流されしまいます。
そして、昭和36年6月28日にも、折からの豪雨のために一瞬にして土砂が決壊し、墓地を再び押し流してしまいました。
江の島神社はその境内地に洞窟を掘る事を認め、洞内に納骨堂形式のお墓を用意します。そして、墓地を整備して土砂崩れにも耐えるようにしました。
東京オリンピックの直前、昭和38年3月に延命寺の洞窟墓地が完成しました。
閻魔大王が鎮座している石窟の奥が納骨堂になっています。真新しい卒塔婆がコインロッカーのような納骨箱に捧げられています。
「六観音」
多岐にわたる人間の苦悩や願いに応じるため、観音さまは色々な姿で現れます。基本になる聖(しょう)(正)観音をはじめとする地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六道の苦を除いてくれる六観音です。
「六地蔵」
悟りを得られなかった人間が地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六道のなかを輪廻することから救うため、「六地蔵」が生まれた。
立ち姿が多いのは、行脚中だから。