招き猫発祥の地「豪徳寺(東京)」!

 「縁起」を考える時期が地下図いてきました。有名なのは「招き猫」、でも最近はあまり見ないですね。
 でも、七五三では神社で子ども連れで参拝している家族を見掛けます。子どもに対しては、縁起の催しはまだ残っているようです。
 正月の食べ物は、その多くが冷凍の「おせち」になっているのでしょうか?

二日酔いになるまで飲みすぎる!

 宴会などで困るのは、酒を飲み過ぎて泥酔した人に対する困りごとです。
 組織内で、あるいは日常生活の中で、何かしらのストレスがある人が、酔った勢いで絡んでしまうことです。
 こんな「まとわり」を敬虔すると、あるいは、そんな話しを聞いてしまうと、宴会には参加したくなります。
 軽めの「まとわり」でも、若い人は参加したくないのでしょうね!

だれしも、自己表現欲求のかたまり!

 「自分を認めて貰いたい」は誰でも思っていますね。でも、こっれを主張しすぎると、イヤな人間に見えてしまいます。
 トランプさんを見ていると、自己主張は、人づきあいでは良くないことだと感じますね。
 人の話には、まづ聞くこと、それも反論せずに。自分が受け入れにくい場合は、聞き流すしかないのでしょうね!

学校とは常に教育を受ける場、知識を授かる場!

 不登校の生徒が増えているようですが、今年は少し減少したようです。
 教科書から提供される情報は、NETから得ることも出来るので、学校の存在価値が減ったためという面もあるのでしょうか?
 不登校は、いじめが原因とされるようですが、最初はいじめなのでしょうが、学校に変わる情報取得方法があるため、むかしよりは不登校の損失が少なくなったようですね!

町内会の会合や地域のボランティア活動!

 自治会または町内会とは、地方自治法により、市町村内の一定の区域に住所を有する者の地縁に基づいて形成された団体です。
 区域の住民相互の連絡、環境の整備、集会施設の維持管理等、良好な地域社会の維持及び形成に資する地域的な共同活動を行っています。とあります。
 しかし、加入者は減る傾向にあります。
 昔にはなかった犯罪や災害が多発する現在、「地縁(住む土地に基づく縁故関係)」は必要度が上がってきています。しかし、現実は災害などが起きないと、地域のつながりを築くのは難しくなってきているようですね!

わずかな時間でも、ひとりになる時間が必要!

 一人時間を得るため、結婚や子どもを作らない家庭が増えてきているのでしょうか?
 一人時間は、NETで得る情報がどんどん増えてきているため、自分時間がそれに取られてしまいます。
 むかしは、人からの情報が主体だったので、人と人のつながりが必要でした。そういえば、お寺なども情報提供の場だったのでしょう。
 今はNETからの情報が主体で、本から得る情報も少なくなり、閉店する本屋も増えていますね!

米は、精製されると毒性が強くなる!

 米の値上がりで、米を食べる回数が1日三食から一食になりました。その一食も玄米を食べるようになりました。
 「お米券」が配られると、お米が三食に戻るのでしょうか? おそらく戻らないでしょうね。
 むかし庶民はお米を食べていなかったようです。そのためか、日清戦争で陸軍は兵隊にお米を食べさせることで、兵隊さんを集めたようです(結果として、脚気で亡くなる人が増えましたが)。
 お米をあまり食べない民族もいますし、他の食材より安くならないと、庶民の食卓より消えていく方向になってしまう可能性もありようです!

水というのは塩分の薄い方から濃い方へと移動する!

 地球の温暖化が問題になっています。しかし、温暖化により氷山が融け、海の塩分濃度が薄くなることはそれほど報道されません。
 瀬戸内海では、流入する川の水がキレイになり過ぎ、貝類に影響が出ています。
 海水の塩分濃度の変化も、何かしら生物に影響があるのでしょうね?

ほめ言葉を効果的に使うと!

 さりげなく「ほめる」、日常的に「ほめる」などは、子どもの成長だけでなく、大人でも有効なのです。
 しかし、ほめるには、ほめる側に知識や人を見る目が必要ですね。これがやっかいなので、なかなか人をほめることは難しいですね。
 ただ、「人を非難すること」は誰にでも出来ることですが、「人を褒める」ことは、自分を卑下すると思ってしまうのか難しいですね。
 人を褒めることが出来る人は、立派な人なのでしょうね!

80対20の比率で、ほとんどの事象が説明できる!

 「80対20の比率で、ほとんどの事象が説明できる」と以前から言われています。実際に80対20を確かめたことはないのですが、ほぼそんな漢字はします。
 ただ最近はNET情報が多くなり、情報検索した人に沿った情報に絞られるため、現実が80対20であっても、情報検索すると、98%(?)位は情報検索者の意向に沿った情報になるようです。視野が狭くならないとよいのですが!

「効率」を求められ、「早く、早く」と!

 「効率」を求められ、「早く、早く」とせかされる社会になってしまいました。
 むかしの職人気質はどこにいってしまったのでしょうか。むかしは、「いかに良いものをつくるか」でした。時間より、「良さ」優先していました。
 後世に対しても、「良さ」を追求するあまり、最後の「一部分を未完成状態」にしておく(建物の柱の一本だけ上下を反対にしておくとか、50段の継ぎ目のない石段の1本だけを2本つなぎにしておくなど)といういう職人気質もありました。
 「早く、早く」を求められるためか、ネットなど自分一人の時間を求めるようになったのでしょうか?

大人になるにつれて「否定するチカラ」が強くなる!

 子供時代に五感を鍛え、できれば第六感まで身につくようになると良いですね。
 第六感まで育つと、「何となく危険」などを察知できるようになるのではないでしょうか。
 現代は知識優先の時代になっています。自分が知っている知識、自分が好む知識からでしか納得しません。
 感覚が優先していると、その状況に合った知識を受け入れます。その結果、大きな間違いはしなくなるようです!

千年の木は、柱になってもさらに千年、生きる!

 オーバーツーリズムで、京都や奈良の修学旅行が難しくなってきています。
 日本の古い木造建築を見るチャンスが失われています、しかし、京都や奈良以外にも古い木造建築があるのですが、なかなか集中した場所にはありません。
 鎌倉も神社仏閣は多いのですが、国宝の建物はあまりありません(観光客は増えているのですが)。
 大人になれば、少し離れていても、あちこち尋ねることが出来るのですが!

運転中などに、突然、強引に追い越しをかけられると!

 ドライブ中に、突然、強引に追い越しをかけられると、いい気はしません。
 ときどきバックミラーを見ていると、後ろの運転の仕方がわかります。バイクを乗っている人は、運転の仕方を見分けるのが慣れているようです。また、対応の仕方も分かるようです。
 バイクでドライブ中に疲れると、いつの間にか安全運転の車の後ろについて、のんびりとドライブします。
 そのような体験から、他車の運転の見分けができるようになるのでしょうか?

ダイエットのため、カロリーの摂取が減ると!

 食べるものを減らしても、体重があまり下がらない。また、元に戻すと急に体重が増えてしまう、こんな経験はありませんか?
 食べ物を減らすと、からだが栄養の節約態勢にはいるようです。また、食べるものを元に戻すと、節約態勢に入っているからだですので、栄養のオーバーになってしまうようです。
 ダイエットは、やはり運動しかないのでしょうね!

相手に「意識の矢印」を向けて聴く!

 人の話を聞くとき、聞くだけでなく、つい自分が知っていることを話してしまうことがあります。
 相手に「意識の矢印」を向けるのではなく、自分に矢印を向けているのでしょうか。
 相手の気持ちや知識に「意識の矢印」を向けておきたいですね!

自分の価値観だけで他人を判断するのは?

 情報化社会になればなるほど、個々人の「個性がいろいろあって良い」という思いが必要ですね。
 社会に出、出来るだけ多くの人達と接する場を経験すると、多様な価値観をに接することができます。
 しかし、社会で接する人が少ないと、価値観が狭くなってしまうようです。その結果、一方的な価値観が養成され、その視点で情報発信をしてしまいます。
 情報をネットで受け取る側も、現在ネットの情報提供側も、ユーザーの視点に沿って情報提供になっており、どんどんユーザーの視点を狭くしてしまうようですね!

一つの知識に縛られず、別の選択肢を考える知恵!

 「知識」に縛られると、間違うこともあります。五感で得た情報で判断すると、間違いが少なくなると思います、しかし、学校教育は知識偏重ですから、難しいですね。
 AI情報も同じような答えを出すのでしょうか?
 AIは、その場しのぎには貢献しそうなので、うまく使うと便利なのでしょうね!

自分にしか関心のないエゴイスト!

 他人の利益をまったく考えようとしない人、自分のカラのなかに閉じこもってしまう人、これだと「人を動かす」には大変です。 その対策として、「報酬を与える」という方法が生まれたのでしょうか?
 報酬を一部の人に与えると、争いのもとが生まれてきます。そして、その争いを抑えるため武力が生まれたのでしょうか?
 多くの人達の利益を優先するため、民主主義が生まれたのでしょうか?

「倭冠」は日本人の海賊集団?

 「海賊」という意味は、①襲って財貨を強奪する盗賊、②水軍(水上の軍隊)の異称、と辞書にあります。
 倭寇は襲って財貨を強奪する盗賊のようですね。
 一方、中世の村上水軍などは、普段は水先案内(村上水軍のいた今の「しまなみ海道」あたりは、瀬戸内海の中央で、干満の差が3m以上あり、干潮や満潮の時間帯を除くと、潮の流れが速く、海底の岩が船底に当たるか、また、どこが本州なのか島なのか、分からないので、水先案内が必要でした。
 ただ、戦になると傭兵として利益を得る集団でした。いわゆる比叡山などの僧兵と同じような立場だったのでしょう!