昔と比べると、豊かになっています。豊かさは、「片付けの力」を要求してきます。取り出しやすいと、どんどん取り出し、いつの間にか散らばってしまいます。取り出しにくい方が良いのでしょうか?
また、環境でも変わるようです。仕事場ではキチンと片づいています。田舎に帰ったときも片づいています。
自分の性格より、自分が置かれている環境で、片付けの感覚も違ってくるのでしょうか!
カテゴリーアーカイブ: あたまの散歩
「ゆとり」を楽しむ時代に!
目標に向かって努力をした人の脳!
ChatGPT(相談型AI)サービスが開始されました。これは、結果的に「考える」ことが少なくなるようです。これは、認知症につながる心配はないのでのでしょうか?
半世紀ほど前に「知的生産の技術」という本が発行されています。カードに情報を記入しておき、それをいろいろな視点から組み合わせ、「新たな知的発見」を行う方法です。
その後、カード型データベースソフトが発売され、そしてSQL型のデータベースソフトになり、多くのデータを蓄積できるようになりました。その結果、多くの情報から「単語検索」が可能となり、いろいろな情報が見つけやすくなり、その見つけた情報を組み合わせ、新たな「気づき」が生まれやすくなりました。
特に日本語は、同じ単語でも、使い方が多様なので、面白い気づきも生まれやすいですね。
出来れば、自分でデータベースを作り、そして、単語検索をし、その情報を組み合わせて遊ぶと、歳をとっても、思考遊びを楽しむことが出来ますよ!
朝いちばんの気持ちいい「おはよう」を!
ノーと言うためには説得する力が必要!
視覚から得られる情報が圧倒的に多い!
無生物の進化も考えよう!
いつのときにも選択をしているのかも!
朝食抜きは、脳は午前中エネルギー不足に!
プラスの言葉が大事!
人づきあいがうまくいかない!
高速化が深刻な弊害をもたらしている!
交通や通信の技術が進歩すると同時に、人々の移動が激しくなりました。その結果、人や物に付着して、様々なものも移動するようになっています。たどり着いた土地の環境に合わせるため、様々な変化が起きているのでしょう。
また、体力的にそれほど移動できなかった人達も、いろいろな交通機関を利用し、長距離の移動が出来ています。
そして、移動中も、普段と同じように高速通信を使って、日常生活が送れるようになりました。
高速通信で、多くの人がいろいろな情報に接するため、過去に学んだ知識も役に立たなくなってきています。何歳になっても、常に「学び」続けなければならない時代になりました。
文字や画像データはこの恩恵を受けることが出来るのですが、五感で得る情報は少なくなりつつあるようです。感覚と文字・画像情報の接点を大事にしたいですね。そのためか、俳句が流行っているようですね!
「人間の教育」は自然界の摂理に学ぶ!
子供達の多くは、自然の中で学ぶことが少なくなっています。自然の中での危険を体感することが少なくなっています。
言葉や文字から学ぶことが多く、五感で感知し、自分で考える、ということが少ないからでしょうか。
学童保育は、子どもの自由があるようですが、大人が見守っています。そのためか、どの程度までは安全か(危険か)は、大人の指導が入ります。
安全は確保できますが、失敗の経験は少なくなります。
五感の情報から考え、判断する、という力が弱くなっているようです。
最近の犯罪を見ていると、本当に自分で充分考えて、行動の選択を行っているのか疑問を感じます。
これは、人類の生き残りという視点が、不足しているのでは? SDGsは人類の生き残りを考えた活動だと思うのですが!
「得ること」にのみ価値を置く社会!
なぜ自然界に知恵がないと思っているのか! |
人間は、生物の中で自分達が一番発達していると思っているようです。本当にそうでしょうか?
例えば植物、動き回らなくても栄養分は確保できます。害虫が来れば、その害虫の敵の虫を、高周波の音を出し呼び寄せ退治させます。
縄文杉などは数千年の命を持てています。水分も20m、30mも引き上げています(人間は手動では10m程度です)。
生きるという視点で見てみると、「動かないでも生きていける」は、人間よりはるかに発達していると思いませんか! 人間は、生物の中で自分達が一番発達していると思っているようです。本当にそうでしょうか?
例えば植物、動き回らなくても栄養分は確保できます。害虫が来れば、その害虫の敵の虫を、高周波の音を出し呼び寄せ退治させます。
縄文杉などは数千年の命を持てています。水分も20m、30mも引き上げています(人間は手動では10m程度です)。
生きるという視点で見てみると、「動かないでも生きていける」は、人間よりはるかに発達していると思いませんか!
栄養バランスのとれた食事を毎日、目で見て!
食べ物は「見る」ということが大切です。野菜など、種植えの前の準備から収穫まで、できれば無農薬で、虫たちが食べた跡なども見て、この食べた跡なら安全かな? と感じることも出来ます。
また、料理されたものも、よく見て、どんなバランスになっているのか知ることも大切です。
いまだに小学校の給食時間で、黒板に、緑=野菜、赤=肉や魚、黄色=炭水化物、白=その他、など書いていた記憶が役立っています。
サプリメントに頼らず、自分の目で見る、そして、できれば地産地消が良いのでしょうね。
最近は、食物繊維による腸内細菌の働きにより、運動能力が変化するとのNHKの放送もありました。
やはり食事は、バランスを考えて、料理による栄養の変化も考え、味を知るだけで鳴く、目で見て記憶に残し、食べる前から見ただけで、からだによいのか、気をつけたいですね!
“のに”病から解放し、意気揚々と!
女性はオーラでコミュニケーションする能力がある!
スイーツとして一つ挙げるとすればチョコレート!
薬品が開発される前までは、病気や健康の維持は、植物や動物を何かしらの加工をし、服用して(食べて)いました。
漢方薬などは、征服した民族を、50年とか100年の間、人体実験の“材料”にしていたようです。今でもウクライナからロシアに連れて行かれた子供達は、何かしらの実験に使われている可能性があります(精神的な面も含めて)。
最近、体内に入った微生物(腸内細菌など)が、人の性格に影響を与えている可能性があると言われ出しました。いままで、その土地の風土は、自然環境や歴史からきていると思っていたのですが、その土地の食べ物も影響を与えている可能性が出てきました。
そう考えると、世界の各地から食料を輸入している日本は、どんな性格の人が現れてくるのか、そんな疑問も出始めたような気もします!
頭が固くなってしまうとボケやすい!
50才から60才にかけて、自分の興味を広げる対策を立てることが、定年後の充実した人生を送ることにつながるようです。
この時期に責任のある地位にいると、なかなか自分の興味を広げることが難しくなります。
年功序列を改め、能力主義になると、この問題は解決する可能性があるのでしょう。
江戸時代に当てはめてみると、権限のある人は老中(石高が少ない)=能力のある人(しかし、収入はそれほど高くない人ということに)、収入のある人は外様大名(石高が高い)=年齢の高い人(収入が多い、しかし、権限はそれほどはない)、という年功方式であれば、歳をとっても、新しいことに興味を持ち、元気な高齢者が増え、定年後に社会に貢献できる余地も出てくる可能性が、広がってくる可能性があると思うのですが。また、子どもにも充実した教育環境を整えられるのでは、難しいですかね!