遊牧民社会では、少数の指導者が集団をリードする社会という。
日本では、そんな傾向は感じられないのですが、平安時代までは貴族とインテリが政治を行っていたようですから、日本もむかしは、少数の指導者がリードする社会だったのかも知れないですね。
平安時代の終わり頃に、法然が庶民を対象に念仏宗教をはじめ、いろいろな宗派が生まれ、庶民が集団としての力を持ち始めました。
その結果、徴税がうまくゆかなくなり、貴族達が武士に徴税を委託し、武士が力を持ち始め、武家社会が始まったのですが、庶民は集団の力に目覚めたまま、現代まで続いているのでしょう。
遊牧民社会では、庶民がなかなか集団の力を育てることなく、現代まで来たのでしょうか?
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日本に稲作が伝来する以前はサトイモ重要な食料!
人間のもつ「108の煩悩」とは!
日本では、宗教についてもある意味「曖昧」が許容されています。多くの人は、あるときは神社へ、あるときはお寺に行きます。観光の時は、神社も、お寺も見て回ります。
この曖昧さが、思い込みの思想にとらわれることなく、たとえば、太平洋戦争後の世の中の変化が出来たのでしょう。
大乗仏教は、僧侶にならなくても涅槃の世界に行くことが出来ます。僧侶にならなくても良いのです。これも小乗仏教から見れば「曖昧」と見えることでしょう。
平安末期から始まった、お経を唱えれば極楽に行ける、という方法で、庶民の結団力が生まれ、それから庶民の力を評価する政治体制も、徐々に発達してきました。
一神教のように、宗教で人民を支配するのではなく、庶民を見据えながら政治を行う状況が、発展したり、衰退したりしながら、進歩してきたのでしょう!
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地獄も極楽も、あの世にいって出会うもの!
日本の大学進学率は43位!
ロシアは軍事予算は毎年二倍増から三倍増にしてきた!

軍事力というものについて、多くの日本人は考えてきませんでした。しかし、軍事力を強化しようとすると、国民の意識を、特定の方向に向ける必要があります。多様性を制限する必要があります。
しかし日本の歴史は、仏教と神道を両立させ、また短歌、狂歌、俳句、川柳など、意志を伝えるには解釈の曖昧を許してきた文化の歴史があります。
日本でも一時期は、無理やり意識を統一した時期もありましたが、その実態は、意志統一されたフリをしていた人達も多くいたのでしょう。
世界中が「曖昧を許す」風土が定着すると、もう少し平和なときが来るのでしょうか!
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「貧すれば鈍する」ということわざ!
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体は毎日毎日生まれ変わっている!
江戸時代、海外と交流していました!
江戸時代の人口は3千万人程度なのでしょう。このときは国内生産ですべてまかなえた時代。
また、1980年代の前半、円相場が250円程度の時は、製造業は部品作りを含めほとんど国内生産でした。
ウクライナの戦乱影響のニュースで物価の値上がりを見ると、国内生産の大事さを改めて考えさせられます。
SDGsが叫ばれている現在、地産地消をできるだけ拡大し輸送燃料の節約、そして、むかしの八百屋や魚屋さんの売り方……売れ残りになりそうなときは、料理方法や、ときには下ごしらえをし売れ残りが出ないようにする……といった売り方、そういったものが、新たなアイデアを付け加え復活するとよいのですが。
もちろん、今でも地方の一部にはそのようなものが残っているのでしょうが!
大成功してしまったが、後が怖いなア!
江戸の身近な菓子は饅頭だった!江戸の身近な菓子は饅頭だった!
地に足の着かない生活!
一定の形を保って生きていると、そのパターンで売り込みやお願いをされると、ついついOKしやすいようです。この形の多くは、教育でなどつくられるのでしょう。また、宗教などでもつくられるのでしょう。
歴史だけでなく現在でも、国民を従えるために、教育や宗教を利用し、情報統制をして支配しています。
歴史で残されている文献などのほとんどは、勝者側の視点で書かれており、歴史学者は文献を分析し、教育に利用しています。
お寺や神社などが造られた経緯も、立派なことをした、という視点で書かれています。でも、自分が非常な残酷なことをしたきたので、その罪を許してもらうために造営したとは、書かれていません。
小説も、残酷なことをした人でも、英雄扱いで書かれています。そうしないと売れないからでしょう。
ということは、一般的な人は、残酷なことは見たくないし、早く忘れたいのでしょうね。感動できる部分だけ見たいようにパターン化されているのでしょうか?