好きなこと、興味があること、いくつかあると良いですね。年齢とともにその興味が変化していくと、どんどん広がっていきます。リタイアしたとき、それまで培ってきた好奇心のもとが、充実した人生をつくりだす元になっていきます。新しい人達とのつながりも広がって行くのでしょう!
9月 2019のアーカイブ
相模原磯部 昔、火渡りの護摩が有名「八幡宮」
八幡社はもともと源氏の氏神です。1356年以前より磯部村らの鎮守として信仰厚く御神像として仏弥陀を奉斎しております。この社を開いたのは鎌倉から来訪した山伏祐圓で、別当は小田原玉瀧坊觸下の佛像院磯幡山神宮寺です。1478年太田道灌勢により陥落するまで磯部地内には城(城主長尾景春)がありました。
江戸初期の不動尊と寺社奉行宛古文書等推定樹齢五百年の銀杏が現存しております。
「感情のセーブ」がしにくくなる!
年を取ると同時に、同じ分野の取り組みが長いと、思い込みが固定化し、他の意見や、他の分野の考え方を理解しようとしなくなりますね。小学校から文部省が管理した教科書で教わり、社会に出てからも、その延長で考えて行くと、今の韓国のように、考え方が偏ってしまいます。まとまった力を出すときには効果があるのですが、多様性を求め、その過程を踏まえた社会をつくることは、難しいのでしょう!
鎌倉 もと光触寺の鎮守社「十二所神社」
この神社は昔、熊野十二所権現社(ごんげんしゃ)といって1278年(弘安元年)には光触寺(こうそくじ)の境内にありました。1838年(天保9年)に今の土地を寄付する人がおり、当時30戸の村人の協力で神社を移しました。明治になって神仏分離となり、天神七柱(あまつかみななはしら)、地神五柱(くにつかみいつはしら)の十二柱の神様をまつり、社名を十二所神社と改め、今日に至っています。
助けるという行為!
考え方が似ていると、あるいは、環境が似ていると応援したくなります。性格は育った地域も影響を与えるようです。県民会とか同窓会なども、その出身者になんらかの似た部分があるからでしょう。東日本の出身者と西日本の出身者も、日ごろは意識していないのですが、やはり違いがありますね!
尾道 建立当時は五重塔「天寧寺 三重塔」
天寧寺三重塔は、1388年に建立された五重塔(当時は高さが35m前後ではないかと考えられるとか)を、1692年に傷みの激しい上二重を取り払って三重に改造したものです。このため三重塔にしては、全体に上からかぶさっているような重苦しい感じがしています。
この塔は、海雲塔とも呼ばれ、高さ25m、足利時代をしのぶ貴重な建築物として国の重要文化財に指定されています。
「嫌なことは我慢しなくていい」に異論!
大人になると、他人の自分に対する見方が気になってきます。もちろん子供の時代でもあるのですが、大人になると、他人の見方が、自分の利害(損益)への影響が直接的になります。昔から「村八分」といって、同じようなことはありました。「村八分」とは、村の掟を破ったりした一家と、二分を除いて村人がつきあいを断つということでした。では、二分は何かというと、それは「火事」と「葬式」だった。ルールがないよりは、ルールがあったほうが、やはり良かったのでしょう!
鎌倉 日蓮が斬首を免れた霊場跡「龍口寺」
龍口寺の始まりは、日蓮の弟子の日法が日蓮が亡くなった後、日蓮宗にとって記念すべきこの地を後世に残すために自分で日蓮の像を刻み、1337年(延元2年)に草庵を建てて安置したことだといわれますが、やはり日蓮の弟子である六老僧が建てたともいわれます。
室町時代のころは龍口院と呼ばれていたようで、龍口寺の名が出てくるのは戦国時代になってからです。
文字文化の伝達!
文字の文化は、記録として残っているので研究されていますが、言葉の文化は、なかなかわからないようです。また、言葉がなかった時代は、もっとわからないですね。たとえば、毒キノコのように、毒のある食べ物の危険性を、どうやって伝えていたのか? DNAスイッチのOn/Offで伝わっていたのでしょうか? なんらかの伝達方法がないと、生き残ってはいけないでしょうから!
鞆の浦 武将でもある安国寺恵瓊が再興「安国寺」
安国寺は、南北朝動乱の戦死者を弔うために、足利尊氏・直義兄弟が国ごとに造ったお寺です。この鞆の浦にある「備後安国寺」も、「1339(暦応2)年に尊氏が建立した」という『鞆浦志』(1748年)の記載から、室町時代の建物と考えられていました。
しかし、後の調査によって鎌倉時代に、金宝寺として創建されたものと判明しました。
国の重要文化財「安国寺釈迦堂」を筆頭に、作庭家・重森三玲が復元した枯山水庭園や本尊の「阿弥陀三尊像」、それに、「法燈国師坐像」など、文化財の宝庫です。
食べ物を選ぶには、旬の形のあるものを!
健康に良いのは、無農薬や低農薬で「地産地消」のものと言われています。しかし、物流が発達した結果、日本の各地から、そして、海外から食べ物が運ばれるようになっています。これにも良いところがあります。現在のような天候異変の時期、災害で作物が大被害を受けたとき、物流が未発達だと、食べ物の奪い合いで「いくさ」になっていました。日本では約400年ごとに天候異変があり、400年前の戦国時代、800年前の平安時代から鎌倉時代、1200年前の奈良時代から平安時代、社会が混乱していますね!
鎌倉 墓碑58基、灯籠118基ほか「内藤家墓地」
磐城平(福島県浜通南部)から日向延岡(宮崎県)へ移封となった内藤家の墓地。
代々のものが一墓地に建立されている。 高さ3mに及ぶ大宝筺印塔などが多く、他に笠塔婆、仏像形、五輪塔形、各塔婆形がある。
不思議な雰囲気が漂っている墓地です。 入口は施錠されていて中には入れませんが、道路の位置が2~3m高い位置ですので、よく見えます。今は幼稚園で分離されていますが、光明寺の墓地の一部なのでしょう。このような大規模の大名の墓所がひとつにまとまっているのはめずらしいのだそうです。
お手伝いをしたら、見返りがあるよ!
「お手伝い」は、何らかの見返りを期待されるので、見返りのない手伝いのことを、別の言葉で表現し、言葉を使い分けている地域もあります。見返りはともかく、子供時代にいろいろな体験は必要です。たとえ、災害であっても。災害は、いくら知識として教わっても、似たような体験がないと、その知識は役に立たないものです。子供時代、少し過酷であっても多くの体験をしておきたいものです!
相模原 一遍の草庵跡に「無量光寺」
1261年 23歳の一遍はこの地を訪れ、草庵を設けたのが始まり。その後上人は2度この地を訪れた。その高弟である他阿真教が1303年2月に遊行を終えて止住するために念仏道場を開いたのが起源であろう。1319年に真教が亡くなると、初期時衆教団の聖地となり、参詣者が引きも切らなかったことが他阿呑海の法語に遺っている。
積極的に、チョロチョロしましょう!
チョロチョロと動くことは、頭で考えるのではなく、五感を使って「感覚と知識で現状を把握する」ということでしょう。昨今は、イヤホンで耳を塞ぎ、スマホ画面で目を塞ぐ、五感障害者(知識と情報だけで考える人)が増えています。チョロチョロと歩き回っても、五感から感じ取る能力も弱くなっているのでしょう。むかしの職人の技術伝承方法の、「見て、盗め」は難しい時代になっているのでしょう!
鎌倉 日蓮上人が草庵をむすんだ寺「長勝寺」
安国論寺とならび、日蓮上人が松葉が谷に来て初めて草庵をむすんだ寺といわれる。
石井長勝が日蓮に帰依し、1263年に本圀寺を創建したのが始まり。
日蓮上人の四大法難のひとつである「松葉が谷焼打の法難」はこのあたりであったと伝えられる。その後廃寺となったのを日清が再興し、開基の石井長勝にちなんで長勝寺と名づけた。
「何かに感謝しよう」と探して!
最近の子供さんは、親に感謝することが分かっているようです。むかしは子供は外遊びで忙しく、親に感謝することにまで気が回らなかった、というのが実態なのでしょう。でも、親が子供に感謝されると、親が子離れが難しくなることもあるのでしょう。やっかいですね!
厚木 信玄出陣の際お堂が兵火に「妻田薬師院」
睦合地区妻田の北端に、楠を交えた森があります。小字を白根といい、薬師堂が建てられています。この薬師堂は、妻田薬師と呼ばれ、もともと古義真言宗の白根山東光寺遍照院という別当寺が管理する仏堂で、古くから近隣の人々の厚い信仰を受けていました。
目の病に効く薬師堂として、妻田地区など近郊の人たちの信仰を集めています。この薬師堂がいつ頃建立されたのかはっきりしないのですが、一説によると奈良時代ではないかと言われています。江戸時代に書かれた「妻田薬師縁起」によりますと、伝説と史実を織り交ぜる面白い話が数多く残っています。
素足は健康のもと!
足の裏からの刺激は大切です。ちいさな石が靴の中に入ってしまうと、すぐ気がつき、靴を脱いで取り出します。こんな場面では、手のひらより足の裏のほうが、敏感だと思ってしまいます。ウォーキングを行っている人が多くなってきています。しかし、舗装された道、整備された公園では、足の裏から得られる情報が少なくなってしまいます。まだ、平衡感覚が大丈夫な人は、砂浜や小石がゴロゴロした河原、あまり整備されていない山道などを歩くことで、足の裏から脳の刺激を行いたいものですね!
尾道 「拳骨和尚」で知られる「済法寺」
旧市街から見ると、ちょっと離れた西側にあります。
境内に入っただけでは気がつかないのですが、裏山にある“岩に刻まれた仏像群”は見もの! 特別な世界観を作り出しています。
墓地がある斜面には、数多くの仏像か岩に刻み込まれています。ただし、お墓があるところより上は道がありません。双眼鏡などで見ることをおすすめします。(このあたりは花崗岩が風化した大きめの砂粒が斜面にあり、枯れ葉も多く、かなり滑りやすいのです。このような道のない斜面を歩きなれた人以外は、登らない方がよいでしょう。)