傷つくことを恐れている人!

 こだわりやすい人は、ガンになりやすい印象があるとのこと。
 仕事に携わっている時代は、どうしても視野が狭くなります。深くはなるのですが、広くはなりません。そして、狭いままリタイヤすると、そこから外れている分野については、まったく興味が湧いてきません。その結果、こだわりがますます強くなっていきやすいですね。
 自然に接している人は、何故かいろいろと興味を持ちやすいようです。自然は多彩ですからね。特に日本では!

自分に失望すると、とにかく非難する!

 「知識」を覚えることは大事ですが、それは「智慧」とは言えないようです。
 「智慧」に至るには、その場の状況を洩れなく把握した上で、関係しそうな知識を寄せ集め、それらを組み合わせ、場合によっては、自分で考え出したものと組み合わせ、実行できるようにした状態までもって行かないと、智慧にはならないのでしょう。大変ですね!

卵がコレステロール値を上げるは間違い!

 健康志向が高くなってきているため、どんどん健康食品が増えてきています。どうするか、どれを選ぶか迷いますね。
 病気の治療方法はどんどん進歩したほうが良いのですが、アレルギーの増加を見ていると、日常はむかしながらの食生活のほうが良いような気もします。
 いまテレワークが増えているので、運動不足解消のため「家庭菜園」で野菜を栽培したらどうでしょう。
 そこで、からだに良い肥料を使い、無農薬野菜をつくり、収穫した野菜を水で洗い、料理する、といった食生活はどうでしょうか。
 地中細菌はある程度残っているかも知れませんが、ヒトの体はそのような環境の中で進化したのでしょうから、大丈夫でしょう!

「今どきの若い者は」とこぼしたくなる!

 年齢を重ねるにしたがって、知識や経験は深くなります。ただし、問題があります。年齢を重ねた結果として思考の視野が狭くなることです。興味の範囲が狭くなることです。その結果、範囲外のことについては、興味が持てなくなり、情報があったとしても、それを生かすことが出来なくなってきます。
 情報の更新ができないまま、古くなった経験値の視点で世の中を見ていますので、現代の変化の激しい時代には、なかなかついて行けないことが多くなってきます。
 産業革命、そして、昨今の情報革命についていくのは、今までの発想ではついていけないのです!

無菌に近いものを口にする機会が多い!

 人類の歴史において、米とか麦を食べ始めたのは最近のわずか1%の期間です。それまでは、動物の肉、果実、根菜などを食べていたのでしょう。
 農耕が始まる前の99%の期間でヒトの体の基本ができてきました。それまでは、多くの人が一箇所に定住することはなく、食料や水がなくなれば、分散して移動して食料や水を入手していたのでしょう。
 しかし、人が定住するようになり、農耕が始まり、多くの人が一箇所で暮らすようになり、病気も増えてきました。
 それが150年ほど前に産業革命がはじまり、厖大な人達が狭い地域に暮らすようになり、その結果、病気の種類も増え、危険度もより高まってきています。薬があるものは乗り越えられるようになっていますが、薬がなければ危険度は高まっているのでしょう!

冷え性の人血流が悪い!

 寒い季節です。新コロナ対策のため換気を十分にしなければなりません。暖房で部屋が暖まるのですが、温暖化を考えるとそんなに温度を上げるわけにはいきません。やはり着るもので寒さ対策をすることがベターなのでしょうね。
 また、からだが暖まる食品を食べたほうがいいですね。からだを冷やす食べ物だけは避けましょう。年中手に入る食品が多くなっているので、注意が必要ですね!

お小遣いがたった1000円なんて!

 子供の小遣いを幾らにするか、やっかいな問題です。置かれている状況によりそれぞれなのでしょうが、具体的に決めるのは難しいですね。子供が我慢できる程度、ということなのでしょうが。
 家庭菜園があり、トマトやキュウリ、それに果物などがあると、それらがおやつ代わりになり、小遣い(お金)にあまりこだわらない状況ができます。
 それに家庭菜園で獲れたものは、多少見てくれが悪くても、「もったいない」という気持ちが湧き、食べてしまいます。これも地球環境を保つには良いこと、子供に環境保護を引き継ぐことが出来ますね!

あなたには自由な道を歩んでほしい!

 「自由」というものは、住んでいる土地によって違いがあるようです。思いがけない災害がよく起きる地域では、災害が起きたときの助け合いが必要で、当然のこととして周囲の人達に気を使っています。そして、その気遣いを配慮した範囲で「自由」を考えてしまいます。
 自然環境が安定している地域、あるいは、都会のように人工的に環境を制御している地域においての「自由」は、周囲からの助けがそれほど必要ないためか(行政に助けを頼れば良いのか)、自由の幅が広いようです。
 ただ、行政の援助の範囲を超えたときは、どうなるのでしょうか!

午後2時ごろ強い睡魔に襲われることが!

 快適な環境でデスクワークをしていると、午後二時頃に眠くなることがあります。これは人には24時間のリズムと、12時間のリズムがあり、午前2時の熟睡のリズムが12時間後に現れるためだとか。
 ただし、人の体内時計は24時間より少し長い周期のようです。それを修正するため、朝は太陽の光を浴びて体内時計をリセットしたほうが良いと言われています。
 NHKの「ためしてガッテン」で、子供の歯磨きや徒競走でメトロノームなどのリズムマシンでリズムを聴きながら動作をすると、無駄な動きやバランスが崩れた筋肉の動きが是正され、スムーズな動きになると放送されていました。
 体内時計とともに筋肉にもリズムが大事なのですね!

「正しさ」とは「自分の都合」にすぎない!

 自分が正しいと子供のときから主張しながら育ちます。しかし、なかなかそれが「自分の都合からくる主張」だとは気がつきません。なぜなのでしょうか?
 これは大人になっても変わりません。ただ、主張の頑固さの程度は風土によって違っているようです。
 日本は自分の主張にそれほど強くこだわっていないようです。それは、災害の多い自然環境から学んで来たのでしょうか。
 台風、地震、津波、火山噴火、干ばつなど、予測がつかない自然災害が多く、なかなか論理的には対応できなかった環境の中で、なんとか対応していかなければいけなかった。その結果、自己主張より、今置かれている環境の中で、何をしなければならないか、という命題の中で生き続けてきた結果なのでしょう。
 ただ、日本でも都会暮らしの人達は、どちらかというと自己主張が強いようです。これも自然環境の違いなのでしょうね!

休眠から目覚める仕組みは?

 植物は、条件さえ揃えば芽を出すと思っていましたが、そうでもないようです。多少条件が異なった環境で発芽することで、色々な場所で生き残こってきたのですね。 ただし、人間が植えている植物は、人間の都合で、同じ条件で発芽するように改良しています。このため環境の変化が起きてしまうと、今までの植物は植えることが出来なくなってしまいます。環境変化に対応できるまでは、食糧危機になってしまいますね。
 環境の変化が激しい時代に対応するには、大量生産・大量消費は大変危険な考え方になる可能性があるようです。
 近いうちに、秘境で暮らす人達から、多くの学びを得なければならない時が来るのでしょうか。単に暮らし方だけでなく、何代も続く体質づくりも学ばなければならない時が来てしまうのでしょうか。産業革命以降の資産を捨てて!

防寒の準備は大事!

 ヒマラヤに登っている人達で、指を失ったなどの報道を目にします。しかし、防寒対策はつい簡単な対応で済ましてしまいます。自分はヒマラヤには行かないので安心しているのでしょうか? それとも、極度の寒さを体験しないと考えないのでしょうか?
 ヒトが数十万年生き残ってきたのは、生命に関わる危険な環境でも、それほど怖さを感じないようにすることが、生き残り作戦としてより有効な結果を出しているようです。というより、危険をあまり感じないヒトが生き残ってきたのでしょう。
 いま蔓延しているコロナウイルスも、感染力の増加や重症化へのウイルス変異の可能性がある中で、「感染の恐れに対する不安の強弱」は、ヒトの生き残りにどのような結果をもたらすのでしょうか?

落ち込んだときに立ち直るコツ!

 どうしても苦手な人がおられます。どうしていますか? 攻撃的になっていませんか?
 むかしは「おべんちゃら」といって、口先だけで御機嫌をとろうとすることをいいました。あまり印象が良いとは言えない言葉ですが、これも人付き合いの智慧ですね。
 よく「気持ちが落ち込んだとき、表情だけで良いので笑い顔をつくりなさい」と言われています。表情が笑顔になると、気持ちをリラックスさせる物質が分泌されるようです。これと同じで、イヤな相手と会うとき「楽しみにしていました」と言ってみると、イヤな気分が薄れてくることもあるのでしょう。
 相手が喜ぶ演技を、どんどんレベルアップして、最高のシナリオをつくり続けましょう。そして、どんな人でにあっても、自然に気分良く接することができるようになると良いですね!

強く穏やかに生きていこう!

 強く穏やかに生きていくことを目指すこと。出来ると良いのですが、これを自分の論理だけで実現することは大変なことです。
 日本の風土は、出来損ないを認め、曖昧に生きることを認める風土があります。この風土を無視し、自分の考え方しか認めない時代は、日本においては戦いに明け暮れた時代ですね。 
 現存する日本最古の国が編集した「日本書紀」ですら、朝廷の成立はAが正統だが、Bもある、Cもある,Dもある,というように、国家が、曖昧さを許容しています。そんな国は世界中どこにもないようです。
 日本書紀より古い聖徳太子の十七条憲法の最後の17条目には「物事は独断で行ってはならない。必ず皆で適切に議論しなくてはならない。とくに重大な案件については判断に過失・誤りが無いか疑い、慎重にならなくてはいけないので、皆で議論する必要があるし、そうしていれば(自ずと)道理に適った結論を得ることができる。」と、もとになった中国のものにつけ加えています。
 自分の論理では補えない世界があることを、大昔から感じていたのですね!

神社に参拝するとき!

 正月は神社にお参りすることが多いですね。治承5年(1181年)に源頼朝が鶴岡若宮に参詣したことが初詣が広まるきっかけになったとの指摘もあるようです。
 いつのころからか、生きている間の願い事は神社、亡くなってからはお寺にお世話になるとなっています。
 お寺には、あらゆる病に効く薬が入った薬壺をもっている薬師如来、薬は生きている間に使うものです。死んだあとに救済するのではなく、この世で利益を授ける如来として人気を集め、飛鳥時代には信仰が広まったのですが、新コロナが伝染している今、お参りに行く人はそれほど見かけません。
 仏教は本来、生きている人を救っていたようですが、今はなんとなく、生きているときの願い事は神社になってしまったようです。新年はやはり神社にお参りですね!

生活の快適さはなかなか放棄できない!

 私たちは「豊かさ」を経済感覚で捉えています。お金至上主義です。それが正解なのでしょう。
 ただ、その傍らに「親切」は置いておきたいですね。心の豊かさにつながるかも知れないので。
 いろいろな食べ物を、物々交換で手に入れることができた時代、あるいは、それが今でもできる地域では、心豊かな暮らしを、そのことに気づかずにしているのでしょうね。
 ただ、地球の人口が50年で二倍以上になっているので、そんなことは言っていられないのでしょう!

読書が成長と結びつかない!

 読書は「思い込み」という視点から見ると、「思い込み」をより強くするという一面があるようです。スペシャリストになるには効果的なのですが、その分野以外は見向きもしなくなりやすいようです。
 安定した社会ではそれで良いのですが、変化の時代になると、マイナスになってしまうことも起きてしまいます。
 いろいろなものを見るとき、知識があると見逃さないという面も多くあるのですが、逆に知識がある面しか見ない、という面もあります。いろいろな知識を習得した上で、その知識を状況に応じて忘れてしまうことができると良いのですが!

睡眠がうまく取れない!

 寝ながら「考え事」ができれば、良いアイデアが生まれやすいようです。
 ある時期、起きているとき「どうすれば出来るだろうか?」と考え、夜になり寝てしまいました。その夜の明け方、ふっと解決策が浮かんだことが何回かありました。
 起きているときに考え事をすると、自分の思い込みが邪魔をして、なかなかよいアイディアが浮かびません。そんなときは、寝てしまいましょう。寝ている間に考え事ができ、アイディアが浮かぶようになると、昼間も気楽に過ごせるようになりますね!

豊かな人生とは物質的豊かさ?

 生活する上で、私たちは「思い込み」に支配されているようです。脳は、やはり新しいことに取り組むことがイヤなのでしょうね。今までの延長で、考えたり、選択したりしてしまいます。これを長年続けていると、認知症になってしまうのでしょうか?
 ジェンダーの問題も社会の「思い込み」ですね。それぞれの人の特質を、ありのままに見極め、判断することも脳は苦手なようですね。社会通念の「思い込み」にしたがって判断したほうが楽ですよね。「思い込み」を壊すには、かなりの努力が必要ですね!

冬至の日には、ユズ湯に入る!

 当時はユズ湯の日ですね。このような日は大事にしたいですね。このような風土が健康に感心を持たせて入るのでしょう。そういえば、神社に健康を祈ることも無意識にやっていますね。それだけ「健康でいたい」という意識が高いのでしょう。
 今回の新コロナの伝染を、ゆるやかにすることにも関係しているのでしょうね。
 これからは、いろいろな行事が続いていく季節になってきます。このような行事を大事にしていくことも、やはり安全な風土づくりに貢献しているのでしょうね。大切にしましょう!