朝、白湯を飲むだけでもよいのですが、工夫も必要でしょうね!

 いろいろな健康法の情報が飛び交っています。正解は分かりません。いくら統計的な情報であっても、数字のある部分だけ取り出して、それを裏付けにする、という手法もあります。
 また、医者であっても、中には金儲け中心で薬を出すことも、無いとは言い切れません。
 やっかいですね。
 ウオーキングなどは、それほど心配はありませんが!

日本の気象は外国と比べて、変化が急で複雑!

 温暖化と言いながら、極端な寒さも起こりました。
 平均気温では温暖なのでしょうが、気温の上下の幅が増えています。その対処を考えなければいけないようですね。
 生物も気温の上下の幅が激しい中で、生きていかなければならないので、今までの捉え方ではダメな場合もあるのでしょうね。
 冬場の熊の出没も何かしら関連があるのでしょうか?
 常識も、変化する時代になってきたのでしょうか?

「時間がないから」「忙しいから」やりたいことが出来ない!

 「時間がないから」のとき、自分の生き方の優先順位に沿って行動する、と明確に判断できているでしょうか?
 上司やお客などに怒られることを避けるが、優先してしまうことが多いようです。
 しかし、自分ではなんとなく残念感が残ります。それが不安にまでつながってしまうと大変です。
 そうなる前から不安を膨らませるよりは、なったらなったで仕方ない、と考えたほうが楽になるような気もします。
 そういう生き方のほうが、毎日を楽しく、穏やかに生きられると思うのですが!

あまり歩かず脳に伝わる刺激が乏しいと、脳は活発に動かない!

 「歩く」ことが最近話題になっています。舗装された道を歩くのと、山道や川原などの未舗装の道を歩くのと、舗装道路を歩くのでは、脳に対する刺激に違いがあるのでしょうか?
 むかし、大きな川には「渡し」があったのでしょうが、小さな川には無かったので、歩いて渡っていたのでしょう。
 最近、川幅が10mほどの川を、棒(竿)を持って川底をさぐりながら渡っている人を初めて見かけました。むかしの人もこのようにしていたのでしょうか?
 修験者が持っていた金剛杖を思い出しました。これも川を渡るときに使用していたのでしょうね。鈴がついていると熊除けにもなりますね!

プライベートに深入りするな!

 テレビ番組で、ウソについての実験。3歳~6歳位までの子供に対し、ウソをつくかどうか実験した。すると年齢が上がると、ウソをつく確率が上がっていた。
 また、「目はウソをつかない」と思っている人が多いが、これも事実と異なっているそうで、平気で相手を真っ直ぐ見ながら、ウソをついていることもかなりあるとのこと。
 どうも人間は社会で生きていくために、ウソをつく習性を当然としているようです。
 言っている本人も、ウソと自覚しないままウソをついているようです。

どう生きていくかを、自分の心で考えて!

 数十年前までは、多くの町は夜はそれほど明るくなく、月や星がよく見えていました。
 夜空を眺めると無心になり、座禅と同じようになることもあるのでしょうか?
 昔の本を読む場合、その当時の環境も体験しておくと、感覚的により深く味わうことが出来るのでしょうね.
 それに自然の中で過ごすことが加わると、もっと深い味わいが出来るのでしょうね!

日本の文化の礎は稲作にある!

 米が高くなっています。米離れが起きなければ良いのですが、稲作は日本の風土の原点にあるので。
 神社やお寺などで「雨乞い」をしますが、農作においては欠かせないものです。その中心が稲作です。
 また、年貢も稲作が基準です。安定した米を生産するには、水の安定供給が必須です。
 西日本では大きな川が少ないため、溜め池が中心ですが、関ヶ原より東(関東)は、大きな川が多いため灌漑施設が重要です。
 溜め池造りに較べ、灌漑施設造りは多くの人が必要です。推論ですが、関ヶ原より東側の武士達が日本の統一が出来たのは、多くの人を統一して動かすノウハウを知っていたからでしょうか?

日本では昔から「湯治」が行われてきた!

 温泉のブームが始まる前、東日本地区の温泉巡りをしていました。
 温泉紹介の本づくりのため、取材がはじまり、徐々に温泉巡りを止めてしまいました。
 当時、宿泊するところで、夕方と朝方、そして昼間に三ヶ所の別の温泉巡りをしていました。
 出来るだけ無料の温泉巡りをしていたので、山の中が多かったのですが、そんなところまで取材に来るようになっていました。
 温泉は健康に良いのですが、山の中の温泉は気持ちもリフレッシュしますね!

感情によって同じものが違うものに見える!

 「見る目=感情」で物の見方が変わります。ということは、見る目を広げるには、多彩な感情を持たなければならない、ということになります。
 すると、やはり自然の中で育つことも大事なのでしょうね。日本の四季は多彩な変化をしています。それだけでなく、台風や水害、地震もあります。
 子供の時から、都会で、危険の無い公園で遊んでいたのでは、やはり視野が狭くなってしまうのでは? 心配になります!

人の足を引っぱると、自分もまた同じ運命に見舞われる!

 SNSで情報発信が簡単にできるようになると、悪口も増えてきます。
 小さいときから過保護の環境で勉強ばかりし、自然の中で遊ぶことがないと、自分が置かれている状況を正しく理解しようとせず、勉強で得た知識だけで判断してしまいます。
 勉強で得た知識が正しいとしか考えない人は、SNSで発信された情報も、正しいものとして受け取ってしまうのでしょうか?
 歴史など見ていると、権力者に沿った情報だけが重要視され、権力を失った人達の良い情報は、廃棄されるか、無視されます。そして、権力者に沿った情報だけが残ってしまい、教科書ではそれが正しいと教わっているようです!

五十代からは、肩に力を入れない生活が大事!

 人生が自信を持った50代の人、自分の専門知識に自信をもっているので、他の知識をなかなか受け入れることができなくなってきています。
 自分の経験は、地球上で考えれば数十億人の一人でしかありません。
 ということは、自分の経験だけを主張していたのでは、他の人からは受け入れないことのある、という自覚が必要です。
 このためか、NET上での批判が起きてしまいます。NET批判が簡単にできるためですが、そうなった社会に適応していくしかないのでしょうね!

悪い感情に囚われると、どんどんつらくなってしまう!

 最近は「批判」という言葉が、「悪口」と同じ意味に使われています。しかし、批判という言葉の意味は、広辞苑では、①物事の真偽や善悪を批評し判定すること。②人物・行為・判断・学説・作品などの価値・能力・正当性・妥当性などを評価すること。否定的内容のものをいう場合が多い。とされています。
 「批判」は、辞書の意味通りに解釈できれば、「改善」につながります。
 日本経済が力を失ってきているのは、批判を悪口と解釈し、改善につながらなくなったからでしょうか?

料理人にとっては、出したら、すぐ食べてもらいたい!

 料理に手の掛かったお店では、料理が徐々に出ています。
 料理が出てきたら直ぐ食べていたのですが、これがルールとはあまり知りませんでした。
 また、食材を無駄なく使う、この工夫も大事だそうです、そういえば、この前バナナの皮をフライにしていたのを初めて知りました。
 少し話が違いますが、葉野菜は、むかしは一枚一枚洗っていました。虫が潜んでいることがあったからですが、農薬が普及したためか綺麗な葉っぱだけになりました。
 でも見方を変えれば、虫も食べない葉野菜を人間は食べている、ということになりますね!

中途半端な知識では人間を知ることはできない!

 人間を知る努力もせずに、中途半端な知識をふりかざして、大統領が選ばれる時代になったのでしょうか?
 時代と言うより、風土と言った方が良いのでしょうか?
 背景に「お金」が関係しているのでしょうが、お金は貯めるものではなく、「うまく使う」ことに注意を向けているか、なのでしょうが、この「うまく使う」をどのようにとらえるかが問題ですね!

人の観察力UPで、人の力を借りることが増える!

 打算(損得を考えること)ばかりしていると、考えが浅くなってしまいます。
 批判を悪口ととらえてしまうと、改善に結びつきません。
 とにかく「少しでもよくなれ」と、一生懸命取り組んでいると、いつしか出来る人間に近付いていくようです。
 商売も、損得ばかり考えていると、一時は良いのでしょうが、長続きは難しいのでしょうね。広い意味での損得を考えないといけないのでしょうね!

膝は全身の体重を支えているから摩耗が進みが早い!

 膝の痛みはいつか起こってくるのでしょうか?
 いま都会では高層マンションが増えています。エレベーターが稼働していればよいのですが、停電などで止まってしまうと大変です。
 30m、50m、そして60m以上になってしまうと、登り降りできるのでしょうか?
 海に近い坂の町の海抜45m付近で育った身でも、景色が見えない階段の上り下りは、おそらく無理だと思います。
 ただ、非常時に備えて膝は大事にしておきたいと思います。
 ところで、足の筋肉を使わないで、膝をブラブラさせるのは膝に良いのでしょうか、よいと聞いたことがあるのですが!

江戸時代の吉原、いろいろな文化を生み出した!

 江戸時代の吉原は、江戸の文化を創り出していたのでそうね。
 テレビなどで見ると、花魁が高下駄を履いて町を練り歩いている画面を見ます。
 現在は、一般の人では歩き方を学ぶことはほとんどありません。乗り物が普及したためでしょうか。
 いまでも歩く姿を注意深く見ていると、車が使えない坂の上に子供時代から暮らしている人は、足を前に出す筋肉の使い方が違っているようです。腰などの動き方が少し違っています!

歳を取っても、無理せず、あせらずできる生活改善法!

 人生100年時代、歳を取っても「楽しみ=生きがい」があると、毎日元気でいることが出来るようです。
 昔は、仏教で智慧と慈悲を基本とした教えを学んでいて、それを若い人達に教えるなどして、生きがいを感じていたのでしょうか?
 慈悲とは、すべての人々に深い愛情をもち、安楽を与えるという意味の「慈」と、悩める人の苦しみを取り除いて、思いやることを意味する「悲」のことだそうです。
 こんな教えを学んだ人は、老後も元気に、社会に貢献できたのでしょうね!

人々は損になるような人とはつき合わない!

 いつの世でも、何かしらの「得」が人間関係をつくっていたようです。
 金銭関係の得だけでなく、知識・智慧などによる得、助けを受ける得などいろいろ得はありますが、得を受ける側はもちろん、得を与える側も精神的な満足感による得を受けます。
 義理・人情も得の一つなのでしょう!

江戸時代の商売は、ある意味苛酷だった!

 江戸時代の身分制度の「士農工商」は、近年は教科書から消えました。
 武士が支配階級であった事は正しいのでしょうが、「百姓・町人等」は、それぞれが対等の関係であり、農工商の間に上下関係は無かったようです。
 また、豪商たちがいた商人の町では、豪商達が町役人をしていた町もあったようです。
 支配であるの藩や武士達も、商人から献金を受け、お金を借りていたので、それほど支配をしていたようではないようですね!