自分に起こることはすべて「幸運の種」に変えてしまう!

 「思い通りにならないこと」これをどう捉えるか。
 「前向きにとらえるか」「後ろ向きにとらえるか」でまったく違ってきます。
 個人的な感覚では、子供時代に自然の中で育った人は、「前向きに捉える」ひとが多いように感じます。
 自然は。思い通りになりません。その中でどのように対応するか、考えて行動しなければなりません。その経験の蓄積が前向きに捉えることに役立っているのでしょうか!

トヨタ式改善では「機械に人間の知恵をつける」こと!

 随分むかしになりますが、トヨタの改善手法に取り組んだことがあります。今では通信技術が進化したので随分変わったことと思います。
 ただ大きな災害などで、現在の通信技術が使えなくなったとき、避難所への補給物質の補充をどのようにするか、使える方式があります。
 それは「カンバン方式」です。パレット1個に対しカードを1枚用意します。パレット内の品物を使い始めるごとに、カードを抜き、補充担当のクルマが来た時に運転手にカードを渡します。運転手は倉庫や工場に帰ると、カードの枚数だけ補給品の入ったパレットを積み込み、補給先に運ぶのです。
 カードの枚数は、避難所内の人数・運送にかかる時間などを考慮し枚数を計算します。
 この方式では、クルマが何とか通行できれば可能です。これからはドローンになるかもしれませんが!

防ごうとしても防げないこと、それは「老い」とか「死」!

 「世間は意外に冷たいもの」という感覚は、都会では常識になっています。
 都会の豊かさがそうさせているのでそうか。
 確かに自己責任で生きていくようになれば、人に頼ることも、人に親切にすることも、それほど重要にはなってきません。
 しかし、人生100年時代、老後もそのスタイルで生活できますか?
 ところで、犬などのペットは言葉でのコミュニケーションができません(音としてのコミュニケーションはできますが)。言葉ではないコミュニケ-ションは、脳には良いようです!

権威者の指図とあればそれに従い、他人に責任転嫁させる!

 権威者に、人はどう反応するか、世の中で起きていることを見ると、想像ができます。
 この権力者に対する反応の強弱は、風土によって違いがあるのでしょうか?
 それとも、政治体制によって違いがあるのでしょうか?
 権力者によって違いがあるのでしょうか?
 ただ、現代では情報の操作による影響が強くなっているようです。その情報も五感の内、「言葉」と「映像」に頼っているようです。
 生成AIはこの分野の機能が発達しているようで、心配はありますね!

心の容量には限界があり、たくさんのことは考えられない!

 心配事、「お前なんかお呼びじゃないよ」と追い出したいですね。
 気持ちをジャンプし、楽しいことを考えることに切り替えができれば良いのですが、難しいですね。
 子供時代から、いつも外で遊んでいれば、落ち込んだとしても切り替えができるような気がします。スポーツも(指導者にもよりますが)そういう面がありますね。
 知識教育は効率的ですが、気持ちの切り替えという面では、非効率のような気がします。
 気持ちの切り替えには、外に出て五感を鍛えましょう!

自分らしく生きていますか?

 自分がいい気持ちでいられ、そして、自分が行きたいところに行く、そんな人生が送れたら最高なのでしょうね。
 でもせめて、自分らしく生きていける、そう感じられたら、充実した人生になるのでしょう。
 がんばらなくても、そうなれたら良いですね!

朝からくたびれているのは、それだけで罪!

 朝から元気でいたいですね。朝日を見ることができるうちに住んでいると、幸運に恵まれるような気がします。
 私が育った家では、朝日が見えず、夕日をよく見ていました。
 太陽が沈んでいくと、1日が終わり、その日の出来事も終わってしまうような気がしました。あまり悪い出来事がなかったためなのでしょうか?

あまり歩かず脳に伝わる刺激が乏しいと、脳は活発に動かない!

 「歩く」ことが最近話題になっています。舗装された道を歩くのと、山道や川原などの未舗装の道を歩くのと、舗装道路を歩くのでは、脳に対する刺激に違いがあるのでしょうか?
 むかし、大きな川には「渡し」があったのでしょうが、小さな川には無かったので、歩いて渡っていたのでしょう。
 最近、川幅が10mほどの川を、棒(竿)を持って川底をさぐりながら渡っている人を初めて見かけました。むかしの人もこのようにしていたのでしょうか?
 修験者が持っていた金剛杖を思い出しました。これも川を渡るときに使用していたのでしょうね。鈴がついていると熊除けにもなりますね!

どう生きていくかを、自分の心で考えて!

 数十年前までは、多くの町は夜はそれほど明るくなく、月や星がよく見えていました。
 夜空を眺めると無心になり、座禅と同じようになることもあるのでしょうか?
 昔の本を読む場合、その当時の環境も体験しておくと、感覚的により深く味わうことが出来るのでしょうね.
 それに自然の中で過ごすことが加わると、もっと深い味わいが出来るのでしょうね!

悪い感情に囚われると、どんどんつらくなってしまう!

 最近は「批判」という言葉が、「悪口」と同じ意味に使われています。しかし、批判という言葉の意味は、広辞苑では、①物事の真偽や善悪を批評し判定すること。②人物・行為・判断・学説・作品などの価値・能力・正当性・妥当性などを評価すること。否定的内容のものをいう場合が多い。とされています。
 「批判」は、辞書の意味通りに解釈できれば、「改善」につながります。
 日本経済が力を失ってきているのは、批判を悪口と解釈し、改善につながらなくなったからでしょうか?

歳を取っても、無理せず、あせらずできる生活改善法!

 人生100年時代、歳を取っても「楽しみ=生きがい」があると、毎日元気でいることが出来るようです。
 昔は、仏教で智慧と慈悲を基本とした教えを学んでいて、それを若い人達に教えるなどして、生きがいを感じていたのでしょうか?
 慈悲とは、すべての人々に深い愛情をもち、安楽を与えるという意味の「慈」と、悩める人の苦しみを取り除いて、思いやることを意味する「悲」のことだそうです。
 こんな教えを学んだ人は、老後も元気に、社会に貢献できたのでしょうね!

心理の底に溜まった感情の捌け口が必要!

 何かしらの悩みはありますね。それが、その程度あたまをよぎっているか、よぎっている時間が続くと、かなりつらくなりますね。
 気分転換が必要なのは分かっていても、そう簡単にはできないですね。
 風呂の水を流すように、一気に簡単に流すことができると良いのですが!

心の傷にはふれない!

 失意のとき、相手をはげますか、何もしないか、難しいですね。
 相手が、何かしらの助けを求めているときは、相手が望む方向が判っていれば、その方向の助言が出来そうですが、分からないとき、どうするか、難しいですね。
 小学校時代からのの友人が、中学の二年生のとき失明しました。半年近くときどき尋ねて来ていました。あるとき、小学校時代の先生の家に5~6人で遊びに行きました。
 その帰りに、「このままではどうしようもない。盲学校に行け」と言いました。
 そして、相手は4月から盲学校に行きました。その後も田舎に帰ると尋ねてきました。

私の人生なんてどうせこんなものだ!

 「失敗」を財産にできるか、それともストレスになるか、この違いはどこにあるのでしょうか?
 これは「観察力」が関係しているのでしょうか。
 「都会暮らし」や「核家族生活」では、一定のパターンで育つようになってしまい、観察力のパターンが少なくなり、そのパターンから外れてしまうと、詳細な観察ができなくなってしまうのでしょうか。
 すると、ストレスがどんどん強くなってしまうこともあり得ますね!

自分の人生は自分で決めなくてはならない!

 「考える」という作業は、子供時代から、年寄りまで、続けていかなければいけないこと、ですね。
 小学校から、記憶すること中心、社会人になると生成AI中心では、前頭葉が働かず、認知症になってしまいます。
 子ども時代は、自然の中で、大人になると、いろいろな情報をデータベース化し、その情報を自分流に組み合わせ、加工して遊ぶことが必要でしょうね。
 生成AIを、自分のデータベースを使い、自分でやってみましょう。日本語の単語は、意味が多彩で、思ってもいない情報に出会いますよ!

「~しなくてはならない」「~でなくてはいけない」思い込み!

 「思い込み」のベースに在るのは、「知識」なのでしょう。
 スペシャリスト指向は、やむを得ず知識優先になってしまいます。この状態をリタイアまで続けてしまうと、新しい思考を受け入れにくくなるようです。つまり。脳の前頭葉をあまり使わなくなるようです。
 これは、認知症の発症危険率が上がってしまうようです。
 年齢を重ねるとき、いろいろな取組の経験は大切なようです!

邪心をもたぬこと!

 「生きていること」は、「死を迎えること」です。この考え方から「地獄・極楽」の考え方が生まれ、生きいるときは、「極楽」を目指す生き方が生まれたのでしょうね。
 地獄とか極楽とか、現代はそれほど意識しなくなったようですが、その意識が、充実した生き方につながっていたのでしょうね。
 「充実した生き方」をささえる思想は、過激な宗教でしか残っていないのでしょうか?

生まれた時には清浄無垢な存在ですね!

 最近の異常犯罪、子供時代に、何を学んでいるのか、疑問を持ってしまいます。
 これは、核家族も影響しているのでしょうか?
 子供の安全のため、知らない大人とは接しないように指導されています。これは反面、「正しさ」を学ぶ機会を奪っていることにもなります。
 学校へも、集団登校している地域が多いようです。これも学ぶ機会を奪っているのでしょうね。
 社会の悪さが影響し、より安全な方法を選んでいるのでしょうが、やっかいな問題ですね。
 ただ、子供が知らない大人にも「あいさつ」する地域も、少ないながらあります。この地域の子供達のほいが、学びは多いのでしょうね!

安らかなことが、何よりも大事なのだ!

 若者や現役世代の人の、昨今の「夢」は、「金儲け」なのでしょうか。それも、自分だけの。
 むかしの商人、特に関西文化の商人達の多くは、神社仏閣への寄付や、飢饉の時の庶民に対する援助、あるいは、溜め池やダムづくりの援助、橋や開墾の援助などを遣っていました。そのためか、代々商いを続け、尊敬されていました。
 現代の金儲け主義には、「尊敬」という文字は、どこかにいってしまったようですね!