鎌倉 平政子(北条政子)が創建した「白旗神社」

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 白旗社については社伝によると正治二年(1200)白旗大明神の勅号を賜って、平政子(北条政子、北条政子という名は近世以降になってそう呼ぶようになったようです。1218年以降1225年までは、朝廷や寺社には吾妻鑑に記載されている「平政子」を名乗っていたと考えられる。)が創建、また源頼家の造立ともいう。
  現在の祭神:源頼朝と源実朝
 「天正修営目論見図」には本宮の西側に白旗社があり、明治十九年柳営社(源実朝)と合せて現在地に鎮祭した。

赤ワインで注目すべきポリフェノール!

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 「酒は百薬の長」なのですが、顔が赤くなる人は気をつけたほうが良いのですね。仏教では、酒を飲んではならぬ、とされていますね。これは、飲酒せずとも、軽重問わず多くの「あやまち」を犯すもの。飲酒すると、意図的にその要因を増やすのは愚かなことである、というのが仏教の見解です。自分のからだにはよい面もあるが、他人に迷惑になることが増えるため、お酒を禁じているのでしょう!

尾道 盗賊三人の首を祀っている「海福寺」

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 1320年(1328年とも)遊行二祖上人の弟子、他阿上人の開基。本尊は阿弥陀如来。
 入母屋造、瓦葺で、中央後方の部屋が仏間になっている。一番の特徴は、幅の広い縁側(広縁・ひろえん)の上に、ー枚ものの板をとりつけた鏡天井を設け、虹梁(こうりょう・緩やかな弧をえがいた梁)と桁でその天井を支えている点である。全体的に非常に簡素な造リだが、江戸時代の時宗本堂の遺構としては全国的にみても貴重である。

生きるとは、ガラクタを捨てること!

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 「今日、ちゃんと食事ができた。しあわせだなぁー」と思う人達が、アフリカにはいらっしゃるという。自然の中で生きていると、“今日(いま)”を大切に生きる、ということが身についているのでしょう。日本でもそうだったのでしょう。奈良時代以前は80万人程度、奈良時代で450万人程度、外国からの移民が多かったのでしょうが、それでも、現在の30分の1です。いま住んでいる土地の20~30倍の自然がまわりにあったのです。そこから食べ物を得ていたのでしょうが、自然災害も多かったのでしょう。そのとき、クルマなどありませんから運搬は出来ず、生きて行くには厳しかったのでしょう!

鎌倉 隠れキリシタンに門戸を開いた「光照寺」

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 1282年 鎌倉時代、布教の為に鎌倉に入ろうとした一遍上人の一行(おそらく尼を引き連れ、乞食同然の姿)は鎌倉につながる関所を守る武士達に拒絶され、やむなく、江ノ島に通じる街道筋に一夜の野宿をした、その野宿した跡地に建てられたのがこの光照寺で、一遍上人法難霊場となっている。

議論のとき、相手の逃げ道を!

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 「自分が正しい」と思っているときほど、聞き役に徹することが大切なようです。もちろん、「笑い」を引き出すことが出来れば最高ですが、それは難しいので、せめて、聞き役に徹することを目指したいですね。別の手法としては、カードを利用する方法がありますね。いろいろな意見をカードに記入し、似通ったもの、関連がありそうなものをグループ化し、整理する方法も有効ですね!

鎌倉 佐竹氏代々の居住地にある「大宝寺」

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 室町時代の1399年(応永6年)佐竹義盛が出家し、屋敷のそばに寺を建て多福寺と名付けたといいます。それがこの大宝寺の前身で、その後、廃寺になっていたものを、1444年(文安元年)、本覚寺を開いた日出(にっしゅつ)が再興し、多福寺の名を山号に残し、大宝寺に改めたと伝えられています。
 本堂には、本尊の三宝本尊と四菩薩像、その前に日蓮上人像、左側に開山日出と新羅三郎義光の像、右側に出世大黒天と鬼子母神像などがまつられています。

組織はたえず異化作用が必須!

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 いまは、社会の変化、あるいは、自然の変化が激しくなってきています。絶えず異化(差異の著しい二つの性質を接近させるとき、両者の差異がさらにきわだつこと)作用をすることで、明日を見据えた変化を受け入れることが必要ですね。そのためには、同質化をさけ、個性を尊重することが必要です。学校教育も転換する必要が迫っているのでしょう!

尾道 かたい門は「持光寺」

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持光寺の石の門(延命門)
 「ええ門は福善寺、かたい門は持光寺」…童歌までに唄われた同寺の門はそのものズバリ、主体だけ17個からなる花崗岩を組みあわせトンネル状に築きあげた石の門。全巾が5m、奥行き3.5m、高さ3.5mで、通路が巾3m、高き2.8m。これだけの石を据え微塵の狂いを生じてないあたり、基礎に相当の配慮がはらわれているのだろう。約三百年前に建てられたものであろうが、当時の築構技術の粋をあつめた“石の町”ならでの逸品。

引き算する暮らしを!

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 「引き算の暮らし」がいわれています。物が少なかった時代に育ったひとは、あまり考えずに、ついついモノを買ってしまいます。そして、ほとんど使わないまま置きっぱなしになってしまいます。むかしの江戸の生活は、何か危険なことがあれば、庶民は、ちゃぶ台とふとんをかかえて、すぐに逃げたようです。家が壊れても材料さえあれば10日程あれば、なんとかなったようです。自然災害が多くなってきた今、暮らし方を考え直すときがきたようです!