「思い上がり」という言葉があります。これは自分ではなかなか気づけないですね。また、友人ですら注意することは難しいですね。やはり、本人が気づくしかないのでしょう。
ただ、あまり慎重になりすぎても、自分が伸びる余地を失ってしまいます。バランスが大事なようです。
「夢」をいうものをあまり意識せず、現状をありのまま洩れなく見ていれば、いつの間にか自分が伸びていることがあります。
なにが良いのでしょうかね?
3月 2024のアーカイブ
鎌倉 由比若宮、由比八幡宮ともいう「元鶴岡八幡宮」
1063年、陸奥守に任じられていた源頼義(頼朝の5代前)は、陸奥の豪族阿部氏を討つため、勝利を源氏の氏神である山城(京都)の石清水八幡宮に祈願した。その戦いの勝利に感謝するため、頼義は鎌倉に石清水八幡宮を勧請した。それが鶴岡八幡宮(元鶴岡八幡宮)です。 その後、1081年、源義家(頼朝の4代前)修復した。
源頼朝が鎌倉に入り、先祖を崇めるため、1180年、鶴岡八幡宮を小林郷松ヶ丘に遷した。それが現在の鶴岡八幡宮です。
「この前はどうも」という言い方!
「ありがとう」と言うべきところ、「どうも」や「すみません」のように言ってしまいます。
日本語は「曖昧さ」が特徴です。単に、単語としての意味だけでなく、その時の状況、過去の出来事、その土地の風土など考えて、言葉の意味をつかむ必要があります。
日本で英語教育が拡大する中で、日本語の単語も単純な使い方になって行くのでしょうか?
言葉が単純になると、思考も単純になっていくのでしょう。
アメリカの大統領選挙のトランプ氏のように、単純な思考の方が支持者が増えやすいようで、日本の英語教育の拡大は、同じような現象が、将来起きてしまうのでしょうか?
尾道 千光寺山頂から千光寺へ「文学の小路」
千光寺公園の山頂からつづく尾道ゆかりの作家、詩人の尾道ゆかりの林芙美子・志賀直哉・正岡子規など25名の作家・詩人の詩歌・小説の断片等をつづる静かな散歩道。点々と続く自然石に刻まれた文学碑です。
彼らが愛した尾道の風景、そこに住む人々の心が、刻まれた詩歌の中から聞こえてきます。
彼らが愛した尾道の風景、そこに住む人々の心が、碑に刻まれた詩歌の中から聞こえてきそうです。
都会に行けば何とかなるだろう!
人々は都会に集まります。都会に行けば何とかなる、と思って都会に来る人もいます。
でも、人類が生まれ、進化してきたのは、大自然の中です。
多くの人が都会に住むようになると、「世の中がどうあるべきか」を考えるとき、都会の論理で考えてしまうようになってしまいます。
大自然の中で進化してきた人類が、その環境から離れ、都会の考え方で判断すると、どうなってしまうのでしょうか?
昔の風土を残しながら、新しいものを取り込んで、融合させる日本文化は、大事にして行きたいですね。
愛川 八菅の七社権現とも呼ばれた「八菅神社」
八菅山の中腹にあり、別名八菅の七社権現とも呼ばれ、日本武尊、国常立尊、伊邪那岐命、金山毘古命、誉田別命、大己貴命、伊邪那美命の七神が祭神として祭られている。
明治維新までは神仏混淆の信仰に支えられてきた聖地で、大山阿夫利神社、日向薬師とともに関東での山岳修験の道場であり、修験道三派のうち聖護院流である。
かって山内には七社権現と別当・光勝寺の伽藍、それを維持する五十余の院・坊があって相模の国峰として盛えていた。
八菅山縁起によると日本武尊が東征のおりにこの山を望み見て、山容が蛇の横わたるに似ているところから「蛇形山」と名付けたという。
また、703年、修験道の開祖役の小角(えんのおずぬ)が入峰し修法を行ったとき、忽然として「池中に八本の菅が生えたことから八菅山の名が起こり、709年には僧行基が入山、ご神体及び本地仏を彫刻し伽藍を建立して勅願所としたという。
しかし、明治の神仏分離令により光勝寺は廃され七社権現は八菅神社と改称、今日にいたっている。
良質なたんぱく質で心のバランスを!
ビールのつまみには、枝豆が良いそうです。大豆は2000年前頃には大陸から日本に伝えられたそうです。枝豆はいつごろから食べられるようになったのかは、はっきりしていないようです。
その枝豆がビールのつまみに普及したのは、ビールが庶民に広がった昭和30年代(1960年頃)のようです。
当初は健康面よりも、価格面で普及したのですが、人々は本能的に健康に良いものを選んでいたのですね。
枝豆には、アルコールの分解を助け、解毒作用もあり、ビールのつまみには最適ですね!
鎌倉 この谷戸あたりが腰越の中心部だった「東漸寺」
東漸寺(とうぜんじ)は、神奈川県鎌倉市腰越にある日蓮宗の寺院。旧本山は大本山法華経寺。小西法縁。龍口寺輪番八ヶ寺の一つ。
1325年(正中2年)、後に龍口寺となる地の護持のため法華経寺から派遣された日東を開山に建立された。その後44世住職日英が、本堂、庫裡を再建復興し、現在の伽藍が整備された。
この寺の近くには妙典寺(みょうてんじ)、勧行寺(かんぎょうじ)、本成寺(ほんじょうじ)、本龍寺(ほんりゅうじ)があり、輪番八ヵ寺のうち五寺が集まっています。昔は、この谷戸あたりが腰越の中心部だったそうです。
食べたくても食べられない!
むかしは、ヨーロッパは食糧不足問題から戦争が当たり前になり、その風土がいまも続いているのでしょうか?
我々から見ると、戦いに寛容のように見えます。
またアフリカも、人類発祥の地でありながら、アフリカに残った人達も食糧事情が悪いのか、争いが絶えないですね。
今は地球の人口が増加傾向にあり、ますます争いが増える傾向にあるのでしょうか?
尾道 信行寺から 天寧寺へ「幸神社跡」
【伝説 幸の前の尻つめり】
天寧寺下に「塞之神社」がありました。「幸之神社」ともいわれ、この神社前一帯を幸の前と呼んでいました。
むかしこのあたりは海岸で、尾道港の中心地だったところです。千石船の出入りも多く、いつもたくさんの人出でにぎわって繁盛していました。
塞之神社は建武年間に建てられました。文明年間(建立より百五十年後)になると、お宮はあちこちこわれ、雨もりがするようになったそうです。
ある夜のこと、氏子の孫右衛門が寝ていると
「孫右衛門よ、孫右衛門よ」
と呼ぶ声がして白髪の老人が現れ、
「私は幸の前の塞之神である。いたんだ社の修理をたのむ。修理して祭りをしてくれれば、幸の前の氏子たちに末長く福をさずけるであろう」
と告げました。・・・・・・
不溶性食物繊維と水溶性食物繊維がある!
人間は食物繊維を消化できません。しかし、健康には大切とされています。
ちょっとむかしまでは、そんなことはあまり聞きませんでした。
測定具などが発達し、証明ができるようになると、その部分が強調された情報が、大量に流れます。
以前、日焼けについてもそうです。しかし、一定の時間は日に当たることも必要だと、最近は言われた始めています。
やはり、生命体として、情報には注意をしながらも、自分の身体の状態には、自分で敏感になっておく方が良さそうですね!