鎌倉 新田義貞ゆかりの「九品寺」

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 創建は1336年 九品寺は、新田義貞が京より招いた風航順西が開山。この地は義貞が鎌倉攻めの際に本陣を構えたところとされ、北条方の戦死者を弔うために建立された。
1333年 新田義貞は5月8日自国を出発、徐々に軍勢を整え、鎌倉に攻め上った。5月22日 稲村ケ崎で“剣を投じて奇跡”を起し、そして一気に中心に向かって侵攻。材木座海岸からまわりこんで、この地に陣を構えた。 町の中はあちらこちらに火が放たれ、猛火が罪のない人々を襲い、阿鼻地獄のようになった。
 北条方も勇猛に戦ったが利あらず、同日東勝寺にて、北条高時はじめ多くの一族郎党、八百七十余人が自刃したと 伝えられている。『太平記』

定年で、突然、することがなくなる!

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 定年だけが原因ではないのですが、「やることがない」ことは、辛いことですね。生物全般、それぞれの時間に、何らかの必要性があるから、生存できているのでしょう。そう考えると、もっと「何かをやる」ということの体制づくりが必要なのでしょう。クルマがなかった時代は、自分の家の前の道、プラス両隣の家の前の道などの掃除でも、それなりの意味があったのでしょう!

尾道 かんざし灯籠の「八阪神社」

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 かんざし灯籠由来(説明看板より)
 江戸時代の末、ここから程近い芝居小屋に、それは美しい、しかしどこか寂しい影があってあまり客のつかないお茶子がいた。
 お茶子とは観客にお茶や座布団、時にはお酒の接待などもして心付けをもらう女性をいう。
 そのお茶子に浜問屋の若旦那が恋をした。内気な少女のそんな心もとなさがかえって、豪商の跡取りながら、ひとりの多感な若者の心に火をつけたのだったが、身を飾るかんざし一つとてないお茶子の姿を見た親は、こんなみすぼらしい娘を嫁に迎えるなどもってのほか、とその恋を許さない。
 お茶子は井戸に身を投げ、この大銀杏の木の下に「かんざしをください」と哀しい声で訴える幽霊が出るようになった。この灯籠はそのあわれを慰めようと心ある人々がお金を出し合って奉納したものという。

異常気象、どうしよう!

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 異常気象が、そろそろ普通の気象になってきているようです。日本の歴史的では、約400年ごとに異常気象が繰り返されており、そのためか、政権も変わっております。やはり、異常気象のため農業被害が大きくなったためでしょう。異常を普通だと思うようになるためには、異常に対する対策が充分となった時が、普通になったといえるのでしょう。もう少し時間がかかるのでしょうか?

鎌倉 関東での念仏道場の中心だった「光明寺」

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 この寺は、第五代執権の北条時頼をはじめ歴代執権の帰依が篤く、七堂伽藍の寺観を誇り、関東における念仏道場の中心となりました。後土御門天皇(在位1464~1500)より「関東総本山」の称号を受け、国と民の平安を祈る勅願所となりました。
 江戸時代には、徳川家康は光明寺を関東十八壇林の高位に置き、信仰と研鐙の根本道場となりました。十八壇林とは江戸初期に徳川幕府が定めた浄土宗の学問所です。
 また光明寺は浄土宗の「お十夜」で知られる寺で、十夜法要は第九世観誉祐崇のとき1495年(明応四年)にはじまりました。現在も古式に則って毎年十月十二日より十五日までの四日間に、盛大に法要が営まれています。

笑顔の機会を増やす美容法!

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 「微笑みながら、相手の話を聞く」が出来ると良いですね。これを実行するには、自分の「思い込み」を捨てないとできないですね。「思い込み」があると、その思い込みと一致するときだけは笑顔でいられますが、一致しないときは、変顔になります。「思い込み」は、限りなく多くのことを知ることができれば、無くなってしまうものでしょう!

尾道 小説 姿三四郎のモデル「西郷四郎逝去の碑」

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 浄土寺から西郷寺に向かう途中に「西郷四郎逝去之地」があります。
 浄土寺道から筒湯小学校へ道がわかれる傍に海をみおろすように「西郷四郎逝去之地」と刻んだ碑が建っている(いまは、碑を10mほど東に移している)。西郷四郎と云うより富田常雄の柔道小説「姿三四郎」としたほうがよく知られ、説明する必要もなかろうが、西郷四郎は講道館草剣時代、嘉納治五郎師範の片腕として日本柔道を大成させた偉傑。

植物は体細胞に寿命を組み込まなかった!

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 動物には、DNAのテロメア短縮による細胞老化が起き、人間は120歳位が限度と言われています。生まれ変わることで、環境の変化に対応できる“しくみ”を造ったのでしょうか? 遺伝や環境で、それに対応したDNAのスイッチON(またはOFF)で、環境への適応を行っているのでしょうが、それでも対応できない変化への対応のため、寿命をもうけ、次の世代に生き残りを託す方法を選んだのでしょう!

鎌倉 偉人にしては質素な「源頼朝の墓」

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 源頼朝は、治承四年(1180)平家打倒のため挙兵、鎌倉を本拠として元暦二年(1185)に平家を滅ぼしました。また、鎌倉幕府を大蔵(現在の雪ノ下三丁目付近)に開いて武家政治の基礎を築きました。
 正治元年(1199)に五十三歳で没すると、自身の持仏堂であった法華堂に葬られ、法華堂は頼朝の墓所として厚く信仰されました。法華堂は後に廃絶しましたが、この丘の上一帯がその跡です。 現在建っている塔は、後に島津藩主・島津重豪・が整備したものとされます。(説明看板より)

万物の根源は「水」である!

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 植物や動物には「水」が神様です。その典型が龍神様(雨・水力をつかさどる神力が龍にある)でしょう。その力をお借りして、ひとびとはお米を頂いているのでしょう。しかし、視点を変えてみると、お米や麦は、人間を使って、繁殖することに大成功しているのです。ほとんどの植物が、昆虫や鳥、風などを利用して、繁殖するしくみを持っています。人間も、植物たちに利用されても不思議ではありません。米は人間を、日の出から日が沈むまで、うまく利用していますね!

尾道 猿づくしの気配「山脇神社」

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 祭神は大山津美之神(おおやまつみのかみ)山の神とも云う、神仏混淆の影響でむしろ山王大権現として親しまれています。また、かっては榎の大樹があり、榎神社とも称されました。
 興味深いのは、狛犬に変えて猿の石像、そして、拝殿の四隅(稚児棟)にも、それが見えます(現在は正面の二ヶ所)。最近、更に、備前焼の猿像の寄進が加わり、また、猿の絵馬がかかるようになり、まるで猿づくしの気配です。

「注意する」と「心配する」は別のこと!

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 悲惨なクルマの事故、対応策はあるのでしょうか。「注意すれば」と言われますが、これは「言葉(知識)」をベースにしたもので、実際の行動に直結しておりません。余裕があれば有効ですが「とっさの時に対応ができるか」は、疑問が残ります。とっさの時に対応でくるのは、“感覚”で習得したものでしょう。ただし、筋肉の衰えていく状況に合わせ、常に感覚の補正を行い続けなければなりません。また、クルマを変えて時も、当然、感覚を補正しなければなりません!

鎌倉 今宮神社ともいう「新宮神社」

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 境外末社で、今宮神社ともいう。
むかしは、「魔境にて、天狗ここに住むという」と旧書に記される。当時は八幡宮の境内からだいぶ離れ、深い森林の中であったのでしょう。
 祭神は後鳥羽天皇、順徳天皇、土御門天皇。
「承久の乱」(1212年)の朝廷側の人物たちで、幕府は勝利をおさめ、後鳥羽帝を隠岐へ、順徳帝を佐渡に配流し、両帝ともその地で歿した。また、土御門帝はみずから土佐、のちに阿波へおもむいた。

「叱る」という行為!

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 現代は、五感ではなく言葉で他人と伝えることが多く、言葉に隠された“思い”はわかってもらえません。そのため、「叱る」場合、その言葉だけで解釈されてしまいます。表情や音色、視線、口元の表情などの変化で、“思い”を感じて貰うことは無理、と考えなければならないのでしょう。いわゆる状況感受の受信能力が衰えているのでしょう。ネット社会やAIが定着するほど、状況感受能力は衰えるのでしょうか?

尾道 浄土寺山鎖場下から(登山道経由)不動岩へ

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 鎖場の入り口の神社の前を過ぎ、狭い橋を渡り右に登ると、道は急になり、そのころから左右に点在する石の三十三槻音が稚拙ではあるが、ふと足をとどめさせ、単調な山道にうるおいをもたせひと息つかせる。
 明治初期につくられ、境内にあつたものを、昭和四十五年の春観音にさいし頂上の峯の薬師まで適当な間隔においたもので浄土寺の新所を「観音こみち」と名付けてはと。
「郷土の石ぶみ」(1973年 山陽日日新聞刊)より

血液中の栄養素が過剰になると!

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 栄養素に関する情報はいろいろと出てきます。しかし、特定の条件で、初めて成立するものなのでしょう。極寒の地域、あるいは、灼熱の地域など、人々はいろいろな地域に住んでいます。当然、食べるものも違っています。その結果DNAもその環境に合ったものに変化しているのでしょう。自分に合った食べ物あは、やはり育った環境で決まると考えた方がよいのでしょう!

鎌倉 海風がここちよい「小動神社」

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 小動の地名は、風もないのに揺れる美しい松の木「こゆるぎの松」がこの岬の上にあったことに由来しているという。別の由来では、この岬の鼻に枝を差し出した松があり、つねに海風に揺れていたため「小揺ぎの松」といい、それが地名になったともいう。

動脈硬化を促進する欧米食!

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 和食は、いろいろな食材を、箸を使って、時間をかけてゆっくり食べることが、健康に良いのでしょう。その習慣になると、健康な状態が永く続いていくのでしょう。それに地産地消ならば、収穫したものを、そのまま(冷蔵や冷凍しないで)新鮮な状態で食べていると、より健康に効果的なのでしょう!

尾道 明治時代に英語塾があった「正授院」

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 外留学の先覚者土居咲吾が、この正授院でも英語塾を開いて後進を導いた。
 土居咲吾は長尾幸作と云い、開業医長尾俊良の長男として天保六年(1835)に生れた。かねて父から洋学の優れていることを聞かされており、21才のとき京都の広瀬元斎に師事して蘭学を、さらに25才、江戸に下り坪井芳洲に学んだが、このあと独学で英話を修得、それで満足できず、勝海舟の卒いる咸臨丸へ便乗を許され、福沢諭吉らと共に万延元年(1860)我が国を発しアメリカに渡り英学を修めて帰国した。

治療しなくてはならない「夢」もある!

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 「夢うらない」は深層心理が現れるともいわれています。ただ、夢の中で他人に当たることは、自分の中にストレスが溜まっており、そのはけ口がなく、夢の中で発散しているのでしょう。カーナビのように、寝てる間になんらかの変化があると、自動記録し、その画像を自動的に分析する装置が、いつかできそうですね!