強く穏やかに生きていこう!

 強く穏やかに生きていくことを目指すこと。出来ると良いのですが、これを自分の論理だけで実現することは大変なことです。
 日本の風土は、出来損ないを認め、曖昧に生きることを認める風土があります。この風土を無視し、自分の考え方しか認めない時代は、日本においては戦いに明け暮れた時代ですね。 
 現存する日本最古の国が編集した「日本書紀」ですら、朝廷の成立はAが正統だが、Bもある、Cもある,Dもある,というように、国家が、曖昧さを許容しています。そんな国は世界中どこにもないようです。
 日本書紀より古い聖徳太子の十七条憲法の最後の17条目には「物事は独断で行ってはならない。必ず皆で適切に議論しなくてはならない。とくに重大な案件については判断に過失・誤りが無いか疑い、慎重にならなくてはいけないので、皆で議論する必要があるし、そうしていれば(自ずと)道理に適った結論を得ることができる。」と、もとになった中国のものにつけ加えています。
 自分の論理では補えない世界があることを、大昔から感じていたのですね!

神社に参拝するとき!

 正月は神社にお参りすることが多いですね。治承5年(1181年)に源頼朝が鶴岡若宮に参詣したことが初詣が広まるきっかけになったとの指摘もあるようです。
 いつのころからか、生きている間の願い事は神社、亡くなってからはお寺にお世話になるとなっています。
 お寺には、あらゆる病に効く薬が入った薬壺をもっている薬師如来、薬は生きている間に使うものです。死んだあとに救済するのではなく、この世で利益を授ける如来として人気を集め、飛鳥時代には信仰が広まったのですが、新コロナが伝染している今、お参りに行く人はそれほど見かけません。
 仏教は本来、生きている人を救っていたようですが、今はなんとなく、生きているときの願い事は神社になってしまったようです。新年はやはり神社にお参りですね!

生活の快適さはなかなか放棄できない!

 私たちは「豊かさ」を経済感覚で捉えています。お金至上主義です。それが正解なのでしょう。
 ただ、その傍らに「親切」は置いておきたいですね。心の豊かさにつながるかも知れないので。
 いろいろな食べ物を、物々交換で手に入れることができた時代、あるいは、それが今でもできる地域では、心豊かな暮らしを、そのことに気づかずにしているのでしょうね。
 ただ、地球の人口が50年で二倍以上になっているので、そんなことは言っていられないのでしょう!

読書が成長と結びつかない!

 読書は「思い込み」という視点から見ると、「思い込み」をより強くするという一面があるようです。スペシャリストになるには効果的なのですが、その分野以外は見向きもしなくなりやすいようです。
 安定した社会ではそれで良いのですが、変化の時代になると、マイナスになってしまうことも起きてしまいます。
 いろいろなものを見るとき、知識があると見逃さないという面も多くあるのですが、逆に知識がある面しか見ない、という面もあります。いろいろな知識を習得した上で、その知識を状況に応じて忘れてしまうことができると良いのですが!

睡眠がうまく取れない!

 寝ながら「考え事」ができれば、良いアイデアが生まれやすいようです。
 ある時期、起きているとき「どうすれば出来るだろうか?」と考え、夜になり寝てしまいました。その夜の明け方、ふっと解決策が浮かんだことが何回かありました。
 起きているときに考え事をすると、自分の思い込みが邪魔をして、なかなかよいアイディアが浮かびません。そんなときは、寝てしまいましょう。寝ている間に考え事ができ、アイディアが浮かぶようになると、昼間も気楽に過ごせるようになりますね!

豊かな人生とは物質的豊かさ?

 生活する上で、私たちは「思い込み」に支配されているようです。脳は、やはり新しいことに取り組むことがイヤなのでしょうね。今までの延長で、考えたり、選択したりしてしまいます。これを長年続けていると、認知症になってしまうのでしょうか?
 ジェンダーの問題も社会の「思い込み」ですね。それぞれの人の特質を、ありのままに見極め、判断することも脳は苦手なようですね。社会通念の「思い込み」にしたがって判断したほうが楽ですよね。「思い込み」を壊すには、かなりの努力が必要ですね!

冬至の日には、ユズ湯に入る!

 当時はユズ湯の日ですね。このような日は大事にしたいですね。このような風土が健康に感心を持たせて入るのでしょう。そういえば、神社に健康を祈ることも無意識にやっていますね。それだけ「健康でいたい」という意識が高いのでしょう。
 今回の新コロナの伝染を、ゆるやかにすることにも関係しているのでしょうね。
 これからは、いろいろな行事が続いていく季節になってきます。このような行事を大事にしていくことも、やはり安全な風土づくりに貢献しているのでしょうね。大切にしましょう!

落ちぶれた時にだけは平等を望む!

 「ゆるやか」な政治ができる国には、穏やかな風土が出来るのでしょうね。
 日本は、鎌倉時代から武家社会が始まり、それぞれのリーダーによって、きびしい地域、ゆるやかな地域があったのでしょう。小田原では現在も「北条五代祭り」が今も行われていることは、北条家はゆるやかな風土をつくることに成功していたのでしょう。
 現在、ゆるやかな風土を持つ国家はそれほどはありません。「ゆるやか≒曖昧」と考えれば、日本は「ゆるやかな風土」と考えてよいのでしょうね!

自然の理に逆らっていない土地をさがすのは大変!

 土砂崩れが多くなっています。斜面を崩し、低いところを埋め立て、大規模な団地を造ってきました。クルマを通すため、傾斜地を削り道路を造っています。自然のままなら土砂崩れを起こさないところでも、開発により土砂崩れを起こしてしまいます。
 現在の法律は、車が通れないところには家を建てることは出来ません。そのため、どうしても斜面を削り、道路をつくざらるをえません。これも土砂崩れを誘発する原因になっているのでしょう。
 現在の技術では、道路に頼らず斜面エスカレーターでも対応できると思われます。エスカレータの屋根に太陽光発電パネルや電気配線を設置し、床下には上下水道を配置し、所々に消火栓をつければ、クルマ用の道路がなくても生活可能と思われます。
 エスカレーターの下に商店街や公共交通機関などがあれば、かなり便利になると思うのですが。それに元気なうちは、エスカレータを使わずに階段で上り下りすれば、健康にも良いのでしょうが!

自分なりの人生哲学を身につけること!

 人生百年と言われ出しています。「自分という個業」を設計しなければならない時代になったようです。
 能力が重視される時代ですが、この能力はお金に関わる能力のこと。お金に関係ない能力は、現役時代は評価されません。
 たとえ、オリンピック選手であっても、その競技の監督やコーチになることが出来なければ、その能力は評価されません。
 しかし人生百年、お金に関わらない時間も長くなっています。自分のお金に関わらない能力も、日ごろから磨きをかけておく必要がありますね!

自分の意見を堂々と主張!

 自分を主張しして成果を上げながら、社会の中で生きていくには、それなりの能力が必須です。その能力がある人と、それが少ない人との間には、どうしても格差が生まれます。
 旧来の日本は、その欠点を重要視し、その対策として「年功序列」という方式を社会に取り入れてきました。
 しかし、海外との取引が増え、同時に能力主義が社会の中で重要と考えられるようになってきたため、旧来の年功序列方式は難しくなりました。
 ただ、能力というものは、ほとんどの人が限られた部分でしか発揮できません。すると、社会が変化、あるいは、技術が変化するなど、環境が変化してくると、その変化についていけなくなる人が出てきます。
 新コロナの影響で社会が変化するときが来てしまい、今まで評価された能力が、これからも有効であったらよいのですが!

相手の「微表情」を見抜いているか!

 「微表情」というものがあるそうです。何かに反応する瞬間(0.2秒)に現れる顔の真実の表情です。その瞬間を見逃すと、場合によっては「造られた表向きの表情」になってしまいます。
 子供達は、大人より微妙な顔の表情を見分ける力が備わっているようです。やはり、この瞬間的な微表情を見逃してはいないのでしょう。
 そう言えば、初めて行った町で子供に挨拶をされることがあります。その土地の風土も関係しているのでしょうが、どうも皆には挨拶はしていないようです。何かしらの情報を感じて挨拶をしているのでしょうか?

手回し充電ができるラジオが人気!

 キャンプが流行っているようです。これは災害訓練として良いことですね。できれば、比較的簡単な装備でキャンプを体験していると、災害時には多いに役立つのでしょう。できれば、食べられる野草などでの食事体験があると、もっといいのでしょう。
 温暖化での天候の異変や地震が多発しています。いろいろな条件の中でも生きる術は体験しておきたいもの。その先達はホームレスの人達なのでしょうか。
 動物で環境変化に最も強い種族は、恐竜の子孫である鳥たちなのでしょう!

争いたくないのに争ってしまう!

 他人との争いが起きるとき、「相手が悪い」、そして「自分は正しい」が基本にあります。ということは、争いの背景には「自己主張することは当然」という思いがあるのでしょう。
 この「自己主張は、本当に当然なことなのでしょうか?」と考えてみたことはほとんどありませんね。ほとんどの国は、自己主張は当然の権利として、その上で社会が成り立っているようです。
 日本もそうなのですが、自己の主張する力が他の国より弱いようです。そこに「曖昧な部分」があり、その曖昧な部分を、人々が自分流に解釈し、行動しているようです。
 災害が多く、山が多く、狭い国土で暮らさなければならない宿命なのでしょうか?
 そんな自己主張だけでは生きていけない環境の中で、周りを気にしながら、自己主張との妥協を図りながら、暮らしてきた環境が、新コロナ対策に対しても効果を発揮しているのでしょうか!

色の持つメッセージ性!

 色彩には情報発信力があるようです。それぞれの地域の文化や風土によって多少の違いがあるようですが、大人の世界では、色の情報発信力は効果的に利用されているようです。
 ただ、子供達が描く絵に潜んでいる情報は、まだ、あまり活用されていないようですね。「虐待」や「いじめ」なども、描く絵の色に何かしら隠されているのでしょうか?

知識は「広く」から、そして「深く」へ、そして「広く」へ!

 今はスペシャリストを目指す方が多いように感じます。それだけでは片寄った思考になりやすいですね。
 いくつかの専門分野を身につけた上で、雑学に手を染め、そして、状況を洩れなく把握した上で判断するゼネラリストを目指してほしいものです。
 知識は、現状に即した上で、バランス良く利用できると、大きな力を発揮できるものではないでしょうか。そのためには幅広い知識が必要ですが、実際に行うには難しいことですけど!

出来る人の近くに身を置いてみる!

 脳波「周辺抑制」と言われるように、サーチライトのような見方をする機能があります。専門家は、そのような見方の訓練を積み重ねているようです。しかし、これでは変化の時代に対応できないのでしょう。
 本当の変化の時代に入ってきた現在、今までは、ある意味「答えは一つ」を基本にしていました。しかし、新コロナの蔓延、地球の温暖化、地球人口の増加など、過去の経験があまり役に立たなくなってきています。
 変化を求められる時代になってきていますが、製造業においては、部品供給の海外依存が多く、それらの製造や設計技術にふれる機会も少なくなっており、基本にふれることが少なくなっています。
 大きな変化に対応するには、基本を知って、それから、現状を知って、そして知恵を絞るしかないのでしょう。
 子供時代から、いろいろなものや人にふれ、多彩な見る目を育てておきたいものです!

キリスト教ではハトは聖霊の象徴だった!

 ハトは平和の象徴とされています。旧約聖書のノアの箱舟が由来だと考えられています。しかし、伝書鳩は紀元前5千年とか、紀元前3千年のエジプトで通信手段として使われており、ローマ帝国では軍事用の通信手段として使われていました。
 日本でも八幡神の使いはハトで、八幡神は源氏の氏神で武神です。尾道の古いお寺には「源氏は伝書鳩を使うことが出来、平家は使えなかった」という言い伝えがあるそうです。
 第二次世界大戦で日本軍のタイの通信部隊の人は、「無線はあったが、発電機は重く、山があると無線は届かない。伝書鳩の中には10日も同じ場所にいれば、その場所を覚えるので、軽くて大変有効な通信手段だった」と言っておられたそうです。
 これらのことが関係しているのかわかりませんが、最近は平和の象徴としてのハトの出番が少なくなっていますね!

古代中国の五行思想が雑煮にも!

 日本には古代より中国から多くの文化が入り、日本の縄文時代から続く風土と融合しながら現代まで生き残ってきています。その後も、ヨーロッパ文明を取り入れていますし、世界中のどこの国の文化でも、否定することなく興味を示します。そして、この文化のここは取り入れようと、自分たちの都合(思想に関係なく)で取り入れています。このようにして、古い文化が今の時代にも残り、新しい文化も取り入れていることが、日本文化の特徴なのでしょう。一貫性はありませんが、しかし、時間がたつと、いつの間にか日本の文化に溶け込んでいますね!

第二次世界大戦後の日本経済!

 太平洋戦争の後、日本は焦土の中から立ち上がってきました。いままで、これは普通のことと思っていましたが、アフガニスタンの状況を見ると、国家という概念がつくれるのかどうかと考えてしまいます。
 みんなで国づくりをするということはどうゆうことなのか?
 戦後の日本人の多くは、どのような国をつくるかは曖昧だったような気がします。思想的には曖昧なまま、とにかく生活(食べること)を中心にして、前に進んでいたようです。そして、少し食べることに余裕が出来ると、たとえば、畑になっていた庭をもとに戻していました。こんなやり方でまとまって行けた風土が、戦後の経済復興を成し遂げたのでしょう。
 日本の風土に「思想では飯は食えない」ということがあり、ほとんどの人が、どんな思想も受け入れることができ、良い・悪いはどうでもよい、悪ければ直せば良い、そして、直すことが出来る、という風土の基本になっていたのでしょう。
 思想で人をリードし、違反したら罪に問うという指導者がいた時代は、日本では争いが多く発生していた時代のようです。一人の個人が、時と場合により神も仏も信じる、そして、普段は神も仏も意識にない、という風土が、おだやかな国にする原点にあるのでしょうか!