子供から尊敬される親で!

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 幼いとき「聴いて貰っている」その姿を目で見る経験は、その後の社会生活において重要なことなのでしょう。まだ、言葉が話せない赤ちゃん時代に、まわりの人たち(親や兄弟、祖父母など)が、聴く姿勢を見せることが、その後の人づきあいに関わる脳の発達に影響を与えるのでしょう。人類が言葉を手に入れたのは数千年前、それまでは、表情筋の進化で得た多彩な表情と、白目がある人間の目の動き、そして、叫び声に類するもので伝えていたのでしょう。人類の歴史から見れば、言葉はつい最近のこと。それまでは、相手が自分を理解しようとしている表情や、視線、姿勢が重要な役割をしていたのでしょう!


厚木 創建当時は昼なお暗い地だった「宝泉寺」

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 宝泉寺は上依知南部の山際境の丘陵地下段にあります。寺の縁起や『新編相模国風土記稿』によると、室町時代後期の文明18年(1486)の起立と伝えられ、当時の裏山は松が繁り昼なお暗く凄然としていたため別名「松壽林宝泉寺」と呼ばれていました。


最初からうまくいく人はまれ!

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 「失敗を恐れる」のは、「あるべき姿」を、体験ではなく”言葉”で、親や先生から教わることにも原因があるのでしょうか? 子供時代は、小さな危険に出会ったとき、大人からその原因と対策を教わりつづけ、大きな危険への想像力を身につけていくことが大事だと思います。「小さな危険=失敗」を繰り返した経験が、失敗しても、大丈夫と考えるようになり、その経験が、新しいことに積極的に取り組めることに一因になるのでしょう!


鎌倉 足利尊氏が自邸の跡地に創建「長寿禅寺」

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 山ノ内建長寺から小袋坂を下って、明月院踏切へさしかかる途中の左側の小高い石段の上が長寿寺である。亀ケ谷坂はこのお寺の脇へ下りてくる。
 石段を昇ると山門前にはこの坂の象徴亀公をふまえた石塔がある。なるほど、亀は万年というから、それで長寿寺か。昔の人は智慧がある。
 開山は古先印元(こせんいんげん)禅師。創建は1323年から1336年頃。開基は足利尊氏。
 足利尊氏が自邸の跡地に創建、尊氏没後に子の足利基氏が堂宇をととのえたという。


相手に対して抱く感情はブーメラン!

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 「他人に親切にする」ことは、脳の活性化につながっているのでしょう。まわりへの細やかな観察と、その情報をもとに、相手に対しての適切な方法を考え、そして、その実行の方法を考える、ということが脳の活性化に貢献するのでしょうか。また、ホモサピエンスが生き残ってきたことも、この他人への親切が、生き残りへの適切な手段だったのでしょうか!


厚木 荻野山中藩の陣屋が付近に「山中稲荷神社」

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荻野山中藩陣屋跡(市指定史跡)
 現在の下荻野字山中には、荻野山中藩大久保家の陣屋がありました。
 この大久保家は、相模国愛甲郡中荻野村を中心として、合計1万3千石を領した小さな大名でした。初代の大久保教寛(のりひろ)は、小田原藩主大久保忠朝の次男で、1698年、相模国足柄上郡、駿河国駿東郡内の新開地6千石を分けられ、分家しました。1706年駿河国駿東郡、富士郡に5千石の加増を受けて1万1石の大名となり、更に1718年には、相模国大住郡、高座郡、愛甲郡内に5千石の加増を受け、総計1万6千石となります。


相手が脅迫のプロならば!

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 クレーマーや脅迫のプロ、そして、戦国時代の武将は「人間の弱み」を見つけ、それをうまく利用する名人だったのでしょう。しかし、戦国時代の武将は評価されるが、クレーマーや脅迫のプロは犯罪人として見られます。似たような素質を持ちながら、生きた時代によって、プラスにもマイナスにもなります。やはり、その時代の中で、その環境の中で、どのようにするか、ですね!


鎌倉 本寺の禅興寺は衰退「明月院」だけが残る

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 明月院を、多くの人が訪れるのは初夏の頃……紫陽花の咲く時分です。
 あじさい寺。の別称があるほど有名なこの寺のことですから、数百株の見事な、丹精こめた植え込みが、石の総門から始まって、老い朽ちた山門をくぐりだらだら上りに左折して本堂前の庭へくるまで、びっしりと左右に並んで夢幻のように花を咲かせます。
 まことに幽玄、閑雅、静識の極致。


両親をあるがままに見て育った子供!

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 親は、子供を「言葉でしつけよう」としています。しかし、人類の歴史を考えると、人類の歴史を1時間の映画にすると、言葉を使い出したのは、映画の最後の数十秒なのでしょう。映画の残りの59分と数十秒は、どのようにして子供を育てていたのでしょうか。脳科学者は、赤ちゃんが聞く能力を身につけるのは、まだ言葉が話せないときに、お母さんやまわりの兄や姉、祖父母などが、赤ちゃんを理解しようと、「聴こうとしている態度」が重要だと言っている人もいるようです!


鎌倉 元軍が再襲来しないことを祈った「覚園寺」

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 1218年に北条義時が大倉薬師堂を建立したのが始まり、1296年、九代執権北条貞時が、元軍が再襲来しないことを祈り、寺に改めた。開山は智海心愛慧。
 その後、火事で焼失したが1354年、足利尊氏によって再建された。この寺は後醍醐天皇の勅願所、足利尊氏の祈願所となり保護を受け、代々の為政者の手厚い保護を受けてきた。
 鎌倉には、谷(やつ)に立っているお寺さんが多いが、この各園寺はその典型的なお寺です。


ひとりの人間の内側にはさまざまな感情が!

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 感情は、あるがままにし、その感情を「外から眺めているような自分」がいた方が良いのでしょうか? 将来や過去を考える癖があると、悩みが増え、現在を主に考える人は悩みが少ない、と言われます。「過去は過去に置いて」、現在中心で行くと良いのでしょう!


厚木 懸仏(かけぼとけ)の「知恩寺」

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 江戸時代には、智恩寺境内にあった山王社にまつられていた懸仏(かけぼとけ)が、現在では本堂の中に保存されています。
 山王権現とは、日吉神社・日枝神社の祭神であり、権現とは仏・菩薩が化身してわが国の神として現れることを意味しています。また懸仏は銅などの円板上に、仏像・神像を半肉彫りにあらわし、柱や壁などにかけて礼拝したもので、特に鎌倉時代から室町時代にかけての資料が多く見られます。


自己投資の効率が良いのは「本」!

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 ネットから得ることができる情報は、自分が得たい情報が中心になります。しかし、本の内容をデータベース化し、そこから、単語で検索し、その情報を組み合わせていくと、自分が思ってもいなかった組合せになったりします。自分の「思い込み」は精神的な老化です。それを取り払って行くには、自分のデータベースは、最初のうちは、自分流のデータが蓄積されますが、数千件、数万件とデータが増えた結果、検索すると、思ってもいないデータが出てきたします!


鎌倉 北条政子の墓といわれている石塔「安養院」

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 安養院の地には、尊観(そんかん)が開いた浄土宗の善導寺(ぜんどうじ)がありましたが焼失しました。北条政子が亡き夫頼朝の冥福を祈って、笹目に建てたともいわれる長楽寺が、兵火に焼かれてしまったため、鎌倉末期にここに移され、政子の法名である安養院を院号とし、これが寺名になったと伝えられています。
 その後、安養院は1680年(延宝8年)の火災で全焼しましたが、源頼朝の家臣田代信綱(のぶつな)が建てた比企ケ谷(ひきがやつ)の田代寺(たしろじ)の田代観音堂を移して再興しました。

「決めつけ」、その最たるものが「年齢」!

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 表面的に「若返る」という思いが、かえって老化させてしまう、という一面があるとのこと。やはり、若返りは、精神面だけにしたほうがよいのでしょうか。精神面での老化は、ものの見方が一面的に成り、実際に目や耳に情報が入っていたとしても、その認識が行われず、思い込みでの行動になってしまうのでしょう!


尾道 元は向島三ツ石の草庵だった「信行寺」

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 1214年に浄土宗第二祖の聖光が開いた寺で本尊は阿弥陀如来。元は聖光が向島の三ツ石に一草庵を結んで住んだのがはじめである。
 1596~1614年に住職称住がこの草庵で四十八書夜念仏修行をしたとき、その満願の暁方、阿弥陀如来の来迎に逢い、結集と共に入水往生したが、その時結集の中の一人は現世に残ってこの庵を相続せよというので、行欣が残ることになり、1603年現在地の下の山陽線路上の辺に移った。
 1891年山陽鉄道が開通したので、堂舎を現在地に移した。


都市の人口の増加が環境破壊!

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 東北大地震もそうですが、都会の大規模化が、地方の災害の原因になることもあるのですね。多くの人たちが一部の地域に集まり、大都会になり、それが大規模災害に襲われると、ある意味、大自然の原則で、戦争と同様に人口の増加対策の一つとして、大災害を起こすのでしょうか? 恐竜の絶滅は、地球規模の大災害だったのですから!


海老名 ショウガ市が立っていた「豊受大神」

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豊受大神縁起
 豊受皇大神は古来相模牧遠馬名神の霊跡でしたが推古天皇の六年豊受皇太神騎馬の御姿にてご降臨されてより皇太神ご東行きの処 として此地をその鎮の宮と定められた。これより後聖武天皇の神亀二年勧請遠馬名神豊受大神と称し相模国の名神大社に列せられ のち遠馬二郎時国のとき遠馬十二ヶ村の総氏神として崇められた。
 江戸時代幕府の社寺改めによって恩馬四ヶ村の総鎮守豊受皇太神と尊称、明治元年新政府の社寺分離令に従い社号を豊受大神と 改称した。御祭神は豊受毘売命またの名を登由宇気大神と申し本宮は伊勢国山田原に鎮座される。


結果至上主義の危うさ!

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 「勝利至上主義=結果さえよければ、やり方はどうでもいい」の考え方が、世間に定着してしまった、という背景があるのでしょう。それは、過程を評価するという視点は面倒なため、ついつい、結果だけを見てしまう(報道してしまう)というようになったため。今回のアメリカンフットボール事件もそうですが、ソ連の組織的な筋肉増強薬物事件も、そうなのでしょう。育てる側は、育成の信念がなく、「世間の要求に追従した正しい方法だ」と、無意識に思っているのでしょう!


鎌倉 北条政子の墓と伝わる五輪塔「寿福寺」

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 1200年 源頼朝夫人政子が、明庵栄西禅師(緑茶を伝えた人物—茶そのものは奈良時代に伝わっていた。)を開山として建てたもので、鎌倉五山の第三位の寺。
 源実朝、北条政子の墓と伝わる五輪塔があります。
 明治維新で神仏分離で鶴岡八幡宮(鶴岡八幡宮寺)の仁王門にに祀られていた仁王様が移築されています。