「因幡の白兎」に登場するウサギは、嘘がバレると「酷い目に遭う」と。イソップ物語の「カメとウサギ」では「気を抜くと負けてしまう」となっています。
欧米では、ウソであろうと本当であろうと「最後まで自分の主張を貫け」ということのようです。
日本では、嘘をつくと社会から除外されてしまうので、「ウソはつくな」ということになっています。
日本社会の方が、ウソに対してきびしいようですね。
ネット社会では、簡単にウソ情報が流れてしまうので、注意が必要ですね!
2022年のアーカイブ
アゴが少し上を向き、鼻まで突き出す人は!
自惚れ(実際以上に、自分をすぐれていると思って得意になる)ると、煙たがられます(その人がいるために,窮屈(気詰まり)になる)。
しかし、自惚れている人は、相手がどう思っているかなど、気づきません。
来年は「うさぎ年」です。
イソップ物語「ウサギとカメ」の、ウサギにならないように気をつけましょう! 自惚れ(実際以上に、自分をすぐれていると思って得意になる)ると、煙たがられます(その人がいるために,窮屈(気詰まり)になる)。
しかし、自惚れている人は、相手がどう思っているかなど、気づきません。
来年は「うさぎ年」です。
イソップ物語「ウサギとカメ」の、ウサギにならないように気をつけましょう!
尾道 大火で焼失、海岸から1928年に移転「海徳寺」
1926年10月12日の早暁、不幸大火のため全山焼亡、1928年現在地に移転新築しました。
むかしは、防地川河口にありました。広大な境内を有する通称「沖の道場」と呼ばれ、市の発展につれて周辺に民家が建ち並び、境内が広かったので、サーカス興行や相撲の興行があって、名力士常陸山、梅ヶ谷、太刀山、鳳などの勇姿も見られたそうです。
その頃は、本堂の東側に一本の古松があって、竜神がその梢に燈明を献じるというので、その松は「竜燈松」と呼ばれていたそうです。
一遍上人が諸国遊行の途中、尾道に草庵を結んで念仏勧進されたのにはじまると言われています。
あきらめは心の養生!
諦めは「手の施しようがない」ということですが、中には、手の施しようがあるにもかかわらず、諦めることもあります。その大半は、面倒だから。
これでは自分の能力の向上にはつながりません。普段から困ったときには、手伝ってもらえる人、気分転換をしてくれる人を、つくっておくことも大事ですね。
核家族化し、都会にすむ人が多くなった今、人とのつながりが、重要な課題になっていますね!
福山 鞆 新羅へ出兵の淀媛命を祀る「淀媛神社」
神功皇后の妹君の「淀媛命」
十四代仲哀天皇の后であられた神功皇后が、新羅へ出兵に際し、諸国に使令を出して船舶を集め武器鎧をお揃えになった。 また皇后は、妹の淀姫命を松浦に遣わし兵と船を集められた。松浦地方の族長である磯良(しら)を伴い此の地の海辺・膳崎(かしわざき)に着船された。
聴衆は、話の内容の持つ重要度は7%!
自分の言いたいことは、相手に30%くらいしか伝わっていない、と考えた方が良く、また、相手が、自分の得意分野を持ち、主張をはっきり持っているときは、それに関係する話は、ほとんど伝わらないと考えた方が良いようです。
相手が、聞く力があるようですと、かなり伝わるのでしょうが、そんな場面はそれほどはないようです。
どの程度相手に伝わったかは、その場の雰囲気でつかむしかないのでしょうね!
鎌倉 若狭の局の霊をまつる「蛇苫止堂」
蛇苦止明神(じゃくしみょうじん)
比企ヶ谷(ひきがやつ)で能員(よしかず)が滅ぼされたとき、能員の娘で、若狭(わかさ)の局(つぼね)と呼ばれた一幡の母が家宝を抱いて井戸に身を投げ、蛇(へび)に化けて今も家宝を守っていると、言い伝えられています。
その後、執権北条政村(まさむら)の娘が、もだえ苦しむ不思議な病気にかかりました。うわごとをロぱしり、蛇のようにのたうちまわるのです。そのうわごとから、若狭の局の亡霊が、北条一族にとりついて、うらみを晴らそうとたたりをしていることがわかりました。政村はえらい僧に祈祷をたのみ、若狭の局の霊をまつる祠(ほこら)を建てて供養したところ、娘の病気が治ったということす。その祠が蛇苦止堂だと伝えられています。
意思疎通がうまくいかない原因!
一応コミュニケーションが出来たと思ったとき、相手に伝わったものは30%くらいとのこと。
言葉というものは、その程度の機能しかないことを、自覚しておかないといけませんね。
自分の思いを伝えるにはどうしたらよいのか、相手の心にどのように伝えるか、難しいですね。
ところで、「こころはどこに」あるのでしょうか?
こころは、言葉ではなかなか伝わらないもの、と感じていませんか。
お腹が空けばイライラ、おいしいものを食べると気持ちよく、温泉に入れば気持ちが楽に、危険な状況に出くわせば心臓がパクパク、これらはみんなこころで感じていませんか。
コミュニケーションも、自分が体験したものを伝える場合は、相手も分かった気になってくれますね!
尾道 瀬戸田 80数年前に建立が始った「耕三寺」
耕三寺(こうさんじ)は、尾道市瀬戸田町(生口島)にある仏教寺院です。1936年から伽藍の建立が始められた新しい寺院で、日本各地の古建築を模して建てられた堂塔が建ち並び、「西の日光」「母の寺」とも呼ばれています。小高い山を利用しており、この第二段には、室生寺の五重塔を模した「五重塔」、また、四天王寺の金堂を模した「法宝蔵」などがあります。
行動を通じて知識のネタを集める!
話しのネタは、体験からか、書籍からか、マスコミからか。
これは出来るだけ、自分の体験をもとにしたネタにしたいものです。
それが難しいようでしたら、ラジオでのインタビュー形式のネタがいいようです。本よりも、新鮮なネタを手に入れることが出来ます。
本の場合は、まだ確定していない情報は避け、論理付けされた範囲に絞ったり、3割程度話しを盛ってしまったりする傾向があるようです。
インタビュー番組を文字化してみると、本にはない新鮮さを感じます。
自分の体験をもとにした話題に困ったら、ラジオのインタビュー番組を参考にしてみたらどうでしょうか!
厚木 かって養蚕は生活を支えた「蚕影神社」
かつて市内には 1,500 軒を超える養蚕農家があったそうです。 かっては養蚕はこの地域の生活を支えてきたのでしょう。
現在はたったの数軒、隆盛を極めたかつての面影はないですね。
1182年、飯山の金剛寺が起こした訴訟文書に「蚕養」の記事(『吾妻鏡』に載る)があるそうです。その内容は「金剛寺の僧侶等の申し出は、古庄の郷司近藤太が不当な行為をし、由緒のある山寺に雑務を課したり、山狩りや養蚕に使うこと等、みっともないことです。速やかに止める様に」といった内容で、頼朝様が花押を書いて認め、速やかに止める様に命令が出た、とのことです。
感動で「泣く」場合は癒やし!
「血の涙を流す」は普通だったのですね。涙はもともと血液なのだそうです。赤血球が涙腺を通ることが出来ないため、赤くないとのこと。なんとなくむかしの人は感じていたのでしょうか?
昨今は、感動で泣くことはストレスの解消になる、といわれています。また、脳の老化を防いでくれる、とも言われています。
しかし、美術館や劇場は、地域によって、在る所と無い所に極端な違いがありますね。いま済んでいる神奈川県の中央部には、美術館が1つもありません。
しかし、私の故郷の尾道では。4つの美術館にプラス小さな美術館や、お寺のふすま絵など数多くあります。その土地の風土の違いでも、ストレスに違いが起きてしまうのでしょうか?
鎌倉 法華堂跡「大江広元の墓」
法華堂跡、大江広元の墓
1247年6月5日、三浦対北条・安達の宝治の乱のおり、三浦泰村は館を攻められ、一族を率いて、この法華堂に立て篭もった。北条時頼の兵に攻められ、終に泰村、光村以下の三浦一族と此れに加担した島津、毛利を含めて500人が、この法華堂で自害した。
大江広元、毛利秀光(大江広元の四男…長州藩主・毛利氏の祖)、島津忠久(薩摩藩主・島津氏の祖)の墓。
島津忠久の墓は1779年に修造、大江広元の墓は1823年に造られたもの。
初対面の人に会ったとき!
初対面の人と会うとき、できるだけ聞くこと。また、その場の雰囲気に注意すること。ときには、言葉で表現されることと、本当の気持ちが異なっていることもあります。
これは、ネット上でのコミュニケーションの経験では身につきません。それが原因なのでしょうか、犯罪の被害者になってしまうことも起きています。
できるだけ、幼児期から25歳頃まで、多くの人と直接に接して、言葉だけでなく、雰囲気から気持ちをつかむ技術を、身につける必要があります!
尾道 時宗寺院が六ヶ寺、その1つ「海福寺」
尾道には時宗の寺院が六ヶ寺あり、全国的に見て、一つの町にこれだけの時宗寺院が集まっているのは珍しいそうです。
時宗は一遍上人が開祖で一踊り念仏」で知られています。念仏を唱えながら、鉦(かね)や太鼓を叩いて踊るというのが踊り念仏で、民衆のなかに融けこみ布敵しました。鎌倉時代に盛んになりました。
時宗寺院は、人々を分け隔てなく受け入れ、同時に「文化の発信元」にもなっていたようです。
その場の雰囲気が読めない!
マスク生活が続いています。子供達の発達に影響があるのでしょう。
現在でも、都会で核家族で育った子供達、周りの雰囲気を読む力が弱いようです。いわゆる「場が読めない」のです。
いまは、核家族に加え、ゲーム機が加わり、ネット社会になっています。そしてマスク社会。
コトバ中心の社会で、しかも、生身の人達となかなか接触できない、接触できたとしても、ほんのわずかの人達、これでは、場を読む力は育ちにくいですね! マスク生活が続いています。子供達の発達に影響があるのでしょう。
現在でも、都会で核家族で育った子供達、周りの雰囲気を読む力が弱いようです。いわゆる「場が読めない」のです。
いまは、核家族に加え、ゲーム機が加わり、ネット社会になっています。そしてマスク社会。
コトバ中心の社会で、しかも、生身の人達となかなか接触できない、接触できたとしても、ほんのわずかの人達、これでは、場を読む力は育ちにくいですね!
鎌倉 坂上田村麻呂、源頼義ゆかりの「巽神社」
「荒神さま」というとかまどの神・火の神として尊敬されてきました。平安時代のはじめ、坂の上坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が東国をしずめるためこのあたりにきたとき、葛原岡(くずはらおか)に荒神を迎えたという伝説があります。その後、1049年(永承4年)に源頼義(みなもとのよりよし)が社殿を改築したといわれ、さらに、今の場所に移ったそうです。
ゴリラと仲良くなりたいなら!
霊長類とヒトの遺伝子はほとんど同じですね。霊長類であるゴリラやチンパンジーの限界年齢は、40年から50年、ヒトは100年くらいですね。
また、その子育ては、それぞれ違うようです。チンパンジーは、母親一人で子供を育てるそうです。しかし、一人の子供を7年かけて育てます。その間は妊娠できないそうです。
ヒトは2年もすれば妊娠できます。ということは、母親一人で子育ては出来ない、ということです。両親と共に、おじいちゃん、おばあちゃん、兄弟、それに、近所の人達、社会のみんなで子供を育てることで、生き残ってきたようです。
現在の日本は、人類初の試みである核家族での生活が定着しています。ヒトとしての生き残り作戦としてはどうなのでしょうか?
福山 鞆の浦 十三仏が極楽浄土へ「地蔵院」
十三の仏とは、亡くなった人が極楽浄土へと進めるように導いてくれる閻魔王を初めとする冥途の裁判官である十王と、その後の審理(七回忌・十三回忌・三十三回忌)を司る裁判官の本地とされる仏達です。
十三の仏は、不動明王、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩、薬師如来、観音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来、阿閦如来、大日如来、虚空蔵菩薩、です。
適量なら「酒は百薬の長」
「お酒は百薬の長」、これはあくまで、薬の感覚で適量飲んでのこと。むかし、むかしは、お酒は薬でしかなく、酔っ払うことなど頭になかったのでしょう(一部の特権階級の人を除き)。
それが、安易に手に入るようになると、酔っ払うことが目的になって、しかも、酔っ払ってルールを犯しても、ある程度は許される、と思ってしまう人が出てきましたね。今でも!