寺号は詳しくは東慶総持禅寺と称する。
東慶寺は現在は男僧の寺ですが、明治36年(1903年)までは尼寺で、尼五山の第二位の寺でした。後醍醐天皇の皇女用堂尼が5世住持として入寺してから格式の高さを誇った。江戸時代には、豊臣秀頼の娘で、徳川秀忠の養外孫にあたる天秀尼が20世住持として入寺している。
近代になって、中興の祖とされる釈宗演が寺観を復興した。釈の弟子にあたる鈴木大拙は禅を世界的に広めた人で、寺に隣接して鈴木の収集した仏教書を収めた松ヶ岡文庫があり、世界的禅文化の発展の拠点となりました。
2021年のアーカイブ
自分の才能を見つけ、楽に楽しむ!
尾道 五重塔から三重塔へ「天寧寺 三重塔」
「五重塔から三重塔へ」という珍しい三重塔があります。当初は五重塔だったのですが、その後、四重と五重の傷みが激しくなったため、四重と五重を取り除いて、三重の上に新たに屋根をかけ、三重塔に姿を変えているのです。重要文化財に指定されています。建立は1388年(嘉慶2年)。三重塔に姿を変えたのは、それから300年後の1692年(元禄5年)のことでした。
本当に最初は五重塔だったのだろうかと疑う人もいるかもしれませんが、まず、五重塔の姿で描かれた古い時代の掛け軸が残っている。それに加えて、この三重塔は心柱が下まで通っている。五重塔では心柱を下まで通しますが、三重塔では初重の上から心柱を立てるのが普通です。梁の上に心柱を立てるのです。
倹約遺伝子を持っているとやせにくい!
尾道 ピラミッド型に積まれ無縁仏塚「正授院」
1394年の開基で、もとは禅宗であったが、1596~1614年純誉によって浄土宗に改宗された。本尊は阿弥陀如来。1698~1703年の頃、中興諦誉良頓が発願し常念仏を始めた。
江戸増上寺法王祐天上人がこのことを賞し、五代将軍綱吉やその母桂昌院にも上申して、家康、秀忠、家光、家綱の歴代将軍とその御台所の尊碑、仏像並びに葵紋付香爐などを下賜された。
この寺の了般は累進して増上寺四十二世の法主となり大僧正に昇爵した。 鐘楼の南には常念仏一万日ごとに一基、合わせた五基の石柱が並び立ち五万日常念仏成就の功を物語っている。
明治時代には、外留学の先覚者土居咲吾が、この正授院でも英語塾を開いて後進を導いた。
NIMBY(ニンビー)の法則
厚木 戦国毛利氏の祖 季光ゆかりの「光福寺」
目は多くを語ります!
鎌倉 洋画家の黒田清輝がアトリエに使った「啓運寺」
未来にフタをする言葉!
尾道 太宰府に左遷さる道真が寄った「御袖天満宮」
自分の思い込みで世の中を見ている!
鎌倉 ぽたもちを日蓮に差し上げた伝説「常栄寺」
自分のことしか考えなくなると思い込みが生まれる!
尾道 室町時代の様式の特徴をとどめる「西郷寺」
モノがあり余っている時代、心の中で何か寂しさが!
福山 鞆の浦で二番目に古いお寺「医王寺」
異質なルートから情報を集める習慣を!
現代は「思い込み」という症状が、蔓延しているといっていいのでしょう。その原因は、知識教育と多量の情報が手軽に手に入るためなのでしょう。そして今は、自分が知りたい情報を、それもAIを介した情報を選んでしまうため、思い込み病が蔓延しているのでしょう。その解消法は、多彩な情報をを手に入れ、自分の五感を通じた体験や経験から、考えて行くしかないのでしょう。「思い込み」は思考の停止であり、あたまの老化につながるのでしょう!