どうして人間は戦争を起こすんだ!

 「どうして人間は戦争を起こすんだろうね?」、それも圧倒的に男性が。
 今日も安倍元首相が銃撃され亡くなりました。犯人は男性。最近の不可解な犯罪も、犯人の多くは男性ですね。どうしてなのでしょうね?
 男性は考え方に幅がなく、1つの方向になりやすいようです。特に100点主義の教育で、いつも答えは一つしかないと思い込んでしまう傾向にあります。でも、答えというものは一つではありません。
 私は、小学校の家庭科で「新鮮な魚の見分け方」を習ったとき、「魚の目やエラを見て見分ける」と習いましたが、住んでいたところでは「魚に触って動くかどうか、タコやイカは吸盤に触って吸い付くかどうか」で新鮮かどうか見分けていました。どうして教科書にヘンなことが書いてあるのだろう? と思いました。
 答えというものに、「曖昧」を許容していれば、社会人になっても、一つの考え方に固執することが少なくなるのではないでしょうか!

頭を使う仕事は朝にまとめて行う!

 ホモサピエンスの脳は、生物としての必要な機能を越えた大きさになっています。そして、脳はエネルギーを多く消費してしまいます。
 SDGzの視点から考えると、ホモサピエンス以外の生物から見ると、最もSDGzに反する生き物です。そうであるならば、全ての生物に住みやすい環境づくりに貢献する必要があるのでしょう!

ひどい体験をすると心に傷を残す!

 「失敗は成功のもと」(失敗すれば,方法の誤りなど失敗の原因もわかるので成功へ一歩近づくことになる)なのですが、一番の問題は、やってみないこと。
 そして、考えもしないうちに、やってしまうこと。
 「失敗は成功のもと」にするには、行動を起こす前に考えること。それが出来ていれば、失敗の原因を追求でき、成功のもとになるのですが、これはなかなか出来ていないものです。
 でも、失敗後の状況はつかめるもの。すくなくとも、失敗後の状況はしっかりつかんでいきましょう!

「ホンネ」と「タテマエ」を使い分ける日本!

 日本社会では、ホンネとタテマエを使い分けることが要求されます。若者もそのように行動しているようです。しかし、自分を知った上で、ホンネを正確に把握しているのでしょうか?
 自分の要求を、単純にホンネと考えているのでは? と思ってしまいます。「カッコいい」とか、「見栄えが良い」とかは、世間の目を目を意識した行動で、これは自分のホンネではありません。
 ただし、自分のホンネといっても、「欲」「名誉」「権力」などへの欲求は、自分のホンネから除外しての話しです!

「だれが下手だと言いました?」

 「自分は○○だ」と思い込んでいませんか? その多くは、自分だけの思い込みで、なおかつ、自分の一人で思っていることが多いようです。
 むかしと違って、「多様さが求められない」、あるいは、「1つのだけ答え」を求めるようになっているようです。
 もっと、多様性を受け入れ、曖昧さを認める社会になれば、精神的にはもっと楽に暮らせるのに、と思ってしまいます。
 日本は、むかしから、神も仏も両立してきた社会です。答えというものは、1つではありませんでしたね!

人はことばで傷つく、なかなか治りにくい!

 言葉の暴力、パワハラが社会問題になっています。現在は組織の問題として取り上げられていますが、家庭内でも取り上げられるのでしょうか。現在は家庭内での暴力が主体のようですが。
 むかしは大家族であり、近所に親戚も多く、たとえ親戚でなくとも近所と気合いは盛んでした。これが、監視の機能を果たしていたのです。しかし、この面倒さを嫌って核家族に移行してしまいました。
 結果としてパワハラが増えたのでしょうかね!

呼吸は鼻を交互に孔を使ってしているのです!

 嗅覚は劣化しているのでしょうか?
 むかしは冷蔵庫などなく、食べられるかどうか、ニオイで判断していました。今は食品に貼ってあるシールの有効期限を見て判断しています。そのためか、ニオイに対する感覚が鈍くなってきているようです。
 そうゆう意味では、生物としての進化も、止まるか、劣化しているのでしょうね。
 そう言えば、昨今の熱中症の多発も、エアコンの普及で、汗をかいて体温を提げる機能が劣化したことが原因の一つなのでしょうか!

アメとムチの使い分けに工夫を!

 上司が部下を使うとき、どのようにすべきか意識していますか?
 パワーハラスメントのニュースがよく流れます。上司の方も気を使う時代です。どの程度が良いのか、難しいですね。
 日本の教育は、答えが一つしかない教育を受けています。そのため、一つの言葉に、いろいろな意味が含まれていることをあまり考えません。ある意味、単純な解釈しかしないこともあります。
 愛情が隠されているきびしい言葉は、表面のきびしさだけで受け取ってしまうこともあります。難しいですね!

ウイルスとともに生きる、という戦略!

 新コロナウイルスも、そろそろ人間との共生を見つけつつあるのでしょうか?
 新コロナウイルスが存在しないことに越したことはないのですが、当面は新コロナウイルスと人間の共存が、できるレベルになってほしいですね。
 そう言えば、多くの動物は、メスがオスを選んでいます。その理由は、やはり動物としての生き残り作戦ですね。オスの免疫力を、外見や力の強さ、そしてニオイなどで選別しているのですね!

遊牧民の社会では少数の指導者がリード!

 遊牧民社会では、少数の指導者が集団をリードする社会という。
 日本では、そんな傾向は感じられないのですが、平安時代までは貴族とインテリが政治を行っていたようですから、日本もむかしは、少数の指導者がリードする社会だったのかも知れないですね。
 平安時代の終わり頃に、法然が庶民を対象に念仏宗教をはじめ、いろいろな宗派が生まれ、庶民が集団としての力を持ち始めました。
 その結果、徴税がうまくゆかなくなり、貴族達が武士に徴税を委託し、武士が力を持ち始め、武家社会が始まったのですが、庶民は集団の力に目覚めたまま、現代まで続いているのでしょう。
 遊牧民社会では、庶民がなかなか集団の力を育てることなく、現代まで来たのでしょうか?

日本に稲作が伝来する以前はサトイモ重要な食料!

 日本では、稲作が始まる前まではクリ、クルミ、サトイモなどがデンプン源でした。米に比べれば、保存期間や収穫量にかなり差があります。
 そのためか、食べられるうちに、分け与える習慣が出来たのでしょうか?
 米や麦のように、収穫量が多く、長く貯えることができるようになると、人々は争うようになり、それも集団で争うようになったのですね。
 食べ物を分け与える習慣があると、少しは争いか少なくなるのでしょうね!

人間のもつ「108の煩悩」とは!

 日本では、宗教についてもある意味「曖昧」が許容されています。多くの人は、あるときは神社へ、あるときはお寺に行きます。観光の時は、神社も、お寺も見て回ります。
 この曖昧さが、思い込みの思想にとらわれることなく、たとえば、太平洋戦争後の世の中の変化が出来たのでしょう。
 大乗仏教は、僧侶にならなくても涅槃の世界に行くことが出来ます。僧侶にならなくても良いのです。これも小乗仏教から見れば「曖昧」と見えることでしょう。
 平安末期から始まった、お経を唱えれば極楽に行ける、という方法で、庶民の結団力が生まれ、それから庶民の力を評価する政治体制も、徐々に発達してきました。
 一神教のように、宗教で人民を支配するのではなく、庶民を見据えながら政治を行う状況が、発展したり、衰退したりしながら、進歩してきたのでしょう!

苦痛と喜びとを自分の味方につけるか!

 能力には、お金につながるものと、そうでないものがあります。また、その時の社会の状態によっても、違っていきます。
 そうであるならば、その時の社会の状態によって、周りに合わせて行かざるをえません。
 いま、社会が変化しているとき、むかしの成功体験や思い込みにとらわれていると、なかなか良い人生にはなっていかない可能性が高くなっているのでしょう。
 周りの状況をよく観察し、ひととのつながりを大切にし、ものの考え方を素直して暮らしていくことなのでしょうか!

一度悪い先入観をもつと!

 一度先入観を持つと、すべてその先入観を前提にものを考えてしまう。現代のように、色々な地域の人達や、多彩な情報が溢れる世の中、思い込みは弊害を生みやすい。
 やはり、現状を洩れなく把握し、事実だけに基づいて、考える方法を身につける必要がある時代になっているのでしょう。
 記憶に頼ることは、思い込みに頼ることにもなってしまいます。いつもピュアな心で、物事に接するように努力しないといけないのでしょう。難しいことですが!

地獄も極楽も、あの世にいって出会うもの!

 「不満」というものを持ち出すと、解決方法への思考が鈍くなってきます。一種の思考停止状態になるのでしょうか?
 「不安」もそうですが、それから脱出するには、「自分に希望を持つ」しかないのでしょう。ただし、それが行き過ぎると、また別の問題が出てくるのでしょうが。
 生活面では、むかし瀬戸内でよく言われていた「半農半漁」のように、複数の生活を支える仕事があると、不満や不安がすくなくなるのでしょうね。
 テレワークが定着する時代になれば、複数の生活を支える方法が見つけやすくなるのでしょうね!

日本の大学進学率は43位!

 今までの入試問題の多くは、記憶能力の試験が中心でした。世の中の変化が少ないときは、それで良いのかも知らないのですが、変化が激しい時代は、過去の知識をベースにした考え方では、変化に対応しきれません。
 現状をしっかり把握した上で、いろいろな知識・情報を各種組み合わせ、その時代の社会に適したアイデアを見つけ出さなければなりません。
 単に教科書を記憶することだけでなく、多彩な知識・情報を組み合わせる思考方法を身につける必要があるのでしょう。それができる学生には、100点を満点にせず、103点・105点をつけても良いのでしょう。私の経験では、半世紀前には、一人だけですが、そんな先生もおられました!

ロシアは軍事予算は毎年二倍増から三倍増にしてきた!

 軍事力というものについて、多くの日本人は考えてきませんでした。しかし、軍事力を強化しようとすると、国民の意識を、特定の方向に向ける必要があります。多様性を制限する必要があります。
 しかし日本の歴史は、仏教と神道を両立させ、また短歌、狂歌、俳句、川柳など、意志を伝えるには解釈の曖昧を許してきた文化の歴史があります。
 日本でも一時期は、無理やり意識を統一した時期もありましたが、その実態は、意志統一されたフリをしていた人達も多くいたのでしょう。
 世界中が「曖昧を許す」風土が定着すると、もう少し平和なときが来るのでしょうか!

リタイア後の田舎生活のメリット!

 物価が高騰してきています。食費も高騰してきています。生活維持の対策として、家庭菜園にも目を向けたいものです。でも、食費をある程度カバーしようとすると、未経験では大変です。しかし、新しいことにチャレンジすることは、たとえ失敗しても、その経験は役に立つものです。いや、役に立つものにしていきたいものです!

欲に振り回されない!

 「欲に振り回されないこと」。密教ではその欲を「六大煩悩」として、定義しています。貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)・慢(まん)・疑(ぎ)・悪見(あっけん)なのですが、自分の、この「六つの煩悩を受け入れた上で、どうするか」なのでしょう。
 そのためには「教養(広い文化的な知識をもとにして、自分で考えること)」が必要なのでしょう。
 専門知識や思い込みは、狭い知識になりやすく、また、その狭い範囲の知識が深くなると、その状態を満足し、教養なある考え方ができなくなってくるようです。
 ロシアのリーダーに関する報道を見ていると、この人も思い込みが激しいと思ってしまいます!

スポーツビジョンという要素!

 年を重ねると、いろいろな目の力が落ちてきます。やはり筋肉と同じように鍛えることが必要なのでしょう。
 また、自分の思い込みの蓄積から、いつの間にか、見たいものしか見なくなっています、きっと脳は楽をしたがっているのでしょう。
 「視点を変える」といいますが、確かに違った見方ができれば、新しいものが見えてきます。その新しい刺激で、サボりたがりやの脳を働かせましょう。認知症予防のためにも!