鎌倉 福の神が住でいる「銭洗弁天宇賀福神社」

 鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝の夢枕に、一人の老人が現われた。「西北の方向に仙境があり、きれいな泉が岩の間から湧き出ている。そこは清浄な地で、福の神が住でおり、その水を使っている。その水は神の霊水である。この水を使って神仏を祀(まつ)れば、国内は平穏に治まる。われこそは隠れ里の主の宇賀神(うががみ)である」といい、やがて消えてしまった。
 翌朝、頼朝が西北のほうへ行ってみたところ、たしかに泉があった。頼朝はさっそくそこに宇賀神を祀った。すると国は平穏になったという。
 北条時頼が当社に参詣のおり、この水で銭を洗い、福銭としたそうです。その話から、銭を洗うと二倍にふえるという、いい話が誕生したらしい。

人間が黙ってしまうのは!

 雰囲気が悪いときは黙ってしまいがちです。もうひとつ、自分の頭の中の整理が、まだ出来ていないときも黙ってしまいます。これは頭の回転が悪いのでしょうね。
 また関連する知識が多すぎて、どの視点から話すか迷っているとき話し出せない人もおられるのでしょうね。
 ただ、雰囲気などに関係なく、べらべらと話す人もいますね。自分の話すスタイルが出来上がっているのでしょうね!

厚木 古い石仏が数多く掘り出された「金剛寺」

 飯山金剛寺の大師堂に、神仏が八人の翁に化身して現れたという言い伝えがあります。
 最乗寺(南足柄市)の輪番にあたった三田村の清源院の四世忠州は、最乗寺へ向かう途中、この大師堂に立ち寄ってお経を上げていると、「ここで一夜を明かせ」という八人の翁の声がしました。翁達は、退廃しているお堂の再興を依頼して夜明けに帰っていきました。
 八人の翁は・観音様・黒地蔵・白地蔵・白山権現・不動尊・竜蔵権現・熊野権現・稲荷明神とわかり、大師堂は、金剛寺と忠州によって復興されました。
 この大師堂の向かって右側と奥に石仏が100体ほども置かれています。畑に埋まっていたそうです。

一部分だけを切り取って伝えるウソ!

 ネット社会になり情報が溢れています。これもそうですが、情報はある部分を切り取って発信しています。ということは、事実の一部分を切り取ったものが情報なのです。切り取り方で、意味が変わってしまうものもあります。
 専門指向が強ければ強いほど、特定の方向で情報を切り取ってしまいます。そのような情報の性格を十分意識して、情報に接するようにしなければなりませんね!

尾道 曲がりくねった道を「猫の細道」

  昇っていくと「猫の細道」です。
 福石猫の作り方は、日本海の荒波に長い年月もまれ、丸くなった石を拾ってきて、約半年間塩抜きをし、その後、特殊な絵の具で三度塗り重ね、作り上げていくそうで、福石猫が完成されるまでには、約1年もかるそうです。 ひとつひとつ丹念に作られていき、最後に艮神社でお祓いをうけ、晴れて福石猫となって、尾道に住んでいるのです。

本当にいじわるな人は間接的にいじわるを!

 意地悪な人が増えているのでしょうか。異常な行動をする人が増えているのでしょうか。
 子供時代から、「答えの正解は1つ」という環境で、教育や躾けられた環境で育ってしまうと、考え方が非常に狭くなってしまうのでしょうか?
 学者もスペシャリストも、狭い分野を追求した方が、社会の評価が上がるしくみになっているためか、考え方を狭くすることが奨励されていると、受け取ってしまうのでしょうか!

鎌倉 一時は約3,000坪の境内だった「薬王寺」

 昔は梅嶺山(ばいれいざん)夜光寺(やこうじ)とい真言宗の寺でしたが、1293年(永仁元年)日朗(にちろう)の高弟だった日像(にちぞう)が開山となって日蓮宗に改められたと伝えられています。また、梅立寺(ばいりゅうじ)とか梅嶺寺(ばいれいじ)とかの名も伝わっていますが、江戸時代の初めごろ日達(にちたつ)によって薬王寺と改められ再興されました。その後、徳川忠長(ただなが)が1633年(寛永10年)高崎で自刃しましたので、妻の松孝院(しょうこういん)殿(織田信長の次男信雄(のぶかつ)の娘)は、夫の霊を供養するためにこの寺に墓を建立し、多額のお金と広大な土地を寄進しました。

人生道草主義がいい!

 男性の脳の機能は、過去をあまり覚えないという。ということは、何か失敗をしたときは、すばやくその原因をつかまないと忘れてしまい、また、同じような失敗をするのでしょうか。
 「失敗は成功のもと」にするには、素早い対応を意識することが大事なのでしょうね!

福山 鞆・備前・備中・備後の日蓮宗の重要寺院「法宣寺」

 友光軒の前の四つ辻から、鞆小学校前を経て法宣寺に至る道筋を、「清正公道(せいしょうこうどう)」と呼びます。これは江戸末期、法宣寺境内に加藤清正を祀るお堂があり、多くの参拝者を集めていた名残です。法華信仰の篤かった清正は、死後主に日蓮宗徒の間で治病除災の神として崇められたのです。清正公堂はなくなりましたが、今でも法宣寺には二体の清正公像があります。そのうち一体はなんと、清正公自彫りとの伝承も!

本物のオーラを放つ人はその人の後ろ側に!

 知らない人でも、会釈や挨拶をしてしまう人がおられます。なにかしらのオーラがあるのでしょう。
 同じオーラでも、威圧的なオーラもあります。議員さんにもそのようなオーラがある人がおられますね。
 ヒトが持つ自衛の能力なのでしょうか。情報や知識ではこのような感覚は育ちません。やはり自然の中で身につけるものなのでしょうね!

鎌倉 日蓮が佐渡へ流されるまで土牢に幽閉「光則寺」

 境内は四季花が絶えない美しい庭ですが、特に、本堂の右前には樹齢約200年、高さ7mほどのカイドウがあり、4月上旬に咲くので有名です。
 本堂に向かって左前に、日蓮宗の信者でもあった宮沢賢治(みやざわけんじ)の『雨ニモマケズ…』の詩碑があり、池の奥は竹林が裏山へと続いています。
 境内奥の墓地上にある。文永八年(1271)龍ノロ法難で日蓮は斬首をまぬがれ、佐渡へ流されるまで、他の僧俗とこの土牢に幽閉されたという。

失敗したときに、まず「よかった」と!

 ことわざに「失敗は成功の母」というものがあります。失敗を成功の母にするためには、失敗した現状を洩れなく把握したうえで、原因を追求する姿勢が欠かせません。
 現状が中途半端な把握になってしまうと、対策も中途半端なものになりがちです。
 うまくいかなかったときの姿勢が、人生を決めるものなのでしょうね!

尾道 鉄道施設のため消えた「荒神社跡」

 天寧寺からバス通り(旧国道二号線)まで降り、右に行くと途中に「荒神社跡」という石碑が立っています。
 むかしこのあたりは海岸で、尾道港の中心地。むかしこのあたりは海岸で、尾道港の中心地だったところで、千石船の出入りも多く、いつもたくさんの人出でにぎわって繁盛していたそうです。

夢にはちゃんと「しめ切り」を設ける!

 生きていくために、夢を持つことは大事という。人の夢の最終には、お金や名誉が待っていると漠然と考えているのでは、と思う。
 中には、お金持ちになることだけが夢の人もいる。
 人生の終末まで考えると、どんな夢を持つことがベターなのでしょうか。それとも、その時その時を一生懸命に取り組み、過ごすことが大切なのでしょうか、難しいですね!

厚木 奈良時代後期のころ創建「七沢観音寺」

 七沢字観音谷戸2741番地の奥まった所にあり、奈良時代後期元正天皇(715~723)のころ創建と伝えられます。その後土御門天皇の時不幸にも野火にて焼失し廃寺のままであったが、日向一ノ沢の浄発願寺の中興開山、木食空誉禅阿上人が七沢鐘ケ嶽に創始した禅法寺と共に開山された天台宗の寺です。

やさしい人は他人のイライラに感染しやすい!

 「やさしさ}とは「思いやり」。「思いやり」とは「その人の身になって考えること」。その人の身になって考える基本には、曖昧さを許容する心を持ち合わせているかどうかが背景にあります。
 自分の思い込みを基本にすると、なかなか曖昧さを受け入れることが出来なくなってしまいます。
 自分というものを持ちながら、人に対して曖昧さを持つことができれば、誰に対しても、やさしく振る舞うことが出来るのでしょう!

鎌倉 十字架を模した紋がいまも残る「光照寺」

 石段を上ると、山門の右側に「子育て地蔵」と呼ばれるお地蔵さまが立っています。このお地蔵さまに、子どものことについてお願いするとかなえてくれると信仰されています。
 山門は明治のはじめごろ廃寺となった東渓院(とうけいいん)から移したもので、「くるす門」ともいわれ、キリスト教の十字の紋がある珍しい門です。江戸時代に鎌倉にもキリスト教の信者がいたのではないかと思われい本堂内にはキリシタンが使用したとみられる燭台(しょくだい)が2基あります。

旧暦八月十五日の「十五夜」!

 中秋の名月、2022年の十五夜は、9月10日でしたが、その1ヶ月後の「十三夜の月見」をした人はそれほどいないのでしょう。十五夜の月見をし、十三夜の月見をしないと縁起が良くないのですが、今では気にする人はいないのでしょう。
 ただ、いろいろな行事で自然観察をする機会は、多ければ多いほど、自然や歴史を知るには良いことですね。
 やはり、多くの知識は、教科書より、体験が先にあった方が良いですね。自然環境の条件によっては、教科書が間違っていることもありますから!

尾道 伝教大師高弟持光上人創創「持光寺」

 当寺は834~848年、伝教大師の高弟持光上人により、天台宗の寺として創創され、寺号は日輪山天禅寺と号し本尊は立像・聖観音菩薩の霊像でありました。
 この天台宗時代の寺宝も数点伝わり、中でも絹本着色・普賢延命菩薩像は1153年と銘が記されており、この仏画は「保元・平治の乱」の直前・鳥羽法皇の御宇、最愛の御子・近衛天皇の御息災を祈願された尊像であり、現在「国宝」に指定されております。
 1382年浄土弘伝の沙門善空頓了上人により本尊、立像・来迎の阿弥陀如来を迎え浄土宗に改宗される、寺号も日輪山金剛台院持光寺と改めた。

人は「存在証明」をもとめている!

 「ほめて育てる」と言われ続けています。でも、その場面に合ったほめ言葉は案外難しいものです。ほめる相手の性格に合った、また、ほめる場面に合ったほめ方をしなくてはなりません。しかも、周りに人がいれば、それも考慮しなければなりません。
 また、1997年以降に生まれた人は、共感力が弱いといわれています。その原因は、ゲーム機やスマホ、インターネットの普及で、人の表情を見て反応する力が弱くなってしまったことだと。脳は、常に楽をしようとする器官のため、人との接点が少なくなると、共感力という機能が働くなるのだそうです。
 でも、やはり、ほめることは必要です。ほめ方を変えなくてはいけないのでしょう。がんばって工夫して、ほめましょう!