福山 龍馬評価が変わってきた「いろは丸展示館」

 1988~89年に行われた潜水調査の模様や、その時に引き揚げられた物や調査の様子がわかる写真、そのほかの龍馬に関わる資料などが展示されています。
 いろは丸事件ば、慶応3年(1867)4月、龍馬は海援隊を組織し伊予大洲藩から借げ受けた西洋式の蒸気船「いろは丸」に乗って長崎から大坂に物資(鉄砲)を運ぶ途中、岡山県六島沖(現在の同県笠岡市)で、紀州藩の蒸気船「明光丸」に横から衝突されたのです。明光丸は鞆港へ向けて、いろは丸を曳航しようとしましたが、浸水のため宇治府沖で沈没してしまいました。
 このため両者は鞆の浦にとどまりの損害賠償について昼ゆ夜交渉を繰り返しましたが決裂し、舞台を長崎に移して再交渉を行いました。龍馬は、交渉の部隊を長崎に移すことで時間稼ぎをし、その時間を利用し、様々な工作を行ったようです。最終的に、龍馬側が賠償金を受け取る、ことでようやく決着しました。
 この事件は、坂本龍馬が暗殺される半年前のことです。

水力発電,燃料費がかからない発電方式!

 水力発電は、燃料費がかからない発電方式ですが、日本ではダム発電が中心です。しかし、日本の電力消費量の10%未満だそうです。
 昨今は、マイクロ水力発電が取り上げられ始めました。しかし、水利権の問題があります。
 水の流れは、あちらこちらに有ります。瀬戸内海は、一定ではないですが、潮の流れもかなり早いです。
 水利権や漁業権が問題になることもあるのでしょうが、温暖化対策は優先されてもよいのでは? とも思ってしまいます!

尾道 巨大カラス天狗が住む「金毘羅大権現の社」でしたが!

 西國寺の仁王門をくぐり、西國寺本堂に通じる石段を登って行くと、ちょうど中間当たりの右手に金剛院があります。
 金剛院の境内には香川県琴平町の金刀比羅宮に向かって金毘羅大権現の社が建っている。
 永保3(1083)年の開基と伝えられ、願い事をして、軽く持ち上がれば願いがかなうと言われる「重軽さん」と呼ばれ石造りの三体の天狗石や、巨大なカラス天狗の作り物がありました。
 金剛院は新しく建て替えられたのですが、「金毘羅大権現の社」は一昨年には危険な状態になっていました。今はどうなっているのでしょうか?

昔の税金の「庸」は、技術を持って帰ることでもあった!

“ お寺の普請などに対して、税金、いわゆる「租・庸・調」を払います。「米」を納めるか、体で「働いて」納めるか、あるいは、土地の「産物」を納めるかということですね。
 特に寄進された人々は、庸、すなわち労働力として奉仕をしたのですね。
 そういう人たちは、労働力となって法隆寺に奉仕をすると同時に、これを自分たちのために役立てます。この経験を、ある程度持って帰りますよね。そうすると、そこで「技術を持って帰る」ことができるのです。”