意志をあまりにも強調する人!

 むかしは、自然や周りをを観察し解決策と考えました。それでも解決できない困難に出会うと、しかたなく神仏に頼っていました。
 現在は、言葉でネット検索し、あるいは「ChatGPT」に質問したりします。その結果、「観察し、考える」ことが激減してしまいそうです。
 人類の生き残りのための進化は、周囲を観察し、考えることが出来るように進化することで、生き残ってきました。
 考えることが不要なほど便利になることは、人類の生き残るという視点から見ると、どのような結果に導くのでしょうか?

相手のことばかりに気持が向き過ぎてしまう!

 子供の時に「自分」というものを、どのように造っていくか。知識教育だけでは、「自分」というものを造ることは出来ないのでしょう。
 自然を五感で感じ、自分でどのようにその環境(自然)に対応するか、考える経験を積み重ねることが大切なようです。
 ただ、現在は子どもの事故を防ぐため、安全対策がされているため、本当の思考力は身につかないのでしょうが。そうかといって、危険な環境を放置することもできないので、難しいですね!

究極に到り着きそこに住(とど)まる重い病気!

 最近は、スペシャリストを目指す人が多い感じがします。しかし、専門知識のそばに、雑学を置いといてほしいです。
 専門知識一辺倒になると、思考の幅が狭くなっていきます。曖昧さが許せなくなります。
 日本の平和な時代は、「曖昧を許容する」ときです。思考の狭さは、社会から見ると、危険視されることもあります。
 その状態で年齢を重ねていくと、いっそう執着心が強いまま、思考が狭いまま、過ごすことになります。仕事をしているときは、まだ良いのですが、リタイヤすると、大きな弊害になることもあります!

片づけのコツは「戻しやすさ」を優先!

 昔と比べると、豊かになっています。豊かさは、「片付けの力」を要求してきます。取り出しやすいと、どんどん取り出し、いつの間にか散らばってしまいます。取り出しにくい方が良いのでしょうか?
 また、環境でも変わるようです。仕事場ではキチンと片づいています。田舎に帰ったときも片づいています。
 自分の性格より、自分が置かれている環境で、片付けの感覚も違ってくるのでしょうか!

目標に向かって努力をした人の脳!

 ChatGPT(相談型AI)サービスが開始されました。これは、結果的に「考える」ことが少なくなるようです。これは、認知症につながる心配はないのでのでしょうか?
 半世紀ほど前に「知的生産の技術」という本が発行されています。カードに情報を記入しておき、それをいろいろな視点から組み合わせ、「新たな知的発見」を行う方法です。
 その後、カード型データベースソフトが発売され、そしてSQL型のデータベースソフトになり、多くのデータを蓄積できるようになりました。その結果、多くの情報から「単語検索」が可能となり、いろいろな情報が見つけやすくなり、その見つけた情報を組み合わせ、新たな「気づき」が生まれやすくなりました。
 特に日本語は、同じ単語でも、使い方が多様なので、面白い気づきも生まれやすいですね。
 出来れば、自分でデータベースを作り、そして、単語検索をし、その情報を組み合わせて遊ぶと、歳をとっても、思考遊びを楽しむことが出来ますよ!

視覚から得られる情報が圧倒的に多い!

 私たちは、眼の情報を頼りにしています。でも、よく考えてみると、初めて訪れる土地、知識・情報が先にあって、その部分だけしか見ていませんか?
 視覚情報がありながら、そのほとんどを見過ごしていませんか。
 最近は、初めて行く土地の場合、移動するための情報以外は、見ないようにしています。そして、その場所に行くと、五感で感じることが第一優先。ただし、その場所にはもう一度、いろいろ調べてから訪れます。
 話は変わりますが、クルマの自動運転技術が進んでいます。しかし、視覚に障害がある人用の、自動案内装置はどの程度進化しているのでしょうか?

いつのときにも選択をしているのかも!

 人間が、行動するとき、結論を出すとき、何らかの「判断」をしています。でも、その多くは、「無意識の判断」です。
 歩くとき、からだの判断を意識していますか? 道を歩くとき、どのように足を出し、体のバランスをどのようにするか、判断していますか? 普通は、手を振ってバランスをとりますが、両手に荷物を持っているときは、足の指からの信号で、足の右側に力を入れるか、左側に力を入れるか、判断しています。これは無意識で判断しています。
 人間のほとんどの判断は、他の生物と同じように、無意識の判断です。言葉による判断は、ほんのわずかなものなのでしょうね!

手先を動かすことはボケ防止に!

 「便利」ということは、仕事の能率化には欠かせません。しかし、子ども時代から、この便利さに馴れてしまうと、脳の発達に悪影響があるようです。また、歳をとってからは、どうもボケにつながるようです。
 人類の歴史上、こんなに便利になってしまった時代はありません。手先を簡単な動作にしか使わないだけでなく、ChatGPTに質問して文章を作ってもらい、頭で考えなくてもよい時代になりそうです。これは、脳の退化をいっそう進めてしまうのでしょうか?

「器用貧乏」という言葉!

 「器用貧乏」と言われますが、器用な方がボケ防止になるようです。
 器用になるためには、子供の時から、手先でいろいろなものをつくり、鍛えなければなりません。
 指をこまめに動かすと、脳(大脳皮質の表面に見られるシワ)が発達し、結果として器用になるようです。
 小刀で鉛筆を削り、プラモデルを組立、人形の洋服づくりなど、指を動かしていると、器用になっていきます。
 文字や言葉で記憶することが、「成績が良い」ということになるのですが、これだけに執着していると、脳の一部しか使っていないことになるのでしょうね。
 選択すと自動的に作動する電気器具、自動化された道具類などは、ボケの促進につながっていくでしょうか!

毎日が日曜日になった途端!

 毎日が日曜日になった時、それまで蓄積したものから、どれだけ離れることができるか、という視点も必要なのでしょう。専門的であればあるほど、蓄積したものからどれだけ離れることができるか、それが出来れば、違った視点から、今まで蓄積したものを見ることが出来、新たな発見があるかも知れません。
 日本には「曖昧さ」が許容される風土があり、いままで築いてきた視点を変えても受け入れてもらえます。
 毎日が日曜日なのですから、異なった視点を持つために、広く歴史(過去)を学び、いろいろな視点があることを学びたいものです!

クヨクヨしそうになったらさっさと寝る!

 なかなか決められないとき、まず。寝てしまいましょう。寝てる間に、頭の中で情報を整理しているようで、朝アイデアが浮かんでいることがあります。
 寝ている間に考えるクセがつくと、気持ちがずいぶん楽になります。そのためには、昼間にその問題に関係しそうな状況の把握を、できるだか洩れなく把握していると、朝にアイデアが浮かんできているようです。
 考え込んだら、まず寝てしまいましょう!

ひとつのイデオロギーで人間を支配したい人!

 雑学に取り組んでいると、「まずは否定しない」ということが身につきます。
 しかし、自分が興味があることだけに取り組んでいると、年齢を重ねていくほど、他の考え方を受け入れることが出来なくなってしまいます。ロシアのプーチン大統領もそうなのでしょうね。 こうなるとやっかいです。場合によっては救いようがありません。何かありますか?

"魂がよろこぶほう"を選ぶ!

 お金を稼ぐため、特定の知識や技術を身につけ、専門家を目指す時代になっています。専門家を目指すと、多くの人はその分野だけに努力するようになります。
 企業も得意の専門領域のみ技術を開発しようとします。その結果、集中して生産してしまいます。これを製造業や農業、漁業などが行った結果、運送距離が長くなり、燃料消費量が上がり、結果的に温暖化につながっているのでしょう。
 また、家庭で使ういろいろな製品も専門化し、種類が増えていきました。と同時に、一つの道具を多様に使う器用さを失ってしまいました。
 少ない道具を、いろいろ工夫し、練習し、多様な使い方ができる能力も身につけることができなくなってしまいました!

雑談をしながら互いの関係を築く!

 知識教育が進み、五感からの情報をもとにして、自分で考えることが少なくなっているようです。
 「自分で気づく」そして、「どうしてだろう」と考える。この能力が劣化しているようです。
 自分が、自分で気づき、自分で考えることが増えてくれば、いつの間にか、自分を好きになってきます(嫌いではなくなってきます)。
 自分で気づいたこと・考えが、他人に感謝されれば、自分をもっと好きになることができますね!

「もっと、もっと」と!

 なぜ、自分より下の人や子供に、「もっとガンバレ」と言ってしまうのでしょうか?
 取り組み方を、具体的に「こう考えれば……」と方向を示す言葉が必要なのでしょうね。
 知識教育が進んだ結果、自分でいろいろな情報を五感で収集し、それをもとに対応策を考える人が少なくなってしまいました。むかしのように「やって見せて、見て盗め」が成立しにくくなっています。
 知識は、基本的には過去のもの、そして、何かしらの資料、あるいは測定が出来るもので成り立っています。
 最近、研究者の方のラジオ番組を文字化しました。それと、その研究者の方の本を読んでみると、ラジオの方が参考になりました。
 本は、既に確定したものを修飾した表現になっています。しかし、ラジオでは「……かもしれないですね」という情報も含まれています。多少曖昧でも、それで良いのでは、と思います!

自然にいろいろなものに目を配る!

 自然にいろいろなものに目が行くようになると、気づきが多くなります。
 例えば、ホームページだ町を紹介する写真を撮っていると、カメラを持たないで歩いているとき、あるいは、クルマを運転しているときなどでも、自然に周りに目が行きます。
 また、いろいろな歩き方をテストしていると、足の使い方だけでなく、腰の動き方や上半身の動きなどにも目が行きます。高速道路のパーキングエリアの人達の歩き方、坂が多いところに住んでいる人達の歩き方など。
 それに加え、サッカーでボールを蹴るとき、テニスや卓球でラケットでボールを打つとき、これらは足と腰と手と、肩が右側(あるいは左側)が同一方向に動いています。むかしの「ナンバ歩き」のようなからだの使い方のようです。
 興味の範囲を広げ、自然に、いろいろなものに目が行くようにしておきたいものです!

しっかりとした夢を持つ!

 夢を持つことは大事なこと。でも、今を大切にすることは、もっと大切ですね。将来の夢ばかりに気持ちが行ってしまうと、今がきつくなることもありますね。
 先ずは、今を大切にしていれば、いつか夢にたどり着けます。周りの人に夢を話し、聞くことで、今を充実しながら、将来の夢にたどり着きましょう!

あきらめは心の養生!

 諦めは「手の施しようがない」ということですが、中には、手の施しようがあるにもかかわらず、諦めることもあります。その大半は、面倒だから。
 これでは自分の能力の向上にはつながりません。普段から困ったときには、手伝ってもらえる人、気分転換をしてくれる人を、つくっておくことも大事ですね。
 核家族化し、都会にすむ人が多くなった今、人とのつながりが、重要な課題になっていますね!

一つの失敗にクヨクヨしない人!

 人生は、いつも何かしらに取り組んでいたいもの。そのようにするには、過去の思いを背負わないこと、過去の事実は覚えておくにしろ、そのことに対する「思い」は、過去に置いてきたいもの。そうすれば、「いま」に力を注ぐことが自然にできるようです。
 「失敗は成功のもと」にするには、そのときの思いは捨ててしまうこと。そして、事実のみを把握し、記憶しておくことなのでしょう!

脳の抑制を外してあげた時!

 「自分」というものを、外から眺めることができれば、悩みの多くはかなり軽くなるものなのでしょう。それと、過去は、事実のみ覚えておき、感情は過去に置いてくることが出来れば、心は軽くなるのでしょう。
 というより、「今」を大事にしてゆけば、過去や未来の、どうしようもない思いから、逃れることも出来るのでしょう。
 「今」を大事にするには、新しい情報を貪欲に入手し、その情報を自分流に消化して行くしかないのでしょう!