「弁才天・辯才天」
奈良時代に日本に入ってきてからは、川の流れの音からの連想で音楽の神、美音天(びおんてん)、妙音天(みょうおんてん)、また大弁才功徳天(だいべんざいくどくてん)などと呼ばれた。
最初は知恵、名声、解脱(げだつ)を求める者に功徳ありとされた。やがて鎌倉時代になると、在来の水(海)の神である宗像三女神の一人市杵島比売命と習合し、純日本的な神様へとイメージチェンジした。
6月 2019のアーカイブ
相手の地雷を踏む言葉!
「ほめ言葉」は大事ですね。その時の状況、タイミングなど注意が必要です。でも、ネット社会でメールなどを多用していると、「ほめ言葉」のノウハウをどのようにして習得するのでしょうか? 習得していないから、ちょっとしたことで、トラブルになるのでしょうか!
厚木 社殿の前の白山池に棲む白龍「白山神社」
白山神社は、飯山観音背後の白山(標高284メートル)の山頂付近の尾根道ある。
社殿の前には、池(白山池)があって、古くから雨乞いの霊地とされてきた。
飯山観音(長谷寺)を開いたとされる行基は、この山を登り、霊水が湧き出している池を発見し、加賀国白山妙理大権現を勧請したと伝えられている。
そして、クスノキで彫られた十一面観音が祀られたという。
この十一面観音が現在の飯山観音(長谷寺)の本尊といわれている。
明治初年頃に火災に遭い、龍蔵神社に合祀されていたが、昭和55年に現在の社が再建されている。
自信がない!
「自信」とは、本来は何なんだろう。むかし、狩の場面を想像してみると、その場面、場面で、「あれは獲物だ」、「捕ることができるか」など、事前に考えると言うより、「その瞬間で判断する」ということだったのでしょう。それが、より成功の確率を上げるために、現実の場面に出会う前に、いろいろと予測し、考えるようになり、「自信がある」とか「自信がない」とか、考えるようになったのでしょう。自信のある人は、何も考えないで現実の場面に挑むのでしょう。出来そうになければ、逃げれば良いのですから!(逃げる自信が必要ですが!)
鎌倉で初めて建てられた臨済宗のお寺「寿福寺」
鎌倉五山の寿福寺は鎌倉で初めて建てられた臨済宗のお寺で、頼朝が没した翌年の正治元年(1200)北条政子が栄西を招いて創建したお寺である。裏山には北条政子、源実朝の墓と言われる唐草やぐらがある。
市内扇ケ谷の寿福寺背後の山。この山の各所に鎌倉石を切出した石切場があったことがら石切山と呼ばれた。鎌倉の山には他にも石切場が多いが、特に石切山の名が付けられているのはこの山だけ。
ヨーロッパでは瞑想と思考に時間を割く!
座禅などで瞑想することに慣れていない人は、あまり人がいない海辺で、波の音を聞きながら、のんびりとするのが良いですね。穏やかな波のところが良いのですが、大きな波の所では、少し高いところの方が良いのでしょう。潮風に当たっていると、無心になれますね。春に、瀬戸内の島に渡り、海岸から、のんびりと景色を眺めているのが最高ですね!
尾道 最初にできた神社「艮神社」
艮神社は尾道で最初にできた神社で、806年の鎮座です。806年というと平安時代の初めで、千光寺と艮神社は創建の年が同じになっています。
同時期にこんな大きな神社と山にへばりつくような寺が建てられたのです。千光寺の工事はさぞ大変だったのでしょう。しかし、なぜこんなに近くに同時に大きな寺と神社を建てなければならなかったのでしょうか。
艮神社は大宝山(千光寺山)を背にして建てられています。参拝者はちょうど大宝山を拝する格好になります。艮神社と千光寺は何か関連があるのでしょう。
お世辞を言ったほうがいい!
感謝するということは、その相手に「気持ちの安らぎ」を与えます。自分にとってみても、相手にとってみても、双方にプラスの働きがあります。それが、たとえお世辞であっても、素直な感謝ができれば、双方にプラスの働きになるのでしょう。ただし、その土地の風土も関係してきますので、悪い意味のお世辞と解釈されることもあるので、注意が必要です!
厚木 小野小町がかくまわれた地に「小町神社」
この小町神社は、その昔鎌倉時代丹後の局という世にもまれな美人がおり、ひそかに源頼朝のご寵愛を受け終に局は身ごもりました。これを知った婦人政子は大変ねたみ、畠山重忠に局を由比ヶ浜で首をはねよと命じました。重忠は家臣の本多次郎に命じ局を浜へ伴い殺そうとしましたが、局の身を哀れみ身代わりを立てその場をつくろい、乳兄弟で小野の住人川上酒匂の屋敷にかくまい局を助けました。然しいつとはなくその事が政子の耳に入りその怒りは骨髄に徹する程厳しく、局は俄かに白髪の姿になってしまいました。
90%の人が第一印象に左右されている、と!
「第一印象が大事」とよく言われます。しかし、なぜ人々を見分けられるのでしょうか? 人によって、何らかの雰囲気というものがあるのは確かです。子供時代でも、何か「品」といった雰囲気を感じさせる子供もいます。 やはり、ちょっとしたしぐさ、ふるまい、物腰などを感じ取っているのでしょう。しかし、「歩きスマホ」の時代、そんな感覚が磨かれることも、少なくなっているのでしょう!
鎌倉 タブの木が枝を広げる「八坂神社」
八坂大神(やさかだいじん)は、扇ガ谷(おおぎがやつ)の鎮守の神で、昔は相馬天王といい、相馬師常(もろつね)が移してまつった京都の八坂神社の神と、相馬師常をまつっていました。師常は頼朝(よりとも)挙兵の際、父と共に頼朝を助けた人で、このあたりに住んでいたといわれます。
明治以後は八坂大神と改め、祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)・桓武天皇・葛原親王・高望王としました。
体験に基づいて行動ができると!
自分の要求水準は、どのようにして決めているのでしょうか。親の要求水準、あるいは、地域環境での要求水準などがあるのでしょう。できることなら、おおらかな親、変化に富む自然環境などの中で、育っていきたいもの。理想を言えば、知識でなく、体験から学びたいもの。私の小学校の時の体験で、家庭科の教科書に。「新鮮なさかなの見分け方」で、「新鮮な魚の目は透き通って見える」とか「エラの中が、鮮やかな色合いだと新鮮」とか書いてありました。しかし、さわって動くかどうかで、、すぐ新鮮かどうかわかる地域だったので、教科書に疑問をもったものです。知識や理論は、ある一面でしかないのでしょう!
尾道 大林監督「転校生」の舞台「御袖天満宮」
「坂の町」尾道にとって石段は見なれたものであるが、浅野芸州藩主夫人が寄進した随神門から本殿までの五十五段は石段のなかの石段といえる圧巻。おそらく随神門と前後し享保年中(1716~36)につくられたものであろう。
長さ5.2m、幅32cm、高さ17cmの見癖な一本物の花崗岩を使い、上から二段目だけは、完壁なものの脆さをこばむ日本的な宗教感覚にもとずいたものであろうか、継ぎ目をつくり完成させたもの。
その後、最上段だけは、枯れた松を伐採したとき、倒れた松が石段の最上段に当たり割れが生じた。
この時の職人さんは、二段目につなぎあったので、少しは救われたであろう。
自分だけの片寄った考え!
今迄の教育で大事にされてきたことは「知識」ですね。知識を習得していく場合、同じ系統の知識を習得したほうが効率が良く、専門性を認められるので、その方向を目指しがちです。すると、自分の中に「思い込み」が出来上がり、定着していきます。そして、どんな現象や事実があろうと、自分の思い込みがベストと思い、判断するようになりがちですね!
鎌倉 弘法大使が掘った?十六の井「海蔵寺」
扇ケ谷にあり、臨済宗建長寺派。応永元年(1394)上杉氏定(1374-1416)が氏満の命をうけて創建したと伝え、開山は大覚禅師五世の孫という心昭空外とするが、事績は不明。山号は扇谷山。寺は五山・十刹・諸山のどれにも列せず、はやくから建長寺の塔頭のようになっていた。『鎌倉志』に「天正ノ比ヨリ建長寺ノ塔頭二属ス」とある。詳しい寺史は編めないが、室町期の応永・永享のころ、扇谷上杉氏の外護のもとに栄えた様子が『関東合戦記』『永享記』などによって知れる。
人は感謝をされると幸せな気持ちになる!
「感謝する」という行為が、お互いの「生き残りに有効だ」ということが、DNAに刻まれているのでしょう。ネアンデルタール人は、体力や思考能力がホモサピエンスより優れていたのでしょう。しかし、環境異変に遭遇したとき、お互いに協力し、感謝するということのDNAスイッチが、ONにならなかったため、亡びてしまったのでしょうか? いろいろな組織においても、長く長く生き残っている組織は、感謝DNAスイッチがONになっているのでしょう!
尾道 海上交通の安全を願う「住吉神社」
1740年、尾道の町奉行に着任し広島藩の平山角左衛門《名誉市民》は、翌年の1741年に住吉浜を築造し尾道発展の基礎を築いた。その際、浄土寺境内にあった住吉神社をこの住吉浜に移して港の守護神とした。
毎年旧暦の6月28日前後(7月の終わり頃)の土曜日、平山奉行の功績を称えると同時に、商売の繁盛と海上交通の安全を願ってをおのみち住吉花火まつりが行われます。
尾道住吉花火まつりは、正式名称を「住吉神社大祭礼」といい神事です。花火当日に「山型(やまがた)」「鳥居(とりい)」「御弊(ごへい)」の提灯船3隻に加え、「火船(ひぶね)」
「御座船(ござぶね」が渡御(とぎょう)…尾道水道を行ったり来たり…しております。
嘘を見破るには直観力が必要!
「直感力」というものは、いくら知識教育をやっても身にはつかないでしょう。後から、ほとんど音もなく自転車がせまってきたとき、何か「イヤな気配を感じる」ことができるようになるには、五感(あるいは第六感)で感じる力が身についているからでしょう。昔の人は、熊、あるいは、ヘビなどの野生の動物の「殺気」を感じ取ることができたのでしょうが、これは自然の中で育った経験が、DNAのスイッチをオンにしたからでしょう!
鎌倉 目の神様「御霊神社」
もとは関東平氏五家の始祖、鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の5氏の霊を祀った神社であったとされています。その後、五霊から転じて御霊神社と通称されるようになりました。
後に、鎌倉権五郎景政の一柱のみに祭神は集約され、祭神の名から権五郎神社と呼ばれました。
景政の武勇伝から「目の神様」として親しまれている。例大祭には県の無形文化財に指定される「面掛行列」が行われます。
記憶力向上は朝食をしっかり食べる!
最近、脳の活性化のため「朝食が大事」と言われています。しかし、肉食動物のライオンやチーターは、一週間に1回程度度の食事、草食動物の牛などは、反芻するので、ほぼ一日中食べているともいえます。人間の脳活性化の「朝食効果の理論」は、人間以外の動物には当てはまらないようですね。それとも、正しくないのでしょうか??