広く、深くという「体験」が必要だ!

 インターネットの普及で、情報の収集が手軽に出来るようになった今、いろいろな体験で、五感を使った情報収集力が、育たなくなったのではないかと、心配です。
 自然の中での体験は、ある面、危険な部分もありますが、一瞬で危険かどうかを判断するため、五感からの情報収集が敏感になり、しかも、即時に安全な行動を選択しなければなりません。
 インターネットでの情報収集は、そこまでの多才な器官から得た情報をもとにした、一瞬の判断を必要としません。
 ただ、いまは、自然の中といえども、あまりにま安全対策がされてしまい、五感からの情報をもとにした一瞬の判断は、必要がないようですね!

少ないもので八面六臂に活躍させる!

 最近の電化製品や道具類は便利、というより、便利さや多機能を追求しすぎのように感じます。その結果、手の器用さを失ってしまいました。
 手からの信号を脳に伝え、その信号を元に、器用に体を動かし、その状況に対応する、というしくみが身についていません。
 足も同様のようです。足の指を使わなくなり、足の指でバランスを取るのではなく、手でバランスを撮っているように見えます。足の指は、親指側で足の内側の筋肉に力が入り、足の小指側で足の外側の筋肉に力が入ります。足の指からの情報で、足の筋肉でもバランスを取っているようです!

殺伐たる世の中で「曖昧さ」が平和を!

 日本は「平和ボケしている」と思う人は多いのではないのでしょうか。その背景に、「曖昧さ」や「好い加減」を許容する社会があるのでは、と思います。
 一神教の社会のように、ハッキリと一貫した主張しか許さない社会では、その主張に反する社会との戦いに備えなくてはなりません。そのため、危機意識は当然にして高くなるものと思われます!

「老後はゆっくり暮らしたい」は大間違い!

 老後の暮らしは、せめて50歳前後から考えておきたいもの。たとえ漠然としたものでもかまいません。しかし、それを考えている人はそれほど多くはないのでしょう。
 考えもせず老後の生活になってしまうと、ただただ、ぼんやりと時間を過ごすことになりかねません。
 「老後の生活を充実させる」という意識を50歳くらいから持ち、なにかしらの準備をはじめましょう。
 そして、社会に対して力を尽くすことが見つかれば、その活動は長続きしますよ!

先が見えてると大きな夢が見られない!

 「ムダ」というものは、良くないものと言われ続けています。確かに文明として考えれば、ムダは無いほうがよい、ということになります。
 しかし、文化の面から考えると、魅力的でムダではないですね。
 思考においても、専門的で論理的な思考は説得力があります。
 しかし、芸術においては、そんな論理はむしろ邪魔と思われます。日本の国宝を見ても、生活必需品はあまり見かけません。
 経済的な視点で見るとそれほどの価値はありません。ただし、精神面・観光面では有効ですね!

週末は自然の豊かな郊外で!

 円安時代が続いています。こうゆう時期は「地産」優先策ですね。そして「輸出」ですね。インターネット時代になっていますので、海外からの受注も昔に比べて容易になっています。
 そして、国内消費は「地産地消」です。輸送費が少なくて済み、輸入も少なくて済みます。
 家庭菜園があれば、食料費の支出も少なくなっていきます。ネットで仕事が出来れば、田舎生活も可能な時代になってきます。
 近所の人達と物々交換も可能になっていきます。人のつながりが増え、子供達もいろいろな大人達と接触ができるようになります。視野が広がります!

日本的な社会では!

 「努力」と「結果」は必ずしも比例しない。しかし、努力した側は、その努力を評価して欲しい、と考える傾向がある。
 西洋的な考えでは、「結果が全て」、この考え方が日本にも普及してきた。
 その結果、自分の担当範囲を狭くし、それを深くしていったほうが、結果を出しやすくなる。
 そのためかスペシャリストを目指す人が多くなっているのでしょうか。
 知識の範囲が狭くなると、目の視野が狭くなるのと同様に、見えなくなっている分野が多くなるが、目と違って、それに気がつきにくくなります!

変化の時代、どのような人が残れるか!

 社会が大きく変化している今、マニュアル、特に市場に関係するマニュアルについては、参考にしつつ、新たな視点で見直す必要があるのでしょう。
 知識や書籍は、たとえ将来についての情報であっても、基本的には過去の視点でつくられたものです。
 常に今を観察し、今の情報から将来を考え、対応することが必要ですね!

穀物は、貧富の格差、そして戦争を生んだ!

 農業で穀物ができるようになり、しかも、農業従事者1人で約2人分の食料を生産できるようになると、穀物の貯蔵ができるようになった。
 そして、その貯蔵をたくさんできる人が出てきた。その結果、富が生まれ、権力を持つ人が出てきた、
 日本は、平安末期頃から念仏宗教が庶民に広まり、庶民は団結することで、権力者に対抗できることを知った。
 800年ほど前に、庶民も力を持つことができるようになった。この歴史が、他国に比べ、日本の平和が比較的永く保つことができた原因なのでしょうか!

社会全体が息苦しくなるのは!

 釈迦、孔子や老子は多くの人に対し、いろいろな立派な教えを説いています。
 そのような立派な人を生み出す国は、無意識に立派な国と思っていました。
 しかし、よく考えてみると、立派な言葉には到底該当しない国だがらこそ、立派な言葉が生まれるのですね。あるいは、立派な国にしようと努力しても、それが定着しない風土だから、立派な言葉が生まれるのでしょうね!

男性よりも女性のほうがカンが鋭い!

 ヒトの脳は、歳とともに神経細胞の数が少なくなるのでしょうか? 他の動物などに比べ脳が大きいため、生物としての余分な部分が、不必要となり、そのためか、細胞の数が少なくなるのでしょうね。
 人生が80年を超えると考えると、年齢を重ねても、いろいろな方面に興味を持ち、左脳だけでなく、感性も磨いて右脳も活用しなければならないですね。多様な脳の使い方に励み、細胞に老廃物を貯めることなく、脳の機能を維持していかなければならないですね!

ダラダラ世界の中で過ごしてきた!

 サラリーマンの仕事ぶりは、むかしからダラダラした働き方、という印象がありました。能率重視の社会では、この働き方は批判的に見られた来ました。
 能率を重視し、短時間で仕事をする方法を見つけ、空いた時間を有効に使う、ということが大前提です。
 空いた時間、有効に使えていますか? ゲームをなどしていては能率アップの意味はありませんね。
 大学生もネット授業を早送りで見て、空いた時間をどのように使っているのでしょうか? 
 ダラダラ仕事でも、何かしら考えつき、何かしらのコミュニケーションをしたりした方が、メリットがあるかも知れないですね。
 能率アップは、新たに生まれた時間を有効に使った、ということが必須条件ですね!

どうして人間は戦争を起こすんだ!

 「どうして人間は戦争を起こすんだろうね?」、それも圧倒的に男性が。
 今日も安倍元首相が銃撃され亡くなりました。犯人は男性。最近の不可解な犯罪も、犯人の多くは男性ですね。どうしてなのでしょうね?
 男性は考え方に幅がなく、1つの方向になりやすいようです。特に100点主義の教育で、いつも答えは一つしかないと思い込んでしまう傾向にあります。でも、答えというものは一つではありません。
 私は、小学校の家庭科で「新鮮な魚の見分け方」を習ったとき、「魚の目やエラを見て見分ける」と習いましたが、住んでいたところでは「魚に触って動くかどうか、タコやイカは吸盤に触って吸い付くかどうか」で新鮮かどうか見分けていました。どうして教科書にヘンなことが書いてあるのだろう? と思いました。
 答えというものに、「曖昧」を許容していれば、社会人になっても、一つの考え方に固執することが少なくなるのではないでしょうか!

「ホンネ」と「タテマエ」を使い分ける日本!

 日本社会では、ホンネとタテマエを使い分けることが要求されます。若者もそのように行動しているようです。しかし、自分を知った上で、ホンネを正確に把握しているのでしょうか?
 自分の要求を、単純にホンネと考えているのでは? と思ってしまいます。「カッコいい」とか、「見栄えが良い」とかは、世間の目を目を意識した行動で、これは自分のホンネではありません。
 ただし、自分のホンネといっても、「欲」「名誉」「権力」などへの欲求は、自分のホンネから除外しての話しです!

遊牧民の社会では少数の指導者がリード!

 遊牧民社会では、少数の指導者が集団をリードする社会という。
 日本では、そんな傾向は感じられないのですが、平安時代までは貴族とインテリが政治を行っていたようですから、日本もむかしは、少数の指導者がリードする社会だったのかも知れないですね。
 平安時代の終わり頃に、法然が庶民を対象に念仏宗教をはじめ、いろいろな宗派が生まれ、庶民が集団としての力を持ち始めました。
 その結果、徴税がうまくゆかなくなり、貴族達が武士に徴税を委託し、武士が力を持ち始め、武家社会が始まったのですが、庶民は集団の力に目覚めたまま、現代まで続いているのでしょう。
 遊牧民社会では、庶民がなかなか集団の力を育てることなく、現代まで来たのでしょうか?

ロシアは軍事予算は毎年二倍増から三倍増にしてきた!

 軍事力というものについて、多くの日本人は考えてきませんでした。しかし、軍事力を強化しようとすると、国民の意識を、特定の方向に向ける必要があります。多様性を制限する必要があります。
 しかし日本の歴史は、仏教と神道を両立させ、また短歌、狂歌、俳句、川柳など、意志を伝えるには解釈の曖昧を許してきた文化の歴史があります。
 日本でも一時期は、無理やり意識を統一した時期もありましたが、その実態は、意志統一されたフリをしていた人達も多くいたのでしょう。
 世界中が「曖昧を許す」風土が定着すると、もう少し平和なときが来るのでしょうか!

その土地の風土を反映した食べ物!

 SDGsが叫ばれる時代、やはり、産業革命以降の時代は、人類にとって厄介なものだったという反省のようです。
 快適さを求め、便利さを求め、そして、うまいものを求め、ついには燃料を地下にまで求めるようになりました。そして、モノが地球上のあちこちに運ばれるようになりました。
 自然の神を大切にしてきた日本でも同様です。一度手に入れた快適さは、手放すことは難しいですね。せめて「地産地消」は心がけたいですね。健康にもいいようですから!

江戸時代、海外と交流していました!

 江戸時代の人口は3千万人程度なのでしょう。このときは国内生産ですべてまかなえた時代。
 また、1980年代の前半、円相場が250円程度の時は、製造業は部品作りを含めほとんど国内生産でした。
 ウクライナの戦乱影響のニュースで物価の値上がりを見ると、国内生産の大事さを改めて考えさせられます。
 SDGsが叫ばれている現在、地産地消をできるだけ拡大し輸送燃料の節約、そして、むかしの八百屋や魚屋さんの売り方……売れ残りになりそうなときは、料理方法や、ときには下ごしらえをし売れ残りが出ないようにする……といった売り方、そういったものが、新たなアイデアを付け加え復活するとよいのですが。
 もちろん、今でも地方の一部にはそのようなものが残っているのでしょうが!

食料の豊かな地域でも農業を受け入れたのか!

 戦争の原点は、種子の食べ方(料理の仕方)を見つけたこと。種子は、生きたまま眠り続けるので、貯蔵ができます。その結果、食べることができる種子は、富になりました。狩猟時代のように、食料が余れば分け合っていた時代から、余れば貯える時代になりました。そして、たくさん食べられる種を貯蔵している人が、力を持つようになったのでしょう。そういった力を持つ人に、分けて貰うチャンスを増やすため、日ごろからご機嫌を伺うようになり、尊敬されるようになったのでしょう。尊敬されると、気分が良くなる物質が分泌されるのか、より多くの種子を貯え、言い寄ってくる人(部下)に分け与え、いい気分になったのでしょう。これも生きるための本能なのでしょうか!

日本の大学の多くはムラ社会!

 有力者を頂点とした序列構造を持ち、古くからの秩序を保った排他的な社会を「ムラ社会」というのですが、この制度はなかなか崩れないようです。
 ネット社会で、もっと横のつながりが広がるかと思っていたのですが、同じような考え方をする人がつながっているようで、組織の枠を越えたという面では広がっている面もあるのでしょうが、思考という面では、広がりが少ないようです。
 もちろん、日本の中でも地域の風土差があるのでしょうが、もっとゆるいつながりが思考の面でも広がると、独裁的な指導者の防止に効果的なのでしょうが!