寺伝によれば806年に空海(弘法大師)によって創建され、源満仲(多田満仲)によって再興されたというが確証はなく、中世以前の寺歴は判然としない。
興趣千変万化、奇岩、奇勝など四季を通じて自然の神秘を探賞できます。
唐から空海が帰国したの806年、これ以降、真言密教が日本に広められた。ということは、806年に創建されたは??ですね。
また、高野山金剛峯寺を修禅の道場として開創したのは816年のことで、真言宗の開宗はその頃とされています。
2019年のアーカイブ
失敗体験をたくさんするとガムシャラに!
ガムシャラに物事に取り組んでいると、余計な思い込みもなく、いま現在の状況から得られる情報(どちらかといえば感覚的な情報)をもとに、どのように対処するか、だけを考えています。これも、ある意味「無心」ということでしょう。これが、成功しようと、失敗しようと、自分の財産になって行くのでしょう!
鎌倉 昔、多宝寺があった跡に「妙傳寺」
道路拡張によって東京都文京区白山にあったお寺を1974年2月に移転。
紀州徳川頼房の祈願所として創建、戦災によって本尊、寺宝、寺史などを消失している。
ここにはかって室町時代まで、律宗の多宝寺があった。裏山には石の造形物があるが、道が整備されていないようです。
旧本尊は妙見北辰菩薩、現在は日蓮坐像。妙見北辰菩薩は 1945年(昭和20年)の戦災で焼失してしまったとのことです。妙見北辰菩薩は、源頼朝や日蓮が崇拝し、日蓮宗の寺院によくみられます。
弱さを人間関係の武器に!
「弱さを武器」にされると対応が厄介ですね。ただ、昨今の、社会への適応が苦手な人達は、弱さを武器にすることができず、自己否定、あるいは、社会否定になってしまうようです。これは、もっと厄介ですね。ネット社会になり、自分の都合の良い情報のみ集め、その情報をもとに、自分の論理を組み立て、厄介な事件を起こす人も出てきてしまいます。真夜中、人に見られないようにして、5寸釘でわら人形を立木に打ち込み、憂さ晴らしをしていた時代の方が、よかったのでしょうか?
尾道 信長を呪ったか?「西国寺堂」
西國寺は天平年中、行基菩薩創建と伝えられ、真言宗醍醐派の大本山。 ある日、尾道に立ち寄られた行脚の中の行基はその夜、加茂明神の霊夢を見て、その御告げによってこの地に開山したと言い伝えられます。
西国寺は平安時代の院政期より朝廷との関わりが深く、官寺として大きな影響力を持っていたと考えられます。
荘厳な姿を山の中腹にとどめる金堂は、国の重文に指定されています。この金堂に安置されている薬師如来座像は本山の秘仏であり、三十年に一度の開陳が行われています。春の桜の季節は、境内一面の桜を楽しむことができます。
無理をすることなく「ありのまま」に!
「外界は自分に合うべきだ」と考えるか、「自分を外界に合わせる」と考えるか、という問題。「知識の学習」で常に正解を求めてきた人は、「外界は自分に合うべきだ」と考えやすいのでしょうか。日本では、多彩な自然があり、「常に答えはひとつだ」と考えることは無理があります。日本の文化にある「未完成の美学」は、「完成は崩壊の始まり」と考えています。「自然のなかで感性を学習した人」は、「自分を外界に合わせる」ことが、ごく普通のことと考えるのでしょう!
鎌倉 [おんめさま]の名で親している「大巧寺」
「おんめさま」(おうめさま)の名で親しまれている安産祈願の寺。創建は1320年と伝えられています。
本尊は安産の神様とされる産女霊神(うぶすめれいじん)。550年前の室町時代、難産のために死んで霊となり人々を苦しめていた女の霊を、当時の住職であった日棟上人が鎮め、安産の神として祀ったことから、安産の神として「おんめ様」の通称で親しまれるようになった。
境内にて 季節ごとに多くの種類の花々がさきます。
理論優先、競争原理の導入の弊害!
「勝ち負け」をベースにして「逃げてはいけない」という思いに縛られていると、事故や災害といった突発的な出来事に見舞われたとき、「危険を避ける」という行動ができなくなっていきます。危険な状況に瀕したたときに、本能は、それを察知して逃げるようにと警報を鳴らします。ところが一方では「逃げてはいけない」という指令を発して、その警報にブレーキをかけます。あなたは相反する情報に立ち往生し、身に迫る危険に対しても、自分を守ることができなくなっていくのです。避難を現場で支援する立場の人は、ものすごく大変です。
鞆の浦 江戸時代創建の客殿「福善寺対潮楼」
海岸山千手院福禅寺の本堂に隣接する対潮楼は、江戸時代の元禄年間(1690年頃)に創建された客殿で国の史跡に指定されています。座敷からの海の眺めは素晴らしく、1711年、朝鮮通信使の李邦彦は「日東第一形勝」と賞賛。1748年、洪景海は「対潮楼」の書を残しています。
朝鮮通信使とは、李氏朝鮮が1404年から日本に派遣した外交使節で、豊臣秀吉による朝鮮侵攻のあと途絶えていたが、1607年から再開された。
自然を制御できると過信!
ヨーロッパ文明は、ギリシャ哲学とユダヤ教やキリスト教の一神教を基本としたためか、「人間は自然を制御できる」と思い込んでいます。何か異変が起きたとき、「なぜ、どうゆう原理なのだろう?」と考えます。すべてのことがいつか「解明できる」と考えているようです。「曖昧」を否定する社会は、ストレス社会になりやすいようですね!
鎌倉 この世の花ではない紫陽花「明月院」
明月院を、多くの人が訪れるのは初夏の頃……紫陽花の咲く時分です。
あじさい寺。の別称があるほど有名なこの寺のことですから、数百株の見事な、丹精こめた植え込みが、石の総門から始まって、老い朽ちた山門をくぐりだらだら上りに左折して本堂前の庭へくるまで、びっしりと左右に並んで夢幻のように花を咲かせます。
まことに幽玄、閑雅、静識の極致。
赤ちゃんはこの世に生まれて不安!
核家族が主流になったためか、赤ちゃんのときに触れることができる人達が、からり少なくなってきています。また、都会暮らしの人が多くなり、赤ちゃん時代に自然にふれる機会も少なくなりました。人類の歴史で、こんなことは初めての経験です。それも、ここ50年ほど前からです。子育てにおいて、「何が正解か?」まだ経験不足ですね!
鎌倉 五つの神社が一つに「五所神社」
この神社は、1908年(明治41年)に町内にあった三島(みしま)・八雲(やくも)・諏訪(すわ)・金比羅(こんぴら)・見女八坂(みるまやさか)の五つの神社を一緒にしてまつったものです。祭神は大山祇神(おおやまづみのかみ)・素戔嗚尊(すさのうのみこと)・建御名方命(たけみながたのみこと)・崇徳院霊(すとくいんのみたま)・天照大神(あまてらすおおみかみ)で、毎年6月の第2日曜には盛大な祭りが行われています。
「なるほど、そうだね」と言おう!
組織内で、あるいは、同じ業界内で、偉くなっていくと、多くの人は「思い込み」が、どんどん強くなっていくようです。いろいろな人達の意見を、「なるほど、そうだね」と聞くことができる人は、「思い込み」が少ないのでしょう!
愛川 田代の半僧坊と呼ばれている「勝楽寺」
半僧坊や田代の半僧坊と呼ばれている勝楽寺。遠州奥山方廣寺(静岡県浜松市北区)より勧請した半僧坊大権現が祭られていることから、「田代半僧坊」と呼ばれています。
半僧坊大権現は、後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」が方廣寺へ御入山の際に出会った白髪の老人を弟子として、日々の作務等を怠ることなく随侍しました。
禅師が「おまえは半ば僧形である」と言うと、老人は「私は半僧です。」と答えたことから半僧坊と呼ばれるようになったそうです。その後、無文元選禅師が亡くなると、姿を消したと言われています。
風格は自分の力だけでは身につかない!
風格というと、ある程度の年齢を重ねた人を思い浮かべますが、「品が良い」という言い方もあります。「品」は口が3つ、三人を表しているようで、「三人=いろいろな人」という意味もあるようです。品のある人、風格のある人は、たとえ、子供であっても、みんなついてきてくれるようですね!
厚木 地蔵様の伝説がある「広沢寺」
ある雪の積もった朝、七沢の豆腐屋が家の前を見ると、山に向かって誰かの足跡が付いていた。「こんなに朝早く来た人もいるもんだ」と足跡をたどって行くと、広沢寺奥の地蔵堂の所でとまっていた。主人は豆腐を置いて帰ってきた。
その夜豆腐屋の夢の中に地蔵様が現れ「私は及川村のある寺におった地蔵だが、及川村は豆腐屋がなくこの七沢にやってきた。これからも頼む、そのかわりこの村に来る疫病を追い払ってやる」村の人々はこの地蔵様を豆腐地蔵と呼び、毎日毎日豆腐を上げお参りし、みんな長生きをしたそうな。
完成形に至ると活力を失う!
現在は、「完成形」を目指すことが当たり前になっている。勉強、学術、工業製品、構築物、建物など、完全をめざす。しかし、日本の文化には、「未完成の美学」というものがあり、あえて、完全なものを、一部を未完成にし、次なる進歩を追求する風土があった。完全を目指すことは、誰もができるものではない。できない者は、「おちこぼれ」として扱われる危険性がある。もっと、未完成・多様性を認める社会であって欲しい!
尾道 小説「暗夜行路」に着手した「志賀直哉旧居」
現代人の幸せの求め方は、不幸感がなくても「幸せ、幸せ」と簡単にいっているような気がする。なぜだろうかと疑問に感じていたが、志賀直哉の言葉に
「幸福というものは受けるべきもので、求めるべき性質のものではない」と。
そうなのだ。幸せとは求めて得られるものではない。だが、人に与えることはできる。ここに大きなポイントがある。
「逃げない男の生き方」川北義則著(PHP文庫)より
お経なんか、さっぱり分かりません!
お寺さんと関わる機会が、ごく限られたときだけになってしまいました。昨今、ストーカー、閉じこもり、いじめなど、心の問題が日常化しているとき、心を救うべく成立した宗教の教えや手法は、できが悪かったのか、あるいは、退化しているのでしょうか? これだけ多くの宗教施設がありながら、生きている人達を、もっと救うことはできないのでしょうか!