「もっと、もっと」と!

 なぜ、自分より下の人や子供に、「もっとガンバレ」と言ってしまうのでしょうか?
 取り組み方を、具体的に「こう考えれば……」と方向を示す言葉が必要なのでしょうね。
 知識教育が進んだ結果、自分でいろいろな情報を五感で収集し、それをもとに対応策を考える人が少なくなってしまいました。むかしのように「やって見せて、見て盗め」が成立しにくくなっています。
 知識は、基本的には過去のもの、そして、何かしらの資料、あるいは測定が出来るもので成り立っています。
 最近、研究者の方のラジオ番組を文字化しました。それと、その研究者の方の本を読んでみると、ラジオの方が参考になりました。
 本は、既に確定したものを修飾した表現になっています。しかし、ラジオでは「……かもしれないですね」という情報も含まれています。多少曖昧でも、それで良いのでは、と思います!

悪いのはわかっているけれども!

 「自分が悪い」と気づきながら、「悪いのは自分ではない」フリをしてしまうと、それを正当化しようとしなければならなくなります。そして、ますます状況が悪くなっていきます。
 ロシアのプーチンさんもそうなのでしょうか。
 このような資質は、子供時代の親子関係が元にあるのでしょうか?
 子供時代、できれば自然の中で自由に暮らすと、大人になっても自由なこころが育つのでしょうか。
 もしそうなら、地方での8サラ・2農(8割はサラリーマン・2割は農業)生活で、自由な心を持つ人がどんどん増えていくと良いですね!

殺伐たる世の中で「曖昧さ」が平和を!

 日本は「平和ボケしている」と思う人は多いのではないのでしょうか。その背景に、「曖昧さ」や「好い加減」を許容する社会があるのでは、と思います。
 一神教の社会のように、ハッキリと一貫した主張しか許さない社会では、その主張に反する社会との戦いに備えなくてはなりません。そのため、危機意識は当然にして高くなるものと思われます!

まず傾聴することに専念すること!

 「自分の思い」を周りの人たちに話すことができるか、また、聞くことが出来るか。
 話すことも、聞くことも、案外難しいことですね。日本では、自分より、社会とのつながりを重視します。そのためか、自分のホンネをあまり話しません。
 それが原因なのでしょうか、匿名でも可能なSNSでは、平気で人を批判することが起きていますね。
 ホンネを話すこと、そのホンネにこだわること、そのホンネを共有する人達としか付き合わない人、外国には多いようですね!

最大の富はわずかな富に満足すること!

 「満足」とは「十分満ち足りていること」なのですが、お金にこだわる人々の多くは、「足りていること」では満足できません。
 「権力(他人を支配し従わせる力、強制力)」や「名誉(すぐれていると認められて得た尊厳、体面、面目)」でも、同じく満ち足りていることでは、満足できないのでしょう。
 日本では、独裁者は織田信長ぐらいなのですが、ヨーロッパでは独裁者は絶えないようですね!

自然にいろいろなものに目を配る!

 自然にいろいろなものに目が行くようになると、気づきが多くなります。
 例えば、ホームページだ町を紹介する写真を撮っていると、カメラを持たないで歩いているとき、あるいは、クルマを運転しているときなどでも、自然に周りに目が行きます。
 また、いろいろな歩き方をテストしていると、足の使い方だけでなく、腰の動き方や上半身の動きなどにも目が行きます。高速道路のパーキングエリアの人達の歩き方、坂が多いところに住んでいる人達の歩き方など。
 それに加え、サッカーでボールを蹴るとき、テニスや卓球でラケットでボールを打つとき、これらは足と腰と手と、肩が右側(あるいは左側)が同一方向に動いています。むかしの「ナンバ歩き」のようなからだの使い方のようです。
 興味の範囲を広げ、自然に、いろいろなものに目が行くようにしておきたいものです!

しっかりとした夢を持つ!

 夢を持つことは大事なこと。でも、今を大切にすることは、もっと大切ですね。将来の夢ばかりに気持ちが行ってしまうと、今がきつくなることもありますね。
 先ずは、今を大切にしていれば、いつか夢にたどり着けます。周りの人に夢を話し、聞くことで、今を充実しながら、将来の夢にたどり着きましょう!

因幡(いなば)の白ウサギの話!

 「因幡の白兎」に登場するウサギは、嘘がバレると「酷い目に遭う」と。イソップ物語の「カメとウサギ」では「気を抜くと負けてしまう」となっています。
 欧米では、ウソであろうと本当であろうと「最後まで自分の主張を貫け」ということのようです。
 日本では、嘘をつくと社会から除外されてしまうので、「ウソはつくな」ということになっています。
 日本社会の方が、ウソに対してきびしいようですね。
 ネット社会では、簡単にウソ情報が流れてしまうので、注意が必要ですね!
 

アゴが少し上を向き、鼻まで突き出す人は!

 自惚れ(実際以上に、自分をすぐれていると思って得意になる)ると、煙たがられます(その人がいるために,窮屈(気詰まり)になる)。
 しかし、自惚れている人は、相手がどう思っているかなど、気づきません。
 来年は「うさぎ年」です。
 イソップ物語「ウサギとカメ」の、ウサギにならないように気をつけましょう! 自惚れ(実際以上に、自分をすぐれていると思って得意になる)ると、煙たがられます(その人がいるために,窮屈(気詰まり)になる)。
 しかし、自惚れている人は、相手がどう思っているかなど、気づきません。
 来年は「うさぎ年」です。
 イソップ物語「ウサギとカメ」の、ウサギにならないように気をつけましょう!

あきらめは心の養生!

 諦めは「手の施しようがない」ということですが、中には、手の施しようがあるにもかかわらず、諦めることもあります。その大半は、面倒だから。
 これでは自分の能力の向上にはつながりません。普段から困ったときには、手伝ってもらえる人、気分転換をしてくれる人を、つくっておくことも大事ですね。
 核家族化し、都会にすむ人が多くなった今、人とのつながりが、重要な課題になっていますね!

聴衆は、話の内容の持つ重要度は7%!

 自分の言いたいことは、相手に30%くらいしか伝わっていない、と考えた方が良く、また、相手が、自分の得意分野を持ち、主張をはっきり持っているときは、それに関係する話は、ほとんど伝わらないと考えた方が良いようです。
 相手が、聞く力があるようですと、かなり伝わるのでしょうが、そんな場面はそれほどはないようです。
 どの程度相手に伝わったかは、その場の雰囲気でつかむしかないのでしょうね!

意思疎通がうまくいかない原因!

 一応コミュニケーションが出来たと思ったとき、相手に伝わったものは30%くらいとのこと。
 言葉というものは、その程度の機能しかないことを、自覚しておかないといけませんね。
 自分の思いを伝えるにはどうしたらよいのか、相手の心にどのように伝えるか、難しいですね。
 ところで、「こころはどこに」あるのでしょうか?
 こころは、言葉ではなかなか伝わらないもの、と感じていませんか。
 お腹が空けばイライラ、おいしいものを食べると気持ちよく、温泉に入れば気持ちが楽に、危険な状況に出くわせば心臓がパクパク、これらはみんなこころで感じていませんか。
 コミュニケーションも、自分が体験したものを伝える場合は、相手も分かった気になってくれますね!

行動を通じて知識のネタを集める!

 話しのネタは、体験からか、書籍からか、マスコミからか。
 これは出来るだけ、自分の体験をもとにしたネタにしたいものです。
 それが難しいようでしたら、ラジオでのインタビュー形式のネタがいいようです。本よりも、新鮮なネタを手に入れることが出来ます。
 本の場合は、まだ確定していない情報は避け、論理付けされた範囲に絞ったり、3割程度話しを盛ってしまったりする傾向があるようです。
 インタビュー番組を文字化してみると、本にはない新鮮さを感じます。
 自分の体験をもとにした話題に困ったら、ラジオのインタビュー番組を参考にしてみたらどうでしょうか!

感動で「泣く」場合は癒やし!

 「血の涙を流す」は普通だったのですね。涙はもともと血液なのだそうです。赤血球が涙腺を通ることが出来ないため、赤くないとのこと。なんとなくむかしの人は感じていたのでしょうか?
 昨今は、感動で泣くことはストレスの解消になる、といわれています。また、脳の老化を防いでくれる、とも言われています。
 しかし、美術館や劇場は、地域によって、在る所と無い所に極端な違いがありますね。いま済んでいる神奈川県の中央部には、美術館が1つもありません。
 しかし、私の故郷の尾道では。4つの美術館にプラス小さな美術館や、お寺のふすま絵など数多くあります。その土地の風土の違いでも、ストレスに違いが起きてしまうのでしょうか?

初対面の人に会ったとき!

 初対面の人と会うとき、できるだけ聞くこと。また、その場の雰囲気に注意すること。ときには、言葉で表現されることと、本当の気持ちが異なっていることもあります。
 これは、ネット上でのコミュニケーションの経験では身につきません。それが原因なのでしょうか、犯罪の被害者になってしまうことも起きています。
 できるだけ、幼児期から25歳頃まで、多くの人と直接に接して、言葉だけでなく、雰囲気から気持ちをつかむ技術を、身につける必要があります!

その場の雰囲気が読めない!

 マスク生活が続いています。子供達の発達に影響があるのでしょう。
 現在でも、都会で核家族で育った子供達、周りの雰囲気を読む力が弱いようです。いわゆる「場が読めない」のです。
 いまは、核家族に加え、ゲーム機が加わり、ネット社会になっています。そしてマスク社会。
 コトバ中心の社会で、しかも、生身の人達となかなか接触できない、接触できたとしても、ほんのわずかの人達、これでは、場を読む力は育ちにくいですね! マスク生活が続いています。子供達の発達に影響があるのでしょう。
 現在でも、都会で核家族で育った子供達、周りの雰囲気を読む力が弱いようです。いわゆる「場が読めない」のです。
 いまは、核家族に加え、ゲーム機が加わり、ネット社会になっています。そしてマスク社会。
 コトバ中心の社会で、しかも、生身の人達となかなか接触できない、接触できたとしても、ほんのわずかの人達、これでは、場を読む力は育ちにくいですね!

ゴリラと仲良くなりたいなら!

 霊長類とヒトの遺伝子はほとんど同じですね。霊長類であるゴリラやチンパンジーの限界年齢は、40年から50年、ヒトは100年くらいですね。
 また、その子育ては、それぞれ違うようです。チンパンジーは、母親一人で子供を育てるそうです。しかし、一人の子供を7年かけて育てます。その間は妊娠できないそうです。
 ヒトは2年もすれば妊娠できます。ということは、母親一人で子育ては出来ない、ということです。両親と共に、おじいちゃん、おばあちゃん、兄弟、それに、近所の人達、社会のみんなで子供を育てることで、生き残ってきたようです。
 現在の日本は、人類初の試みである核家族での生活が定着しています。ヒトとしての生き残り作戦としてはどうなのでしょうか?

適量なら「酒は百薬の長」

 「お酒は百薬の長」、これはあくまで、薬の感覚で適量飲んでのこと。むかし、むかしは、お酒は薬でしかなく、酔っ払うことなど頭になかったのでしょう(一部の特権階級の人を除き)。
 それが、安易に手に入るようになると、酔っ払うことが目的になって、しかも、酔っ払ってルールを犯しても、ある程度は許される、と思ってしまう人が出てきましたね。今でも!

部屋に花や観葉植物がありますか?

 植物は我々が思っている以上にいろいろな機能があるようです。植物は、人類より圧倒的に長く生存しており、多様な種類があり、生存して行くという面では、我々より圧倒的な優位性があるのでしょう。
 生き残りのため、様々な生物(昆虫や鳥類、動物など)を利用する手段も持っています。
 また、最近では、植物は情報伝達の手段を持っているといわれております。山火事などの後には、植物の種が一斉に芽を出し始めることも、何かしらの情報があるのでは、と言われています。
 また、害虫が来たときにも、周りに情報を発信しているようです!

相手があるから、自分もある!

 日本人は歴史好きですね。災害(自然災害や疫病災害など)が多く、歴史に学ぶ必然があったのでしょう。
 しかし、現在は歴史に学ぶと言うより、外国に学ぶというスタイルになっています。そのためか、人々のつながりが薄くなり、自然から学ぶことも少なくなってしまいました。
 温暖化が問題となり、少しずつ自然への関心が出てきたようでが、むかしは、自然の中に神様が宿ると考え、自然を大切にしてきました。
 また、核家族化が進み、昔のことを孫に引き継ぐことが難しくなっています。
 子育ても核家族では難しいようです。母親一人で子育てをするには、チンパンジーは7年かけています。それまでは次の子供を産めないとのこと。
 昔の日本の子育ては、両親と共に、おじいちゃん、おばあちゃん、近所の人達、みんなで育てることが、生物としての生き残り作戦だったようです。それが、日本人が歴史好きになり、また、生き残りの作戦になったようです!