文字の文化は、記録として残っているので研究されていますが、言葉の文化は、なかなかわからないようです。また、言葉がなかった時代は、もっとわからないですね。たとえば、毒キノコのように、毒のある食べ物の危険性を、どうやって伝えていたのか? DNAスイッチのOn/Offで伝わっていたのでしょうか? なんらかの伝達方法がないと、生き残ってはいけないでしょうから!
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源平の合戦に携帯(伝書鳩)が使われていた?
日本の歴史の中で、通信手段として「伝書鳩」のことを語る歴史家は見かけない。が、尾道の浄土寺の言い伝えでは、「源氏は伝書鳩を使っていたが、平家は使えなかった」と。今でたとえると「携帯電話」に相当するのでしょう。広島の原爆の一報は、原爆投下の少し後に広島を通りがかった新聞記者が、大阪の本社に伝書鳩で報告したとのこと。何らかの事情で記事にはならなかったが、第二次世界大戦までは、ヨーロッパでも伝書鳩が使われていたという。戦国時代の“いくさ”でも、伝書鳩が使われていたのでしょう。江戸幕府が「伝書鳩を禁止」した事実があるのですから!
外国にも「お盆」に似た文化がある!
日本のお盆に相当する行事は、海外にもあるようです。しかし、いろいろな文化をつくり出しながら、その多くを過去に置き去った国も多くあります。日本は海外から入ってきた文化を、洗練しながら現在まで引き継いできているものが多くあります。「文化は、現在に生きているからこそ文化である」と思います。歴史は、単に記憶するものではなく、現在に生かすための歴史であってほしいものですね!
「花火」そのはかなさを!
花火は、下から見上げるところが多かったのですが、高層住宅が増えてきたため、横から見る人も増えてきているのでしょう。むかしは、海や川のそばに山があり、その傾斜地で各々が好きな場所を見つけ、花見見物をしていた所(たとえば広島県の尾道)もあります。そんなところでは、高いところから少し下の花火を見る、といったところもありました!
かつての日本の家の中!
実家に帰ると、”もの”があまりありません。必要なものと、少しばかりの小さな置物類だけです。しかし、家の外には豊かな(多彩な)自然があります。部屋の中にものが増えるのは、都会生活で、まわりに心が安らぐ自然が少ないためでしょうか?
完成形に至ると活力を失う!
現在は、「完成形」を目指すことが当たり前になっている。勉強、学術、工業製品、構築物、建物など、完全をめざす。しかし、日本の文化には、「未完成の美学」というものがあり、あえて、完全なものを、一部を未完成にし、次なる進歩を追求する風土があった。完全を目指すことは、誰もができるものではない。できない者は、「おちこぼれ」として扱われる危険性がある。もっと、未完成・多様性を認める社会であって欲しい!
お経なんか、さっぱり分かりません!
お寺さんと関わる機会が、ごく限られたときだけになってしまいました。昨今、ストーカー、閉じこもり、いじめなど、心の問題が日常化しているとき、心を救うべく成立した宗教の教えや手法は、できが悪かったのか、あるいは、退化しているのでしょうか? これだけ多くの宗教施設がありながら、生きている人達を、もっと救うことはできないのでしょうか!
日本では、空気のような神々のあり方!
日本の神様が生き残ったのはなぜでしょう? キリスト教などの論理的な宗教に、淘汰されなかった唯一の国、日本。知識と論理で成り立つAIにも、日本は何らかの競合策を生み出すことが出来るのでしょうか。日本神様は基本は自然崇拝でした。「自然を大切にする」ということは、日本の自然は予測できないことが起きることがあり、そのため多少の余力を残しつつ、農作などを行ってきました。この無意識に「余力を残す」ということは、論理的な考え方では組み込まれません。全力を出すことが良いこと、ということになります。最近、身内の介護で「全力で介護はしないで、自分がつぶれてしまうよ!」と言われ出しました。また、引きこもりの原因は「全力を出せてない自分に、引け目を感じる」ということも、原因の一つなのでしょうか? 自然からの感性を得られないまま、知識教育だけで育つ危険もあるのでしょう!
古代の人々にとって鏡は神秘的なもの!
このところ精神に異常があるのでは、と思われる凶悪事件が頻発します。昔もあったのでしょうが、それなりのしくみがありました。「わら人形を、丑三つ時に神社の森の木に釘で打ち付ける」、「呪いの祈祷をお寺に依頼する」など、精神面での気晴らしの方法がありました。というより、神社やお寺が、生きている人をどう救うか、ということに真剣に取り組んでいました。神社やお寺は、自分たちの存在価値をどのように考えているのでしょうか?
相撲のはじまりは、642年!
日本の伝統的なものは、すり足が多いようです。格式を重んじるため、普段の歩き方と異なった歩き方を取り入れたのでしょう。むかしの普通の歩き方は、道に迷わないため尾根道や坂道を歩くため、しかも、手入れの悪い道が多いため、腰(おしり)の筋肉で足を前後に動かし、太ももの筋肉で足を上下に動かしていたのでしょう。しかし、現在は道が舗装されたため、多くの人がすり足で歩いているようです。今でも少しですが、お尻の筋肉で足を前後に動かしている人も見かけます。子供時代にクルマが通れない坂上で暮らしていたのでしょうか?
分け合うという力が弱いと亡びる!
食べ物に困ったときでも、「分け合う力(助け合う力)」が「生き残りの力」ですね。しかし、日本の中でも助け合う風土は地域によって差があるようです。四国のように、お遍路さんを受け入れる文化があるところは、「与えっぱなし」「貰いっぱなし」が当然で、ただ、ただ無心で与える風土が出来ているようです。しかし、地域によっては「恩を与えたんだ」と、自己満足したい人が多い地域もあるようです!
一神教や終末論は争いを激化する思想!
宗教であれ、一神(一人)に権力や名誉が集中すると、不安定な社会になることが、人類の歴史で証明されています。にもかかわらず、なぜ、そのしくみを改革できないのでしょうか。人類史上、どの段階で権力・名誉・財力に特別な魅力を持つようになったのでしょうか。やはり、農耕で麦を栽培するようになり、その麦が保存可能だったためなのでしょうか?
UFO、幽霊を信じますか?
幽霊やUFOなど、不可思議なものに興味を持つのはなぜでしょう。未知なものに出くわしたとき、生き残るための対応力を、身につけるための訓練の一つなのでしょうか? このようなとき、体内には何らかのホルモンが出て、からだは、日常と違う状態になる。そのような状態を体験することで、本当に未知なものに出会ったとき、対応できるようになる、といったことでしょうか!
神社の前を通りかかったら!
鎌倉では神社の前を通るとき、立ち止まり、神社に向かってお辞儀をする人をよく見かけます。外国の観光客が増え、外国人向けのお店が増えてきてはいますが、まだ日本の風土を守っている人もおられるようです。日本風土を守っているが故、外国の人たちが観光に訪れるのでしょうか。「観光」とは、見知らぬ土地に行って、何か役に立つことがないか、見つけることが目的だったようです!
願いごとは、神様に誓うもの!
神様にお参りして、願いごとをお願いする時期が近づいてきました。でも、お参りは、お願いするのではなく、手を合わせて「頑張ります」と神様に誓うことなのですね。来年は何をしようか、どう取り組むもうか、そろそろ考えを、まとめなければならないですね!
ある程度の自信があるが「変顔」
ネットに、自分の写真を載せる場面が増えています。ある程度、自分に自信がないとできないですね。その自信を「もっと増すことが出来るかな?」と、頑張っていますね。そういった工夫の積み重ねが、いろいろな文化を生み出すのでしょう。頑張りましょう!
出世のお守りとしての瓢箪!
瓢箪の種は、縄文時代の草創期から前期にかけての遺跡からも出土しています。縄文土器の形状や重量から考えると、瓢箪で水を運んで、水瓶に入れていたのでしょうか? 出雲大社には、瓢箪に宿る霊力を用いた行事があるそうです。世界中で何かと工夫し、いろいろと文化をつくり出しているようです!
非戦闘員を殺す戦争!
第二次世界大戦の当時、米国航空軍の航空機の数は、ドイツ、日本、米国は6位、開戦当時は米国はたったの14機しか保有していなかった。太平洋戦争が始まったとき、米国陸軍の下部組織だった航空軍は、空軍独立のチャンスが来たと考え、航空機をどんどん開発、製造、空軍力だけで日本を降伏させようと考えた。どんどん過激な作戦(全国人口密集都市への毒ガス計画まで)を考え、ついに、非戦闘員の大量虐殺を実行した。ウォルト・ディズニーは、日本への爆撃が始まる2年前の1943年、日本への徹底した空爆の映画を作成していた!
古都京都の風土!
日本国内の風土はどこも同じようなもの、と無意識に思っている人が多いようです。しかし、よく見るとかなり異なっています。大地震後の対応でも、支援の食べ物を貰ったとき、東北では「どうもありがとうございます」という人が多いのに対し、神戸では「冷たいままなのか!……」と不満顔。ストレスの強度から見ると、神戸の方が“ストレス度が低い”ように感じます。災害から数年後をみても、東北の方が”引きずっている”ような感じを受けます。歴史的に災害が多い西日本の方が、ストレスからの回復が早いのでしょうか。今回の豪雨による災害も、気持ちの早い回復ができるとよいのですが!
夕方4時の銭湯の贅沢さ!
銭湯、あるいは、地元の人達が入浴に来る共同湯はいいですね。その土地の風土が感じられ、ふと、懐かしさを感じます。日本はどこも同じようなもの、と無意識に思っている人もおられますが、それぞれの町には違いがあります。となり町であっても違っているものです。都会に住んでいると、どこでも同じ、といった感覚に陥りやすいのですが、土地土地の風土の違いを見つけることも楽しいものです!