自分の弱点に気づかないと!

 自分に余裕がないと、冷静に自分の弱点を見ることは難しいですね。しかし、自分の弱点を冷静に見ることができないと、落ち込んだり、反対に過剰反応を示したり、厄介な状態になりやすいようです。
 パラリンピックで活躍している人は、冷静に自分の弱点を把握し、その対策ができた人達ですね。弱点に冷静に見つめることができると、別の感覚が研ぎ澄まされることもありますね!

自分にとって都合のいい情報!

 情報が溢れている時代になっています。情報の受け手には二つのタイプがあります。「外部統制型」と「内部統制型」です。
 情報を受け取るとき、どちらかというと「結論中心」に受け取る人と、「データ中心」に受け取る人がいます。
 結論中心であれ、データ中心であれ、自分の思い込みをベースとして情報を受け取るのですが、データ中心の方のほうが、思い込みから抜け出すチャンスが少し多いように感じます。
 結論は、「白」か「黒」だけでなく。白に近いグレー、黒に近いグレーもあるので、結論を一つに絞るには注意が必要です。歴史的にも、信じられていた原則が変わった例はたくさんありますね!

学校に無理難題を押し付ける!

 モンスター・ペアレントという言葉が言われ出してかなり立ちました。このような人が多くなった原因はなんだったのでしょうか? ヤクザや暴力団だったのでしょうか。しかし、ヤクザや暴力団はむかしからいましたから違うのでしょう。
 そうするとテレビなどに出てくるコメンテーターなのでしょうか。どうもそんな気がしています。事実や論理の中から、自分の主張に当てはまるものだけを取りだして、あたかもそれがすべてのように主張します。視聴率を上げるためにはやむをえないのでしょう。
 しかし、それを見習う人達が増え、他の意見は聞かず、自分の都合に合う事実・論理だけを主張する人が増えてきたのでしょう。欧米人は自己主張をする人が多いと聞きますが、日本人もそうなってきたようです。
 もっと「曖昧さ」を大事にしてもよいのでは、とも思います!

今後、どれだけの人口を養えるのか!

 地球の人口は、1960年は約30億人、2010年には約70億人になっています。50年で2.3倍になっています。この推移は危険だと思いますが、歴史の結果を見ると、今までは戦争か疫病で解決されています。
 現在この解決策として「昆虫食」が提案されています。「料理」というものは、ヒトの口や消化器官を補助する方法として工夫してきています。その結果、米や麦を食べることができることなり、農耕が発達し、ヒトの増加が可能になりました。今度は、昆虫料理に頼ろうとしているようです。
 なんとかいろいろと料理方法を工夫し、昆虫だけでなく、もっと多くのものを食べるしかないのでしょうね!

「長いものには巻かれろ」がより強くなった?

 アフガンやミャンマーのニュースを見ていると、日本人の「平和ボケ」をどうしても感じてしまいます。ただ、この平和ボケになれる環境を造り上げてきた歴史に、感謝するしかないのでしょう。
 一神教にならず、神様も仏様も同時に敬われる社会、また、天皇がいれば将軍もいるという、ある意味曖昧な社会であることが良かったのでしょう。
 専門家によるある部分に視点をあてた理論一辺倒は、やはり危うい社会になりやすいのですね。
 日本人の持つ曖昧さを大事にすると、平和な社会が続けられやすいのでしょう!

生涯を通じて快活に生きる!

 それぞれの人々が生きている時代の変化は、決して同じではないですね。昔の時代、あるいは、異なる風土の人達のことを考えるとき、かなり努力したとしても、やはり自分の経験で考えてしまいます。真実在の世界を個々人が描くことは不可能ということなのでしょう。そんなことに気がつくことができれば、どんな世の中でも、できれば笑って暮らせば明るく乗り切ることができる、と思います。
 しかし、世間では「オレが言っていることが真実だ」という意識で、あれこれ情報を発信しています(この情報もそうですが)。そのとき自分というモノにこだわってしまうと、視野がどんどん狭くなり、真実在の世界からどんどん遠ざかっていくのでしょうね。
 新コロナ対策でも、医学関係の方がいろいろな意見を言っておられますが、もしかして、ヒアリ対策を行っているような昆虫学者の方のほうが、新コロナ対策においても、有効な提案を行うこともあるのかもしれないですね。そんな人が昔おられ、薬師如来のモデルになったのでしょうかな!

大阪人は決してケチではありません

 大阪人は、モノがもっている何かしらの役立つ性質や程度が、払うお金に対しての値打ちがあるのか、見分ける力が強いのでしょう。ブランドや人気に左右されず、自分の価値観で判断する、ということなのでしょう。
 自分達の価値観を持ち、それが定着したのは、江戸時代に江戸幕府の直轄だったため、幕府の指示に従いながら(従っているフリをしながら)、自分たちの価値観を造り上げたのでしょう。テレビ番組の「水戸黄門」のように、印籠を見せれば、皆頭を下げひれ伏す、とはならなかったのでしょう。「必殺仕置き人」のように、自分たちで解決していったのでしょうか。当然、やりすぎて度が過ぎたこともあったのでしょう。それが学びにつながり、風土として定着したのでしょうか!

その土地の旬のものは健康に良い!

 「地産地消」と言われています。正月を除いて「芋」しか食べない島があるそうです。その島の人達の腸内細菌を調べると、芋の成分から、いろいろな腸内細菌が活躍し、体に必要な成分をいろいろとつくり出しているそうです。これが地産地消の原点にあるのでしょう。

 世間では、いろいろな成分を組み込んだ健康食品が売られています。一人一人の調査委細菌との相性はどのようになっているのでしょうか? 専門家の知識は参考にはなるのですが、いつも常に正解だとはいえないのでしょうね。歴史はそのことを証明していますね!

アレルギー疾患の常識が変化!

 花粉はほぼ一年中飛んでいます。花粉症で困るのは、春だけではない人もかなりいるのでしょう。他にもいろいろアレルギーがあります。やはり「清潔」にしすぎたのでしょうか。これに腸内細菌は関係しているのでしょうか?
 母乳やその家の料理などを通じて、いろいろと生きていくため必要なものを、引き継いでいたのでしょうが、清潔にしすぎて、引き継ぐことができなくなっていなければ良いのですが。
 瀬戸内海も下水を綺麗にしすぎ、魚や貝たちが住みにくくなっているようです!

伝統的な「村八分」はいじめと違う!

 「村八分」という制度がありました。村という集団の安全と平和を維持するために生まれたのでしょう。いまも地域によっては目に見えない風土として、残っているところもあるようです。
 現在流行している新コロナ伝染病の発生状況も、この風土と関係しているのでしょうか。
 現代の日本では「個性」が大事にされていますが、ヒトの生存を考えたとき、個人と集団と、どちらを大事にするか、難問ですね!

緊急事態は突然やってくる!

 緊急事態は突然やって来ます。この「突然=予想外の物事が前触れもなく急に起こる」のときは、自分でとっさに判断するしかないのでしょう。

 ただ、都会暮らしのときは、事前に情報を集め、考えさえすれば、予想内の出来事です。

 しかし、自然の中では、多くのことが突然起こってしまうことがありす。そこでの対応力は、やはり子供時代に自然の中でどの程度遊び回ったかでしょう。例えば、足をかけたら枝が急に折れた、石に足をかけたらぐらつき転がってしまった、枝を払いのけたら顔に跳ね返ってきた、スズメバチの羽音が急に耳元でうなった………。

 こんな経験が多いと、突然の緊急事態でもなんとかなるのでしょう。もっとも、後から学ぶことが多いのですが!

表情筋を動かし笑顔をつくろう!

 「笑い」は自分にとっても、社会にとっても、大事なものですね。どんな秘境に行っても、笑うとみんな受け入れてくれます。敵対心がないことの証明です。
 自分にとっても、免疫力のアップにつながり、元気になります。いつでも笑顔を浮かべられるように、表情筋のエクササイズが大事なのでしょう。嬉しくないときでも、笑顔を作れば、気持ちが楽になっていきます。

「自分らしさ」は幅広い学びから!

 {自分らしさ」にこだわっているうちは、自分らしさはまだ出ていないのでしょう。自分が興味のある分野を、広げるか、深掘りしていくうちに、自分らしさがでてくるのでしょう。そのときは、もう「自分らしさ」は意識していないのでしょうね。
 ところで、「自分らしさ」を持つために、スペシャリストになろうとしていませんか?
 スペシャリストは、見方を変えれば、狭い範囲の知識しか得ようとしていません。まして、住む世界は同じ分野の人達の集まりになるので、そこで「自分らしさ」を出すことは大変です。むしろ、ゼネラリスト的な世界ですと、知識を得ることは大変ですが、「自分らしさ」は発揮しやすいのでしょうね!

うつ病はセロトニンの不足??

 精神的なスランプは誰にでも起こるものなのでしょう。その状況から抜け出すことができれば回復します。その抜け出すとき、医者(薬)に頼るか、環境(場所)を変えることができるか、なのでしょう。医者や薬に頼ったことがないので、どの程度効果があるのかわかりません。
 気分転換をするとき、むかしは、自転車で瀬戸内の島に渡り、海岸をのんびりとサイクリングしながら、小さな砂浜で小波を見ていることもありました。砂浜に棒きれで絵でも描いていると無心になれるものです。
 気分が落ち込んだときには、自然の中に入ってみるのも良いのではないでしょうか!

「やらされた」感が強いと責任転嫁が生まれる!

 「やらされた感」を一番感じるのはマスコミです。視聴率アップのため、スポンサー確保のため、販売部数増加のため、あるいは、出演回数を増やすため(減らさないため)などを感じてしまいます。
 オリンピックで元選手のコメントには「やらされた感」を感じることはあまりないのですが、コメンテーター(解説・評論する人)の人達には、なにかしらの「やらされた感」を感じてしまいます。
 演出なのかも知れませんが、「状況・事実の把握」に対する熱心さをあまり感じることができません。ある面だけを捉えてコメントしているようです。
 最近は、スペシャリスト指向で、ゼネラリスト(広範な分野の知識・技術・経験をもつ人)として努力していこうとする人が少なくなっているのでしょうね!

1ヵ所に留まりすぎている=同じことをやっている!

 壁に突き当たっているときは、自分のアタマ中心で考えてしまいます。そこに、状況の把握、他人の意見を取り込める余裕はありません。
 新コロナでの対策も壁に突き当たっています。専門家集団はアタマだけで考えているから、ということも関係しているのでしょうか。
 専門家達の中の摩擦型の人は、頭が切れ、何かにつけて確信的です。また、自分の流儀を強引に押し通そうとします。彼らは他人をいらだたせ、苦しめるという性向を持っている面もあります。時には「ありのままを語る」という口実のもとに他人を批判し、攻撃しながら、当の相手の感情をまるで理解しません。彼らは自分よりアタマの回転の遅い人たちには我慢がならない。そして、自分の論理を、唯一の正しい意見として、他のみんなが受け入れることを期待します。実は、この手の人の多くは「意見」なるものはもっていません。ただ「事実をはっきりと自分流に見ている」だけです。専門家の知識は、現在の情報を「過去の知識」で解釈してしまいます。
 ずいぶん昔に製造業に広まったトヨタ流の改善手法など、もれのない現状把握に95%位の力をつぎ込んだ後、そこから見えてくる改善案などにも取り組んでみたらどうなのでしょうか。これはマスコミの情報伝達にもいえると思うのですが!

脳の中の記憶は彫刻のようなもの!

 脳内の記憶の蓄積が大事とされ、今の学校の成績評価がされてきました。しかし敷実態は一時的な記憶でのテストの点数が評価の基礎になってきました。そのためか情報の蓄積は、体験ではなく、教科者や書籍を中心とした言語による蓄積になっています。
 ネット社会が普及して、いままで本などから蓄積したデータに優位性がなくなってきており、体験などによる蓄積が復活してくるのでしょうか。ここで気をつけなければならないのが、先入観があると、せっかく体験しても、そこから吸収できる情報が狭くなってしまいます。素直な目で、ありのままの情報を蓄積したいものです!

「依存症」におちいっている人たち!

 人の腸内細菌が、その人の食べ物の好みを決めているのではないか、といわれています。当然、腸内細菌はアルコールの代謝にも関わっていますから、甘い飲物や食べ物の依存症に関係しているのでしょう。
 今までは、「好み」というものは脳の働きだけ、と思っていましたが、どうもそれだけではないようです。
 腸内細菌という生物は、自分が生き残るために、その宿主を制御する方法を見つけているのでしょう。細菌は、その宿主より遙かに永い歴史を生き延びてきたのですから、宿主に勝る機能があっても不思議ではないのでしょう!

加熱するほど消化に時間がかかる!

 食事について、うまいもの指向が続いたため、肥満問題が起きています。料理が、うまいものに加工する技術として定着した結果なのでしょう。
 しかし、1950年から70年たった今、世界の人口は三倍になり、食糧不足問題が目の前に迫ってきています。「人類が生きていくための料理の技術」も考えなければいけない時代に入ってきたのでしょうね。食糧問題は、戦いにつながる可能性が高いですから!

自分の言動を他の人の視点でとらえる!

 一般的には、「学校の成績が良い=記憶力が良い」と考えているのでしょう。そのため、一流大学を出ても、若いうちは大学のブランドがある程度通用するのですが、年齢を重ねるにつれて通用しなくなります。特に言動が良くない場合、大学のブランドが高いほど、教養(広い文化的な知識によって養われた品位)のレベルを低く見られてしまいます。
 これからは、新コロナの影響、そしてAIの進歩で、社会で必要とされる能力が変化するため、知識の記憶だけでは成り立ちません。現状をよく観察し、多彩な情報を組み合わせ、何かしらの智慧を見つけなければならなくなってきたようです!