島々に行く船が出ています。
前の島(向島(むかいしま))への渡しの乗り場が、一番東に独立してあります。
「尾道~因島~生口島」方面、「尾道~百島~常石」方面の船が出ています。
他に、春から秋までですが、「尾道~鞆の浦」への船が、土日に運航しています。
戦国時代から江戸時代の初め、尾道は歴史の上で逼塞(ひっそく)していたのですが、時代が平穏になって西回り航路が開かれ、北前船が入ってくるようになると商業のまち尾道はまた活気を取り戻します。ただし、尾道の自前の船があちこちに出掛けたのではなく、 寄港する北前船を利用することで繁栄したようです。
10月 2019のアーカイブ
自分勝手なレッテルを貼っている!
厚木 美女神の木花咲耶姫命を祀る「子安神社」
落とし穴があると知っている!
鎌倉 身代地蔵(裸地蔵)が有名な「延命寺」
ゆったりとした時間を過ごす!
厚木 小野小町の生誕地か?「小野神社」
恨みからは何も生まれない!
厚木 巨石が掌を合わせた「大釜大弁財天尊」
カードは支出の流れが見えにくい!
鎌倉腰越 小動神社の別当寺だった「浄泉寺」
昔、神仏を一緒にまつっていた時代には、今の小動神社は八王子社(はちおうじしゃ)と呼ばれ、浄泉寺はその別当寺となっていました。そのため、1917年(大正6年)まで、浄泉寺の住職が小動神社も管理していました。神仏分離令以後もこのような形をとっていたのは珍しいことです。こうしたことから、1333年(元弘3年) に新田義貞が鎌倉攻めのときに八王子社に奉納した剣が、この寺に保存されていたことがあったといわれています。また文治年間(1185年ー1189年)に、佐々木盛綱(もりつな)が船上からこの寺を拝んだという話も残っています。
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