「とりあえずやってみる」、知識を得る前に、経験すること、これがあれば、知識が智慧につながっていきます。その際、失敗であれ、成功であれ、まわりの人は、何にかしらプラスに結びつく反応をすること。特に子供時代は、まわりの人のプラスの反応が大事です。そのような経験が、失敗を、成功への単なる過程と、考えられるようになります!
2018年のアーカイブ
福山 鞆 神功皇后の妹が祭主として奉任「淀媛神社」
神功皇后が三韓征伐のため西国下向の際、鞆の浦の地に寄泊しました。帰路携帯していた「鞆」を奉納し、海神・大綿津見命を祀った際に、妹君の淀媛命を祭主として奉任させました。その神社が沼名前神社(渡守神社)の起源です。
数年後に淀姫命は鞆の浦を去りましたが、後世その特を偲び氏神として奉斎し、鞆の浦湾の入口の丘の上に鎮座する護り神として現在に至ります。
脳の働きを変えるには感動すること!
思い込みが強いと、なかなか「感動」が出来ません。大人がなかなか感動できないのは、固定観念が出来てしまったからです。固定観念を見直し出来なくなると、頭が老化してきたのです。新しい知識・体験・人々に接していないからでしょう。その結果、感動がなくなってきているのです!
福山 岬の岩頭に建つ観音堂「阿武兎観音」
岬の岩頭に建つ朱塗りの観音堂は、その美しさから安藤広重(歌川広重)の浮世絵や志賀直哉の「暗夜行路」などにも紹介されており、今も瀬戸内の自然と調和した見事な景色をつくり出しています。現在、観音堂は国の重要有形文化財に指定され、安産・子育ての観音様として信仰を集めています。
自分が蓄積した結果が「チャンス」!
いま、「現在を考えているか」、「過去を考えているが」、それとも「未来を考えているか」で、チャンスを生かすことができるかどうかに、違いがでます。今現在を、観察し、考えていれば、チャンスに巡り会うことも多いのでしょう。過去も未来も、今考えてもどうにもできません。未来のことでも、今現在に何が出来るか、という視点で、現在を考える必要があります!
厚木 日本三体地蔵尊の一体「子合地蔵尊」
『子合地蔵牌山来記』によると、この地蔵尊は、八幡太郎義家の六男・森冠者義隆に縁のあるものといいます。保元・平治の乱の折、義隆は妻子をおいて相模国毛利荘荻野郷に落ちてきました。義隆の死後その終焉の地に参ろうとこの地にやってきたのは、義隆の遺児の僧・浄慶でした。浄慶は、子合に住まっていた義隆の郎党・毛利のもとを訪ねました。主計は、義隆追善のため上京、河内国(大阪府)壷井にて義隆縁の地蔵尊をいただき、郷里・荻野郷子合に戻り、浮慶に託して、義隆公三十三回忌の法要を営みました。その折に建立したのが、子合地蔵尊です。
他人に否定されても自分を肯定!
「やさしい」は、他人が利益を受けること、と思っていませんか? それは違うのです。自分の心が利益を受けるのです。他人がちょっとしたことで困っているとき、ちょっとお手伝いをする。そして、すぐスーと立ち去る。すると自分の心が潤ってきませんか。自分にあまり負担にならない範囲の親切=やさしさは、自分の心を豊かにするのです!
福山 鞆 朝鮮通信使の常宿としても利用「正法寺」
1598(慶長3)年に創建された臨済宗の「正法寺」。京都の東福寺派・守意を開祖とした400年の長い歴史を持つお寺で、江戸時代には朝鮮通信使の常宿としても利用された名刹です。
境内のお堂には、鞆町の信者により寄進された十六羅漢像が安置されていますが、実はもうひとつ、隠された十六羅漢があるのです。それが、奥座敷にある十六羅漢の屏風絵です。この水墨画は、鞆の絵師・門田勝人さんの筆によるもの。ふたつの十六羅漢、ぜひ鑑賞したいものです。また、お寺の鬼門の北方には、毘沙門天も安置されています。
やさしくなると劣等感が消えていく!
「やさしい」は、他人が利益を受けること、と思っていませんか? それは違うのです。自分の心が利益を受けるのです。他人がちょっとしたことで困っているとき、ちょっとお手伝いをする。そして、すぐスーと立ち去る。すると自分の心が潤ってきませんか。自分にあまり負担にならない範囲の親切=やさしさは、自分の心を豊かにするのです!
鎌倉 蛇に化けた若狭局を祀る「蛇苫止堂」
若狭局を祀る社
源頼朝が1199年に死ぬと、1202年、子の頼家が18歳の若さで将軍となった。しかし、経験と統率力に乏しかったため、御家人の信望を得られず、幕府の基礎を危うくするかに思われた。そこで頼家の母(頼朝の妻)北条政子は、将軍がすべてを決済する従来の方針を改め、有力御家人13人による合議体制を採用し、政子の父時政がその中心となって活動した。
すると、それに不満な源頼家は、比企能員と共に北条征伐を計画する。 北条時政は、比企能員を自宅に招いて暗殺、比企ヶ谷の比企一族は、北条義時らに攻められ滅ぼされた。また、源頼家を伊豆の修善寺に幽閉した。
蛇苦止明神は妙本寺の守護神となっています。
毎日少しずつ変わっている!
毎日、昨日と違うことに気づく、昨日と違うことを1つ見つけ、それを日記に書く。毎日「何かに気づく」これが頭の老化防止に有効なのでしょう。思い込みが強いと、なかなか変化に気づくことが出来ません。ということは、思い込みが強くなると、頭が老化してきた、と考えるべきなのでしょう!
海老名 江戸時代初期に創建されたか「龍昌院」
この辺りの伝説[彦六ダブ]
昔、下今泉の鶴松に彦六という働き者で親孝行の若者が住んでいました。年の暮れのある日、彦六は正月用の門松を切りに、鳩川沿いの松林へ出かけました
その日は、買ったばかりの新しいナタを持って行き、手ごろで形のいい松を探して歩きました。なかなか適当なものが見つかりません。ふと、ふりかえると、さっき見たはずのあたりに素晴らしく形のいい松が立っているではありませんか。
失敗から学ばないから苦しむ!
失敗であれ、成功であれ、とにかく経験を豊富にすることが大事。仕事であれ、趣味であれ、多くのことをやる。仕事や趣味を、過激にヤルことが、人生を豊かにするためには必要なこと。しかし、働き方を見直している現在、時代には合わないですね。極端な言い方をすると、人生を豊かにする必要が無い時代になったのでしょうか?
尾道 ゆかりのある作家たち「文学記念室」
庭付きの木造平屋建、桟瓦葺で数寄屋造りの建物で、東棟・西棟・茶室からなり、いくつかの部屋では当初から茶会ができるように設計されています。
1912年~1928年かけて増改築され現在の形となっています。
福井家の希望により、1998年に市が建物並びに庭園を整備し、文学記念室として公開。 2004年9月10日、旧福井家住宅(尾道市文学記念室)主屋・茶室・土蔵として、国の登録有形文化財に登録されました。
脳が緊張すると笑うことができません!
日本人は、微妙な表情を読み取ることが出来ます。これは、顔を合わせるからです。顔を合わせると、微妙な表情をつくる訓練が出来ます。SNSでは表情は必要ありません。写真を添付する必要があるのなら、つくった表情で良い。動きのある微妙は表情は、顔を合わせるからつくり出す必要が出てくるのです。若者は、様々な人と顔を合わせる必要が少ない。そのためか、若者の表情は誰でも同じ。そのためか、スマホの写真ソフトで、表情を自動加工した写真が出来るようになるのでしょうか!
鎌倉 日蓮にぼたもちを供養した「法源寺」
日蓮の孫弟子である日行が1318年(文保2年)に開いたと伝えられ、本尊は三宝本尊で日上人像とともにまつられています。
法源寺は、ぼたもち寺ともいわれ、桟敷尼(さじきに)が龍ノ口の法難の日蓮にぼたもちを供養したといわれます。大町の常栄寺にも同じ話がありますが、桟敷尼の実家が腰越だったといわれます。
「どうして」という言葉を使うとき!
「どうして?」はついつい言ってしまう言葉。そう言いたくなったら、「首をかしげ、疑問のしぐさ」ではどうですか。相手が何かを説明をしてくれる可能性がでてきます。SNSではムリですが、顔を合わせたコミュニケーションでは成立します!
鎌倉 日上人修行の「血の池」がある「妙隆寺」
山門を入ると、正面の本堂の右手には「血の池」と呼ばれる日上人修行の池があります。その奥には、日親石像を安置する日親堂があります。
日親が21歳のとき、「仏の教えを広めるためには、苦しみに負けないように修行しなければならない」と考え、百日間境内の池で水を浴びてお経を唱えました。それから、毎日自分の爪を1本ずっ抜き、出てきた血で墨をすり十界の曼荼羅をかいたそうです。そして、熱い湯の中に手を入れ、その湯がさめるまでお経を唱えたそうです。曼荼羅とは仏の世界や教えをわかりやすく図に示したものです。
見た目の年齢が気になる!
コマーシャルで、年齢より若いことが強調されている。コマーシャルに利用されるということは、見た目の若さを希望する人がたくさんいるということ。内面を見つめる目が退化したということ。電話やメールなどでのコミュニケーションが増えため、たとえ会ったとしても、じっくり観察する目が衰え、見た目だけでの判断が多くなったのでしょうか!
尾道 長い入り江であった頃の伝説「磯の辨天神社」
遠い昔、長江が文字どおり長い入り江であった頃、この一帯は海辺だったので、磯の弁天と呼ぶようになったそうです。今は建物の陰にひっそりと残っています。
【伝説 ひなじの仇討ち】】
尾道の港が千石船の出入りでたいそうにぎわっていたころ、町にはたくさんの遊女がおりました。遊女は疲れた旅人や船乗りたちを慰めるためにいたのです。多くの遊女は、貧しい親を助けるために働いていました。そのなかに、芸事にすぐれ小太刀をも習った「ひなじ」とういう遊女がいました。……