行動をすればするほど個性的になる!

 情報があふれている現在、自分が行動して、五感で感じ、直接情報を得る。この過程で、「自分」という個性がつくられていくのでしょう。
 Netで、他人が提供する情報をもとに、自分の思考を造っていると、そのような人が多いため、似たように思考する人が多くなり、個性というものがなくなっていきます。
 個性を求めない社会になると、強健な指導者にとっては、統治しやすい社会になるのでしょうね!

日本は複雑な人種を混入させながら1つに!

 日本には7世紀ごろまで、渡来する人達を受け入れており、その人達と協力し「日本人」というものをつくってきました。
 「日本は単一民族国家である」は、政治的に同化政策が必要なときに、発信されたようです。
 「曖昧な風土」が許容される日本、7世紀頃までは渡来人が多くいたようです。その人達を含め、協力して、日本文化を、そして、日本人を育ててきました。
 移民しても、自国だけの文化しか許容しない民族もいれば、移民先に馴染もうとする民族もいます。
 食糧事情が許されるのであれば、外国の人達を多く受け入れることも必要ですね!

花火は夏のビッグ・イベント!

 都市部の祭は夏ですね。農作地帯は秋の終わり頃のようです。でも、最近の御祭は、お客さんの中には、自己管理があまりできなくて、安全対策に多くの費用がかかるようです。
 将来も御祭を継続して行くには、どこかで、事故の責任の多くは、お客が責任を持つことにしないと、御祭を続けていけないのでしょうね。
 庶民の文化は、継続していかないと、ロシアのような風土になりかねないですからね!

人生の本当の姿にふれる!

 経営コンサルタントのように、「建て前」中心でやっていると、普及し始めた「生成AI」に仕事を奪われてしまいます。また、歳をとって仕事を辞めたとき、自分の考え方が狭くなっており、その後の人生も狭くなってしまいます。
 これからは、いかに感性を磨き、それを生かしていくかが、問われてきます。自然に学び、歴史に(主流ではない歴史も)学び、ホンネで付き合える人を見つけ、多様な生き方を見つけることが重要になるのでしょうか!

感じる人工知能のほうが!

 生成AIが広まろうとしています。その原点は、情報をカード化するところから始まり、コンピュータで、SQLなどのデータベースソフトが定着し、大量のデータを蓄積できるようになり、それに、編集ソフトが開発され、それらをもとに、AIが作業を行うようになりました。
 しかしまだ、人間の感性は、それぞれの人に合うようには、まだAI化はされていないようです。
 ただ、人々の自然との接触が少なくなり、学校や社会が、文字や画像などの情報への接触が中心になった今、人々の感性も、AI化されないとは、言い切れないのでしょうね!

生きることに心を注ぐ!

 異常な高温が続いています。でも、異常とは言えないような、通常になってしまうのでしょうか。18世紀の半ばに始まった産業革命。250年もエネルギーを使っていると、もう元には戻れないのでしょうね。あとは、温暖化の進行を遅らせるだけですね。
 その一端として、里山暮らしの促進も1つの方法。
 都心と、そうでないところで、同じ品物でも、都心の方が高くなる商品が出てきました。そのような方法が常態化すると、田舎暮らしの人も増えるかもしれないですね!

育つ環境・教養の度合いによる差!

 孤立した人が増えているのでしょうか?
 多様性が受け入れられない社会になっています。
 現在は、1つの正解を求める社会になっています。そのためか、生成AIというものも出来てきました。論理的な思考をする過程で、答えを一つにしようと、情報を整理していきます。その方向から外れた情報は、除外されていきます。
 それは、人に対しても、同じように行われているようです。
 しかし、答えはいくつもあって良いのです。特に日本では「好い加減」が通用していたのですから。
 専門家は、生成AIに置き換わっていくのでしょう。いまから「好い加減」に多様な答えを許容していかないと、答えは1つ、としてきた専門家は、苦しい社会になっていくのかも知れませんね!

熱中症には3通りがあります!

 昨今は、秋に行われていた運動会が、春の終わり頃になりました。しかし、温暖化のため初夏、あるいは、夏といった状態で行うことになってしまいました。
 そのため、熱中症の生徒さんが出るようになりました。
 運動会が、秋から春になったのは、受験ということが関係していると思うのですが、命と受験とどちらが大切なのか? 生徒さんが選択できないのでかわいそうです。
 温暖化とともに、エアコン利用環境のため、生物的に見ると、先進国の人は、環境の変化への対応能力が弱っていること、もっと考える必要があるのかも知れないですね!

なんでもほめる、なんでもほめる!

 ネット社会になると、人に会っても「ほめる」ことが難しくなるのでしょうね。多くの人に合わないと、人それぞれの良いところを見つけにくくなります。
 まして、子供時代から、近所の大人達と話しもしないで育ってくると、様々な人を見分けることも苦手になるのでしょうね!

最終的に生き残ったのは常に敗者!

 「生き残るのは敗者」と、歴史学者や生物学者が言っておられます。確かに、第二次世界大戦で敗者の国が、経済的な発展を実現しています。
 勝者であるソ連(現ロシア)は、終戦後にポツダム宣言に違反し「強制抑留」で、日本の軍人・軍属や一部の民間人も、ソ連兵からダモイ(帰国)と言われ、移動を命じられたのですが、着いた先は日本ではなく、シベリアを始めとするソ連領内やモンゴル地域などの酷寒の地でした。そこでは、わずかな食糧と不衛生な環境の中、過酷な労働を課せられる抑留生活を強いられました。抑留された約57万5千人のうち、約5万5千人が命を落としました。
 その勝者の現ロシヤは、歴史に学ぶことがなく、また勝者を目指しながら、亡びかねない行為をしています。
 ロシヤは文字の文化が千年程度、歴史に学ぶことがあまりないのでしょうか?

隠された憎しみは仮面をかぶる!

 核家族になり、都会では、自然の中での体験が減り、周りの人たちとの接触が減り、Netでのやりとりが増え、子ども時代から「加減」というものが身につかなくなくなっている子どもが多いようです。
 この「加減」というものが身についていないと、「Yes」か「No」という選択が中心になり、その間の選択が出来なくなります。
 それに、学校教育も「Yes」か「No」という評価になっているので、状況に応じた「加減」を、体験することが少なくなっているのでしょうね!

判断力は『あれか、これか』の中で!

 「確固たる思想を持つ」という考え方が主流です。しかし、これは「自分だけが正しい」という結果を生み出します。そして、多様性が阻害されます。
 日本のように、征夷大将軍(将軍)や天皇いて、神様も仏様もいて、クリスマスも祝います。「好(い)い加減」が広く許容される国は、日本ぐらいです。
 1つの考え方でしか生きていかなければならない国は、日本から見ると「かわいそう」と思ってしまいます。しかし、その国では、正解とされています。
 これは自然環境に多様性がないためなのでしょうか?
 日本は、地震、台風、洪水、干ばつなとど、多様な自然環境の中で、生き延びていくための智慧の結果なのでしょうか!

苦しみは真理が分からないから起きる!

 子ども時代から、「どうしてだろう」とその都度考えていれば、苦しみは少なくなるのでしょうね。
 昔話で、小さいときからお寺の小僧になった人が、大人になり智慧のある人になり、人々の暮らしを助けている、という話があります。
 やはり、小さいときから、それぞれの真理を見つけながら、暮らしてきた結果なのでしょう。
 情報・知識が容易に手に入る時代、それが真理だと勘違いしていると、苦しさからは、なかなか抜け出せないのでしょうね!

他人の不幸は蜜の味!

 市川猿之助容疑者「心中事件」発端の週刊誌や、ガーシー容疑者の投稿動画は、『他人の不幸は蜜の味』が基本になっています。このような「蜜」が大きなお金になると、止められなくなるのでしょうね。
 週刊誌の版元やネットサービスの提供者は、その蜜の味を覚えると、歯止めなど、どうでもよくなってしまうのでしょうね。
 以前に比べ、はるかに情報発信が容易になった今、法律に頼らない歯止めが、社会にできるとよいのですが!

自分と目先のことだけを考えて行動?

 「目先のことしか考えない」、それもNETからの情報で。
 事実(現状)を洩れなく把握することに、ほとんどの時間を使い、結論を出すのは、総時間の5%程度の時間配分が望ましいのでしょうが、現在は、現状把握ではなく、NETでの情報集め中心になってしまいました、これからは「生成AI」が結論を出す時代になるのかもしれません。
 「目先のことしか考えない」という事態は、核家族という社会も関係しているのでしょうか。「あれ、これ」考えることができなくなってしまっているようですね!

神道の“自他一如の法則”という教え!

 智慧は、学問的知識や頭の良さの発揮と思われがちですが、そうではないようです。辞書によると「人生経験や人格の完成を俟(ま)って初めて得られる,人生の目的・物事の根本の相にかかわる深い知識。叡智(えいち)。」とのこと。
 具体的には、「誰にも親切にする」と思った方が合っているようです。相手の立場で考え、相手のメリットになりそうなことが出来ることが「智慧」と、思った方がよいようです!

「自分」とは「自然の一部分」なのである!

 昨今は「いただきます」という言葉を、感覚で理解している人が少なくなっているようです。言葉での説明で、分かったつもりになっているようです。
 自然の中で生活していれば、少しの説明で「いただきます」の意味を感覚的に理解できます。
 自然の中で暮らし、食事のたびに「いただきます」と繰り返していると、自然に感謝する生活が根づいてきます。そして、周りの人たちへの気づかいもできるようになっていくのでしょう。
 この環境が壊れた結果が、異常な犯罪に結びついてしまうのでしょうか?

ものごとを理解するときには頭と体の二つを使う!

 むかしは、「仕事は、見て盗め」が原則でした。見ながら、やってみて、自分で悪いところを見つけ、改善し、それを繰り返していました。
 しかし、能率優先になり、マニュアル化し、あるいは、自動化してきました。その結果、経験が少なくても、安定した品質を保つことができるようになりました。
 これは、社会としては進化をしたのでしょうが、ヒトとして、個々人の進化を手に入れることが出来たのででしょうか。
 この流れは、ヒトの定められた進路なのでしょうから、どううまく乗って行くかを考えるしかないのでしょうね!

弱い存在がゆえに身につけたものがある!

 人はなぜ、強い者が生き残ると、考えてしまうのでしょうか?
 「自分は弱い」という意識が持続していれば、どんな状態であれ、いろいろと工夫を続けて、自分の弱みを少しでも改善しようと、がんばり続けます。
 しかし、「自分は強くなった」と思ったとたん、じわじわと弱みをが出始めます。 傲慢とは、「思い上がり=弱み」がはっきりと出始めた状態。この先は………。ロシアのプーチン大統領は、どうなるのでしょうか?

なぜ、未来はわれわれを必要としないのか!

 どうも、そろそろ人間の知恵が、惠(めぐみ)をもたらすことに限界が近づいてきたのでしょうか?
 便利さが、人間の機能を劣化(熱中症、もしかすると認知症も?)させ、そのうちロボットに養ってもらう時代が来るのかも知れません。
 もしかすると、無意識に、便利さを失うのなら、人間は滅亡してもよいのでは、と感じているのでしょうか?