尾道 京からお連れした仁王さん「西国寺山門」

 寺の山門に怒った顔をして立っている仁王像は、ふつうペアをなしており、一方は口を大きく開き(それを「阿(あ)」形(ぎょう)といい)、もう一方は口をへの字に結んでいる(それを「吽(うん)」形(ぎょう)という)。
 仁王は金剛力士とも呼ばれ、仏法を守護し邪悪をしりぞけるために寺の入口に立っています。一体の仁王像もありますが、ペアの仁王像では一方は「阿」形、もう一方は「吽」形の姿で表現されます。山門に安置される仁王像は、向かって右に「阿」形、左に「吽」形というのが一般的です。

才能をもっていない人は幸せ!

 現在の社会は、どちらかというと専門家を目指す人が多いようです。しかし、世の中が変化するときは、専門分野も大きく変化します。専門的すぎると小回りがききません。変化について行けません。また、歳をとりリタイアすると、専門的な経験ばかりでは社会に溶け込むことができず、暇な老後になってしまいます。社会の変化は、戦争や大災害、そして、今回の疫病(悪性の伝染病)の蔓延でも起こってきます!

座間 山王大権現から改称した「日枝大神」

 当社の創建は、元亀年間(1570~1573)と伝えられています。
 創建者は織田信長に敗れた美濃国(岐阜県)の齋藤龍興(道三の孫)の遺臣四名で、この地を開拓し祭神を四ツ谷の氏神として祀ったと伝えられています。
 宝暦十三年(1763)に火災にあい、七十八年後の天保十二年(1841)に再建、棟札に「山王大権現」と記され、手水石や諏訪社の祠の奉納年号から見ると、社域もこのころから整えられてきたようです。

商業施設内での店舗経営は甘くはない!

 緊急事態宣言がされました。ショッピングモールや駅ビルなど、大幅な売り上げの減少が起きてしまいます。社会の変革が起きようとしているのでしょうか? 街中の商店街が衰え、大きなショッピングモールが栄えてきました。今度は、移動販売車の時代がやってくるのでしょうか? 法律などの規制を別にすれば、住宅街の昼間空いている駐車場をお借りして、そこで、1時間程度の移動販売を場所を変えながら行う。あるいは、毎月1~2回程度、同じとことに出張販売をする。あるいは、昔の紙芝居のように、お寺などの石段を利用し、漫才や落語などのをやるなど、昭和の戦後から昭和30年代の商売のやり方を参考に、商売のやり方が変わっていくのでしょうか!

鎌倉 望みが絶たれた徳川忠長を供養「薬王寺」

 昔は梅嶺山夜光寺とい真言宗の寺でしが、1293年(永仁元年)日朗の高弟だった日像が開山となって日蓮宗に改められたと伝えられています。また、梅立寺とか梅嶺寺とかの名も伝わっていますが、江戸時代の初めごろ日達によって薬王寺と改められ再興されました。その後、徳川忠長が1633年(寛永10年)高崎で自刃しましたので、妻の松孝院殿(織田信長の次男信雄の娘)は、夫の霊を供養するためにこの寺に墓を建立し、多額のお金と広大な土地を寄進しました。こうしたこともあって、一時は3,000坪ほどの境内に五重塔やいろいろな建物が造られるほどの大きな寺になりましたが1720年(享保5年)にすべてが焼失してしまいました。

一歩後退して二歩前進!

 大災害や疫病の蔓延のとき、一歩後退する勇気が大事なようです。新コロナウイルスの拡大を防ぐには、一步も二歩も後退する覚悟も必要なようです。テレビの専門家といわれる人達の情報(二転三転するマスクの有効性など)だけでなく、自分の五感から得られる情報も大事にし、自分で「他人に迷惑をかけない」ことを優先し、判断したいものです!

尾道 紫田勝家の弟?が再興した「法然寺」

 

 法然上人(浄土宗の開祖)が、四国に御流罪になったとき(鎌倉時代の初め、今から八百年余り昔)、その徳を慕われた後白川法皇のの皇女 如念尼(にょねんに)公は、この島の南側、御寺(みでら)の光明坊にご来寺になって、讃岐(現在の香川県)から上人をお招きになりました。
 上人は当地に庵を結び、御寺までお通いになって九十日の間、如念尼公に說法、ご教化されたと言われています。

現代医学で言う病因は「あってなきが如し」!

 現代医学でも病気の原因は、「分かっているようでも、原因のある一面を捉えているだけ」なのでしょう。「漢方」といわれている治療法は、中国の漢の時代などに、征服した民族や反対勢力の人達に、いろいろな薬となりそうな物を与え、50年、100年に渡って人体実験を行い、薬としての効能を調べたようです。病気の原因は分からずとも、治療効果が有効であればよい、という考え方です!

鎌倉 北条時宗公産湯の井「甘縄神明宮」

 「足達盛長邸址」の石碑のそばにある石の鳥居は特色ある神明鳥居です。石段の下に小さな井戸があり、「北条時宗公産湯(うぶゆ)の井」という札が立っています。時宗は松下禅尼の孫で、足達氏の邸で生まれています。
 江戸時代には甘縄院というお寺がそばにありましたが、明治になるとなくなりました。9月14日は例祭で、神輿や山車が出てあたりは賑わいます。
 急な石段を上ると甘縄神明神社の拝殿と、その奥に本殿があります。

意識もしょせんはニューロンの活動?

 遺伝子が変化するには長い時間がかかります(何らかの要因で突然変異することはありますが)。しかし、DNAのスイッチのon・offは比較的簡単に起きます。このDNAスイッチのon・offの切換で、免疫力も変化するのでしょう。ちょっと気になるのは、免疫力を手に入れた遺伝子の有無が、生まれてくる子どもに引き継がれるかどうか。種の保存を考えると、引き継がれていくと考えた方が有利ですね。ここで問題、「免疫力を手にいてる前に生まれた子どもと、免疫力を手に入れたあとの子どもに違いがあるかどうか?」 そして、「最初に子どもが生まれたあと、ストレスや暴飲暴食が続き、その後に生まれた子どもに違いがあるかどうか?」 そのような研究はあるのでしょうか!