劣等感の深刻な人は、「賞賛」を求める!

 何かを櫃から頼まれると、面倒に思うか、嬉しく思うか。
 これは、劣等感に依るのか、自分の成長に依るのか、どちらなのでしょうか?
 頼まれる内容に依るのでしょうが、頼まれる内容が難しい内容であれば、自分の成長を喜ぶことができますね!

イスラエルには、国を失う風土があるのでは?

 イスラエルという国は、よくわからない国という印象もあります。
 ユダヤ人は、経済で成功した人が多いようですが、国家を維持するという面ではよくわかりません。
 イスラエルが第二次世界大戦の約1年後に、国連で承認されできた国です。
 国家として(国として)維持する、という歴史はそれほどありません。そのためか、ビジネスの考え方で、国家を維持しようとしているのでしょうか?
 個にとして、存続するという発想はあるのでしょうか?

「こうでなければ駄目」という考え方ではなく!

 自己術現は、社会のルールの中で自己を満足させること。
 社会のルールを外れると、当然社会からの反撃に合い、自己実現どころではありません。
 社会のルールというものの中に、自分のルールをいかに組み込むか、これが自己実現をするための最低限のルールでしょう!

沿岸部の災害対策は大きな課題!

 温暖化は避けられないようです。温暖化の中で、どのように生きていくか、工夫せざるを得ないようです。
 当然農作物も温暖化に遭わせた品種に切り替えていかなければなりません。人間も同じなのでしょうか。
 おそらく国境が無ければ、もう少し寒い地域に移動し、エアコンなど使わない生活をするのでしょうか?

二酸化炭素の濃度は、産業革命前に比べると40%以上に!

 二酸化炭素などによる温暖化が問題になっています。国によって取り組み方にはかなり差があるようです。
 温暖化は人に対する問題と同じように、他の動植物にも影響します。
 農作物も、青森などの品種が関東で植えることも出来ましたが、現在は四国などの品種を植えるようになっています。その内、九州や沖縄の品種を植えるようになるのでしょうね。
 ただ心配なのは、地産地消と言われていた時代は、それらの食品によって我々のからだが造られてきました。しかし、食べるものが変わると、農作物のように、住む地域を変えるわけにはいきません。どうしましょうか!

食欲がないときは、何かしら不調をきたしているとき!

 家庭菜園で、無農薬の野菜などを食べて育った人は、「やさしい味」がわかるようです。
 やはり五感が鍛えられているのでしょうか。
 無農薬肥料を使って、健康に配慮し、農業に取り組んでいる人もいます。
 しかし、値段が優先し、健康に配慮する人は、健康を害した人以外は多くはないようです。
 また、歩くと五感が鍛えられるようです。歩いている途中に、入ってくる音や、空気感、目に入ってくる情報など、多くの情報に接します(都会では難しいですが)。
 お寺や神社などに行った時も、まず感覚で情報を取り込みます。知識は、五感で情報を得た後で、取り込んだほうがいいのでしょう。見逃したときは、また訪れてみたいですね!

自分に起こることはすべて「幸運の種」に変えてしまう!

 「思い通りにならないこと」これをどう捉えるか。
 「前向きにとらえるか」「後ろ向きにとらえるか」でまったく違ってきます。
 個人的な感覚では、子供時代に自然の中で育った人は、「前向きに捉える」ひとが多いように感じます。
 自然は。思い通りになりません。その中でどのように対応するか、考えて行動しなければなりません。その経験の蓄積が前向きに捉えることに役立っているのでしょうか!

「最後の大勝負」に期待してしまう!

 「最後の大勝負」、これは大抵負けてしまうようです。その結果、最後ではなくなってしまうようです。
 なかなかギャンブルは抜け出せないようなしくみがあるのでしょう。
 戦争も同じような傾向があるように感じますね!

フランス料理、ワインが健康を保っている!

 料理は、それぞれの国や地域で違いがあります。それぞれの自然風土に合っているのでしょう。
 気候変動が激しくなると、その地域での食料も変えていかなければなりません。反動が早く落ち着くとまだよいのですが、変動し続けると対応はやっかいです。
 江戸時代の富士山の噴火で、農作物を変更した地域がありますが、これは短期間の変動ですので、なんとか対応できたのでしょう。
 長期間変動が激しいと、その気候にあった農作物や料理方法の移行はやっかいになるのでしょうか?
 情報化時代、なんとか乗り切れるのでしょうか!

“五感”を鍛え、新しい視点や発見に満ちた時間を楽しもう!

 人間の生きる力、それは何なのでしょうか?
 現在は、知識教育やNET情報などの言葉を中心とする情報が重視されています。
 しかし、人間には五感(視・聴・嗅・味・触)といわれるものがあります。
 五感を育てるのは自然です。自然のとの対応を確認するには、農業は結果がわかりやすいです。
 実った野菜や穀物の、量や味を評価すれば、自然との付き合い方の評価がしやすいですね。
 子供の時から、自然の中で、こうしたらこうなる、という体験は、五感が養われ、社会の中で、いろいろな情報を多面的に得ることが出来、ゆるやかな人生を送ることが出来るのでしょう!

成功者に共通する要素の一つ、「ストレスに強い」こと!

 同僚は、横並びでいるときは良いのですが、上下関係ができると関係が難しくなります。
 むかしは、子供時代から「ガキ大将」がいて、上下関係の中での対応方法を、上も下も学んでいました(男の子だけですが)。
 現在は、男性も女性も学ぶチャンスがないので、変なリーダーが増えてきたようです(会社だけでなく、市や県、官庁(警察や検察庁なども)もあるようです。ストレスに強い上司が増えてきたのでしょう。
 ガキ大将は、上は、下の安全を考え、守っていましたが!

トヨタ式改善では「機械に人間の知恵をつける」こと!

 随分むかしになりますが、トヨタの改善手法に取り組んだことがあります。今では通信技術が進化したので随分変わったことと思います。
 ただ大きな災害などで、現在の通信技術が使えなくなったとき、避難所への補給物質の補充をどのようにするか、使える方式があります。
 それは「カンバン方式」です。パレット1個に対しカードを1枚用意します。パレット内の品物を使い始めるごとに、カードを抜き、補充担当のクルマが来た時に運転手にカードを渡します。運転手は倉庫や工場に帰ると、カードの枚数だけ補給品の入ったパレットを積み込み、補給先に運ぶのです。
 カードの枚数は、避難所内の人数・運送にかかる時間などを考慮し枚数を計算します。
 この方式では、クルマが何とか通行できれば可能です。これからはドローンになるかもしれませんが!

生命の維持に欠かせない酸素、本来は猛毒のガスだ!

 酸素はあらゆるものを酸化させて錆びつかせてしまう。人間でも、活性酸素が多いと老化が進む、と言われています。
 過度な運動は、体内で活性酸素をつくり過ぎ、を酸化(錆びた状態)させてしまうとか。
 最近外国でも緑茶が飲まれています。
 緑茶に含まれるカテキンとβカロチン、ビタミンC、ビタミンEは、お互いに助け合って活性酸素のはたらきを抑えてくれます。
 日本人は、緑茶を飲む人が減っているようです。アメリカの関税が高くなるので、日本人も緑茶をもっと飲みましょう!

東京の夏、地面40℃以上、アスファルト60℃にも!

 以前は、台風などの被害は西日本が多かったのですが、現在は東日本(関ヶ原より東)が多くなっているようです。
 太平洋という大きな海があり、水温は陸地より変動が少ないため、気候の変化は少ないと思っていましたが、現在の温暖化は、以前の考えでは追いつかないようですね!

ひとり遊びを続ける体験が重なると、自発性が発達!

 本屋さんが少なくなりつつあります。
 知識教育中心の本も多いですが、童話や絵本、小説なども大事にしたいですね。
 このような本は、想像力を生み、感情移入も起こります。いわゆる五感を刺激します。
 体験と想像力が重なる経験が深いと、いろいろな場面での対応力が良くなるようです。
 五感からの刺激と、それに対する対応力が脳の発達に関係しているようです。
 知識教育は効率的ですが、自分で考える能力とは別のようです。AIもそうなのでしょうね!

動物は、命がけでわが子を守るが、人間は?

 なぜ人間の世界にだけ、子どもの虐待が起きているのでしょうか?
 知的な進化のためなのでしょうか?
 最近人間は、五感(視・聴・嗅・味・触の五つの感覚)のうち、視(映像)・聴(言葉)に多く頼るようになっています。料理ですら自分の味覚ではなく、専門家の評価や料理本などにより、判断しているような状態になっています。
 知識重点の教育が長く続いてきたので、視・聴に頼ってしまうのでしょうね!

鎌倉 深山幽谷の山寺といった風情がある「浄智寺」

 最近のイスラムの行動を見ていると、なんとなく「ヒトラーがユダヤ人に対し異常な人種的偏見を抱いた」のが、分からないでもないような気がしてきました。
 ユダヤの格言『一度に海を作ろうと思ってはならない。まず小川からつくらねければならない』は、そうでないため格言になっているのだろうか、と思ってしまいます。
 一神教の国々は過激になりやすいようですね。多神教の国でも戦争の歴史はありますが、一神教の国よりは少ないのでしょうか!

「アフター5」より、「ビフォアー9」!

 昔の人は、日の出と共に起き、日が沈むと早めに寝ていたのでしょうね。それが、いつ頃から夜遅くまで起きているようになったのでしょうか?
 戦後の早い時期は、それほど電灯は普及しておらず、暗くなる前に家に帰り、早めに寝ていたように思います。
 テレビが普及し、インターネットが普及し、携帯をみんなが持つようになり、寝る時間を惜しむ人も出てきているようです。
 当然、いつかは健康問題に波及するのでしょうが、体調が悪くなると夜遅くまで、インターネットで調べるようになりつつありますね!

防ごうとしても防げないこと、それは「老い」とか「死」!

 「世間は意外に冷たいもの」という感覚は、都会では常識になっています。
 都会の豊かさがそうさせているのでそうか。
 確かに自己責任で生きていくようになれば、人に頼ることも、人に親切にすることも、それほど重要にはなってきません。
 しかし、人生100年時代、老後もそのスタイルで生活できますか?
 ところで、犬などのペットは言葉でのコミュニケーションができません(音としてのコミュニケーションはできますが)。言葉ではないコミュニケ-ションは、脳には良いようです!