能力主義の社会になりました。スキルがないと安定した収入が得られません。
すると、どうしてもスペシャリストを目指してしまいます。
専門性は高まるのですが、思考の幅は狭くなってしまいます。
学校教育で、「記憶力」中心で脳を育ててきたため、もともと思考能力はそれほど育っていないようです。
そのような社会では、専門性を重視するスペシャリスト優先になって行くようです。
ただ、年を取り、退職すると、思考範囲が狭い人達は、どのようになっていくのでしょうか?
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ガキ大将がいない今、縦社会のマネジメントを学べるか!
女性の経営者を増やしていこうという社会になっています。この背景には、子供時代に、男の子達が「ガキ大将」のもとで、「タテ社会」の基本を学ぶことが出来なくなったことも一因なのでしょう。
子供時代、男女平等の生活スタイルのため、社会に出ても、当然に男女平等になります。
ただ、心配なのは、ガキ大将は、下の子供達の能力を見て、下の子にあった遊び方を工夫していました。また、下の子達は、ガキ大将の配慮を学んでいました。
そいゆう子供社会が、現在の「いじめ」といわれるものが、少なかった理由の一つかも知れません!
避けて通れぬことは避け無い!
自然な中で育つと、避けられること、避けられないこと、を体験します。
避けられないことに出会ったとき、どう対処するか、考えざるをえません。
その体験を繰り返していると、いろいろな場面に出会っても、冷静に「どうしようか」と考え、対応します。
昔は「ガキ大将」がいましたので、自分が小さいとき、自然の中でどのように対応するか、学ぶことが出来ました。
また、自分が大きくなり、ガキ大将になった時、その経験を小さな子に教えていました。
今は「ガキ大将」がいなくなりましたね!
パワーハラスメントへの対応は?
パワハラ(パワー・ハラスメント)は、脳の構造に原点があるようです。
基本的には、男女の脳の構造に違いがあり(もちろん女性でも、男性脳に近い人もいれば、その逆もありますが)、男性脳に多いようです。
ということは、相手の「脳の構造を直す」ことはできないので、こちら側の対応を変えるか、社会的な対策をするしかないのでしょう。
まず、しょうがないので、こちら側の対応を工夫してみましょう!
腹が立つ感情を捨てる!
“ 「腹の虫」という言葉は今でも使われています。昔は病気の原因を「虫」といっていました。
たとえば庚申信仰。悪いことをしたかどうか監視する虫が、人の中に住んでいました。その虫が60日に一度、夜寝ると、天の神様に報告に行きます。その報告をさせないため、その夜はみんなで集まり徹夜をします。それが庚申塔があるところで行ったそうです。きっと酒を飲み明かしたのでしょう。
ところで、「虫歯」という言葉は、まだ虫が残っていますね!”
社会に出ると完全な縦社会!
社会に出ると、学生時代の横社会から、縦社会に変わります。しかし、この縦社会は、昔の縦社会とは違っています。
現在の縦社会は、下の者が、上のご機嫌を伺う、というスタイルです。しかし、昔の縦社会は、リーダーが、下の者の能力や性格を考え、その人が一番能力を発揮しやすい環境に、置くことを考えていました。
ソ連の捕虜になった、第二次世界大戦の日本兵捕虜の班長ですら、班員の性格や能力を見極め、配置していました。
これは、子供時代に、ガキ大将を中心に、年齢が10歳以上離れた子供達が、一緒に遊んでいので、ガキ大将は、下の子供達の能力を考えながら、安全を確保しながら、みんなでいかに楽しむかを、考えながら遊んでいました。
例えば、ソフトボールで遊ぶとき、中学生がピッチャーで、小学3年生がバッターの時、力一杯投げますが? 手加減して投げることを学んでいました。
しかし、そのような体験がある世代は、昭和15年(1940年)生まれ位まででしょうか!
子ども時代にタテ社会の中で生きる体験!
「ガキ大将」というものが、過去のものになってしまいました。子供時代、年齢の違う子供達が、それぞれの年齢と能力を考えながら、教え・学ぶ体験を失ってしまったようです。
自然の中で、年上の子は、下の子の能力を考え、年下の子は年上の子に学び、安全で、楽しく遊ぶ経験は、大人になっても大切なものです。
特に組織の中では、周りの人たちの能力や性格を見極め、それぞれの人に応じた対応が必要です。それが、組織全体の能力につながっていきます。
「ガキ大将」が復活するとよいのですが!
自分のホンネをさらけ出すのは危険な場合も!
パワーハラスメントが、ニュースで取り上げられる事が多くなっています。
事実をきちんと把握して話しができるのか、気分で話すのか、でも違ってきます。
1980年頃から製造業に広まっていった「トヨタの小集団活動」の方式。この方式では、「現状把握」に活動時間の9割以上の時間をかけていました。もれなく現状を把握することを、活動の重要事項としていました。
現状の把握が出来れば、対策は自然に思いつくもの。
コミュニケーションにおいても、まず、事実・現状把握を伝え、それをもとにして話しをしていくと、良い結果が得られるのではないのでしょうか!
権力を握ったままなかなか引退しない
「能力主義」が叫ばれています。若くしてトップになった人は、どのタイミングで引退すればよいのでしょうか?
人間の性(さが)として、「権力・財力・名誉」にはしがみついていたいもの。その地位から下りることが出来るでしょうか?
その弊害から逃れようとして、年功序列が生まれたのでしょうか?
組織において、これで万全といった制度はなかなか難しいですね。参考になるとしたら、江戸幕府の体制でしょうか?
思い通りに部下が動くことなど期待しないこと!
部下を「自分の思い通り動かす」を基本としている上司は多いようです。
その場合、「組織の思い」「世間の思い」をどれほど意識しているかによって、部下の動きは違ってきます。
「自分の思い」の正当性を常に吟味し、指示を出したいもの。
ただし、人を自分の思い通り動かす、という発想そのものが、難しいことを認識し、相手に社会における正当性を、きちんを伝え、相手が自発的に動くようにさせることが、基本中の基本なのでしょう!
上司も部下は、単なる役割分担!
日本にも、能力主義が叫ばれ、取り入れた企業もある時代。ただ心配なのは、若くしてリーダーになった人が、長期間その地位にいると、組織の流動性が阻害されるのではないか? という心配です。
若ければ若いほど、その権力・地位・収入にこだわる危険性があるからです。
江戸時代のように、権力や財力、名誉が分散されるしくみがあれば、ある程度はその危険から遠ざかることも考えられるのですが、そうでなければ、危険なリーダーが、長く支配することも起きてしまいますね!
叱った後は、叱り終わった合図を!
「叱る」とき、「叱り終わり」を考えてから叱っていますか?
叱る目的は、叱る相手に何かしらの改善を要求し、そして、結果を出してほしいから叱っています。
叱った結果は、どの程度改善が実現していますか?
よく見かけるのは、叱る側のストレス解消のため叱っている、と感じてしまうことがあります。これでは、叱られた側もストレスが残り、双方とも何のメリットも生まれてきません。
何かしらの改善が生まれる叱り方を、充分考えてから、叱りたいですね!
“のに”病から解放し、意気揚々と!
「進め 進めと 上司逃げ」、「出る杭を 叩いて上司 上を見る」、「聞かれたら ウマクヤレヨの 言葉のみ」。人生、組織での暮らし方を身につけないと。これは、社会での暮らし方と同じですね。これを身につけないと、異常な犯罪に手を染めるキッカケにもなります。
ヒトが生存し、人口を増やすことが出来たのは、「社会」という人のつながりをつくり、自分というものに、ガマンを覚えさせ、協力することができるようになったのではないのでしょうか。ネアンデルタール人より脳が小さいホモサピエンスが生き残れたのは、ネアンデルタール人より大きな集団をつくり、その中での暮らし方が出来たからでしょう!
頭が固くなってしまうとボケやすい!
50才から60才にかけて、自分の興味を広げる対策を立てることが、定年後の充実した人生を送ることにつながるようです。
この時期に責任のある地位にいると、なかなか自分の興味を広げることが難しくなります。
年功序列を改め、能力主義になると、この問題は解決する可能性があるのでしょう。
江戸時代に当てはめてみると、権限のある人は老中(石高が少ない)=能力のある人(しかし、収入はそれほど高くない人ということに)、収入のある人は外様大名(石高が高い)=年齢の高い人(収入が多い、しかし、権限はそれほどはない)、という年功方式であれば、歳をとっても、新しいことに興味を持ち、元気な高齢者が増え、定年後に社会に貢献できる余地も出てくる可能性が、広がってくる可能性があると思うのですが。また、子どもにも充実した教育環境を整えられるのでは、難しいですかね!
無欲になれなくても、小さな欲望に!
人が求めるものの原点に、お金・権力・名誉・寿命がありますが、現代は多くの方が「お金」なのでしょうか。
そのためか「能力主義」が叫ばれています。
しかし、年功序列の時代は、先輩が後輩をよく指導していましたが、能力主義になると、先輩の指導はあまり期待できなくなります。自分で能力を高めていくしかなくなってしまいます。
日本では、高度成長が出来た時代は、年功序列の時代でした。能力主義になると、日本全体では、どの程度の成長が期待できるのでしょうか。
今回のワールド・ベースボール・クラシックでの日本の活躍は、日本の年功序列時代の組織を思い出してしまいました。先輩が熱心に後輩に教えていました!
外面がよく見えてても中身ブスなら!
地位が上がれば、収入・名誉も上昇、尊敬されるという世の中。この方式を打ち破っていたのが徳川家康。
収入の多い10万石以上は外様大名、幕府の重要な地位には就くことが出来なかった。老中になれる大名は、数万石の譜代大名。
また、名誉は「武士は食わねど高楊枝」という言葉があるように、江戸時代の武士は、下の者でも名誉をめちゃくちゃ大事に考えており、その反対に恥をひどく嫌いました。
上位のものに、権力・財力・名誉が集中することの危うさを、完全に避けるシステムを作り上げることで、安定して時代を造り上げたのでしょう。
独裁国家を否定することで、平和な社会をつくりあげることに成功したのでしょうね!
全員一致は本来はあり得ないこと!
日本は「根回し」文化の国です。根回しには談合もあります。『日本書紀』の時代から談合の国です。 A建設、B建設、C建設などさまざまな企業が談合で出てきます。
そういった取捨選択、あるいは格付において絶妙に配慮が行き届いて、忖度しているといった具合です。
だから、『日本書紀』は日本の忖度文化の原型ではないかと思います。いわゆる独裁的な王権があったのではなく、連合王権のような国として成立してきました。
「根回し」には悪い面もありましが、良い面もあります。それは独裁者が出てこないことです。日本の独裁者と言える人物は織田信長ぐらいでしょう。
根回しの段階で、部下の意見を取り込むことができます。また、部下を上司の意見に近づけることも出来ます。
独裁国家にならないためには、効率に問題はあるのでしょうが、「根回し文化」もあって良いのでは、と思いますが!
マニュアル通りやれば?
今日(2022年12月3日)、相模原市にある有鹿神社の奥宮(おくみや) で、「有福玉清祓式」……お有鹿様からいただく新しい命を象徴する「有福玉」を奥宮の泉で清める「清祓式(きよはらえしき)」が斎行され、偶然、奥宮にいましたのでお声をかけていただき、参加させていただきました。
このような行事は、進め方に決まりごとがあり、その決まり事の通りに進めることで、神様から御加護をいただけると感じることが出来ます。
今流の言葉で言えばマニュアル化なのですが、なぜ神事と業務などのマニュアルは重みが違うのでしょうか?
偶然参加させていただいた神事なのですが、重みがまったく違うと感じることが不思議でした!
労働力が重要なのは生かされている場合!
むかしの縄文時代の土器は、手の込んだつくりをしています。これを、仕事としてとらえると、大変だなと思います。しかし、趣味という視点でとらえると、まあまあという評価になります。
出来上がったものを、仕事という視点でとらえるか、趣味という視点でとらえるかで、出来上がったものの評価が分かれることもあります。
縄文土器については、専門家の人達は、仕事という視点で捉えているようですね!
学習性の無気力を払いのける!
昔の職人のように、技術を「見て盗む」という機能が劣化してきているようです。
これは、教科書やマニュアルで学ぶというやり方が影響しているのでしょうか。
また、子供時代に、自然の中で子供達だけで遊ぶ経験がなくなったためでしょうか。
それに加え、ナット社会になり、実際に相手の表情やしぐさを見る機会が少なくなった為でしょうか。
生物としてのヒト族の能力が、落ちてきているようですね!