遊牧民の社会では少数の指導者がリード!

 遊牧民社会では、少数の指導者が集団をリードする社会という。
 日本では、そんな傾向は感じられないのですが、平安時代までは貴族とインテリが政治を行っていたようですから、日本もむかしは、少数の指導者がリードする社会だったのかも知れないですね。
 平安時代の終わり頃に、法然が庶民を対象に念仏宗教をはじめ、いろいろな宗派が生まれ、庶民が集団としての力を持ち始めました。
 その結果、徴税がうまくゆかなくなり、貴族達が武士に徴税を委託し、武士が力を持ち始め、武家社会が始まったのですが、庶民は集団の力に目覚めたまま、現代まで続いているのでしょう。
 遊牧民社会では、庶民がなかなか集団の力を育てることなく、現代まで来たのでしょうか?

日本に稲作が伝来する以前はサトイモ重要な食料!

 日本では、稲作が始まる前まではクリ、クルミ、サトイモなどがデンプン源でした。米に比べれば、保存期間や収穫量にかなり差があります。
 そのためか、食べられるうちに、分け与える習慣が出来たのでしょうか?
 米や麦のように、収穫量が多く、長く貯えることができるようになると、人々は争うようになり、それも集団で争うようになったのですね。
 食べ物を分け与える習慣があると、少しは争いか少なくなるのでしょうね!

人間のもつ「108の煩悩」とは!

 日本では、宗教についてもある意味「曖昧」が許容されています。多くの人は、あるときは神社へ、あるときはお寺に行きます。観光の時は、神社も、お寺も見て回ります。
 この曖昧さが、思い込みの思想にとらわれることなく、たとえば、太平洋戦争後の世の中の変化が出来たのでしょう。
 大乗仏教は、僧侶にならなくても涅槃の世界に行くことが出来ます。僧侶にならなくても良いのです。これも小乗仏教から見れば「曖昧」と見えることでしょう。
 平安末期から始まった、お経を唱えれば極楽に行ける、という方法で、庶民の結団力が生まれ、それから庶民の力を評価する政治体制も、徐々に発達してきました。
 一神教のように、宗教で人民を支配するのではなく、庶民を見据えながら政治を行う状況が、発展したり、衰退したりしながら、進歩してきたのでしょう!

苦痛と喜びとを自分の味方につけるか!

 能力には、お金につながるものと、そうでないものがあります。また、その時の社会の状態によっても、違っていきます。
 そうであるならば、その時の社会の状態によって、周りに合わせて行かざるをえません。
 いま、社会が変化しているとき、むかしの成功体験や思い込みにとらわれていると、なかなか良い人生にはなっていかない可能性が高くなっているのでしょう。
 周りの状況をよく観察し、ひととのつながりを大切にし、ものの考え方を素直して暮らしていくことなのでしょうか!

一度悪い先入観をもつと!

 一度先入観を持つと、すべてその先入観を前提にものを考えてしまう。現代のように、色々な地域の人達や、多彩な情報が溢れる世の中、思い込みは弊害を生みやすい。
 やはり、現状を洩れなく把握し、事実だけに基づいて、考える方法を身につける必要がある時代になっているのでしょう。
 記憶に頼ることは、思い込みに頼ることにもなってしまいます。いつもピュアな心で、物事に接するように努力しないといけないのでしょう。難しいことですが!

地獄も極楽も、あの世にいって出会うもの!

 「不満」というものを持ち出すと、解決方法への思考が鈍くなってきます。一種の思考停止状態になるのでしょうか?
 「不安」もそうですが、それから脱出するには、「自分に希望を持つ」しかないのでしょう。ただし、それが行き過ぎると、また別の問題が出てくるのでしょうが。
 生活面では、むかし瀬戸内でよく言われていた「半農半漁」のように、複数の生活を支える仕事があると、不満や不安がすくなくなるのでしょうね。
 テレワークが定着する時代になれば、複数の生活を支える方法が見つけやすくなるのでしょうね!

日本の大学進学率は43位!

 今までの入試問題の多くは、記憶能力の試験が中心でした。世の中の変化が少ないときは、それで良いのかも知らないのですが、変化が激しい時代は、過去の知識をベースにした考え方では、変化に対応しきれません。
 現状をしっかり把握した上で、いろいろな知識・情報を各種組み合わせ、その時代の社会に適したアイデアを見つけ出さなければなりません。
 単に教科書を記憶することだけでなく、多彩な知識・情報を組み合わせる思考方法を身につける必要があるのでしょう。それができる学生には、100点を満点にせず、103点・105点をつけても良いのでしょう。私の経験では、半世紀前には、一人だけですが、そんな先生もおられました!

ロシアは軍事予算は毎年二倍増から三倍増にしてきた!

 軍事力というものについて、多くの日本人は考えてきませんでした。しかし、軍事力を強化しようとすると、国民の意識を、特定の方向に向ける必要があります。多様性を制限する必要があります。
 しかし日本の歴史は、仏教と神道を両立させ、また短歌、狂歌、俳句、川柳など、意志を伝えるには解釈の曖昧を許してきた文化の歴史があります。
 日本でも一時期は、無理やり意識を統一した時期もありましたが、その実態は、意志統一されたフリをしていた人達も多くいたのでしょう。
 世界中が「曖昧を許す」風土が定着すると、もう少し平和なときが来るのでしょうか!

リタイア後の田舎生活のメリット!

 物価が高騰してきています。食費も高騰してきています。生活維持の対策として、家庭菜園にも目を向けたいものです。でも、食費をある程度カバーしようとすると、未経験では大変です。しかし、新しいことにチャレンジすることは、たとえ失敗しても、その経験は役に立つものです。いや、役に立つものにしていきたいものです!

欲に振り回されない!

 「欲に振り回されないこと」。密教ではその欲を「六大煩悩」として、定義しています。貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)・慢(まん)・疑(ぎ)・悪見(あっけん)なのですが、自分の、この「六つの煩悩を受け入れた上で、どうするか」なのでしょう。
 そのためには「教養(広い文化的な知識をもとにして、自分で考えること)」が必要なのでしょう。
 専門知識や思い込みは、狭い知識になりやすく、また、その狭い範囲の知識が深くなると、その状態を満足し、教養なある考え方ができなくなってくるようです。
 ロシアのリーダーに関する報道を見ていると、この人も思い込みが激しいと思ってしまいます!

スポーツビジョンという要素!

 年を重ねると、いろいろな目の力が落ちてきます。やはり筋肉と同じように鍛えることが必要なのでしょう。
 また、自分の思い込みの蓄積から、いつの間にか、見たいものしか見なくなっています、きっと脳は楽をしたがっているのでしょう。
 「視点を変える」といいますが、確かに違った見方ができれば、新しいものが見えてきます。その新しい刺激で、サボりたがりやの脳を働かせましょう。認知症予防のためにも!

「貧すれば鈍する」ということわざ!

 「貧すれば鈍する」、貧乏すると世俗的な苦労が多いので,才知がにぶったり,品性が下落したりする、という意味なのですが、その通りです。
 少しでも心に余力ができるとすれば、家庭菜園をすることです。戦後の食糧不足の時、それまでの庭が、畑に化けて、少しは心に余力ができていたのでしょう。
 田舎暮らしができる人は、野菜などを少しでも自作することで、心に余力も少しはできてきます。
 大災害や戦争など(そのような時代は来て欲しくはないのですが)の心構えは、必要な時代になりつつあるのでしょうか?

仕事の受けとめ方は千差万別!

 楽観的に考えることができるか、悲観的に考えてしまうか、その考え方で、その時の人生を決めてしまうのでしょう。
 楽観的に考えることができれば、いろいろと前向きに考え、努力することができます。たとえ失敗しても、なにかしらの財産になります。
 悲観的に考えてしまうと、心の重荷が増えていき、なかなかその重荷を下ろすことができなくなり、ときにはカウンセラーの力を借りて、重荷を下ろすことになってしまいます。
 その時の状況を、冷静に・ありのままに、「そうなのか」と、状況把握をするところで済ませ、良否は判断しないこと。悲観的にならずに、何かしらの対策案を考えることにつながるのでしょう!

その土地の風土を反映した食べ物!

 SDGsが叫ばれる時代、やはり、産業革命以降の時代は、人類にとって厄介なものだったという反省のようです。
 快適さを求め、便利さを求め、そして、うまいものを求め、ついには燃料を地下にまで求めるようになりました。そして、モノが地球上のあちこちに運ばれるようになりました。
 自然の神を大切にしてきた日本でも同様です。一度手に入れた快適さは、手放すことは難しいですね。せめて「地産地消」は心がけたいですね。健康にもいいようですから!

心は庭と同じ、雑草がはびこらないように!

 自由を求め、社会のいろいろな規制から解放されることを望むのですが、規制がなくなると、自己管理がされているかどうか、周囲から評価されるようになります。
 地域風土によって異なるのですが、かなり厳しいテストを無意識にしている地域もあります。
 むかしから港町のように、多くの人々が出入りしていた地域はそれほど厳しくないようですが、閉鎖的な農村地帯では、厳しい所もあるようです。
 自由とは、その引換えに、社会からテストを受けることになることを、肝に銘じておくことも大事ですね!

体は毎日毎日生まれ変わっている!

 免疫は食事や生活スタイルで、差が出てくるのですが、エアコンなどを使った生活は、免疫に対してプラスなのか、マイナスなのか、どうなのでしょうか?
 太陽光も関係しているのでしょう。ウクライナのように、生まれて間もない時期に、2ヶ月も地下にいると心配ですね。
 生物としてのヒトは、文明国よりアフリカのほうが進化している可能性があると、いう人も出てきています。地球環境が激変し、今までの生活スタイルが保てなくなった時、生き残るヒトはいるのでしょうか? どこのヒトなのでしょうか?

江戸時代、海外と交流していました!

 江戸時代の人口は3千万人程度なのでしょう。このときは国内生産ですべてまかなえた時代。
 また、1980年代の前半、円相場が250円程度の時は、製造業は部品作りを含めほとんど国内生産でした。
 ウクライナの戦乱影響のニュースで物価の値上がりを見ると、国内生産の大事さを改めて考えさせられます。
 SDGsが叫ばれている現在、地産地消をできるだけ拡大し輸送燃料の節約、そして、むかしの八百屋や魚屋さんの売り方……売れ残りになりそうなときは、料理方法や、ときには下ごしらえをし売れ残りが出ないようにする……といった売り方、そういったものが、新たなアイデアを付け加え復活するとよいのですが。
 もちろん、今でも地方の一部にはそのようなものが残っているのでしょうが!

大成功してしまったが、後が怖いなア!

 日本の武将のお墓が高野山に数多くあります。生前の行為に対する罪滅ぼしなのでしょうか?

 鎌倉もそうですが、武将がお寺を多く建立しています。これらもある意味、悪いことをしたということに対するお詫び、また、自分が地獄に行くことを避けたいためなのでしょうか?

 よく言われることですが、「悪いことをしていると自覚しながら、悪いことをするのはまだ良い」、最悪は「良いことをしていると思って、悪いことをする人」と言われています。

 プーチンさんは、「良いことをしている」と思っているのでしょうね!

江戸の身近な菓子は饅頭だった!江戸の身近な菓子は饅頭だった!

 饅頭には面白い話しがあるのです。諸葛孔明が、荒れ狂う川を鎮めるため、人の生け贄がいるとの話を聞き、人の代わりに、大きな人の頭に似た饅頭をつくり、川の神にささげたという話など。
 いまでは温泉饅頭のように、おみやげの饅頭が多いのですが、食べ物にお話がプラスされると食べる楽しみが増えますね。
 「きびだんご」にプラスされた「桃太郎の伝説」のようになると、長い間、商品としても価値を保つことができます。
 もっともっと増えていくといいですね!

地に足の着かない生活!

 一定の形を保って生きていると、そのパターンで売り込みやお願いをされると、ついついOKしやすいようです。この形の多くは、教育でなどつくられるのでしょう。また、宗教などでもつくられるのでしょう。
 歴史だけでなく現在でも、国民を従えるために、教育や宗教を利用し、情報統制をして支配しています。
 歴史で残されている文献などのほとんどは、勝者側の視点で書かれており、歴史学者は文献を分析し、教育に利用しています。
 お寺や神社などが造られた経緯も、立派なことをした、という視点で書かれています。でも、自分が非常な残酷なことをしたきたので、その罪を許してもらうために造営したとは、書かれていません。
 小説も、残酷なことをした人でも、英雄扱いで書かれています。そうしないと売れないからでしょう。
 ということは、一般的な人は、残酷なことは見たくないし、早く忘れたいのでしょうね。感動できる部分だけ見たいようにパターン化されているのでしょうか?