呼び出しの問題!

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 携帯電話が普及し、歩いていても電話ができるようになりました。屋外では、携帯の呼び出し音には敏感に反応をするのですが、自動車、あるいは、自転車の接近には気づかず、事故に遭った人もいます。特に自転車の風の音や風圧などに気づく人は、ほんとうに少なくなっているのでしょう!


鎌倉 災難から日蓮を救った白い猿「長勝寺」

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 この地は、日蓮にかかわりのある本圀寺(ほんこくじ)の旧地といわれています。この地の領主石井長勝が日蓮に帰依し、日蓮が伊豆に流され、そこから許されて鎌倉に戻ったとき、自分の邸内に小庵を建て日蓮に寄進したのが、本圀寺のはじまりといわれています。本圀寺が室町時代の初期に京都に移って、この地が廃寺になったのを日静が復興し、山号と寺号をもとの開基である石井長勝の名にちなんで、石井山(せきせいざん)長勝寺と名付けられたと伝えています。


「危ないからしてはいけません」

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 街の中で、イヤホンを耳に着けている人をよく見かけます。危険の察知能力が大きく失われていることでしょう。というより、街の中に危険があるとは、思ってもいない人が増えているのでしょう。もっと、まわりの音に敏感になり、その音が危険を知らせているのかどうか、その察知能力を子供の時代に、身につけておいてほしいものです!

尾道 夜空を焦がす花火「住吉神社」

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 1740年、尾道の町奉行に着任し広島藩の平山角左衛門《名誉市民》は、翌年の1741年に住吉浜を築造し尾道発展の基礎を築いた。その際、浄土寺境内にあった住吉神社をこの住吉浜に移して港の守護神とした。
毎年旧暦の6月28日前後(7月の終わり頃)の土曜日、平山奉行の功績を称えると同時に、商売の繁盛と海上交通の安全を願ってをおのみち住吉花火まつりが行われます。

サイレント・ベビー!

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 感情を表現できない人達が、増えてきたようです。やはり、核家族で都会で育つと、幼児のときから接触する大人が、両親と先生、ということになります。この人達は、子供を「いかに育てるか」という視点でしか、子供に接触しません。その人達が無駄な接触と考えるような接触がなくなります。すると子供は、視野が狭く、自立ができていないため、過労死や自分勝手な犯罪など、むかしは考えられなかった出来事が、起こってしまうのでしょう!


鎌倉 一番古い神社だった「甘縄神明宮」

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 俗に甘縄神明と呼ぶ。祭神天照大御神・配祀倉稲魂命・伊邪那美命・武饗槌命・菅原道真。例祭九月十四日。元村社、長谷区の氏神社。社伝では天平年中の勧請という。
 『相州鎌倉郡神輿山甘縄寺神明宮縁起略』によると、和銅三年(710)八月行基の草創。染谷時忠が山上に神明宮、山下に円徳寺を建て、のち源頼義が相模守となって下向した時、平直方の女を娶り、当社に祈って八幡太郎義家をこの地で産んだと伝える。直方は時忠の婿であった。


夕方4時の銭湯の贅沢さ!

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 銭湯、あるいは、地元の人達が入浴に来る共同湯はいいですね。その土地の風土が感じられ、ふと、懐かしさを感じます。日本はどこも同じようなもの、と無意識に思っている人もおられますが、それぞれの町には違いがあります。となり町であっても違っているものです。都会に住んでいると、どこでも同じ、といった感覚に陥りやすいのですが、土地土地の風土の違いを見つけることも楽しいものです!


尾道 町の北鬼門の鎮護として存立「向上寺」

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 1400年 生口守平の開基、臨済宗仏通寺派 愚中周及の開山により臨済宗の寺院として創建されたのに始まり、向上庵と号した。一旦衰退したが、江戸時代に入り1609年 関的が入寺して再興し、曹洞宗に改められた。
 向上寺は町の北鬼門の鎮護として存立し御本尊聖観世音菩薩は、今日まで町 の災障を防除し、古来島の災害鎮圧と興隆繁栄の祈願寺。


30分は自分の時間を!

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 介護のような問題を抱えると、意識がそこから逃れることができなくなります。掛川市だと思うのですが、「認知症の人達を、住民の方々が見守っていこう」という活動をしているという。そのようなしくみがあると、自分一人で問題を抱え込む、といったことから、少し気持ちが楽になります。現代は、専門知識が増えすぎたために、どんどん思考の視野が狭くなって行きがちです。その思考視野の狭さが、悩みをどんどん増幅させてしまいます!


厚木 霊水の湧き出る白山池がある「白山神社」

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 昔より雨乞に霊験著しい池があり、 この池は、干ばつの時でも、池の水が涸れることがなく、 それ故、人はこれを霊地と唱え、ここに古い石像、石碑が残存しています。
 むかし、行基和尚がこの地に来て、この山に登り、 この池を見た時、霊水の湧き出る清浄な霊地であることを発見して、 この山を霊地と定め、楠木をもって霊御形を彫刻し、加賀国白山妙理大権現(石川県石川郡に鎮座)を勧請したとあります。


夏野菜は「食べるスポーツドリンク」!

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 季節の変われ目は、体調を崩しやすいですね。二~三世代前までは、体調不良の原因が食べ物になってしまいがちでした。その当時は、食べ物は地産地消でしたから、お互いの体調不良になったときの情報交換により、特定の食べ物やその料理法、保管状態などの情報をもとに、病気の原因を考えていたのでしょう。科学万能の時代になり、病原菌を特定できるようになり、原因がハッキリしていると思ってはいますが、科学とて、すべてを解明しているわけではありませんから!


鎌倉 「北条義時法華堂跡、大江広元の墓」

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法華堂跡
 1247年6月5日、三浦対北条・安達の宝治の乱のおり、三浦泰村は館を攻められ、一族を率いて、この法華堂に立て篭もった。北条時頼の兵に攻められ、終に泰村、光村以下の三浦一族と此れに加担した島津、毛利を含めて500人が、この法華堂で自害した。


よい言葉は、話手もよいエネルギーが!

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 人類が言葉を使い出した時、最初に話し始めたのは何なのでしょうか? おそらく、自分の経験を、他の人に伝えだしたのでしょう。「困ったとき○○したよ」と、それを聞いた人は、対策を打つことができるようになったのでしょう。そして、人々の経験を伝え合うことで、つながりが深まっていったのでしょう。そうしているうちに、これからのことも、話すようになったのでしょう。どのくらいの年数が必要だったのかはわかりませんが!


鎌倉 宮内省よりの下賜金で造営「葛原岡神社」

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 葛原岡神社は後醍醐天皇の忠臣として鎌倉幕府倒幕に活躍した日野俊基卿をお祀りする神社。
 明治天皇は日野俊基卿の足跡を明治維新の先駆けとして深く追慕せられ、1884年勅旨をもって従三位を追贈され、1887年に最期の地であるここ葛原岡に俊基卿を御祭神として神社を創建、宮内省よりの下賜金をもって御社殿を造営、鎮座祭が執り行われた。


自分の既存の論理構成を転換!

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 もともとの自分の考え=「思い込み」は、特定の組織、あるいは、同じ業界に長くいると、どんどん強くなっていきます。同時に、情報に対する視野も狭くなっていきます。その状態で定年を迎えると、周りの人たちに溶け込むことができません。「思い込み」は思考の老化です。場合によっては、身体の老化より先に来てしまいます!


尾道 子どもたちを追い回す神事「吉備津彦神社」

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 寶土寺西側の鳥居のある一劃は吉備津彦神社、俗にいう一宮さんで、毎年11月3日文化の日に、尾道全市の子供たちを湧き立たせる奇祭ベッチャー祭の祭神で、ベタ、ソバ、ショーキーはこの神社から繰り出すのである。
 神輿と獅子頭を先頭にベタ・ソバ・ショーキーの三鬼神が市内を練り歩き、子どもたちを追い回す神事。「ベタ」「ソバ」が持っている「祝棒」で突かれると子宝に恵まれ、「ショーキー」が持っている「ささら」で叩かれると頭が良くなるとされ、子供達は「ベッチャー、ベッチャー」とはやし立てる。江戸時代に流行した疫病退散祈願から始まった西日本有数の奇祭。


肉はストレスを取る食物といえる!

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 日本人が肉を食べる機会が増えたのは、社会全体にストレスが広がったことが影響しているのでしょう。核家族を選び、地域の人達との接触を避け、ストレスを少なくしようとした結果、かえって、ストレスを増やし、ストレス対策のために、肉から得られるアラキドン酸をもとにして、ストレス対策をしているのでしょう。昔のように、縁側などでのんびりとする機会もなくなりました。むかしのような地域との接触方法は、現代人はストレスと考えていますが、ストレスを減らす原動力だったなのかも知れません!


尾道 山王さんのお使いは猿「山脇神社」

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 興味深いのは、狛犬に変えて猿の石像、そして、拝殿の四隅(稚児棟)にも、それが見えます(現在は正面の二ヶ所)。最近、更に、備前焼の猿像の寄進が加わり、また、猿の絵馬がかかるようになり、まるで猿づくしの気配なのですが、先述の如く、この祭神が猿を従使とする特色を持ったことからきた庶民の機知の反映でもあるのでしょう。


コミュニケーションは相手の反応を確認しながら!

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 言葉によるコミュニケーションが中心の時代ですが、言葉の機能を考えたことがありますか。人間は人間同士だけでなく、3万年ほど前には、犬とコミュニケーションができるようになりました。猿など集団で暮らす動物は、コミュニケーションができています。しかし、そのコミュニケーションは「現時点」のことだけです。言葉でのコミュニケーションでは、「将来」や「過去」のことについて、情報を伝え合うことができます。ただし、現在のことを「言葉だけで伝える」ことは、情報不足です。言葉中心のマニュアルでの仕事は、大事故につながります。大会社で、大事故や不正が起こることは、言葉中心が原因なのでしょう!

鎌倉 松葉ヶ谷霊跡「安国論寺」とも言う

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 長勝寺・妙法寺と並び日蓮の鎌倉での布教の中心となった松葉ヶ谷草庵跡とされ、松葉ヶ谷霊跡安国論寺とも言う。
 開山は日蓮とするが、弟子の日朗が1260年に、日蓮が前執権北条時頼に建白した「立正安国論」を執筆した岩穴(法窟)の側に安国論窟寺を建てたのが始まりである。
 日蓮上人の鎌倉草庵の地。