栄養過多が感染症を誘発するのでは!

 病気のとき食欲がなくなるのは、病原菌に栄養を与えないという面もあるのですね。また、食べ過ぎや食べ慣れない物を食べると、からだに不調がおき、病気にかかりやすくなるという面もあるのですね。ある孤島では、日ごろほとんど芋しか食べないとことでは、その環境に応じた腸内細菌が構成され、からだに必要な栄養を腸内細菌がつくっているとか。
 はなしは変わりますが、新コロナウイルスは油膜で覆われているそうです。石鹸で洗えば、ウイルスの油膜が壊され、死んでしまうそうです。水洗いより、石鹸洗いを丁寧にやるとよいようです!

玄米は子どもの胃腸にかなりの負担!

 玄米食はからだに良いそうです。でも、玄米食が食べられるようになったのは、比較的最近のようです。その理由は、燃料代がかかるのが一番の理由だそうです。江戸時代に1人が1年間に使う燃料は、20年育った木を10~20本使っていたようです。
 多くの料理は火を使います。そして料理は、ヒトの口や消化器官に適合するように加工し、食べるものの種類を増やしてきました。その結果、動物の頂点に立っています。他の生物にとっては、やはり迷惑なことなのでしょうね!

テンパってしまって、いじめてしまう!

 親から受ける暴力が問題になっています。親の子供についての「思い込み」が問題のようです。また、現在は核家族が多く、親を指導する人は役所頼みになっているようです。
 子供が、自由気ままに遊べる環境はほとんど無くなってしまいました。子供の事故によるケガや死亡は少なくなっているのですが、子供の自由もまた少なくなってしまいました。
 そして、答えが一つしかない100点主義の教育で育った親は、子供への対処方法も一つしかないという思い込みで、子供に対応しているようです!

肌の若さを保つユズ!

 健康の維持は、できるだけ天然の食べ物で保ちたいですね。実生の柚子(接ぎ木ではない実生の柚子)は、東北以南で広く栽培され、花言葉は「健康美」。ほとんど消毒の必要がなく、無農薬栽培が比較的簡単にできることが特徴です。柚子は果皮に栄養素が多く含まれているので、無農薬の柚子は「健康美」につながるのですね。
 輸入品の果物は日本では栽培できないものが多く、発芽しても収穫までは到底不可能で、種子が発芽しても、その種子はその果物や野菜の性質をそのまま受け継いではいません(味がイマイチとか、実が大きくならないとか、病気に弱いとか)。そのため食べても美味しく無いのでしょう。また、からだに良いとは思えないですね。やはり、地産地消なのでしょうか!

野菜には機能性成分が含まれている!

 植物は移動できないため、その場所に適応するための進化をしてきているのですね。害虫や有害物質、紫外線、あるいは水分量など、その土地に合った進化の歴史ですね。
 ヒトにおいても「地産地消」という言葉が日本にはあります。
 米国ミネソタ大学医学部の教授だったM・J・マレイ博士は、1975(昭和50)年に飢饒のサハラ砂漠を訪れ、遊牧民に食料を与えたところ、「しばらくして、突然にマラリアやブルセロージス、結核などの感染症が起こってきた」ことを経験したことから、「栄養過多が感染症を誘発するのではないか」、「我々が食べる食物中の栄養素は我々の体の維持よりも、病原菌の分裂・増殖の方にむしろ利用されるのではないか」と考えるに至ったそうです。
 やはり、ヒトにも地産地消が有効なのでしょうね。もしかしたら、日本で収穫されたものを食べると、新コロナ感染対策として有効だったりすることもあるのでしょうか?

「ありがたい」という感謝の言葉!

 「ありがとう」という言葉、このような社会が苦境に立っているとき、心を込めて積極的に使いたいものです。クルマを運転しているとき、横断歩道で待っている人がいれば、一時停止し渡らせてあげたとき、会釈してくれると、運転する側も、渡った側も、その一日、気分が良いものです。
 感謝の言葉、もっといろいろと増やし、表現を豊かにしたいものです。表現が豊かになると、気づくことももっと増えるかもしれません!

目標に対しさまざまな要素が入り混じった思考!

 大人になると「いま」を大切にしたいものですね。「いま」を、ありのままに、洩れなく、自分の思い込みを捨て、現状を把握し、対処が出来れば、良い人生になるのでしょう。
 経験を重ね、知識が増えてくると、「思い込み」が成長し、その思い込みに支配されるようになると、現在の状況の一部しか見えてこないし、見ようとしないですね。
 経験や知識に頼らず、ありのままに状況を把握していくことは、かなり難しいことですね。そのために「禅」などの修行がつくられたのでしょうか!

五十代以上の方は玄米菜食を中心に!

 玄米食は、からだには良いようなのですが、玄米食は近年になってからのようです。その理由は、玄米を炊くには多くの燃料を使用しなければならなかったためだそうです。
 現在は電気・ガスなど、燃料を手に入れることが楽になったので、玄米を炊くようになったのです。ということは、からだには良いのですが、炭酸ガスを多く出しているということ、ちょっと気になりますね。
 江戸時代の1年間に使用する燃料は、20年育った木材を一人あたり10~20本使っていたようです。いまの私たちは、20年ものの木材に換算すると、何本ぐらい使っているのでしょうね!

ゴキブリの強さは体内に棲む細菌による!

 ゴキブリも細菌と共存しているのですね。ヒトも腸内細菌と共存しています。食べ物の種類が少ないところでも、昔からそこに住みついているヒト達は、その少ない食材で、からだに必要な栄養を腸内細菌達がつくり出りだすようになっているようです。
 そのために「地産地消」といわれるのですね。また、からだもその環境に適するように細かな改善がされてきた歴史を背負っているのでしょうね。
 温暖化で変化する環境に適応できる生物はどんな生物なのでしょう。少なくとも移動できる生物のほうが有利なのでしょう!

血糖値が急激に低下するとイライラに!

 健康志向が続いています。そのためか、玄米と採食、そして魚などが健康に良いと言われています。しかし、玄米を食べられるようになったのは最近のようです。その理由は、玄米を炊飯するには燃料と時間がかかりすぎ、難しかったのでした。
 また、白米を庶民が普通に食べられるようになったのは、せいぜい100年程度、動力式の精米機が開発されたのは1954年のこと、それまでは水車で精米していました。100年以前の庶民は、ぬかの残った白米とアワやヒエなどを混ぜた雑穀米だったようです。
 ということは、白米や玄米は、栄養面で良いところもあるが、それに慣れたからだになるには、まだまだ年数がかかるのでしょう?

南の島で気分転換するのも!

 旅行などにi出かけることで、気分転換する人が多いのでしょうが、長い間、出かけられませんでしたね。趣味が多彩で、屋内で、絵や彫刻、手芸などの趣味がある人は、気晴らしもできたのでしょうが、それでも、まったく出かけられないとストレスが溜まりますね。
 出かけるとしたら、いい季節になっていますので、瀬戸内などの静かな島に渡ると、のんびりとした気分になります。
 まずは一度、気分をのんびりとさせた後、気持ちを盛り上げる娯楽がよいのでしょうか。最初から気分を盛り上げると、新コロナが再拡大し、規制がかかったとき、もっと落ち込むことになりかねない、ということも起きかねないですから!

「○○健康茶」がちまたにあふれている!

 健康食品が溢れている時代になりました。しかし、漢方のように、50年とか100年の人体実験を続けて検証したものではありません。また、まだ腸内細菌の構成との関係は検証されていないようです。
 1世ほど昔までは、先祖代々同じ地域に居住し、地産地消でしたので、腸内細菌も安定し、現在の最新技術をもってすれば、個々人にとって、最も効果的な健康食品の選定も可能なのでしょう。しかし、現在は居住する場所も変化が激しく、食品も世界中で生産されたものが手に入るので、やっかいですね!

原始地球では、酸素はあらゆるものを錆びさせる悪者!

 地球の温暖化が叫ばれています。人類にとっては厳しい環境になっていくのでしょう。ただ、地球の歴史から考えると、その時の環境に適した生物が繁栄していくのですから、まだまだ、地球が亡びることはないのでしょう。
 炭酸ガス以上に厳しい問題は、地球の人口増加スピードなのでしょう。この問題は対応が難しいですね。この問題を鎮める方法は、歴史的には、疫病と戦争だったのですから!

熱くならないと行動できない!

 「一歩踏み出す」は、出来るようで出来にくいもの。失敗の経験、あるいは失敗とは言えないものの、誉めてもらえなかったことを長く経験していると、やはり一歩踏み出すことは出来ないものです。
 また一方で、踏み出しすぎると、これも厄介なもの。そうなると穏やかな日々を送りたくなるものです。
 いろいろあっても良いのですが、「社会」という環境の中で生きて行くには、その社会の風土(価値観)に合わす必要も出てきますね。そうなると、いろいろな主張が出てきしまいますね。そして、力がある主張に会わさざるを得なくなってきますね!

ねぎらいのコトバをかけたいもの!

 どんなとき、どんなところでも「、どうもありがとう」は言いたいですね。ちょっと気に障ったときでも「ありがとう」と言えば、自分の気持ちが収まりますね。
 このような習慣が身につくと、自分の思い込みもゆるやかになり、自然に「どうもありがとう」と言えるようになります。忙しい中にいるとなかなか難しいのですが、これも「慣れ」です。日ごろから練習しておきましょう。

朝型の生活をちょっと「してみた」!

 ヒトはその歴史を考えると、やはり朝型なのでしょう。視力に頼らないと食料の調達は難しく、また、食料入手には長い時間がかかったことだろうと思われ、朝早くから行動しないと、朝の食事は無理だったと思われます。
 そうなら、その性質をうまく活用することが、生活を豊かにする基本なのでしょう。
 学生時代、試験に備えて夜遅くまで勉強していると、夜型になってしまいますが、社会人になってから、どこかで直したいものですね。

穏やかで、ニコニコしていたいもの!

 マスク生活が続いています。「やさしい眼差し」の練習が必要ですね。
 「目は口ほどにものを言う」のですから、でも難しいですね。しかし、優しい言葉、そして「ありがとう」は言えますね。
 自分の頭の中に「言い訳」が住みついていると、なかなかやさしいことがが出てきません。
 早く引っ越してもらいましょう!

「群れ遊ぶ」自由な場も大切なことです!

 もうしばらく、いろいろな年齢層の子供達が、一緒に遊ぶ姿を見たことがありません。
 このように年齢の異なる子供達が群で遊ぶ中で、いろいろな違いに気がつき、その違いの要素を考え合わせた遊びを工夫し、一緒に遊ぶことを経験します。
 この経験で、それぞれの人の違いを当然のこととし、対応ができるようになるのでしょう。
 違いを当然のこととして受入ると、生きていくことが楽になることにつながるのでしょう!

自分は幸福でないと思っている人は!

 「幸福」を辞書で引くと「不自由や不満もなく,心が満ち足りている・こと」なっています。「不自由や不満はない」が「心が満ち足りている」とは思っていない人はそれなりにいるのでしょう。しかし、その人達は「不幸だ」とは思っていない、と思います。
 そうならば、「不自由」と「不満」にどのように対処するか、という問題になります。「不満」は辞書では「十分に満たされていないと思うこと」になっています。
 そのとき、満たされていないことを「きめ細かく、具体的にしているか」、「抽象的なままか」で、かなり違ってくるのでしょうね。
 抽象的なままでは、解決策は見えてこない、不満が続いてしまうのでしょうね!

食べたいと思うものは食べればいいのです!

 「食べたいと思うものを食べる」、物流が発達していなくて、地産地消が確実に行われていた時代には、それぞれの人々の腸内細菌が、その地方で採れる食料に的確に対応していたので良いことなのでしょう。
 しかし、地域によっては、あるいは、家庭によっては、祖母と異なる腸内細菌の人達が増えているようです。まだ食糧の供給事情が変化してから一世代か二世代程度のため、体としては現状に十分対応していない可能性もあります。
 昔からの食べ物を大事にしている地域では、食べたいものを食べることがベターなのでしょうが、都会の場合は注意が必要なのかも知れません。
 悪者扱いされている「脂肪」も、痩せている年配者の方のほうが早く亡くなっていること考えると、本当に正しいのでしょうか。まだ解明されていないことがあるかも知れませんね!