「新編相模国風土記稿」では、山号を上郷山、宗珪寺(海老名市河原口)の末寺とされています。本尊は、木造釈迦如来坐像で、寛保2年(1742)の修理墨書があることや作風から江戸時代前期に造立されたと考えられます。
寛政2年(1790)に江戸糀町7丁目の仏師・西山平治郎が造立した木造地蔵菩薩半珈像なども安置されています。
能山雲元(?~1620)が開山したと伝えられることから江戸時代初期に創建されたと考えられます。
(「自然と歴史のさんぽみち」(海老名市教育委員会発行)より転載)
本尊は釈迦如来坐像、釈迦如来像は一般的には、頭髪がイボイボ状になっています。それは法螺貝(ほらがい)のような形をしているので、螺髪(らほつ)といいます。
如来の仏像は、常人と異なるさまざまな肉体的特徴、すなわち32の大きな特徴(三十二相)と、80の小さな特徴(八十種好(しゅごう))を備えているとされています。螺髪もその1つです。
言い伝えによると、仏教の開祖、釈迦は頭をつるつるに剃りあげないで、指の関節2つ分の長さを残して髪を切っていた。その残った髪は右に巻いていて頭にくっつき、それ以上は伸びなかったそうです。仏像の頭部のイボイボ状のもの(螺髪)は釈迦の髪の形から来ており、右巻きになっています。
この辺りのむかしばなし[彦六ダブ]
昔、下今泉の鶴松に彦六という働き者で親孝行の若者が住んでいました。年の暮れのある日、彦六は正月用の門松を切りに、鳩川沿いの松林へ出かけました。
その日は、買ったばかりの新しいナタを持って
行き、手ごろで形のいい松を探して歩きました。なかなか適当なものが見つかりません。ふと、ふりかえると、さっき見たはずのあたりに素晴らしく形のいい松が立っているではありませんか。「おかしいなあ、さっき見たのに」と思いながらもその松を切ろうとナタをふるいました。ところが、カチーンと金物を
たたくような音がして、ナタははねかえされ、川の中へ飛んでいってしまいました。
川に落ちたナタが惜しくて彦六は冷たい水の中に飛び込みました。いちばん深いところまでもぐって探していると、川の底にとてもきれいな女の人が立っているではありませんか。その人は彦六の顔を見てにっこり笑い、「どうしてここへいらっしゃったの?」とたずねました。彦六がナタのことを話すと「ああ、それならうちの女中がさっきひろって来ました。うちへいらっしゃい」と彦六を自分の家へ案内しました。
入っています。私に会いたくなったら、この玉を振ってください。世間の様子が知りたければこの玉が話してくれます。またこの玉を通してすずめと話すこともできます。でもこのことは絶対秘密にしてくださいね」と、きれいなその箱を彦六に渡しました。
さて、地上ではすでに三年の歳月がたっていました。彦六が家の中へ入って行くと、家の人たちは幽霊ではないかと驚きのあまり声も出ないほどでした。しかし、彦六が本物であることがわかると大喜びしました。
そして、彦六の話を聞いているうちに、
美女の家へ着くとびっくり。今まで見たこともないような立派な御殿です。美女が手をたたくといろいろなごちそうを運んできました。
あまりに居心地がいいので、彦六は三日三晩そこでやっかいになってしまいましたが、「家では心配しているだろうなあ。今までだまって家を空けたことは
なかったんだから」と、そろそろ家のことが心配になりました。
美女はすぐ彼の気持ちを知って「あなたはお家が恋しくなったのでしょう。無理におひきとめはしません。記念に私が大切にしている手文箱をあなたにあげます。この箱には”すずめの空音”という宝の玉が
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おみやげにもらってきた手文箱の中身を知りたくなりました。「中をあけて見せてくれ」と迫りますが、彦六は美女との約束を思い出して断ります。しかし、家の者があまりにしつこいので、とうとう箱をあけてしまいました。
すると空は急に黒い雲におおわれ、ものすごく
大きな雷が鳴り出し、彦六も箱もいっぺんに消えてなくなりました。
その夜、みんなは同じ夢をみました。それは天女のような美女に彦六が手を引かれて、空高く雲の彼方へ飛び去っていく夢でした。
(こどもえびなむかしばなし第1集より)