弁天様は宇賀神(うがじん)と同一視されることもある。宇賀神はよく色々な神と同一視される神で、もともと仏教では、すべての人々に福徳を授け、菩提に導く福神とされるが、日本では音が似ているところから豊穣・食物の神・宇迦之御魂命と同一視されている。他に、白蛇神などともいわれるが、蛇は水にかかわりが深く、水の象徴ともされるので、水神である弁天様と結びついたようだ。弁天像の頭に、人の顔をした蛇がとぐろを巻いて乗っかっているが、これが宇賀神である。
そして、地方によっては宇賀神と弁天様は夫婦として信仰されることもあるらしい。
真言は「オン ソラソバテイエイ ソワカ」で、この真言を唱えれば、技芸が上手くなり、弁舌が立つようになるという。
2025年のアーカイブ
自分の個人的な経験を重視すると!
専門家、スペシャリスト、権力者が年齢を重ねてくると、柔軟な思考ができなくなる人がいるようです。
部下や専門外の人達、知らない異分野の人達と、何気ない話ができていれば、柔軟な思考を保つことができるのでしょうか。
やはり、どんな分野にでも好奇心を持つように、努力はして行かないといけないようです。
NET社会になり、情報の入手は楽になりましたが、AIが進むと、逆に絞り込まれた情報になってしまいますね!
座間 崖下に湧く清水悪疫を止めた「座間神社」
「相模の飯綱さま」と親しまれている当神社の創祀は神代と云われています。
一つは欽明天皇の御代(539~571)に、坐摩郷(座間の古名)に悪疫が流行した折に飯綱権現の化身である白衣の老人が現われ、崖下の森の中に湧く清水を使うようにすすめたので、村人がそのすすめに従ったところ、悪疫はやみました。そこで飯綱権現を祀ったという。
別の説(明治十二年編成皇国地誌)では、約八百年前の源頼朝が鎌倉へ幕府を開いたころ、悪疫が流行したした時に白衣の老人が来て、日本武尊を祀れば悪疫が治まると教えたので、日本武尊を祀ったといいますが、その時代は1313年で、祭神は飯綱権現だという説もあります。
「かわいい子には旅をさせろ」とは!
昔の旅はまず、自分の足で歩いていくのが基本。地図などない時代、山道のような道、食べるものも、寝るところも、自分で工夫していた時代に、「かわいい子には旅をさせろ」と言っていたのでしょう。
子どもを、本当に自立させていかないと、子孫は絶えてしまう、といった意識があったのでしょうか?
現在、各地での戦争はありますが、まだ、昔に比べると生きやすいのでしょうか!
尾道 応神天皇休息の地「亀山(久保)八幡神社」
応神天皇が即位22年(西暦291年)に淡路・播磨・小豆島を経て、尾道の当地に巡幸されたといわれている。海辺に玉子に似たひかり輝く石を御覧になり、亀の形をした小さな丘で休息。当地の里人はこの地に祠を建てて聖地として崇敬(あがめうやまう)したとされている。
神社としての創建は貞観年間(859年~877年)と伝わる。当地は京都から宇佐八幡に勅使を派遣する際のご参詣及び宿泊の地となり、当地を亀山八幡宮として祀ったという。
境内には一対の灯篭「軍配灯篭」や手水の水盤の牡丹の彫刻が見事とされている。
変わった新しい自分で新天地を開くこと!
現状をありのままに見ていますか?
どうしても過去の蓄積から見てしまいますね。
自分の知識も、やはり過去のものです。これらに影響されずに現状を見ることは、かなり難しいことです。
経験や知識は、ついつい「今のもの」と思ってしまいますが、1日前だとしても過去ですね。
現状を、ありのままに見ることは、とても難しいことと思っていること、これが現状把握の基本なのでしょうか?
やはり、現状をありのままに見るには、過去は過去に置いてくるしかないのでしょうね!