少年殺人事件は、戦後の前半期には見られなかった!

 昨今の少年犯罪は、「貧困」が原因なのでしょうか?
 太平洋戦争後の貧困の時代、いまほど凶悪な事件はそれほどなかったように思います。
 食べることにそれほど困らないような人が、「自分は貧乏だ」と思い込むのが“貧困妄想”、妄想は説得によってもその考えを変えられないものです。
 金銭面に対する執着は、妄想の場合は変えることができないですね!

病気の原因は多因子、一つの方法だけで治すことは不可能!

 病気になるとお医者さんに行きます。しかし、お医者さんは専門で区分されているので、ときには病気の症状と合わないこともあります。
 そのため、昨今の情報化時代は自分である程度調べてから、どのお医者さんに行くか決めなければいけません。
 ただNETで調べると、病気の情報にプラスして、医療機関に対する情報も見てしまうようです。
 医者にかからないよう、日頃から健康生活をしなければいけませんね!

自分の「ビジネスマンとしての商品価値」

 退社を支援するサービスが始まっています。
 このサービスは、自分の能力に自信があれば、おそらくこのサービスは利用しなくても済むでしょう。
 しかし、どうも会社と合わない、といった程度で悩んでいると、このサービスを使わないと退職しにくいのでしょうか?
 このサービス、AIはどのように支援を始めているのでしょうか?

日本列島に琉球がプラスされたのは1441年(室町時代)!

 国境問題は、基本的には経済的利益なのですが、権力闘争に於ける見栄(ミエ)中心の場合もあるようです。
 陸続きだけでなく、海上交通の発展とともに、海に囲まれた島であっても国境問題は起きています。
 北方領土(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)は、1855年(安政2年)、日本(江戸幕府)とロシア(ロシア帝国)に日露和親条約を結び、択捉島と得撫島の間を国境線としました。
 しかし、太平洋戦争後はソ連(ロシア)が実効支配をし続けています。
 ロシアという国には、国境という概念がそれほどは無いようですね!

つねに「なぜ」「どうして」「どうやって」と自問自答する!

 後向きで無い「考えごと」、続けていきたいものですね。それも「無意識な考えごと」。
 「後向きな考えごと」はストレスにつながってしまいますが、「無意識(前向き)な考えごと」は、脳の栄養分を消費し、脳に溜まった不要物の排泄も充分行い、脳を健康に保つことには貢献するのではないでしょうか!

相手の目を意識して、過剰に気を使ってしまいまう!

 以前から、上司という立場になったら、気を使う必要が出てきます。しかし、昨今は、この気づかいが拡大化し、管理職になることを嫌い、転職を考える人も出ているのでしょうね。
 子供に時代に「ガキ大将」のしくみがなくなり、縦社会の基本を学ぶことなく大人になっています。
 その大人が、上司という立場になると、部下も「ガキ大将」のしくみを学んでいないので、大変ですね!

ストレスがたまると、甘いものを食べてしまう!

 甘いものは1週間に1度、決めてしまいましょう、と。
 甘いものには、ついつい手が出てしまうものです。それも、あまり疲れていないときでも。
 豊かな時代になると、ケーキやお菓子が贅沢品ではなくなります。
 また、情報が飛び交い、ストレス社会にもなっています。
 その結果、肥満気味の人が増えてしまいました。医療技術が進んだとはいえ、健康に暮らしたいですね!

「市場に接点を持つ流通」が力を持っているという過渡期!

 備蓄米の放出がありましたが、これは米の流通ルート上で行われました。ということは、「高値で仕入れた米を、先に売りたい」という心理が働きます。
 その結果、備蓄米はなかなか流通ルートに流れません。
 米以外の流通ルートに流せば、米の値段はすぐに下がったのでしょう。
 全国にたくさんあるコンビニの流通ルートに乗せれば、直ぐに米の値段は下がったことでしょうね。
 残念!

相手の目を意識して、過剰に気を使ってしまいまう!

 以前から、上司という立場になったら、気を使う必要が出てきます。しかし、昨今は、この気づかいが拡大化し、管理職になることを嫌い、転職を考える人も出ているのでしょうね。
 子供に時代に「ガキ大将」のしくみがなくなり、縦社会の基本を学ぶことなく大人になっています。
 その大人が、上司という立場になると、部下も「ガキ大将」のしくみを学んでいないので、大変ですね!

友人が多い人というのは、愛情乞食タイプの人!

 友人が多いと、ひとりでいると辛い者になってしまいがち。
 愛情に飢えがちなタイプは、いじめに遭うと苦しいもの。
 一匹狼でいることができる人は、いじめには強いのでしょう。
 親が、子供を大事にしすぎ、甘やかしすぎると、子供にとってプラスになるとは言い切れないのでしょうね。
 「いいかげん(良い加減)」は難しいですね!

桃太郎は、イヌ(信頼)・サル(知恵)・キジ(情報)を連れて鬼退治に!

 桃太郎の伝説、吉備の国(第四十一代持統天皇の時、吉備の国は備前・微衷・備後・美作:主に現在の岡山県と広島県東部)の伝説です。
 意外と知られていないのが、「鬼を殺したりしません。悪いことは悪いときちんと教えるけれど、反省したら許しています」。
 日本の文化の基本に、このような考え方が根づいていたのですね!

「きっかけ」という言葉、「切りかける」タイミングの意味だった!

 何かを成し遂げるには、何かしらの「きっかけ」があるようです。これは、後になって気がつくものです。
 “なにかしら”を続けているうちに、何時の間にか、何かを成し遂げている、しかし、それほど成し遂げたという実感はないかもしれません。
 なにかを「やってやろう」という意気込みで、成し遂げる人は僅かのようです(スポーツを除き)

老いるとは懐古的境地になることだ!

 「もったいない」という気持、自分の生きていることを大切と思いはじめることから生れると思うと、自分の時間や健康を大切にするようになるのでしょうね。
 そうすると、他人を大切にする気持ちが強くなっていくのでしょうか。
 自分の時間を大切にし、自分の経験や知識が、人のためになるようにしないと「もったいない」ですね!

朝からくたびれているのは、それだけで罪!

 朝から元気でいたいですね。朝日を見ることができるうちに住んでいると、幸運に恵まれるような気がします。
 私が育った家では、朝日が見えず、夕日をよく見ていました。
 太陽が沈んでいくと、1日が終わり、その日の出来事も終わってしまうような気がしました。あまり悪い出来事がなかったためなのでしょうか?

河童の原型は太古から、明確なイメージが誕生したのは近世!

 カッパは想像上の生き物ですが、太古の時代からいたようです。
 水は人間にとって(作物にとって)非常に大事なもの、しかし、災いも起こします。この災いがカッパを生んだのでしょうか?
 日本、とくに関西から西はそれほど大きな川が少なく、まだよかったのでしょうが、東日本は大きな川があり、大災害も多かったのでしょうね。
 でも、中国ほどの大河はなかったので、竜までは生まれませんでしたね!

お年寄りになっても心身ともに活動的!

 野菜を多く食べているのは日本人。果物を多く食べているのはヨーロッパ人だそうです。
 ヨーロッパでは果物はそのまま盛られた売っています。日本は丁寧に扱われ売られています。そのためかヨーロッパでは果物の価格が安い。
 気候風土もヨーロッパは果物作りに適しているようです。
 やはり気候風土が食生活に影響しているのですね。
 この食生活が、健康寿命にどのように影響しているのでしょうか?
 野菜の食べ過ぎは、健康寿命に影響するのでしょうか、少なくとも早死には防げるように思うのですが!

一日のメインの食事は夕食だ?

 測定できるデータが増え、食べ物と健康について情報が増えてきました。
 そのためか、日本では夕食がメインでしたが、少しずつ変わってきた傾向も見えます。
 これは働く女性が増えてきたことも関連しているのでしょうが、それ以上に、長寿化し老後も健康に過ごしたい、と考える人が増えてきたためなのでしょう。
 もう一度、食べることに重点を置いてきた「漢方」について、視線を向けることが大事になってきているのでしょう!

騎馬遊牧民が最初にあらわれたのは、紀元前1000年頃!

 移動しながら食料を入手していく、という生活スタイルと、一定の場所に定着し生活するスタイルとでは、戦にどのような違いが生まれたのでしょうか?
 いわゆる遊牧民と農耕民の生活スタイルの違いなのですが。
 戦いの武器については遊牧民が圧倒的に有利ですが、戦いを続けるための補給体制では、農耕民続報が有利と思われます。
 人類の長い歴史を見ると、どちらも生き残っているので、同等なのでしょうね!

「やり方が悪いのかもしれないから工夫してみよう」と!

 「工夫できる」性格は、どのようにして身につくのでしょうか?
 知識教育では、既存の情報をもとに工夫するということになります。AIはこれをサポートすることになるのでしょう。
 しかし、工夫には既存の情報に基づかないものもあります。
 これは「感覚」から見つかるものなのでしょうか?
 職人達の仕事は、やはり感覚を重視しなければ成り立ちません。
 AIは、この感覚(測定器がなく、測定情報がないもの)は、反映できそうにないですね!

近代国家がかくも悪くなったのは、集団と競争のせい?

 生命体としての人間は、「みんな対等」となぜ思えないのでしょうか?
 最近「差別」という言葉をよく耳にします。なぜ「違い」という言葉が使えないのでしょうか?
 「差別」という言葉には、上下関係を感じます。「違い」という言葉では上下関係をあまり感じません。
 ただ、言葉で受ける印象は地域によって異なることもあるので、一概には言えませんが。
 自然の中で生活していると、「違い」には気がつくのですが、「差別」は感じません。しかし、野菜や果物を商品として出荷できるかどうかは、「差別」があるようですね!