五十代からは、肩に力を入れない生活が大事!

 人生が自信を持った50代の人、自分の専門知識に自信をもっているので、他の知識をなかなか受け入れることができなくなってきています。
 自分の経験は、地球上で考えれば数十億人の一人でしかありません。
 ということは、自分の経験だけを主張していたのでは、他の人からは受け入れないことのある、という自覚が必要です。
 このためか、NET上での批判が起きてしまいます。NET批判が簡単にできるためですが、そうなった社会に適応していくしかないのでしょうね!

悪い感情に囚われると、どんどんつらくなってしまう!

 最近は「批判」という言葉が、「悪口」と同じ意味に使われています。しかし、批判という言葉の意味は、広辞苑では、①物事の真偽や善悪を批評し判定すること。②人物・行為・判断・学説・作品などの価値・能力・正当性・妥当性などを評価すること。否定的内容のものをいう場合が多い。とされています。
 「批判」は、辞書の意味通りに解釈できれば、「改善」につながります。
 日本経済が力を失ってきているのは、批判を悪口と解釈し、改善につながらなくなったからでしょうか?

料理人にとっては、出したら、すぐ食べてもらいたい!

 料理に手の掛かったお店では、料理が徐々に出ています。
 料理が出てきたら直ぐ食べていたのですが、これがルールとはあまり知りませんでした。
 また、食材を無駄なく使う、この工夫も大事だそうです、そういえば、この前バナナの皮をフライにしていたのを初めて知りました。
 少し話が違いますが、葉野菜は、むかしは一枚一枚洗っていました。虫が潜んでいることがあったからですが、農薬が普及したためか綺麗な葉っぱだけになりました。
 でも見方を変えれば、虫も食べない葉野菜を人間は食べている、ということになりますね!

中途半端な知識では人間を知ることはできない!

 人間を知る努力もせずに、中途半端な知識をふりかざして、大統領が選ばれる時代になったのでしょうか?
 時代と言うより、風土と言った方が良いのでしょうか?
 背景に「お金」が関係しているのでしょうが、お金は貯めるものではなく、「うまく使う」ことに注意を向けているか、なのでしょうが、この「うまく使う」をどのようにとらえるかが問題ですね!

人の観察力UPで、人の力を借りることが増える!

 打算(損得を考えること)ばかりしていると、考えが浅くなってしまいます。
 批判を悪口ととらえてしまうと、改善に結びつきません。
 とにかく「少しでもよくなれ」と、一生懸命取り組んでいると、いつしか出来る人間に近付いていくようです。
 商売も、損得ばかり考えていると、一時は良いのでしょうが、長続きは難しいのでしょうね。広い意味での損得を考えないといけないのでしょうね!

膝は全身の体重を支えているから摩耗が進みが早い!

 膝の痛みはいつか起こってくるのでしょうか?
 いま都会では高層マンションが増えています。エレベーターが稼働していればよいのですが、停電などで止まってしまうと大変です。
 30m、50m、そして60m以上になってしまうと、登り降りできるのでしょうか?
 海に近い坂の町の海抜45m付近で育った身でも、景色が見えない階段の上り下りは、おそらく無理だと思います。
 ただ、非常時に備えて膝は大事にしておきたいと思います。
 ところで、足の筋肉を使わないで、膝をブラブラさせるのは膝に良いのでしょうか、よいと聞いたことがあるのですが!

江戸時代の吉原、いろいろな文化を生み出した!

 江戸時代の吉原は、江戸の文化を創り出していたのでそうね。
 テレビなどで見ると、花魁が高下駄を履いて町を練り歩いている画面を見ます。
 現在は、一般の人では歩き方を学ぶことはほとんどありません。乗り物が普及したためでしょうか。
 いまでも歩く姿を注意深く見ていると、車が使えない坂の上に子供時代から暮らしている人は、足を前に出す筋肉の使い方が違っているようです。腰などの動き方が少し違っています!

歳を取っても、無理せず、あせらずできる生活改善法!

 人生100年時代、歳を取っても「楽しみ=生きがい」があると、毎日元気でいることが出来るようです。
 昔は、仏教で智慧と慈悲を基本とした教えを学んでいて、それを若い人達に教えるなどして、生きがいを感じていたのでしょうか?
 慈悲とは、すべての人々に深い愛情をもち、安楽を与えるという意味の「慈」と、悩める人の苦しみを取り除いて、思いやることを意味する「悲」のことだそうです。
 こんな教えを学んだ人は、老後も元気に、社会に貢献できたのでしょうね!

人々は損になるような人とはつき合わない!

 いつの世でも、何かしらの「得」が人間関係をつくっていたようです。
 金銭関係の得だけでなく、知識・智慧などによる得、助けを受ける得などいろいろ得はありますが、得を受ける側はもちろん、得を与える側も精神的な満足感による得を受けます。
 義理・人情も得の一つなのでしょう!

江戸時代の商売は、ある意味苛酷だった!

 江戸時代の身分制度の「士農工商」は、近年は教科書から消えました。
 武士が支配階級であった事は正しいのでしょうが、「百姓・町人等」は、それぞれが対等の関係であり、農工商の間に上下関係は無かったようです。
 また、豪商たちがいた商人の町では、豪商達が町役人をしていた町もあったようです。
 支配であるの藩や武士達も、商人から献金を受け、お金を借りていたので、それほど支配をしていたようではないようですね!

紅茶は、酸化酵素の働きで発酵させた「発酵茶」!

 紅茶はイギリスのイメージがあります。
 イギリスがインドを支配しているとき、インドの暑さでも育つチャを発見し、それがイギリスで普及した。
 紅茶や日本茶にはカテキンが含まれており、殺菌作用があります。そのため、お茶や紅茶でうがいをすると、風邪予防に効果があります。

「のどが渇いたな」からの水分補給では遅すぎる!

 乾燥が続きやすい冬、どの程度の水分をからだに補給したら良いのか?
 多すぎても、少なすぎても、当然からだに良くないのでしょうが、自分の趣くままに飲むしかないのでしょうね。
 ただし、これは健康な人だけですね。やはり量を計り、飲む時間を気にしながら、水分補給をしていくしかないのでしょうね。特に冬場は!

がんばりすぎてつらくなってしまう人、日本には多い!

 日本は災害の多いところです。そのためか、「頑張る」ことをすすめる風土が定着しています。
 その岩洞として、頑張りすぎる人が多いようです。
 その息抜きとして、自然の景色で心を落ち着け、浮世絵や短歌や俳句を楽しむ文化が生まれたのでしょうか。
 自然災害は、昔も今も変わりません。むしろ、気候変動で新たな災害も発生するかも知れません。
 一息つきながら、頑張れるといいですね!

自分の個人的な経験を重視すると!

 専門家、スペシャリスト、権力者が年齢を重ねてくると、柔軟な思考ができなくなる人がいるようです。
 部下や専門外の人達、知らない異分野の人達と、何気ない話ができていれば、柔軟な思考を保つことができるのでしょうか。
 やはり、どんな分野にでも好奇心を持つように、努力はして行かないといけないようです。
 NET社会になり、情報の入手は楽になりましたが、AIが進むと、逆に絞り込まれた情報になってしまいますね!

変わった新しい自分で新天地を開くこと!

 現状をありのままに見ていますか?
 どうしても過去の蓄積から見てしまいますね。
 自分の知識も、やはり過去のものです。これらに影響されずに現状を見ることは、かなり難しいことです。
 経験や知識は、ついつい「今のもの」と思ってしまいますが、1日前だとしても過去ですね。
 現状を、ありのままに見ることは、とても難しいことと思っていること、これが現状把握の基本なのでしょうか?
 やはり、現状をありのままに見るには、過去は過去に置いてくるしかないのでしょうね!

自分の自由になるお金を、何に使ったのか!

 「お年玉」、最近は学校でお金に関する授業もあるようです。
 お金の楽しみも大事ですが、何かしら、感動につながると良いですね。
 現金の使用が少なくなってきていますが、お年玉で、現金の感覚を覚えなければならない時代がくるのでしょうね。
 しかし、いろいろなお店で現金が使いにくくなってきているので、お年玉もどのようにしていけば、と考えてしまいますね!

大晦日に蕎麦を食べるようになった由来!

 日本の伝統的な行事は大切にしたいですね。
 欧米の文化が浸透したため、つい、昔からの行事を忘れてしまいます。日本の行事は、何かしらの災害時でも「つながり」を維持し、災害時に助け合う風土づくりに貢献していると思います。
 「ボランティア」という言葉が使われていなかった時も、日本には助け合う風土が根づいていました。その助け合う気持ちを維持し続けるため、いろいろな行事が生まれたようです。
 行事は、神様や仏さまとのつながりが強いのも、そのためではないのでしょうか!

心理の底に溜まった感情の捌け口が必要!

 何かしらの悩みはありますね。それが、その程度あたまをよぎっているか、よぎっている時間が続くと、かなりつらくなりますね。
 気分転換が必要なのは分かっていても、そう簡単にはできないですね。
 風呂の水を流すように、一気に簡単に流すことができると良いのですが!

クリスマス、ふと考えてみるきっかけに!

 日本では行事が少なくなりつつありますが、いろいろな行事があると、それぞれの行事の成り立ちや目的を、ふと考えてみるきっかけになります。
 災害が多かった日本、行事がたくさんありました。
 それも、地域それぞれ風土が違うため、各地に個性のあるいろいろな行事が生まれたようです。
 それらの行事は、災害に遭った人々が、立ち直るきっかけにもなったようです。
 50年前のお年寄りの子供時代の記憶には、生活に根づいた行事は、たくさん残っていたようです。歴史を大切にする日本、残念ですね!

叱るときは、一つに的をしぼることが大切!

 しかるとき、その場でのことだけにすること、だそうです。ついつい、記憶に残っていることも並べ立てて、しかっていませんか?
 「しかる」は「育てる」こと。これに徹することが大切なようです。
 そのためには、叱る側が冷静であること、これが前提条件ですね。
 あと、しかる環境や叱る人の表情も大切ですね。そのためか「顔色をうかがう」という言葉があるのでしょうか!