テッパってしまい、近くにいる家族に暴力を振るうニュースが増えています。それに加え最近は、見ず知らずの人にも、はけ口を求める人が出てきています。
「人を育てる」ということに、社会のどこかに間違いがあるのでしょうか?
人の社会の子育ては、生物ヒトとしてのしくみ上、肉親だけではなく、周囲の人達と共に、共同して社会で子育てをするとのこと。
育つ過程で、いろいろな人達と接することで、社会性を身につけ、大人になっていく過程が必要なのでしょう。
チンパンジーは、母親だけで7年かけて子育てをするが、その間は次の子どもを産むことが出来ないしくみとのこと。
2年で次の子どもを作ることが出来るヒトは、社会で子育てをする必要があるのでしょう!
カテゴリーアーカイブ: 社会
親子とは考えられぬことまで受けいれる!
頭のよさだけを目標にすると!
高校までに法律を学ぶ機会は多くありません。憲法は若干学ぶのですが、商業高校以外では、民法や商法を学ぶ機会はほとんどありません。
私は商業高校だったので、民法と商法の学課がありました。両方とも同じ先生だったのですが、最初の学習の場面で、「法律は最低のマナーだから………」で始まりました。この意味は、最低のマナーを守ればよいではなく、もっと上のマナーを目指せ、という意味で理解しました。古くからの商人の町でしたから、長く商売を続けて行くには、法律を守るだけではやっていけない、という意味も含んでいたのでしょう。
立法を行う国会議員すら、最低のマナーである法律を守れない人もいます。国会での質問以外では、名誉毀損になりそうな質問をしている議員もいます。これらを見習ってしまうと、見習った人の人生は、終わってしまいかねないですね!
広く、深くという「体験」が必要だ!
少ないもので八面六臂に活躍させる!
殺伐たる世の中で「曖昧さ」が平和を!
「老後はゆっくり暮らしたい」は大間違い!
先が見えてると大きな夢が見られない!
週末は自然の豊かな郊外で!
日本的な社会では!
変化の時代、どのような人が残れるか!
穀物は、貧富の格差、そして戦争を生んだ!
社会全体が息苦しくなるのは!
男性よりも女性のほうがカンが鋭い!
ダラダラ世界の中で過ごしてきた!
サラリーマンの仕事ぶりは、むかしからダラダラした働き方、という印象がありました。能率重視の社会では、この働き方は批判的に見られた来ました。
能率を重視し、短時間で仕事をする方法を見つけ、空いた時間を有効に使う、ということが大前提です。
空いた時間、有効に使えていますか? ゲームをなどしていては能率アップの意味はありませんね。
大学生もネット授業を早送りで見て、空いた時間をどのように使っているのでしょうか?
ダラダラ仕事でも、何かしら考えつき、何かしらのコミュニケーションをしたりした方が、メリットがあるかも知れないですね。
能率アップは、新たに生まれた時間を有効に使った、ということが必須条件ですね!
どうして人間は戦争を起こすんだ!
「どうして人間は戦争を起こすんだろうね?」、それも圧倒的に男性が。
今日も安倍元首相が銃撃され亡くなりました。犯人は男性。最近の不可解な犯罪も、犯人の多くは男性ですね。どうしてなのでしょうね?
男性は考え方に幅がなく、1つの方向になりやすいようです。特に100点主義の教育で、いつも答えは一つしかないと思い込んでしまう傾向にあります。でも、答えというものは一つではありません。
私は、小学校の家庭科で「新鮮な魚の見分け方」を習ったとき、「魚の目やエラを見て見分ける」と習いましたが、住んでいたところでは「魚に触って動くかどうか、タコやイカは吸盤に触って吸い付くかどうか」で新鮮かどうか見分けていました。どうして教科書にヘンなことが書いてあるのだろう? と思いました。
答えというものに、「曖昧」を許容していれば、社会人になっても、一つの考え方に固執することが少なくなるのではないでしょうか!
「ホンネ」と「タテマエ」を使い分ける日本!
遊牧民の社会では少数の指導者がリード!
遊牧民社会では、少数の指導者が集団をリードする社会という。
日本では、そんな傾向は感じられないのですが、平安時代までは貴族とインテリが政治を行っていたようですから、日本もむかしは、少数の指導者がリードする社会だったのかも知れないですね。
平安時代の終わり頃に、法然が庶民を対象に念仏宗教をはじめ、いろいろな宗派が生まれ、庶民が集団としての力を持ち始めました。
その結果、徴税がうまくゆかなくなり、貴族達が武士に徴税を委託し、武士が力を持ち始め、武家社会が始まったのですが、庶民は集団の力に目覚めたまま、現代まで続いているのでしょう。
遊牧民社会では、庶民がなかなか集団の力を育てることなく、現代まで来たのでしょうか?
ロシアは軍事予算は毎年二倍増から三倍増にしてきた!

軍事力というものについて、多くの日本人は考えてきませんでした。しかし、軍事力を強化しようとすると、国民の意識を、特定の方向に向ける必要があります。多様性を制限する必要があります。
しかし日本の歴史は、仏教と神道を両立させ、また短歌、狂歌、俳句、川柳など、意志を伝えるには解釈の曖昧を許してきた文化の歴史があります。
日本でも一時期は、無理やり意識を統一した時期もありましたが、その実態は、意志統一されたフリをしていた人達も多くいたのでしょう。
世界中が「曖昧を許す」風土が定着すると、もう少し平和なときが来るのでしょうか!