何かしらの悩みはありますね。それが、その程度あたまをよぎっているか、よぎっている時間が続くと、かなりつらくなりますね。
気分転換が必要なのは分かっていても、そう簡単にはできないですね。
風呂の水を流すように、一気に簡単に流すことができると良いのですが!
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心の傷にはふれない!
失意のとき、相手をはげますか、何もしないか、難しいですね。
相手が、何かしらの助けを求めているときは、相手が望む方向が判っていれば、その方向の助言が出来そうですが、分からないとき、どうするか、難しいですね。
小学校時代からのの友人が、中学の二年生のとき失明しました。半年近くときどき尋ねて来ていました。あるとき、小学校時代の先生の家に5~6人で遊びに行きました。
その帰りに、「このままではどうしようもない。盲学校に行け」と言いました。
そして、相手は4月から盲学校に行きました。その後も田舎に帰ると尋ねてきました。
私の人生なんてどうせこんなものだ!
「失敗」を財産にできるか、それともストレスになるか、この違いはどこにあるのでしょうか?
これは「観察力」が関係しているのでしょうか。
「都会暮らし」や「核家族生活」では、一定のパターンで育つようになってしまい、観察力のパターンが少なくなり、そのパターンから外れてしまうと、詳細な観察ができなくなってしまうのでしょうか。
すると、ストレスがどんどん強くなってしまうこともあり得ますね!
自分の人生は自分で決めなくてはならない!
「考える」という作業は、子供時代から、年寄りまで、続けていかなければいけないこと、ですね。
小学校から、記憶すること中心、社会人になると生成AI中心では、前頭葉が働かず、認知症になってしまいます。
子ども時代は、自然の中で、大人になると、いろいろな情報をデータベース化し、その情報を自分流に組み合わせ、加工して遊ぶことが必要でしょうね。
生成AIを、自分のデータベースを使い、自分でやってみましょう。日本語の単語は、意味が多彩で、思ってもいない情報に出会いますよ!
「~しなくてはならない」「~でなくてはいけない」思い込み!
「思い込み」のベースに在るのは、「知識」なのでしょう。
スペシャリスト指向は、やむを得ず知識優先になってしまいます。この状態をリタイアまで続けてしまうと、新しい思考を受け入れにくくなるようです。つまり。脳の前頭葉をあまり使わなくなるようです。
これは、認知症の発症危険率が上がってしまうようです。
年齢を重ねるとき、いろいろな取組の経験は大切なようです!
邪心をもたぬこと!
「生きていること」は、「死を迎えること」です。この考え方から「地獄・極楽」の考え方が生まれ、生きいるときは、「極楽」を目指す生き方が生まれたのでしょうね。
地獄とか極楽とか、現代はそれほど意識しなくなったようですが、その意識が、充実した生き方につながっていたのでしょうね。
「充実した生き方」をささえる思想は、過激な宗教でしか残っていないのでしょうか?
生まれた時には清浄無垢な存在ですね!
最近の異常犯罪、子供時代に、何を学んでいるのか、疑問を持ってしまいます。
これは、核家族も影響しているのでしょうか?
子供の安全のため、知らない大人とは接しないように指導されています。これは反面、「正しさ」を学ぶ機会を奪っていることにもなります。
学校へも、集団登校している地域が多いようです。これも学ぶ機会を奪っているのでしょうね。
社会の悪さが影響し、より安全な方法を選んでいるのでしょうが、やっかいな問題ですね。
ただ、子供が知らない大人にも「あいさつ」する地域も、少ないながらあります。この地域の子供達のほいが、学びは多いのでしょうね!
安らかなことが、何よりも大事なのだ!
若者や現役世代の人の、昨今の「夢」は、「金儲け」なのでしょうか。それも、自分だけの。
むかしの商人、特に関西文化の商人達の多くは、神社仏閣への寄付や、飢饉の時の庶民に対する援助、あるいは、溜め池やダムづくりの援助、橋や開墾の援助などを遣っていました。そのためか、代々商いを続け、尊敬されていました。
現代の金儲け主義には、「尊敬」という文字は、どこかにいってしまったようですね!
自分が正しいと信じる生き方、それを他人に押しつけてる?
「””自分が”正しい」を、他人(部下)に押しつける人。その中には、ロシアのプーチンや今の兵庫県斎藤元彦知事、日本の歴史では織田信長など。
””正しい”ためなら、平気で人お命を奪ってしまいます。正しいことをしているという感覚で悪いことをしてしまう人、これが一番タチが悪いのです。頭がいいだけに、手のつけようがありません。
昔は、その対策としては、暗殺しかなかったのですが、今は対策はあるのですが、充分とは云えないようです。現実に、長く続いていますから!
本気でハッピーになりたければ!
“ 国の風土は、その土地の自然条件で決まるようです。自然条件の中でも、「雨」が大きく関わっているようです。
雨によって、植物の育ち方が影響を受け、水路づくりなど、協力して作業をしてきたことが、「助け合い」を生み出すようです。
地震も、土壌の豊かさに影響しているようです。
乾燥地帯で、食料を求めての移動生活では、一家あるいは一族だけ生き延びることが優先し、他民族や他の一族に対して、敵対することが当たり前のようです。
「シベリア抑留記」を読み、改めて感じました!”
人が持つ気持ちの中で、偉大なものの一つが「許す」こと!
しかし、社会が欧米化して来ると、「どこまで許すか」ということが法律とは別に問題になります。
社会風土として「何処まで許すか」、異常な犯罪まで生み出している現在、犯罪になる前に、「社会として防止するしくみ」は、やはり必要なのでしょう。
むかしの「村八分」ではないですが、なにかしらのルールがあってもよいのではと、東京都の選挙ポスター問題で感じました!
男と女は生まれつきちがっているのです!
“ 「好きか、嫌いか」で判断するか、「正しいか、間違っているか」で判断するか、結構やっかいですね。
これは一般的には、女性脳は「好きか、嫌いか」で判断、男性脳は「正しいか、間違っているか」で判断すると為れています。
ただ、どちらも判断の失敗はあるものです。
そのときどうするか?
螢山紹瑾(けいざんじょうきん)は
「つまらんことにこだわって、あれこれと小智を働かすのを止めて、白い蝶が無心に舞っているように、こだわることなく、いま生きていることに感謝して一生をおくっていきたいものだ。」と!”
[イメージ記憶]の自在性を害うのはコトバ!
言葉は、真実かどうかに拘わらす、特定のイメージを創ってしまいます。これは、人間にしかできますん。
ということは、ウソも成立してしまいかす。
人間以外の動物は、感覚で得た情報で判断しています。最近では植物もそうだそうです。
そこに、言葉による情報伝達手段が高度に発達し、しかも、生成AIが開発され、ますます誤情報を見分けることが難しくなっています。
五感の情報収集の力を研き、正しい情報を蓄積しておく力が、ますます必要になっています。やっかいな世の中にもなりつつあるようです!
孤独になると、不安やイライラがエスカレート!
昨今は、言葉や映像での情報発信がメインです。しかし、その流れに乗れないと孤独になりかねません。
たとえば、頭にきてカッとしてしまうと、仲間はずれになってしまいかねません。
しかし、妥協して相手のペースに乗ってしまえば、自分というものを維持できません。
周りの流れに乗らないでも、しっかりと自分というものを持ち続けるノウハウは、どこかで身につけたいものです。
ただし、自分というものを持ちすぎると、頑固という評価になります。
難しいですね!
どんな状況にあっても「原因自分論」に!
どんな苦しい状況に合っても、「その原因は自分にある」と思えば、次からは事前に対策を立てておくことができます。いわゆる「失敗は財産である」ということになります。たとえそれが災害であってもです。
どんなにうまくいってても、うまくいかなくなるときに対処ができるようになるには、やはり失敗経験なのでしょう。
現代は、子供時代から安全な環境で育っています。ケガをする回数も激減しています。交通事故以外では、子どもが命をなくすることも減っています。親も、子どもに対する注意が、安全な環境下での注意になっています。
子供時代から失敗経験が少ないため、「失敗財産」があまりありません。自分で考える力が弱っているのでしょう。ネット情報に頼り、ますます生成AIに頼る時代になっていくのでしょうね!
大人だったら将来を見通して!
「思い上がり」という言葉があります。これは自分ではなかなか気づけないですね。また、友人ですら注意することは難しいですね。やはり、本人が気づくしかないのでしょう。
ただ、あまり慎重になりすぎても、自分が伸びる余地を失ってしまいます。バランスが大事なようです。
「夢」をいうものをあまり意識せず、現状をありのまま洩れなく見ていれば、いつの間にか自分が伸びていることがあります。
なにが良いのでしょうかね?
質の高い質問で進化!
情報化社会になり、生成AIというものが出てきて、自分で考えることが少なくなるのでは、と心配です。
人間を、生物という視点から見ると、生存の確率が少なくなるのでは、と思ってしまいます。
日本語は、ある程度の曖昧さを許容しているので、日常の会話でも、頭を使うことが比較的あります。
生成AIが、質問のやり方で、いいかげんな回答をしている内はよいのですが、これが進化してくると、人間は考える機会がどんどん少なくなってしまいそうです。
認知症の心配もあるのですが、それ以上の危険がなければ良いのですが!
自分を楽しませることを大事にしましょう!
やはり、現代は生活に余裕が出てきたためか、自分の苦しみに目が行ってしまいがちになるようです。
脳が大人になるのが25歳だとすると、それまでは未発達の脳で、いろいろ考えていると思えば、結論を出すのは25歳を過ぎてからにしたほうが良いのでしょう。
25歳までは、自分が正しいと考えて事でも、まだまだ変化する余地があるようです。
ただ、25歳を過ぎても、大人脳でも考えが変化するので、他人の生(なま)の話をよく聞きながら、自分が楽しいと思う方向に変化していけると良いですね!
不幸は感染する!
不幸(恵まれていないこと)は感染する。ただ、その基準をどこに置くかで、代わってきます。
幸せ基準の高い人が、周りにたくさんいると、不幸ウイルスはどんどん広がります。
首都直下で地震が起きると、基準が高い人が多いため、精神的な被害はすごく大きくなってしまうのでしょうか?
あなたの「生きがい」は何でしょうか!
「生きがい」というものを、難しく考えすぎる傾向はありませんか?
人から「ありがとう」と言われると、少し嬉しいですね。それも生きがいです。
社会で生きていると、人から「認められる、感謝される」こととは、生きがいにつながります。
ただし、貧困の社会を抜け出すと、ギャンブルや酒、麻薬や薬の多量使用などを、生きがいの代替にしてしまうこともあります。
また、ネット社会になり、自己満足だけで情報を拡散する人も出てきています。以前は、ある週刊誌などだけでしたが!