「元気」という言葉がキーワード(問題解決の手がかりとなる語)になっています。
これきは、「からだの元気」と「心の元気」の二つの意味があります。
心の元気は、前頭葉の働きが元気かどうかにあるようです。
ということは、仕事などで取組の範囲が狭くなり、それを長く続けると習慣化し、前頭葉の働きが少なくなってしまうようです。
ときどき幅広い知識や情報に接し、なにかしらのコメントを考えることで、前頭葉が働くようにしたほうが、認知症の予防になるようです!
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途上国、あそこに行けば、なんとかなるだろう、と大都会に行く!
本当に歴史を動かしているのは、お金、経済なのだ!
考えることを放棄して一人の人間に依存すると!
無断で相手の領域に立ち入らないほうがよい!
終戦8月15日(9月2日)戦争報道で「シベリア抑留」は?
ユダヤ人は3000年以上の歴史をもっている!
昔の税金の「庸」は、技術を持って帰ることでもあった!
“ お寺の普請などに対して、税金、いわゆる「租・庸・調」を払います。「米」を納めるか、体で「働いて」納めるか、あるいは、土地の「産物」を納めるかということですね。
特に寄進された人々は、庸、すなわち労働力として奉仕をしたのですね。
そういう人たちは、労働力となって法隆寺に奉仕をすると同時に、これを自分たちのために役立てます。この経験を、ある程度持って帰りますよね。そうすると、そこで「技術を持って帰る」ことができるのです。”

武器商人と宗教家は、人類の救済のためだという!
現代人はとかくせわしい生活を送りがち!
“ 現代社会は「せわしい生活」が普通になっています。
情報が広く・早く流れるようになると、競争が激しくなり、何かしらの情報を頼り、少しでも優位になろうとします。それがせわしい生活を生み出したのでしょうか。
それと、貯えることが出来ることが広がったことも原因の1つなのでしょうか。
確かに稲作が始まると米を貯えることが出来、戦さの社会になりました。
お金を蓄えることが出来ると、競争が激しくなりました。昔のお金は、金・銀・銅で、少しは制限がありました。それがモンゴル帝国が広めた紙幣制度になり、そして仮想通貨も生まれました。
どんどん貯めることが出来る社会は、「せわしい社会」をどんどん広めてしまうようです。
冷凍や冷蔵はどうなんでしょうね!”
文字文化の伝達方法がそろそろ終駕に!
ボランティアは自分のためでもある!
“ 「人助けは、自分助け」と言われています。
大阪の商人文化には、「儲けた金は、社会に戻す」という風土がありました。松下幸之助さんも、神社やお寺に多く寄付をしたとか。そう言えば浅草の雷門も幸之助さんの寄付ですね。
尾道にも、ダムを造るとき国と県の補助金以外は、商売で成功した1人の商人の寄付だったとか。
その背景には、親の責任は、子供を一人前にするまでで、遺産を子供に残すという考えはあまりなかったようです。
一方明治維新の頃、生糸とお茶が輸出のメインだったのですが、静岡のお茶は、お茶に土を混ぜ儲けようとしたとのことです。お茶の生産者は、もと徳川の武士だったようです。商人文化を知らなかったのでしょう。
なんだか、静岡県のリニア中央新幹線問題がふと頭に浮かんできました。”
離職後は諸見、旅行する……?

“ 定年後の生活は、年代を超えて考える必要があるようです。それは、老後の生活を健康に過ごし、費用のかからない生活が維持できれば、若者達にいろいろな費用負担が軽減でき、自分達や子供達にその恩恵がまわってきます。
子どもや若者が年配者と共に、いろいろな活動が始まると、年配者も元気よく過ごすことが出来、若者の費用負担が少なくなるように工夫したいですね!”
「お金、お金」の歪んだ価値観!
他人と自分を比較する相対的考えを断つ!
今までの学校教育では「記憶力」中心でした。そのためか他の同級生との比較が簡単に行うことが出来ました。
優劣の比較が簡単にできるため、他人の目を気にする人が多くなりました。
最近はNET検索で、簡単に知識・情報を手に入れることが出来るので、変わっていくのでしょうか。
ただ心配なのは、自分が興味を持つ分野でのNET検索をする人が増えると、思考は深くなりますが、視野はどんどん狭くなって行きます。視野が狭くなると、他人を認める範囲も狭くなってしまいます。
それに加え、社会に出てからも専門化した方が収入がよくなり、人からも認められるので、ますます視野が狭くなります。
それが、「良い社会」につながるのでしょうか?
都会に行けば何とかなるだろう!
常に周囲を厳しい目で見て!
必要に「なるかもしれない」ものまで!
社会に出ると完全な縦社会!
社会に出ると、学生時代の横社会から、縦社会に変わります。しかし、この縦社会は、昔の縦社会とは違っています。
現在の縦社会は、下の者が、上のご機嫌を伺う、というスタイルです。しかし、昔の縦社会は、リーダーが、下の者の能力や性格を考え、その人が一番能力を発揮しやすい環境に、置くことを考えていました。
ソ連の捕虜になった、第二次世界大戦の日本兵捕虜の班長ですら、班員の性格や能力を見極め、配置していました。
これは、子供時代に、ガキ大将を中心に、年齢が10歳以上離れた子供達が、一緒に遊んでいので、ガキ大将は、下の子供達の能力を考えながら、安全を確保しながら、みんなでいかに楽しむかを、考えながら遊んでいました。
例えば、ソフトボールで遊ぶとき、中学生がピッチャーで、小学3年生がバッターの時、力一杯投げますが? 手加減して投げることを学んでいました。
しかし、そのような体験がある世代は、昭和15年(1940年)生まれ位まででしょうか!