地球は「温暖化」から「沸騰化」なったと、国連から発表されました。この時思い出すのが、地球の歴史は「敗者たちが新しい時代を築いてきた」でした。
この歴史的な事実は、たとえホモサピエンスでも否定は出来ないのでしょうね。
あとは、ホモサピエンスの時代を少しだけ長くする努力なのでしょうか?
でもまだ、少なからずの人達が未開発の地で生活しておられます。この人達は、ホモサピエンスの進化形で生き残っていくのでしょうか?
7月 2023のアーカイブ
鎌倉 捨身護法・法華色読の霊地「収玄寺」
1271年 日蓮聖人の龍口法難の際、日蓮と共に殉死の覚悟を決した第二代執権義時の孫、江間光時の家臣の四条金吾の屋敷跡に金吾の滅後、捨身護法・法華色読の霊地として建立。
創立当初は収玄庵と称したが大正末期の本堂改築を機に収玄寺と改称した。
日蓮は、説法で「法華経こそ、仏の真の教えである」ということで、他の宗派を激しく批判したので、反発も強く、他宗を信じる民衆からは石や瓦を投げつけられてしまう。それでも、日蓮はひるむことなく布教活動を続け、確実に信者を増やしていった人。
行動をすればするほど個性的になる!
情報があふれている現在、自分が行動して、五感で感じ、直接情報を得る。この過程で、「自分」という個性がつくられていくのでしょう。
Netで、他人が提供する情報をもとに、自分の思考を造っていると、そのような人が多いため、似たように思考する人が多くなり、個性というものがなくなっていきます。
個性を求めない社会になると、強健な指導者にとっては、統治しやすい社会になるのでしょうね!
福山 鞆 一直線に結ばれた寺町にある「慈徳院」
慶長年間、芸備両国の大守の福島正則によって、鞆の浦の寺々はほぼ一直線に結ばれ、寺町が形成されました。その寺町筋に位置するお寺のひとつが、この慈徳院です。
福島正則が大檀越(だいだんおつ/「檀越」とは、仏教を後援する人のことをいいます。仏僧に帰依し、衣・食・住に関してのお布施をしたり、お寺の経営を支えたりします)となり、ご本尊・聖観世音菩薩像を寄進。そして、高僧・松雪得松禅師が開基したと伝えられています。その後、中興の祖・月湛(げったん)亮和尚がご本堂を再建し―。現在でも、境内に美しい緑をたたえながら、鞆の浦の町に静かに佇んでいます。
日本は複雑な人種を混入させながら1つに!
日本には7世紀ごろまで、渡来する人達を受け入れており、その人達と協力し「日本人」というものをつくってきました。
「日本は単一民族国家である」は、政治的に同化政策が必要なときに、発信されたようです。
「曖昧な風土」が許容される日本、7世紀頃までは渡来人が多くいたようです。その人達を含め、協力して、日本文化を、そして、日本人を育ててきました。
移民しても、自国だけの文化しか許容しない民族もいれば、移民先に馴染もうとする民族もいます。
食糧事情が許されるのであれば、外国の人達を多く受け入れることも必要ですね!
尾道 江戸時代から続く花火大会「住吉神社」
毎年旧暦の6月28日前後(2023年は7月29日19:30から)の土曜日、平山奉行の功績を称えると同時に、商売の繁盛と海上交通の安全を願ってをおのみち住吉花火まつりが行われます。
尾道住吉花火まつりは、正式名称を「住吉神社大祭礼」といい神事です。花火当日に「山型(やまがた)」「鳥居(とりい)」「御弊(ごへい)」の提灯船3隻に加え、「火船(ひぶね)」 「御座船(ござぶね」が渡御(とぎょう)…尾道水道を行ったり来たり…しております。
花火は夏のビッグ・イベント!
都市部の祭は夏ですね。農作地帯は秋の終わり頃のようです。でも、最近の御祭は、お客さんの中には、自己管理があまりできなくて、安全対策に多くの費用がかかるようです。
将来も御祭を継続して行くには、どこかで、事故の責任の多くは、お客が責任を持つことにしないと、御祭を続けていけないのでしょうね。
庶民の文化は、継続していかないと、ロシアのような風土になりかねないですからね!
江の島 たびたび裏山が崖崩れ「延命寺」
「此処は何なのかしら・・・・?」
たびたびの崖崩れした墓地。墓石も遺骨も誰のものか判らなくなり、それらを祀るためる石窟を造り、納骨堂にしました。
閻魔大王が鎮座している石窟の奥が納骨堂になっています。
閻魔大王を筆頭とする十王の信仰は、鎌倉時代に流行した信仰で、死後に人は天国か地獄に行くと信じられていました。天国か地獄かの裁きを司るのが、十王で、裁きは七日ごとに七回行われるので、四十九日目には天国か地獄かが決定します。
人生の本当の姿にふれる!
経営コンサルタントのように、「建て前」中心でやっていると、普及し始めた「生成AI」に仕事を奪われてしまいます。また、歳をとって仕事を辞めたとき、自分の考え方が狭くなっており、その後の人生も狭くなってしまいます。
これからは、いかに感性を磨き、それを生かしていくかが、問われてきます。自然に学び、歴史に(主流ではない歴史も)学び、ホンネで付き合える人を見つけ、多様な生き方を見つけることが重要になるのでしょうか!
鎌倉 この世の花ではない紫陽花「明月院」
明月院のもともとは、北条時頼が建てた「最明寺」という自邸内の持仏堂がはじまりのようです。時頼の死後は荒廃し、子の時宗がそれを再興し、禅興寺としました。
この禅興寺の盛時に塔頭として明月院が建立されました。
本寺の禅興寺は江戸時代に衰退し、明治初年に廃寺とされ、明月院だけが残りました。
明月院にアジサイが植えられるようになったのは戦後。それまではなんの変哲もないお寺でした。垣根代わりに住職がアジサイを植え始め、次々と株を増やしてあじさい寺と呼ばれるようになりました。質素なお寺だった明月院かアジサイのおかげで有名になりました。
感じる人工知能のほうが!
生成AIが広まろうとしています。その原点は、情報をカード化するところから始まり、コンピュータで、SQLなどのデータベースソフトが定着し、大量のデータを蓄積できるようになり、それに、編集ソフトが開発され、それらをもとに、AIが作業を行うようになりました。
しかしまだ、人間の感性は、それぞれの人に合うようには、まだAI化はされていないようです。
ただ、人々の自然との接触が少なくなり、学校や社会が、文字や画像などの情報への接触が中心になった今、人々の感性も、AI化されないとは、言い切れないのでしょうね!
尾道 太宰府に左遷さる道真が寄った「御袖天満宮」
菅原道真公着衣の袖をご神体とする神社で、大林宣彦監督の映画「転校生」で主人公が石段を転げ落ちるシーンのロケ地としても有名。またテレビアニメ「かみちゅ!」で境内モデルとなった神社。
雷が鳴ったとき、「くわばら、くわばら」と唱えませんか?
死後に雷神となった菅原道真は、復習のために各地に雷を落としたという伝説があります。
しかし、自分の領地桑原には落雷がなかったところから、「私はあなたの故郷の桑原に住んでいる者ですよ。雷を落とさないでください。」という願いを込めて「くわばら、くわばら」と唱えるようになった、ということです。
生きることに心を注ぐ!
異常な高温が続いています。でも、異常とは言えないような、通常になってしまうのでしょうか。18世紀の半ばに始まった産業革命。250年もエネルギーを使っていると、もう元には戻れないのでしょうね。あとは、温暖化の進行を遅らせるだけですね。
その一端として、里山暮らしの促進も1つの方法。
都心と、そうでないところで、同じ品物でも、都心の方が高くなる商品が出てきました。そのような方法が常態化すると、田舎暮らしの人も増えるかもしれないですね!
厚木 カッパが雨乞いをした「白山神社」
白山神社は、飯山観音背後の白山(標高284m)の山頂付近の尾根道がある。むかしの道は、平野の道は雑草で視界がわるく、手入れも大変だったので、大きな街道を除き、尾根に道をつくることが多かったのでしょう。崩れても手入れが簡単で、視界が得られやすく、道に迷うことも少ないため、尾根を歩くようになったのでしょう。
社殿の前には、池(白山池)があって、古くから雨乞いの霊地とされてきた。
飯山観音(長谷寺)を開いたとされる行基は、この山を登り、霊水が湧き出している池を発見し、加賀国白山妙理大権現を勧請したと伝えられている。
そして、クスノキで彫られた十一面観音が祀られたという。この十一面観音が現在の飯山観音(長谷寺)の本尊といわれている。
育つ環境・教養の度合いによる差!
孤立した人が増えているのでしょうか?
多様性が受け入れられない社会になっています。
現在は、1つの正解を求める社会になっています。そのためか、生成AIというものも出来てきました。論理的な思考をする過程で、答えを一つにしようと、情報を整理していきます。その方向から外れた情報は、除外されていきます。
それは、人に対しても、同じように行われているようです。
しかし、答えはいくつもあって良いのです。特に日本では「好い加減」が通用していたのですから。
専門家は、生成AIに置き換わっていくのでしょう。いまから「好い加減」に多様な答えを許容していかないと、答えは1つ、としてきた専門家は、苦しい社会になっていくのかも知れませんね!
鎌倉 足利尊氏が蟄居していた「浄光明寺」
境内を奥に進むと、石段の上に頼朝の建てた永福寺(ようふくじ)から移されたと言い伝えられる本堂があります。中には、阿弥陀(あみだ)・釈迦(しゃか).弥勒(みろく)の過去・現在・未来を表す三世仏が安置されています。本堂の横にある収蔵庫には、本尊の阿弥陀三尊像(あみださんそんぞう)(国重文)と地蔵菩薩像(じぞうぼさつぞう)が安置されています。阿弥陀如来像は、鎌倉時代末期の宋(現在の中国)の影響を受けた彫刻で、像の高さが141cmもあり大きく立派なことと、粘土を貼り付けた土絞(どもん)という模様(もよう)があることでで知られています。
熱中症には3通りがあります!
昨今は、秋に行われていた運動会が、春の終わり頃になりました。しかし、温暖化のため初夏、あるいは、夏といった状態で行うことになってしまいました。
そのため、熱中症の生徒さんが出るようになりました。
運動会が、秋から春になったのは、受験ということが関係していると思うのですが、命と受験とどちらが大切なのか? 生徒さんが選択できないのでかわいそうです。
温暖化とともに、エアコン利用環境のため、生物的に見ると、先進国の人は、環境の変化への対応能力が弱っていること、もっと考える必要があるのかも知れないですね!
尾道 2020年3月に閉館された「文学記念室 」
閉館されました。閉館前は、庭付きの木造平屋建、桟瓦葺で数寄屋造りの建物で、東棟・西棟・茶室からなり、いくつかの部屋では当初から茶会ができるように設計されていました。
1912年~1928年かけて増改築され現在の形となっていした。
福井家の希望により、1998年に市が建物並びに庭園を整備し、文学記念室として公開。 2004年9月10日、旧福井家住宅(尾道市文学記念室)主屋・茶室・土蔵として、国の登録有形文化財に登録されました。
しかし、2020年3月に閉館になりました。
なんでもほめる、なんでもほめる!
ネット社会になると、人に会っても「ほめる」ことが難しくなるのでしょうね。多くの人に合わないと、人それぞれの良いところを見つけにくくなります。
まして、子供時代から、近所の大人達と話しもしないで育ってくると、様々な人を見分けることも苦手になるのでしょうね!
福山 鞆 十六羅漢像が安置されている「正法寺」
創建から400年が経った現在においては、枯山水の中に数々のお地蔵様が佇み、境内のお堂には鞆町の多くの信者から寄進いただいた十六羅漢像、そして堂内鬼門には毘沙門天を安置し、鞆の町において心の癒やし場として親しまれております。
釈迦からこの世にとどまり仏法を護るように命じられた十六羅漢
1.賓度羅跋羅堕闇尊者(びんどらばらだじゃそんじゃ)
2.迦諾迦伐蹉尊者(かなかばっさそんじゃ)
3.迦諾迦跋産堕閣尊者(かなかばりだじゃそんじゃ)
4.蘇頻陀尊者(そひんだそんじゃ)
5.諾矩羅尊者(なくらそんじゃ)
6.跋陀羅尊者(ばだらそんじゃ)
7.迦哩迦尊者(かりかそんじゃ)
8.伐闍羅弗多羅尊者(ばしゃらほったらそんじゃ)
9.戎博迦尊者(じゅはくかそんじゃ)
10.半諾迦尊者(はんたかそんじゃ)
11.羅怡羅尊者(らごらそんじゃ)
12.那伽犀那尊者(なかさいなそんじゃ)
13.因掲陀尊者(いんかだそんじゃ)
14.伐那婆斯尊者(ばなばしそんじゃ)
15.阿氏多尊者(あしたそんじゃ)
16.注荼半託迦尊者(ちゅうだはんたかそんじゃ)
羅漢とは、悟りを開いた修行者という意味です。