鎖場下(登山道経由) → 不動岩へ
距離:557m 標高 出発:36.2m 到着:133.8m 最高点:133.8m 最低点:36.2m
ウォーキング地図へ
 鎖場の入り口の神社の前を過ぎ、狭い橋を渡り右に登ると、道は急になり、そのころから左右に点在する石の三十三槻音が稚拙ではあるが、ふと足をとどめさせ、単調な山道にうるおいをもたせひと息つかせる。
 明治初期につくられ、境内にあつたものを、昭和四十五年の春観音にさいし頂上の峯の薬師まで適当な間隔においたもので浄土寺の新所を「観音こみち」と名付けてはと。

 「郷土の石ぶみ」(1973年 山陽日日新聞刊)より












 石鎚大権現の社の前から登って行きます。
 小さな橋をわたり、右の登山道を上ります。
 道なりに登山道の登っていきます。
 このあたりの沢筋は、地下水が確保できますので、むかは人が住んでいました。












 道の脇に石仏が奥の院まで置かれています。
【伝説 かがみさま】(この道ではありませんが)

 高須町大山田方面に向かって山道を登るとかさがみ山下道と書かれた石柱があります。その山道を登りつめると、「かさがみさま」がまつられてある神社があります。
 かさがみさまとは、かさ、おでき、はれものなど、皮膚病を治す神さまなのです。
 むかし、かさがみさまが、瑠璃山(浄土寺山)腹にあったころのことです。
 尾道は港町として栄え、尾道水道を往来する船には、きらびやかな着物を着た人が大勢乗っていました。
 その様子をながめていたかさがみさまは、だんだんと人々の美しさがねたましくなり、ついには、大雨を降らせたり、嵐をおこして船を沈めたりしました。
 困った人々は
「なんとかしなければ」
と考えた末、






かさがみさまに港の見えないところへ移つてもらうことにしました。
 さて、どこに移ってもらうか、人々はまた考えこみました。と、一人の長老が、高須の大山田に静かな池があり、清らかな水が流れているのを思い出しました。そこでみんなは、かさがみさまに大山田へ移ってもらうことにしました。
 ところが、かさがみさまはなかなか承知しません。人々が毎日毎日お願いにきましたので、とうとうかさがみさまは根負けして、しぶしぶぷ大山田へ移っていきました。
 さて、かさがみさまがいやいやながら移ってきた大山田、きてみると
 この上に、むかしから湧き水があります。
人々のうわさどおり、清らかな水が流れており小さな滝もあります。
 かさがみさまはすっかりそこが気にいり、それからは二度と人をねたんで大あばれすることはなくなりました。
 今でも十二月にはお祭りが行われています。信心深
い壇人は、線香の灰を持ち帰り、おできやはれものにつけているということです。

尾道民話伝説研究会 編「尾道の民話・伝説」
(2002年5月刊)より転載