「肉より魚」が推奨されるようです。でも、海にはマイクロプラスチック浮遊しており、海洋生物のからだにはそれが含まれているとか、とも言われております。
まだ研究が進み始めたばかりで、よく分かってはいませんが、何かしら人体に悪い影響があるようです。
つい最近、脳にもマイクロプラスチックが溜まるとか、と言われ始めています。
ただマイクロプラスチックの影響だけでなく、海洋生物の人体に対する影響を、総合的に考えなくてはいけませんね!
2月 2025のアーカイブ
尾道 咸臨丸へ便乗、帰国後英語塾をした「正授院」
1394年の開基で、もとは禅宗であったが、1596~1614年純誉によって浄土宗に改宗された。
本尊は阿弥陀如来。1698~1703年の頃、中興諦誉良頓が発願し常念仏を始めた。
江戸増上寺法王祐天上人がこのことを賞し、五代将軍綱吉やその母桂昌院にも上申して、家康、秀忠、家光、家綱の歴代将軍とその御台所の尊碑、仏像並びに葵紋付香爐などを下賜された。
この寺の了般は累進して増上寺四十二世の法主となり大僧正に昇爵した。
鐘楼の南には常念仏一万日ごとに一基、合わせた五基の石柱が並び立ち五万日常念仏成就の功を物語っている。
このお寺さんの鐘楼のそばを奥の方に入っていくと、ちょっと意外な場所を発見します。
見過ごしてしまいそうなところを発見するとわくわくします。
脚気、ビタミンB1不足が原因とわかったのは1897年!
鎌倉 光明寺草創以前よりこの地に「蓮乗院」
この寺院の創立年代や開山については、はっきりわかりませんが、光明寺より早い時期からこの地にあった寺で、蓮乗寺(れんじょうじ)といってはじめ真言宗(しんごんしゅう)だったということです。その後、光明寺が佐助ヶ谷(さすけがやつ)から移されてきてから、光明寺の子院となり、浄主宗(じょうどしゅう)の蓮乗院と改めたといわれてします。
1243年(寛元元年)に光明寺が良忠によって創建されたといわれますが、寺院の落成まで良忠は蓮乗院に居住して、建築を監督(かんとく)したということです。こうしたことから、光明寺の新しい住職となると、まず蓮乗院に入ってから改めて光明寺の本山方丈(ほうじょう)に入る慣わしになりました。
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より
“自信”をなくす原因は、“過去の失敗体験”!
鎌倉 安産の神様とされる産女霊神を祀る「大巧寺」
あまり歩かず脳に伝わる刺激が乏しいと、脳は活発に動かない!

「歩く」ことが最近話題になっています。舗装された道を歩くのと、山道や川原などの未舗装の道を歩くのと、舗装道路を歩くのでは、脳に対する刺激に違いがあるのでしょうか?
むかし、大きな川には「渡し」があったのでしょうが、小さな川には無かったので、歩いて渡っていたのでしょう。
最近、川幅が10mほどの川を、棒(竿)を持って川底をさぐりながら渡っている人を初めて見かけました。むかしの人もこのようにしていたのでしょうか?
修験者が持っていた金剛杖を思い出しました。これも川を渡るときに使用していたのでしょうね。鈴がついていると熊除けにもなりますね!
厚木 おひな様が飾られている「古民家 岸邸」
厚木市古民家岸邸として開館されています。古民家岸邸は、郷土に残された貴重な文化遺産として、皆さんに公開しながら長く保存をしていきます、と。
古民家は、当時の生活を色濃く伝えるものです。生活のスタイルが大きく変化してきた現代では、ますます注目されてきています。随所で見られる、職人が手をかけて作った凝った意匠も一遍ではなく、建築当時の時代の先端的な様式を併せ持ち、家を作った職人の技と、家を守ってきた人々の営みを感じてみてはいかかでしょうか。
明治時代になってこのあたりで養蚕業を始められた岸家。絹の輸出で立派な建物を建てることが出来ました。このあたりは桑の木がたくさんあったそうです。今ではまったくありませんが。
朝、白湯を飲むだけでもよいのですが、工夫も必要でしょうね!
尾道 「完璧は災いの元」と石工の祈り「御袖天満宮」
日本の気象は外国と比べて、変化が急で複雑!
鎌倉 関東大震災で倒潰、40年後再建「円覚寺 仏殿」
「時間がないから」「忙しいから」やりたいことが出来ない!
福山 鞆 足利尊氏が九州から東上の途中宿陣、軍義した「小松寺」
あまり歩かず脳に伝わる刺激が乏しいと、脳は活発に動かない!
座間 伊勢鈴鹿郷の神輿が流れ着いた「鈴鹿明神社」

欽明天皇(539年即位)の御代に創祀せられたという。
伝説によると、伊勢の鈴鹿郷の神社例祭に神輿が海上を渡御した折、にわかの暴風に襲われ、漂流して相模国入海の東峯に漂着した。里人が社を創立してこれを鎮守とし、鈴鹿大明神と崇め奉ったと伝えられている。
欽明天皇二十八年(567)に、国中が天候不順で五穀が実らず人々が困窮していた。欽明天皇がト部伊吉若日子に天災の原因を占わせると、賀茂の神々の祟りだと分かった。そこで賀茂県主家が四月吉日を選んで馬に鈴をかけ、人は猪頭をつけて駆競をすると天候は回復して五穀は実り、人々も平穏を取り戻したという。このときから、水を司る竜神として、恵みの雨を降らし、また水害をもたらす雷神が注目されました。
雷神は人びとを恐怖のどん底に突き落とす崇り神の象徴となったのですが、逆に、雷が落ちなければ豊作は望めないという信仰がありました。
最近、科学的にも雷は稲の実りを良くすると言われています。
プライベートに深入りするな!

テレビ番組で、ウソについての実験。3歳~6歳位までの子供に対し、ウソをつくかどうか実験した。すると年齢が上がると、ウソをつく確率が上がっていた。
また、「目はウソをつかない」と思っている人が多いが、これも事実と異なっているそうで、平気で相手を真っ直ぐ見ながら、ウソをついていることもかなりあるとのこと。
どうも人間は社会で生きていくために、ウソをつく習性を当然としているようです。
言っている本人も、ウソと自覚しないままウソをついているようです。
鎌倉 腰越 比企高家の屋敷跡に「本龍寺」
どう生きていくかを、自分の心で考えて!
尾道 四十八夜念仏修行ののち入水往生「信行寺」
1596~1614年に住職称住がこの草庵で四十八夜念仏修行をしたとき、その満願の暁方、阿弥陀如来の来迎に逢い、結集と共に入水往生したが、その時結集の中の一人は現世に残ってこの庵を相続せよというので、行欣が残ることになり、1603年現在地の下の山陽線路上の辺に移った。
「浄土宗」は、誰でも悟りに至ることができる教えで、自分の力だけでは無理でも、阿弥陀仏の力を借り、阿弥陀仏が私たちのために用意いただいた極楽で修行するなら、私たちでも悟れるであろう、という教えです。
では、その阿弥陀仏とはどのような仏かと申しますと、私たちのような修行に堪え得ない普通の者を救おうとして修行を積まれ、仏となられた方です。
多くの仏の中で、特に阿弥陀仏に依るのは、まさに阿弥陀仏が私たちのような凡夫を救おうとされているからといえます。阿弥陀仏は、どこにいる人にも届く救いの光明を常に発し続けておられます、と。