妻田薬師院
厚木市妻田西三丁目  標高 29.7m
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 睦合地区妻田の北端に、楠を交えた森があります。小字を白根(しらね)といい、ここに薬師堂が建てられています。この薬師堂は、遍照院東光寺の境内にあり、古くから目の病に効く薬師堂として、妻田地区など近郊の人たちの信仰を集め、今でも秋祭りを始め、年の暮れや正月には、大勢の参拝客でにぎわっています。この薬師堂がいつ頃建立されたのかはっきりしませんが、一説によると奈良時代ではないかと言われています。江戸時代に書かれた「妻田薬師縁起」によりますと、伝説と史実を織り交ぜる面白い話が数多く残っています。

 伝承によれば、本尊薬師如来座像は聖徳太子自身が彫刻されたもの、また脇侍仏の日光、月光両菩薩は運慶の作といわれています。しかし、この仏像も永禄12年(1569)、武田信玄が関東地方に出陣したときお堂が兵火にあった際焼失してしまったようです。現在の薬師堂は、18世紀中期に再建されたもので、本尊の薬師如来座像は天正7年(1579)武蔵国の住人・長野伊像之祐という人が寄進したものです。その後、お堂は数回にわたって修復されています。現在の建物は、昭和46年地元の人たちを中心に結成された妻田薬師保存会などの手で修復されました。今では、本堂、鐘つき堂を始めとして、境内全体がほぼ原形をとどめています。また、薬師堂をはじめ、厨子、銅鐘、木造薬師如来座像、木造日光菩薩立像、木造月光菩薩立像、木造薬師如来立像が、昭和47年市の重要文化財に指定されました。

 「厚木の観光ポケットブック」(厚木市観光政策課発行)
妻田の薬師と大楠(睦合地区)

 半原線のバス停「妻田薬師」でバスを下りると、すぐ西に大きな楠が見えます。そこが妻田薬師です。正しくは、西隣にある遍照院というお寺の薬師堂です。
 伝説によれば、本尊の薬師像は聖徳太子によって造られたといわれています。お堂がいつごろ建てられたのかはわかりませんが、室町時代の末には信仰を集めていたようです。
 薬師堂のある地名は、白根といいます。言い伝えによれば、良(ろう)弁(べん)という僧がお堂で休んでいて夢を見ました。東の方を見ると、庭の大楠が灯籠になり、お堂は昼のように明るくなりました。良弁が身を清めようとして池の側へ行くと、一夜のうちに蓮の花が咲いて、白い根が池一面に広がりました。そこでこの地を白根と呼ぶようになったそうです。
 境内の楠は、県指定の天然記念物で、戦国時代の1569年、武田信玄が小田原を攻めた帰り道、夜中に軍を進めるためにこの木に火を付けて灯りとしたという話も伝えられています。
 また、この薬師については、源頼朝の側室丹後の局が正室・政子の嫉妬によって命を狙われた際に、局を救うという働きをしています。局の薬師如来信仰の賜であるという伝承になっています。

【出典】『あつぎ子ども風土記』『厚木の伝承と地名』
 境内では、なるべく「世俗のアカにまみれたふだんの自分」ではなくなるように努めます。清らかな心で静かに参拝するのも、手水舎などでけがれを落とすのもそのためです。




 薬師如来は、修行時代に「十二の大願(たいがん)」を立て、仏となって衆生(しゅじょう)を救うことを誓いました。その大願(たいがん)とは、病気を治し健康にする、美味しい食事を食べさせる、素晴らしい衣服を与えるなど、民衆が現実に叶えてほしいと願っていることが中心です。
 死んだあとに救済するのではなく、この世で利益を授ける如来として人気を集め、飛鳥時代には信仰が広まりました。
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