日蓮が亡くなった後、その弟子の九老僧の一人といわれた高僧の天目もさかんに辻説法をしましたが、1336年(延元元年)開山となり、足利氏の一族で奥州探題も務めた石堂良房を開基として建てたのが、本興寺の始まりといわれています。
14世紀後期の2代目の日什(にちじゅう)のころから、寄進や造営がさかんになって栄えたということですが、1416年(応永23年)、兵火のため焼け、翌年、鎌倉公方の足利持氏が再興したといわれています。
2020年のアーカイブ
運を変えたいなら視野を広げよ!
尾道 亀の形の小さな丘だった「亀山八幡神社」
日本の山村には森林が残りました!
日本の自然条件はきびしく、工夫して生き抜いてきたようです。西日本は台風の来襲があり、東日本は火山の噴火やその堆積物が多く、日本全体では、地震や津波があり、平野は洪水に見舞われることも多く、しかも、山岳地帯で移動がしにくい風土でした。そこで、その土地に合わせて、工夫し、ルールをつくり、みんなで守り合うことで凌いできたのでしょう。そのためか、ルールを守り、協力ができる遺伝子(不安を持ちやすい遺伝子)が多い人が、生き延びることができたのでしょう。
開拓心が強く、不安感をそれほと持たない人は、北海道の開拓をしたり、大都会で成功を目指したり、そのためか、伝染病には弱いのでしょうかと、ついつい考えてしまいます!
厚木 江戸時代の山中藩陣屋跡「山中稲荷神社」
荻野山中藩陣屋跡(市指定史跡)
現在の下荻野字山中には、荻野山中藩大久保家の陣屋がありました。
幕府を開いた徳川家康は、再び戦国の世に戻さないことを目指ための政策の一つとして、諸大名の軍備拡大につながる新たな築城は許さず、また既存の城についても大掛かりな改修や拡張を禁じ、さらに陣屋を構えることにも厳しく制限していいました。
そのような厳しい制限の中で、大久保教翅の陣屋構築願いは容認されました。許された背景としては、大久保家の先祖が家康以前の松平家と深い君臣関係があり、その後も家康に対して忠誠を尽くしてきたこと、および教翅の出身である小田原藩が幕府の親藩であったことで、それらにより特別な配慮がされたものと思われます。
智慧は一人では身につきません!
ここ数十年においては、本や新聞に始まり、ラジオ・テレビ、そしてネットで、情報量が飛躍的に増えてきました。その反動として、五感からの情報量がどんどん減少しています。人類史上初めてのことです。五感からえた情報で判断していた歴史から、知識・情報をもとにした判断に変わってきています。ということは、言葉で表現できなかったことは、そして、その言葉で正確に伝わらなかったことは、判断に影響を及ぼすことができない、ということです。大手企業でも大事故を起こしています。マニュアルに書いていないこと、書いてあっても充分伝わらないことも、その大事故の一因なっている可能性があります。昔の職人さんは、その技術を「見て盗め」でした!
鎌倉 黒蜘蛛が疫病を蔓延、厄除けの「八雲神社」
日本人は混血、雑種!
福山 鞆 つわ者どものときの声「小烏神社」
心地よくフィットする基準を持つ!
尾道 三人の義賊、三つ首様をを祀る「海福寺」
子供に無関心な親が、いわゆる"最悪の親"!
鎌倉 天狗の姿をした像を祀る「半僧坊大権現」
能力主義には限界がある!
福山 鞆 鬼子母尊講中お題目碑がある「妙蓮寺」
慶長年間(1596~1614)に実相院日玖が創建したと伝えられています。実相院日玖は元気で充実した年頃に日常のつきあいを断ち、法宣寺十四世恵性院日親の弟子となり、修行し、法華経を読すること40年、一万二千余巻におよんだ。
福山藩主・水野勝成殊勝に願い、寛永の末(1644年頃)今の地を賜い、三人扶持十一石を賜る。
本堂は、主として浄財を募り建立。上京し、本山から山号・寺号を請受した。庇護もあり、その勝俊の位牌が伝わる。承応年間(1652~1654年)に建立したと伝えられる三十番神堂があり、二代・日護の時、延宝年中(1673~1681)奉行・藤井六郎右衛門に願い出て、境内門前を広げ、四代・日義、元文四(1739)年に鐘を鋳造した。妙蓮寺本堂、鐘楼、山門とも元文年間(1736~1741)に再建された。
東洋医学的にいうと、病気は血の汚れが原因!
西洋医学は、測定が可能なデータをもとに、それまでの知見をもとに、病気を判断し対処しています。測定ができない場合は、専門分野を勉強すればするほど「直せない」という判断になるのでしょう。もちろん、専門分野の知識と、経験で感性を磨き、常になにかよい対処法がないかと思いながら、経験を積み、考えに考えてきた医者は、検査データは参考程度に利用し、対処法を見つけ出してしているのでしょう。多くの医者は、検査データだけに頼っているのだろうと感じる理由は、患者が自分の症状を伝えるための「ことば」が、非常に少なく、地方によって独特の言葉ありながら、「症状を表現する言葉」を整理し、表現しやすい言葉を見つけ出すなどの作業を、医学会がやっていないように見えるからです!