片づけのコツは「戻しやすさ」を優先!

 昔と比べると、豊かになっています。豊かさは、「片付けの力」を要求してきます。取り出しやすいと、どんどん取り出し、いつの間にか散らばってしまいます。取り出しにくい方が良いのでしょうか?
 また、環境でも変わるようです。仕事場ではキチンと片づいています。田舎に帰ったときも片づいています。
 自分の性格より、自分が置かれている環境で、片付けの感覚も違ってくるのでしょうか!

「ゆとり」を楽しむ時代に!

 対話型AIは、知識中心の教育を変える力があるのでしょうか。
 現段階で使ってみると、質問が具体的で、回答を匂わすものであれば、回答も正しいようですが。質問が曖昧だと、変な回答が返ってくることがあります。それもまことしやかな回答で返ってきます。
 ということは、質問をする前に、具体的な質問が出来る程度の知識は必要なようです。特に日本語は、同じ単語であっても、使い方が多用なので、質問するときは、どの単語を使って質問をするかも、関係してくるのかも知れません。
 やはり、「知識」と「感覚」をもとに、「考える力」を身につけることが、基本なのでしょうね!

目標に向かって努力をした人の脳!

 ChatGPT(相談型AI)サービスが開始されました。これは、結果的に「考える」ことが少なくなるようです。これは、認知症につながる心配はないのでのでしょうか?
 半世紀ほど前に「知的生産の技術」という本が発行されています。カードに情報を記入しておき、それをいろいろな視点から組み合わせ、「新たな知的発見」を行う方法です。
 その後、カード型データベースソフトが発売され、そしてSQL型のデータベースソフトになり、多くのデータを蓄積できるようになりました。その結果、多くの情報から「単語検索」が可能となり、いろいろな情報が見つけやすくなり、その見つけた情報を組み合わせ、新たな「気づき」が生まれやすくなりました。
 特に日本語は、同じ単語でも、使い方が多様なので、面白い気づきも生まれやすいですね。
 出来れば、自分でデータベースを作り、そして、単語検索をし、その情報を組み合わせて遊ぶと、歳をとっても、思考遊びを楽しむことが出来ますよ!

朝いちばんの気持ちいい「おはよう」を!

 現在、子どもに声をかけることが、はばかられる時代。この子供達が大人になると、人との付き合いがうまくいくのだろうか? と、心配ですね。
 子ども時代から、自分で人を見抜く力をつけていくことは、大切だと思うのですが。
 子どもに危険が無いようにすることも大事ですが、子どもが、危険を察知し、どのように対応するか、考える力をつけることも大事ですね。
 どちらを選択するか。あえて、危険に対応できる力をつけたほうが、その子にとっては、大人になってよい人生を送ることが出来るのでしょうね。難しいですね!

ノーと言うためには説得する力が必要!

 「No」は、それなりの理由が必要です。そして、説得力も必要です。この説得力がない場合、つい「Yes」と言ってしまうことがあります。
 きちんと「No]と言える説得力を身につけたいものです。理想は、Noと言わなくても、雰囲気でノーというオーラを発信できれば、最高なのですが!

視覚から得られる情報が圧倒的に多い!

 私たちは、眼の情報を頼りにしています。でも、よく考えてみると、初めて訪れる土地、知識・情報が先にあって、その部分だけしか見ていませんか?
 視覚情報がありながら、そのほとんどを見過ごしていませんか。
 最近は、初めて行く土地の場合、移動するための情報以外は、見ないようにしています。そして、その場所に行くと、五感で感じることが第一優先。ただし、その場所にはもう一度、いろいろ調べてから訪れます。
 話は変わりますが、クルマの自動運転技術が進んでいます。しかし、視覚に障害がある人用の、自動案内装置はどの程度進化しているのでしょうか?

無生物の進化も考えよう!

 無生物(石や水など)も環境と時間とともに変化しています。この変化は生物の変化のようには、見られていません。しかし、生物も何らかの原子の組み合わせで成り立っています。今回の新型コロナウイルスも、何らかの組み合わせで、できているのでしょう。
 もちろん人間も、またその生死も、何かしらの組み合わせの変化が起きてのことなのでしょうね。

ところで、対話型AIも無生物ですね!

いつのときにも選択をしているのかも!

 人間が、行動するとき、結論を出すとき、何らかの「判断」をしています。でも、その多くは、「無意識の判断」です。
 歩くとき、からだの判断を意識していますか? 道を歩くとき、どのように足を出し、体のバランスをどのようにするか、判断していますか? 普通は、手を振ってバランスをとりますが、両手に荷物を持っているときは、足の指からの信号で、足の右側に力を入れるか、左側に力を入れるか、判断しています。これは無意識で判断しています。
 人間のほとんどの判断は、他の生物と同じように、無意識の判断です。言葉による判断は、ほんのわずかなものなのでしょうね!

朝食抜きは、脳は午前中エネルギー不足に!

 朝食は活動のエネルギーのもとです。朝食を抜くと、だらだら活動になりかねないですね。ただ文字を見て、記憶するだけなら、それでもついて行けるのでしょうが、五感をフルに使って、その状況に対応して行くには、頭の働きも大切だと思います。
 最近の犯罪を見ていると、あまり考えないで行動しているようです。子ども時代に、自然の中で、どろんこになりながら、その状況の中で、どのように遊ぶか、考えながらあそぶ経験も大事です。そのような経験があると、大人になっても、もう少し考えて行動するのでしょうね!

プラスの言葉が大事!

 親切は、自分のためですね。自分の心が穏やかになります。
 ここ1年あまり、横断歩道での歩行者優先がマスコミに取り上げられていましたが、これを行うと、自分の心が穏やかになります。
 他の人があまり行わない親切を行うと、自分の心の穏やかさもレベルアップします。
 自分の五感をレベルアップし、他の人にプラスになる行いが多くできるようになると、毎日が穏やかな暮らしになりますね!

人づきあいがうまくいかない!

 人づきあいは、難しいと考える人が多いようです。特に何らかの評価をすると難しくなるようです。食べ物でもそうですが、「うまい」とか「まずい」とか、評価するのと同じように、「好き」か、「嫌い」か、で評価すると、人づきあいが難しくなります。
 食べ物の場合、これは「こんな味がするのか」で留めておくのと同じように、「この人はこうなのか」で留めておけば、人づきあいも少しは楽になるのでは、という気もするのですが!

高速化が深刻な弊害をもたらしている!

 交通や通信の技術が進歩すると同時に、人々の移動が激しくなりました。その結果、人や物に付着して、様々なものも移動するようになっています。たどり着いた土地の環境に合わせるため、様々な変化が起きているのでしょう。
 また、体力的にそれほど移動できなかった人達も、いろいろな交通機関を利用し、長距離の移動が出来ています。
 そして、移動中も、普段と同じように高速通信を使って、日常生活が送れるようになりました。
 高速通信で、多くの人がいろいろな情報に接するため、過去に学んだ知識も役に立たなくなってきています。何歳になっても、常に「学び」続けなければならない時代になりました。
 文字や画像データはこの恩恵を受けることが出来るのですが、五感で得る情報は少なくなりつつあるようです。感覚と文字・画像情報の接点を大事にしたいですね。そのためか、俳句が流行っているようですね!

「人間の教育」は自然界の摂理に学ぶ!

 子供達の多くは、自然の中で学ぶことが少なくなっています。自然の中での危険を体感することが少なくなっています。
 言葉や文字から学ぶことが多く、五感で感知し、自分で考える、ということが少ないからでしょうか。
 学童保育は、子どもの自由があるようですが、大人が見守っています。そのためか、どの程度までは安全か(危険か)は、大人の指導が入ります。
 安全は確保できますが、失敗の経験は少なくなります。
 五感の情報から考え、判断する、という力が弱くなっているようです。
 最近の犯罪を見ていると、本当に自分で充分考えて、行動の選択を行っているのか疑問を感じます。
 これは、人類の生き残りという視点が、不足しているのでは? SDGsは人類の生き残りを考えた活動だと思うのですが!

「得ること」にのみ価値を置く社会!

 植物は、動物たちをささえる大切な食料です。稲作が始まり、耕作者1人で2人分の食料を確保でき、しかも、1年間蓄えができるようになりました。安心して暮らせる食料が手に入るようになりました。
 イネが進化し、少し寒くても米が収穫できるようになりました。
 そして戦国時代には、田んぼがどんどん増え、戦が始まりました。
 イネが、その地域の人口を適正にするため、人間に戦わせるという戦略をとったのでしょうか?
 もしかすると、植物の進化は、ヒトが想像している以上に、戦略的なのかも知れません。
 幻想ですが!

なぜ自然界に知恵がないと思っているのか!

 人間は、生物の中で自分達が一番発達していると思っているようです。本当にそうでしょうか?
 例えば植物、動き回らなくても栄養分は確保できます。害虫が来れば、その害虫の敵の虫を、高周波の音を出し呼び寄せ退治させます。
 縄文杉などは数千年の命を持てています。水分も20m、30mも引き上げています(人間は手動では10m程度です)。
 生きるという視点で見てみると、「動かないでも生きていける」は、人間よりはるかに発達していると思いませんか! 人間は、生物の中で自分達が一番発達していると思っているようです。本当にそうでしょうか?
 例えば植物、動き回らなくても栄養分は確保できます。害虫が来れば、その害虫の敵の虫を、高周波の音を出し呼び寄せ退治させます。
 縄文杉などは数千年の命を持てています。水分も20m、30mも引き上げています(人間は手動では10m程度です)。
 生きるという視点で見てみると、「動かないでも生きていける」は、人間よりはるかに発達していると思いませんか!

栄養バランスのとれた食事を毎日、目で見て!

 食べ物は「見る」ということが大切です。野菜など、種植えの前の準備から収穫まで、できれば無農薬で、虫たちが食べた跡なども見て、この食べた跡なら安全かな? と感じることも出来ます。
 また、料理されたものも、よく見て、どんなバランスになっているのか知ることも大切です。
 いまだに小学校の給食時間で、黒板に、緑=野菜、赤=肉や魚、黄色=炭水化物、白=その他、など書いていた記憶が役立っています。
 サプリメントに頼らず、自分の目で見る、そして、できれば地産地消が良いのでしょうね。
 最近は、食物繊維による腸内細菌の働きにより、運動能力が変化するとのNHKの放送もありました。
 やはり食事は、バランスを考えて、料理による栄養の変化も考え、味を知るだけで鳴く、目で見て記憶に残し、食べる前から見ただけで、からだによいのか、気をつけたいですね!

“のに”病から解放し、意気揚々と!

 「進め 進めと 上司逃げ」、「出る杭を 叩いて上司 上を見る」、「聞かれたら ウマクヤレヨの 言葉のみ」。人生、組織での暮らし方を身につけないと。これは、社会での暮らし方と同じですね。これを身につけないと、異常な犯罪に手を染めるキッカケにもなります。
 ヒトが生存し、人口を増やすことが出来たのは、「社会」という人のつながりをつくり、自分というものに、ガマンを覚えさせ、協力することができるようになったのではないのでしょうか。ネアンデルタール人より脳が小さいホモサピエンスが生き残れたのは、ネアンデルタール人より大きな集団をつくり、その中での暮らし方が出来たからでしょう!

女性はオーラでコミュニケーションする能力がある!

 「チャットGPT」が注目されています。文章作成の代行をするようです。これがどんどん進化したとき、人間の脳は、進化するのでしょうか? それとも、退化するのでしょうか?
 人間、楽をするとボケが始まります。その程度なら良いのですが、帰巣本能がある「鳥」程度の生物に変わっていくのでしょうか?
 しかし、人間には(特に女性には)オーラでコミュニケーションすることが出来ます。まだ、オーラは数値化できていません。これならコンピューターに乗っ取られることはないのでしょうね。しかし、未来はわかりませんね!

スイーツとして一つ挙げるとすればチョコレート!

 薬品が開発される前までは、病気や健康の維持は、植物や動物を何かしらの加工をし、服用して(食べて)いました。
 漢方薬などは、征服した民族を、50年とか100年の間、人体実験の“材料”にしていたようです。今でもウクライナからロシアに連れて行かれた子供達は、何かしらの実験に使われている可能性があります(精神的な面も含めて)。
 最近、体内に入った微生物(腸内細菌など)が、人の性格に影響を与えている可能性があると言われ出しました。いままで、その土地の風土は、自然環境や歴史からきていると思っていたのですが、その土地の食べ物も影響を与えている可能性が出てきました。
 そう考えると、世界の各地から食料を輸入している日本は、どんな性格の人が現れてくるのか、そんな疑問も出始めたような気もします!

頭が固くなってしまうとボケやすい!

 50才から60才にかけて、自分の興味を広げる対策を立てることが、定年後の充実した人生を送ることにつながるようです。
 この時期に責任のある地位にいると、なかなか自分の興味を広げることが難しくなります。
 年功序列を改め、能力主義になると、この問題は解決する可能性があるのでしょう。
 江戸時代に当てはめてみると、権限のある人は老中(石高が少ない)=能力のある人(しかし、収入はそれほど高くない人ということに)、収入のある人は外様大名(石高が高い)=年齢の高い人(収入が多い、しかし、権限はそれほどはない)、という年功方式であれば、歳をとっても、新しいことに興味を持ち、元気な高齢者が増え、定年後に社会に貢献できる余地も出てくる可能性が、広がってくる可能性があると思うのですが。また、子どもにも充実した教育環境を整えられるのでは、難しいですかね!