鎌倉 疫病蔓延で退治した蜘蛛を祀る「八雲神社」

 1080年頃に大発生した黒蜘蛛が疫病を蔓延させたが、当時「蜘蛛は益虫」とされていたため駆除ができなかった。
 そこに中央より新羅三郎義光(八幡太郎吉家の弟)が、「朝見た蜘蛛は逃がせ、夜見た蜘蛛は殺せ」というスローガンをかかげ、多くの蜘蛛を焼き殺し駆除に成功した。その後、蜘蛛のたたりを恐れ神社が建てられた。当初「焼蜘蛛神社」では気持ちが悪いため、間もなく「祇園天王社」と改められ、その後、「八雲神社」になった。
 もとは焼蜘蛛(やくも)神社だったとか。

劣等感は心が勝手につくり出した妄想!

 迷いの多くは、体験を伴わない知識から生まれてくるのでは、と思うことがあります。
 子供時代に自然の中で遊び、その後、学校で学び始めると、いつの間にか、まず現実を正しく把握する習慣が出来てくるようです。
 すると、まず状況を把握し、どう行動するか、考えます。すると、悩む数が減ってきます。
 もちろん、それ以外の抽象的な悩みもあります。しかし、少しは悩みが減ってくるようです!

尾道 裏山に岩に刻まれた仏像群が「済法寺」

 旧市街から見ると、ちょっと離れた西側にあります。
 境内に入っただけでは気がつかないのですが、裏山にある“岩に刻まれた仏像群(磨崖仏)”は見もの、特別な世界観を作り出しています。
 墓地がある斜面には、数多くの仏像か岩に刻み込まれています。ただし、お墓があるところより上は道がありません。双眼鏡などで見ることをおすすめします。(このあたりは花崗岩が風化した大きめの砂粒が斜面にあり、枯れ葉も多く、かなり滑りやすいのです。このような道のない斜面を歩きなれた人以外は、登らない方がよいでしょう。)

心理的に成長が苦しみを救う!

 考えすぎは、ストレスの原因になります。しかし、何も考えないで行動すると世間に害を及ぼすこともあります。
 ある程度はマイナスが起こることを考えておく必要はあるのですが、どの程度考えておくかは、難しいですね。
 ただ、何かしら自分にとってのマイナスの事象が起きてしまったら、冷静に、現状を洩れなく正確に把握し、自分ができること、他人にサポートしてもらうことなど、考えることができるように、日頃からの心構えは、必要ですね!

鎌倉 縁結び観音も祀る「佐助稲荷神社」

 祭神は、宇迦御魂神(うがのみたま)のほかに、大己貴神(大国主命の別称)、佐田彦命、大宮主命、事代主命の四神。
 お稲荷さんのご祭神は須佐之男神と神大市姫(かむおおいちひめ)の子供の女神・宇迦之御霊神(うがのみたまのかみ)で、食糧を司り、とくに稲の豊穣を護るのである。だから、古来より米を生産する農家だけでなく、米を主食とする日本人の尊崇を集めてきた。

英雄や強いリーダーは、危ない!

 日本では、ロシアのプーチンさんを悪人と思っている人が多いと思います。
 織田信長は、日本では英雄とされていますが、多くの領土を奪い浪人を生み出すと共に、一向一揆に対しては2万人以上を虐殺したといいます。しかし、英雄なのです。
 そう考えると、プーチンさんも英雄なのかな???、疑問が湧いてきます。
 坂本龍馬も、今の感覚で言えば詐欺的な面がうかがえます。
 「勝者の歴史」と言われるように、勝者は自分に都合の悪いことは総て抹消し、自分に都合の良いことだけを残し、それを材料にして歴史書を書いてくれる人を優遇し、英雄になって行くのでしょうか?

厚木 秀吉の小田原攻めの際、兵火に「法界寺」

 北条氏直が荻野郷の地頭松田康長に命じて造営。秀吉の小田原攻めの際、兵火にかかり以前のような繁栄は失われたことが相模国風土記稿に記されている。
(北条 氏直(うじなお)は、相模国の戦国大名で小田原城主。後北条氏の第5代当主。父は北条氏政、母は武田信玄の娘・黄梅院。父と共に後北条氏の最大版図を築き上げたが、豊臣秀吉による小田原攻めで、後北条氏の関東支配は終焉を迎えた。)
 その後、近世初期、僧党誉の中興もあり壮大な寺容を誇り、六斎市(門前市)も栄えた。本堂の裏には、厚木を中心に多くの梵鐘や仏像を製作した鋳物師、木村一族のお墓がある。

ロシアの楽しみは、現在ではなく未来にある!

 ロシアで「睡眠学習法」という実権が行われていたそうです。良いほうに解釈すれば、自分を肯定的にする、という実権なのですが………。
 録音テープに、自分を肯定する言葉を録音し、そのテープを睡眠の始めに流し洗脳する実権です。
 ロシアの風土を考えると、反政府的な人を生み出さないためでは、と思ってしまいます。
 ロシアは、帝国の段階から、反国家の人達をシベリア送りにしていました。また、『シベリア抑留記』(原田道之助の手記)から感じるロシアの風土からも、良いほうには受けとれません。
 そのような風土だからこそ「反戦争」や「未来に夢を持つ」といった内容の小説が書かれているのでは、と思ってしまいます!

尾道 干満潮の差は3mを越る「昔の船着き場」

 昔の船着場です。

 このあたりは大潮だと3mを越える干満のさがあります。人力で荷揚げするため、船と岸の段差を少なくするために階段状になっています。
 このような船着場があると、津波で動力が失われクレーンなどの荷揚げ装置が動かなくなったときでも、人力で荷揚げができますね。
 秋の大潮近くに台風が来ると、このあたりの道路は、下水道を逆流した海水で覆われるそうです。

世界のどこにもそれなりの特殊性がある!

 国や地域には。それぞれに特性があります。しかし、情報化社会では、情報発信力の強い地域が、世間の常識としてとらえられます。
 すると、それぞれの地域の特性に、気がつかなかったり、無視されます。
 日本では、西日本と東日本では、地域の特性に関する気づきが違うようです。例えば、関西の大阪・京都・神戸・奈良など、それぞれの街の特性に違いがあると思っています。関東はどうでしょうか。東京・川崎・横浜・千葉・埼玉など、違いをどの程度意識していますか?
 外国を見る場合、日本の感覚で見ていると、思いがけない勘違いをしてしまうことが、あるのでしょうね。
 ロシアを見る場合はどうなのでしょうか? 日本の戦国時代のように、領土を拡大した者が英雄だった時代の感覚で、見た方が良いのでしょうか?

鎌倉 神仏分離で名を改めた「小動神社」

 小動神社は、明治以前は八王子宮と呼ばれていて、明治の神仏分離政策によって、「建御名方命」を奉ることになり、以来、地元の氏神として町民たちに親しまれている。境内の奥には展望台と、かたわらには海防のため、幕末に砲台が構えられた跡があり、腰越砲台として知られる。
 小動神社の例祭は、かつて江ノ島から小動神社まで神輿をかついだまま海の中を渡るというものであったとか。

質の高い質問で進化!

 情報化社会になり、生成AIというものが出てきて、自分で考えることが少なくなるのでは、と心配です。
 人間を、生物という視点から見ると、生存の確率が少なくなるのでは、と思ってしまいます。
 日本語は、ある程度の曖昧さを許容しているので、日常の会話でも、頭を使うことが比較的あります。
 生成AIが、質問のやり方で、いいかげんな回答をしている内はよいのですが、これが進化してくると、人間は考える機会がどんどん少なくなってしまいそうです。
 認知症の心配もあるのですが、それ以上の危険がなければ良いのですが!

福山 鞆の浦 鞆湾の全景が一望の「医王寺」

 医王寺は、平安時代に弘法大師によって開基されたと伝えられるお寺です。
 坂道や階段を上った先の後山(うしろやま)の中腹に、鞆の浦で2番目に古いお寺 医王寺があります。このお寺は826(天長3)年に弘法大師空海によって開基されたと伝えられています。その後、火災で焼失していますが、慶長年間に、鞆城代・大崎玄藩により再興されました。
 高台にあるため眺めは最高で、鞆湾の全景が一望の下に見渡せます。
 医王寺の足下の街道沿いには、江の浦・「焚場」の集落が道沿いに細.長く広がり、その向こ鞆港が大きく弧を描いています。さらに、港の北に広がる鞆の町並みの向こうには、仙酔島が望まれます。
 文政9年(1826年)に、鞆に寄港したオランダの医師のシーボルトも、植物観察のために医王寺を訪れており、この景観を楽しんだでしょう。

自分を楽しませることを大事にしましょう!

 やはり、現代は生活に余裕が出てきたためか、自分の苦しみに目が行ってしまいがちになるようです。
 脳が大人になるのが25歳だとすると、それまでは未発達の脳で、いろいろ考えていると思えば、結論を出すのは25歳を過ぎてからにしたほうが良いのでしょう。
 25歳までは、自分が正しいと考えて事でも、まだまだ変化する余地があるようです。
 ただ、25歳を過ぎても、大人脳でも考えが変化するので、他人の生(なま)の話をよく聞きながら、自分が楽しいと思う方向に変化していけると良いですね!

鎌倉 源頼朝の娘、大姫、哀しい話が「岩舟地蔵」

 岩船地蔵堂(海蔵寺)の地蔵尊。奥に石造地蔵尊を安置している。頼朝・政子の娘・大姫の守本尊と伝えられています。
 分かれ道の角に海蔵寺が管理する岩船地蔵(いわふねじそう)があります。地蔵の床下には、さらに約130cmの船形の背をもっ石の地蔵があり、「岩船」の呼び名はここからついたといわれています。
 鎌倉時代は、地蔵信仰が開花したとも言われている。もともと奈良時代に中国から伝えられた自動信号だったが鎌倉にその信仰が伝わると名高い人が競って優れた地蔵を製作するようになり庶民に浸透していったのです。

堂々と相手の目を見て話す!

 「目を見て話す」時間の長さが、親密度に影響しているのでしょうか?
 それとも、話す内容に興味があるかどうかの度合いが、影響しているのでしょうか?
 経験上は、ただ一緒に居る時間が長い方が、多くの場合親密度が高いようです。一緒に暮らしている家族がそうですね。ただし、干渉しすぎないこと。
 目を見て話せる相手は、比較的接触の時間が少なくても、気楽にいることが出来るようです!

尾道 浄土寺山鎖場下(鎖場経由)から不動岩へ

 浄土寺山の鎖場です。一番鎖、二番鎖、三番鎖と、山頂に向かって三ヶ所の鎖場があります。
 この「くさり」は、四国石鎚山に参詣できない人々のために石鎚山修験道の縮小版として、修験者の修行の場を海龍寺の裏山に設けた、と言われています。
 真言宗の開祖空海は、「自分が学ぶ上代の俗典は、俗事のことばかりであり、人の一生が終わってしまえば何の役に立つものではない。
 この際、俗典の勉学はやめて、真実の教えの源を尋ねることに越したことはない」と、山岳修行者になられて、吉野の金峯山、四国は石鎚山、阿波国の大滝嶽、土佐国の室戸崎などで山岳修行に励まれました。
 室戸崎では、ついに虚空蔵菩薩の化身である明星が身中に飛び込んで一体となるという神秘体験を得て、虚空蔵求聞持法を成就したという。

不幸は感染する!

 不幸(恵まれていないこと)は感染する。ただ、その基準をどこに置くかで、代わってきます。
 幸せ基準の高い人が、周りにたくさんいると、不幸ウイルスはどんどん広がります。
 首都直下で地震が起きると、基準が高い人が多いため、精神的な被害はすごく大きくなってしまうのでしょうか?

鎌倉 神の霊水が岩の間から湧き出ている「銭洗弁天」

 源頼朝(みなもとのよりとも)は、幕府をこの鎌倉の地に開いてから、日夜神や仏に祈って、人々の命を救おうとしていました。巳(み)の年の1185年(文治元年)巳(み)の月の巳の日の夜中、夢にひとりの老人が現われ、
「お前は人々のために何年も心配してきた。自分はお前のその真心に感心した。天下が安らかに、そして、人々が豊かに暮らせるように、大切なことを教えてやろう。ここから西北の方に一つの谷があり、きれいな泉が岩の間から湧き出ている。これは福の神が神仏に供えているという不思議な泉である。今、これをお前に授けるから、今後この水を汲んで絶えず用い、神仏を供養せよ。そうすると、人々が自然に信仰心を起こし、悪い者達はいつしかいなくなる。そして、お前の命令もよく行き渡り、天下は平和に栄えるであろう。自分はこのかくれ里の主の宇賀福神である。」
と言って姿を消しました。

お地蔵さんのそばを通りすぎるときに!

 古くからの街では、お地蔵さんをお寺の入口や道端でよく見掛けます。
 六地蔵もお寺ではよく見掛けます。六地蔵は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人道・天道の六道を能化する有難い佛様として昔から信仰されています。
 また、多くの罪人たちが首を斬られた処刑場であった場所に、その供養のために、六体の地蔵が建てられたのが、六地蔵のはじまりであるとの伝えもあるようです。
 お地蔵様は、天国に対する地獄の存在が強く意識されはじめると、一般民衆にもそれが浸透し、人々は、
「死んで地獄に落ちたら、どうすればいいのだろう……」
「地獄での苦しみから救ってくれるものがあるのならば……」
 と、いう想いで、お地蔵さまに救いを求めるようになっていったとか。