脳波「周辺抑制」と言われるように、サーチライトのような見方をする機能があります。専門家は、そのような見方の訓練を積み重ねているようです。しかし、これでは変化の時代に対応できないのでしょう。 本当の変化の時代に入ってきた現在、今までは、ある意味「答えは一つ」を基本にしていました。しかし、新コロナの蔓延、地球の温暖化、地球人口の増加など、過去の経験があまり役に立たなくなってきています。 変化を求められる時代になってきていますが、製造業においては、部品供給の海外依存が多く、それらの製造や設計技術にふれる機会も少なくなっており、基本にふれることが少なくなっています。 大きな変化に対応するには、基本を知って、それから、現状を知って、そして知恵を絞るしかないのでしょう。 子供時代から、いろいろなものや人にふれ、多彩な見る目を育てておきたいものです! |
11月 2021のアーカイブ
鎌倉 明治維新で実現した王政復古「葛原岡神社」
キリスト教ではハトは聖霊の象徴だった!
ハトは平和の象徴とされています。旧約聖書のノアの箱舟が由来だと考えられています。しかし、伝書鳩は紀元前5千年とか、紀元前3千年のエジプトで通信手段として使われており、ローマ帝国では軍事用の通信手段として使われていました。 日本でも八幡神の使いはハトで、八幡神は源氏の氏神で武神です。尾道の古いお寺には「源氏は伝書鳩を使うことが出来、平家は使えなかった」という言い伝えがあるそうです。 第二次世界大戦で日本軍のタイの通信部隊の人は、「無線はあったが、発電機は重く、山があると無線は届かない。伝書鳩の中には10日も同じ場所にいれば、その場所を覚えるので、軽くて大変有効な通信手段だった」と言っておられたそうです。 これらのことが関係しているのかわかりませんが、最近は平和の象徴としてのハトの出番が少なくなっていますね! |
福山 鞆 元は金宝寺、室町時代寺社名と歴史を換えた「安国寺」
古代中国の五行思想が雑煮にも!
尾道 熊野神社から福善寺「丹花小路」
JRの線路が敷かれる前は、ほぼ真っ直ぐに行くことができたのですが、踏切がないため遠回りになります。
江戸時代には、石見銀山の銀を運ぶ通路(丹花小路)だったようです。
「丹花小路」
美しい天然の良港鶴湾にその昔、細長くせりだしていた丹花。鉄道以南唯一の高台としてその跡をとどめ、近所の人いがい通ることのなくなった丹花小路(元は長江一丁目荒神社前から久保一丁目橋本玩具店前)の中間あたりにスッキリした高さ2.1mの宮立型燈寵がたてる。
第二次世界大戦後の日本経済!
太平洋戦争の後、日本は焦土の中から立ち上がってきました。いままで、これは普通のことと思っていましたが、アフガニスタンの状況を見ると、国家という概念がつくれるのかどうかと考えてしまいます。 みんなで国づくりをするということはどうゆうことなのか? 戦後の日本人の多くは、どのような国をつくるかは曖昧だったような気がします。思想的には曖昧なまま、とにかく生活(食べること)を中心にして、前に進んでいたようです。そして、少し食べることに余裕が出来ると、たとえば、畑になっていた庭をもとに戻していました。こんなやり方でまとまって行けた風土が、戦後の経済復興を成し遂げたのでしょう。 日本の風土に「思想では飯は食えない」ということがあり、ほとんどの人が、どんな思想も受け入れることができ、良い・悪いはどうでもよい、悪ければ直せば良い、そして、直すことが出来る、という風土の基本になっていたのでしょう。 思想で人をリードし、違反したら罪に問うという指導者がいた時代は、日本では争いが多く発生していた時代のようです。一人の個人が、時と場合により神も仏も信じる、そして、普段は神も仏も意識にない、という風土が、おだやかな国にする原点にあるのでしょうか! |
厚木 秀吉の小田原攻めの際、兵火にかかった「法界寺」
人を助けるのが大好きな人がたくさんいます!
「自由に考える」という習慣を、いつのまにか失っているのでは、と感じています。小学校から「テストで答えは一つ」という習慣がつき、マスコミでは専門家の解説がほとんどになり、専門家達は答えは一つ、と考えがちです。そんな情報ばかりが周りに溢れていると、自分が自由に考えたと想っても、他人の考えに支配されているのでしょう。 日本以外では、「答えは一つ」しか正解がないのですが、日本では「あれも正しい」、「これも正しい」ということが許されています。一人の人が、お寺に行くのも良い、神社に行くのもいい、「曖昧」が許されているのです。 だからこそ、いろいろな知識を自由に集め、その情報を組み合わせ、昨日考えていたことと、今日考えることは、違っても良いという自由があります。 Aさんとは“こう”、Bさんとは“そう”と、それぞれの場面に応じて良い方法が選ぶことがある程度は許されています。 ただし、その自由な対応の背後には、多くの知識があればあるほど、的確な対応になるのでしょう。いくつになっても、自分の得意分野以外の勉強も大事なのでしょうね! |
鎌倉 腰越 (旧)八王子社(現:小動神社)の別当寺「浄泉寺」
開山は空海と伝えられ、中興開山は、1558年(弘治4年)に没している元秀(げんしゅう)です。赤い山門を入ると、正面に本堂があります。本堂は公開されていませんが、本尊は左手に剣を持つ珍しい不動明王で、腕を前で交差させています(非公開)。 昔、神仏を一緒にまつっていた時代には、今の小動神社は八王子社と呼ばれ、浄泉寺はその別当寺となっていました。そのため、1917年(大正6年)まで、浄泉寺の住職が小動神社も管理していました。神仏分離令以後もこのような形をとっていたのは珍しいことです。こうしたことから、1333年(元弘3年) に新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉攻めのときに八王子社に奉納した剣が、この寺に保存されていたことがあったといわれています。また文治年間(1185年ー1189年)に、佐々木盛綱(もりつな)が船上からこの寺を拝んだという話も残っています。 |
交通事故を起こした時のバイオリズムは!
欧米には「バイオリズム」や「十三日の金曜日」というものがあります。 日本にも「七五三」や「七夕」、そして「石の上にも三年」「三度目の正直」「早起きは三文の得」」など数字に関係した行事や言葉がたくさんありますね。そのような区切りがあると気持ちの整理がつき、スッキリするという効果があるのでしょう。「区切り…物事の切れ目」は、自分一人では切り替えられない気持ちを、世間の力をかりて、切り替える方法として生まれてきたのでしょう。 このような、ある意味「曖昧なしくみ」の多くを取り入れてきたのが日本の風土です。日本では、この「曖昧さ」が許容されている時代は平和な時代でしたね。現在の新コロナのときですら、日本は、ある意味政策は曖昧ですが、ほとんどの人は、守るべきことは守っています。強権政策による反発と、曖昧政策の遵守度と、どちらが効果的なのか、答えは結果でしかわからないのでしょうね! |
尾道 「かたい門は持光寺」童歌に唄われた「持光寺」
自然に起きる山火事は樹木の世代交代を可能に!
鎌倉 新田義貞が本陣を構えたところ「九品寺」
記憶力アップのテクニック!
脳は、基本的には「楽をしたい」性質があるのでしょうか? 頭脳を駆使している専門家ですら、自分の思い込みから、なかなか抜け出しにくいようです。 例えば、最近問題にされている資源の再利用の考え方も、不要になったものをリサイクルして資源に戻せば良い、という考え方です。 しかし、昭和30年代までの電化製品は、修理が比較的簡単にできる設計になっており、機能しなくなった部品のみ交換すれば、再利用が出来ました。 いま行われているWindows11へのバージョンアップに対応できないノートパソコンは、ほとんどは部品交換で対応することができず、液晶も含め使えなくなります。しかし、リサイクル法があるからそれで良いとされています。年配者はそれでも「もったいない」と思います。 日本の1960年前後の設計思想や生活スタイルの基本は、「もったいない」だったように思います。近未来、単に部品交換だけでなく、性能アップの部品交換ができるようになるとよいのですが(自作のパソコンは、いろいろ対応できるようですが)。 記憶にしても、自分が溜め込んだ情報記憶も、新部品交換のようにして、情報を多彩に追加・入替、新しい発想ができるようにしたいものですね! |
相模原 西部 鎌倉幕府や北条氏の保護が「無量光寺」
言葉の発達こそ感受性世界の入り口!
むかしは「環境に適応する能力」が、最も重要な能力だったのでしょう。しかし、現在は言語による知識になっています。それも記憶力が重視されていました。 最近は、言語による知識には変わりありませんが、ネット検索やデータベースによる知識になってきました。 その結果、情報を組み合わせながら、より深い知識、固定観念を打ち破る知識などにシフトしつつあるようです。 しかし、情報を組み合わせ活用するために必要とされる能力は、言葉と同時に、環境に適応するために養った経験なのでしょう。子供時代に多くの大人と接した体験、自然の中で遊んだ経験などが大切になるのでしょう。 ところで日本語は抽象的な能力を身につけることに適しているのでしょう。似たような言葉がたくさんあり、また、同じ言葉でも、意味が異なっていたり、また、例えば「ニオイ」でデータベースを検索すると、「……において……」などが出てきて、もとの「臭い」とはまったく違った発想にたどり着いたりします! |
福山 鞆 鞆城二ノ丸の跡地に再建された「地蔵院」
苦手な相手とうまくやる方法!
苦手な相手は、やはりいるものです。このような人にうまく対応するには、子供のときから慣れておく必要があります。というより、子供のときに、出来るだけ多くの大人と接する経験が大事です。小学生くらいの子供時代は、自分の思っているとおりに大人を動かすことは難しいことです。そうすると、自分が工夫して、その大人とうまく付き合うしかないのです。その経験が大事です。 違った視点で捉えると「いいかげん」に付き合うことです。出来ればそれを「良いかげん」に切り変えられれば最高です。この能力を身につけるには、子供時代からの長い経験が必要です。 人類始まって以来の「核家族化」、子供時代に多彩な大人達と接する機会が少なくなっている今、なかなか難しい問題ですね! |