生命体としての人間は、「みんな対等」となぜ思えないのでしょうか?
最近「差別」という言葉をよく耳にします。なぜ「違い」という言葉が使えないのでしょうか?
「差別」という言葉には、上下関係を感じます。「違い」という言葉では上下関係をあまり感じません。
ただ、言葉で受ける印象は地域によって異なることもあるので、一概には言えませんが。
自然の中で生活していると、「違い」には気がつくのですが、「差別」は感じません。しかし、野菜や果物を商品として出荷できるかどうかは、「差別」があるようですね!
カテゴリーアーカイブ: あたまの散歩
日常的に心がけることとしては、食事が大切!
関税は、国の経済を発展させるが戦争も起こす!
チャレンジと失敗を繰り返すことで、うまくいくようになる!
お金に重きを置くと、お金はあっても人々が飢えてしまう!
2時間ドラマの舞台になることが、観光地になる第一条件!
自分の短所ばかりでなく長所を見つける!
朝鮮半島は、西暦300年代に独立の国づくりが進んだ!
「他人の痛みを思いやること」を教えるには!
“聴き上手”は、言葉を変えていえば〈思い遣り〉のこと!
性格は、生まれつきものと環境の影響の組みあわせ!
古くなることを押し留めることはできないが!
戦争責任をどう負うべきか!
植物には毒草もたくさんあるが、毒も少量飲めば薬になる!

「自然」というものには、やはり人類が生き残った原点があるのでしょうね。
漢方薬もそうですが、一般の人達は自然の植物などから取り出したものを薬にしていました。
科学薬品は20世紀前半に基礎ができたようです。
薬だけでなく、自然の中にいると心が癒されると同時に、からだにも良いようです。
都会暮らしについて、暮らしやすさや便利さだけでなく、何かしらの問題もあるようです!
枯れ枝や紙を燃やすと火の粉が驚くほど遠くまで飛んでいく!
「雨乞い」は農作物の不作を逃れるため、あるいは、豊作を願って行われる行事なのですが、山火事のとき、火が消えるように祈って行うことはないのでしょうか?
そういえば、枯れ草を燃やすとき、水を用意するだけでなく、スコップを用意していますか?
水場が直ぐ横にあれば別ですが、近くにないことが多いです。そんなときに火が広まると、水はすぐ無くなり、水を汲みに行っている間に燃え広がったしまいます。
せめてスコップがあれば、土をかけると火が消えることもあります。
私の経験では、裏山の50m位横上で枯れ葉が燃え広かったとき、父から「スコップも持って行け」といわれ、実際に消すことに成功しました。
山火事になる前でしたら、消化の効果があることもあります!