分け合うという力が弱いと亡びる! 食べ物に困ったときでも、「分け合う力(助け合う力)」が「生き残りの力」ですね。しかし、日本の中でも助け合う風土は地域によって差があるようです。四国のように、お遍路さんを受け入れる文化があるところは、「与えっぱなし」「貰いっぱなし」が当然で、ただ、ただ無心で与える風土が出来ているようです。しかし、地域によっては「恩を与えたんだ」と、自己満足したい人が多い地域もあるようです!
利己的に振る舞うと種は亡びる! AI時代を目の前にして、暗記教育の弊害が予測されています。AIは、今までのテストでは、決して人間に負けることはないでしょう。そして、体力面においても、ロボットの時代がくると、人間は到底叶いません。でもひとつの希望が残っています。現代唯一の人類であるホモサピエンスは、知力・体力とも優秀だったネアンデルタール人よりも、生き残り作戦では成功したのです。利己的でなく、協力に喜びを感じる遺伝子が優秀だったからでしょう!
夢をなくしたときが「老人」だと! 人生100年時代、心持ちが年齢を決めるようです。思い込みが強いお年寄りが多いようですが、これは“こころの老化”のようです。テスト教育の普及で、幼いときから「テストの答えのみが正解」(正解を選ぶしろ、あえて不正解を選ぶにせよ)を続けていると、どんどんあたまが固くなってしまい、あたまの老化が進行します。そして、早い年齢から周りからのアドバイスを、受け入れることができなくなってしまうのでしょうか。クレーマーもそのひとつの現象なのでしょう!
対人関係は、相手ではなく、自分を見直すこと! 江戸時代は、地位=権力、名声=名誉、お金=禄高が、集中しないように、権力は老中にあるが禄高は数万石まで、名誉は学術的なものもあるが、公家が名誉を担っていたのでしょう。この力の分散が、争いが起きなかった要因なのでしょう。現在は天皇が名誉の面で大きな力を発揮でき、ひつとのところに力が集中しない仕組みになっているのでしょう。もうすぐ「令和」の時代になりますね!
誰でもがみな、ある意味出来損い! 「自分は出来損ない」と思うことを大事にすることが日本の文化。いくら自分がトップだと思っても、「やっと三本の指に入ったかな」と表現する文化です。職人の心構えでも、尾道にある御袖天満宮の石段は、5mの1本ものが54段あるが、上から二段目だけを2本つなぎに造っています。わざと「まだ完全な腕ではない」と、職人自身が腕を磨くために、あえて不完全にしています!
自利を選んだ結果、犯罪を犯してしまう! 2005年4月25日に尼崎市で起きたJR福知山線の脱線事故、直接的な犠牲者は死者107名(運転手含む)、負傷者562名でした。この事故の原因は、手前の駅でオーバーランし、その遅れを取り戻すため、運転手がスピードを出し過ぎたためでした。刑法的な見解では「運転手に罪がある」ということになります。しかし、その背景には「時刻を守れなかった運転手には、厳しい再教育と待遇があった」ということです。エリート達の「知性」と「理性」が造った“しくみ”が、最大の主因だったのでしょう。現在の裁判では、裁けない問題ですね!
「サクラ」はバラ科の植物! 「サクラ」はバラ科なのですね。バラ科は「花」や「実」が魅力的なものが多く、しかも、健康にも良いものもあるのですね。これは、人間に「バラ科の植物をもっと広めろ」というサインなのでしょうか。人間も昆虫と同じような役目を担っているのですね!
ほんの少しの「見栄え」アップ! たいして重要ではないと思ってしまいがちなことを、「大事なこと」と思うことができるかどうかが大切です。しかし、なぜ「たいしたことではない」と思ってしまうのでしょか? その対象物が「自分はたいしたものではないよ」とは言ってはいません。わたしたちが、勝手に「たいしたものではない」と、思っているだけです!
正しい「気づき」を! 「事実を、五感を使って正確に認識する」ことは、大変難しいことです。しかし、このことを認識している人は、それほど多くはいないですね。どうしても、「自分の見たいように」、「自分の思いたいように」ということになってしまいます。「三人寄れば文殊の知恵」、一人では無理なのですね!
取り越し苦労から生じた毒素! 「笑いはガンに効果がある」と、言われ出してかなりたちました。反対に、心配や不安、恐れ、疑いなどが、健康にとってマイナスになるといわれだしました。からだの健康には、笑いを含めて、うれしいこと、新鮮な食べ物などが、毎日、安定的に手に入れて過ごしことが、できるかどうかなのですね。良いこと、うまい食べ物といったものと、若干ちがいがあるのでしょう。しかし、良いこと(周囲で良いとされていること)、うまい食べ物を求めてしまいますね!
一神教や終末論は争いを激化する思想! 宗教であれ、一神(一人)に権力や名誉が集中すると、不安定な社会になることが、人類の歴史で証明されています。にもかかわらず、なぜ、そのしくみを改革できないのでしょうか。人類史上、どの段階で権力・名誉・財力に特別な魅力を持つようになったのでしょうか。やはり、農耕で麦を栽培するようになり、その麦が保存可能だったためなのでしょうか?
「授かりもの」という言葉! 「かぐや姫」では、竹取りのお爺さんが山で竹をとっていると、一本の竹が金色に光っているのを見かけた。その竹を切ってみると中に小さな女の子が座っていた。おじいさんはこれは神様からの授かりものに違いないと言って、家に連れて帰り、かぐや姫と名付けて育てることにした。となっています。子どもを「神様からの授かったもの」という考え方が、人類の生き残りに大きな影響を与えていたのでしょう。神様からの授かり物でないAIロボット時代が、間近に控えている今、どうなるのでしょうか?
雑音の中にいても聞き分け可能! 子ども時代、夏は日の出と共にクマゼミの鳴き声がすごかったのですが、毎日聞いていると、まったく気にならないものですね。しかし、数年前からカラスがセミを襲うようになると、カラスが数匹上空を舞うと、セミがピタリと黙ってしまうようになりました!
どうしたら自信を持てるの? いろいろなことをやって一度成功すると、その後、失敗したとき、その過程を考えるようになると、どんどん成功体験が増えていきます。成功か、失敗か、にこだわるより、その過程(五感で得た感覚)に目を向け、それを是正することで、成功できるのです。現在は、五感から得られる情報より、言葉をもとにした情報で、是正しようとする訓練を積み重ねているので、本来の成功体験は少なくなってきているのでしょう!
恨みは、もっとも深く根を残す感情! むかしの人は「恨み」が、自分にとっても害があることを知っていたのでしょう。草木も眠る丑三つどき(午前二時から二時半ごろ)、寺社に参詣し、呪う相手に見立てた藁(わら)人形を境内の神木に取りつけ、人形の体に五寸釘を打ち込む。そうすると呪われた相手は、釘が打ち込まれた部分を損傷するという。「丑の刻参り」である。この丑の刻参りは、平安時代ごろから始まったようです。こんな時間帯になぜ寺社へ赴くのか。丑の刻参りは人に知られずにこっそり行なわなければならないとされているからです。
早くから天皇は国の祭祀をつかさどる存在! 日本の政治は、古くから名誉と権力を分離していました。江戸時代には、それに加え財力を分離し、名誉・権力・財力を分離する体制になりました。名誉は天皇や貴族、従五位上か正五位などの武士達の官位。権力は老中達に、この老中になれるのは、二万石とか三万石の直参の小さな大名。財力は数十万石の外様大名。この体制が日本の体制を安定的なものにしたのでしょう。日産のゴーン氏のように、一極集中は非常に危険な体制のため、長期政権は難しいことになりますね!
誰かがわかってくれたら! 子どものいじめ問題を、今の大人は解決できるのでしょうか? 児童相談所や警察を、子どもは頼りにしてくれるのでしょうか? 親は、そのような機関を、子どもに対し「こわいところ」と教えると、子どもはどうしたらよいのでしょうか。子ども達が、多くの大人と接触できない核家族社会は、子ども達には、危険な社会なのでしょう(大人には都合がよいのでしょうが)。
「相手」に「意識」を向ける練習! 人間、子ども時代から大人になるにつれて、「思い込み」が蓄積していき、「自分だけのモノサシ」が出来ていきます。これは「言葉」による蓄積です。言葉による蓄積は、現状が異なっていても、そのことには関係なく、今までの蓄積で判断してしまいます。しかし、感覚による蓄積(たとえば、自転車に乗れるとか)では、いつまでたっても、ありのままに現状を把握し、適切に対応できます。幼かった頃のように、常にいま現在を、五感+第六感を働かせ、その感覚情報を大事にして判断したいものですね!
自分だけしか通用しないモノサシ! 現在は、五感からの情報を大切にしなくなっています。子ども時代から、言葉(教科書などで)で情報を得て、判断する方法を学んでいます。たとえば、「新鮮な魚の見分け方」だと、「目が光っている」、「お腹がピンと張って弾力がある」、「魚の色があざやか」などと。しかし、もっと新鮮な魚が手に入る地域では、「指で触って魚が動くかどうか」、「タコやイカは、吸盤に指を当てると吸い付くかどうか」で判断します(うまいかどうかの判断とは多少違うのですが)。まず、五感で判断し、それから知識と組み合わせるほうが、正確な判断が出来るのです!
ニコニコ笑っているけれども「怖いぞ」! 普段はやさしい人でも、「すごみ」を感じる人がいます。また、「思い上がり」を感じさせる人(議員さん?)もいます。この二つの印象の違いは、案外判るものですね。「深み」がある人には「すごみ」を感じ、「底の浅い」人には「思い上がり」を感じるのでしょう。これは、知識の差というより、体験(五感+第六感の感覚情報)と知識がうまく結びついている人のなのでしょう!