鎌倉 身代地蔵(裸地蔵)が有名な「延命寺」

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 本尊「阿弥陀如来像」は、圓應寺の閻魔大王を彫ったあまりの木で作られたことから「木あまりの像」、また、予定より早く完成したことから「日あまりの像」と呼ばれている。
 運慶作と伝えられる「木造地蔵菩薩立像」は、夫人の身代わりとなったことで夫人の守護仏とされている。裸形彫刻で普段は袈裟を纏っている。
 1923年の関東大震災では、滑川を遡上した津波がこの辺りまで来たという。

鎌倉 本尊阿弥陀如来は運慶作?「教恩寺」

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 中座山大聖院教恩寺と号す。開山は知阿、開基北条氏康。もと材木座光明寺境内にあって、宝海山と号したともいう。本尊の木造阿弥陀如来并両脇侍菩薩立像は鎌倉時代前期の作品で、鎌倉市指定文化財。
 本堂に安置されている本尊の阿弥陀如来は、運慶が刻んだものと伝えられていますが明らかではありません。

鎌倉 関東大震災の津波がここまで来た「延命寺」

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 下馬一交差点の近くにある浄土宗寺院。山号は帰命山。もと安養院末。開山は専蓮社昌誉能公。寺史は不明。北条時頼室の念持仏と伝える身代地蔵(裸地蔵)が有名で、江戸へ出開帳したこともある。なお、赤穂浪士の岡島八十右衛門の三男が住持したと伝え、義士の画像もあつたというが、いまはない。
 運慶作と伝えられる「木造地蔵菩薩立像」は、夫人の身代わりとなったことで夫人の守護仏とされている。裸形彫刻で普段は袈裟を纏っている。
 1923年の関東大震災では、滑川を遡上した津波がこの辺りまで来たという。